あいちトリエンナーレ検証委員会で大村知事がフルボッコにされていました。
(本人は気づいてるのだろうか?)
あいちトリエンナーレのあり方検証委員会第3回
議事概要(あいちトリエンナーレのあり方検証委員会 第3回会議) - 愛知県
9月25日に検証委員会の3回目が行われました。
「検証」委員会という名称は今後はなくなり、「検討委員会」となるようです。
今後の芸術祭の在り方に向けた議論が中心になるからということです。
ただ、河村市長などキーマンへのヒアリングが行われていなかったり、現時点で検証自体が不十分であるという認識はあるようなので、そちらも並行して行われていくでしょう。
曽我部教授「自分の気に入らないことに検閲というレッテルを貼って批判する局面も」
大村知事も出席しているこの委員会の中で面白い一幕がありました。
曽我部教授「今回、「検閲」という言葉がいろんな意味で使われた。何か自分の気に入らないことに検閲というレッテルを貼って批判するという局面も見られた。」
上山委員『スポンサーが嫌悪感を示したら「それは検閲だ」などと言ったり、検閲の超拡大解釈というものが色んな違和感を全体に醸している』
委員会の後半で各自の意見を伺った際に各者がこうした趣旨の意見を表明しています。
「気に入らないことに検閲というレッテル張り」
「検閲の超拡大解釈」
これらは大村秀章知事がやってきた事です(笑)
トリエンナーレの問題や大村知事の発言は度々このブログでも取り上げていますが、代表的なものは以下。大村知事の検閲概念を採用すれば既に検閲しているという矛盾。
第一回の検証委員会で曽我部教授が「基本的に契約関係」と指摘してからも考えを改める様子がありません。
愛知国際芸術祭の検証委員会でも「憲法問題ではない」
曽我部教授が法的観点から愛知の芸術祭の事案を分析した図解。
「理念としての表現の自由」という言葉が左下にあるように、今回は「憲法上の表現の自由」が問題になるような話ではありません。
憲法学上では表現の自由の文脈で整理される話ではあるでしょうが、基本的には表現の自由の問題ではないということは憲法学の基礎を学んでいる者にとっては常識です。
マスメディアの論説やテレビのコメンテーターらがいかにいいかげんな事を言って言論空間を汚染してきたのかということが分かります。
以上