事実を整える

Nathan(ねーさん) ほぼオープンソースをベースに法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

安田純平が韓国人を名乗った理由:「自己責任論ガー」が無視する憲法改正

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安田純平氏が武装勢力による監禁から解放されました。

彼は「ウマルです。韓国人です。」と名乗りましたが、その理由は何だったのでしょうか?それは事実だったのでしょうか?

報道をどう理解するべきか。「自己責任論ガー」についても一言触れていきます。

安田純平が韓国人を名乗った理由「他の囚人に収容場所がバレるのを避けるため」

安田純平さん なぜ「私はウマルで韓国人です」と話した? | NHKニュース

「韓国人です」と話した理由についても、「日本人であることとか、私の実名を言うと、ほかの囚人がきいて、もし彼らが解放された場合、私の監禁場所を知っているので、例えば日本側に通報するとか、ほかの組織に通報するとかしたら、ばれてしまう。だから、実名を言うとか、日本人とか言うのは禁止されていたんです」と語りました。

つまり監禁場所が外部に漏れないよう、拘束されている人たちはいずれも実名や国籍を言ってはならないルールが徹底されていたということです。

これは疑問も呈されています。

「だったら日本語でしゃべったのは国籍がバレルではないか?」

「だったら韓国人です、も言ってはいけないのでは?」

「だったら名乗りをする意味がわからない」

上記記事の発言からだけでも、これだけの疑問は湧いてきます。

NHKが解説している「実名や国籍を言ってはならないルールが徹底されていた」というのは本当なんでしょうか?

過去には「純平」と発言していた

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上記画像は日本語で安田純平と本名が書かれています。

これは矛盾しているのでしょうか?というと、安田氏がウマル…と言った理由について整合的に理解するならば、『他の囚人が「音声」を聞くのを避けるため』と考えれば良いと言えます。

しかし、過去に安田氏は英語ではありますが「ジュンペイ」という自分の本名(と一般的には思われている)を口頭で伝えています。

毎日新聞映像グループ - 安田純平さんを名乗る男性の動画:ヌスラ戦線拘束か(フェイスブックより) | Facebook

これは矛盾ではないか?とは言い切れません。

「実名や国籍を言ってはならないルールが徹底されていた」というのは安田氏の発言ではなくNHKの解説です。安田氏本人は、ウマル発言をした際のルールについてのみ言及していた可能性があります。

また、安田氏は3年以上も拘束されていたのですから、その都度どのようなルールに基づいて発言していたのかの正確な記憶が残っているかというと、期待すべきではないでしょう。

さらに、今回安田氏が解放されたのはヌスラ戦線の内部分裂によって穏健派から解放されたから、という見方もあることから、テロリスト集団の中でルールが徹底されていなかった可能性も残ります。

したがって、「ほかの囚人が本名等をきいて解放されたときに居場所がバレルのを防ぐため」といのは、ウマル発言をしたときに限ってのことであり、それと過去の動画・画像が異なるからと言って、安田氏が嘘を言っていると断定するのは危険なように思います。

小括:「安田純平の自作自演」という邪推は不毛

その他、「3年も拘束されて健康状態が悪いと言われてるが、表情を見る限りそうでもないな」などという邪推がなされています。

しかし、がんが転移している高須クリニックの高須克弥院長の画像を見ても、「健康状態が悪い」とは思えないように、単なる画像だけで判断するのは拙速に過ぎます。

【問題視】安田純平のシリア拘束に自作自演疑惑浮上 / テロリスト集団「安田純平の拘束なんて関わってないしテレビで初めて知った」 | バズプラスニュース Buzz+

ヌスラ戦線(タハリールアルシャーム機構(HTS)に改称)が「拘束に関わっていない」と言っていたという報道がありますが、信憑性には疑問がついてまわるでしょう。

安田氏が機材を失ってまで「自作自演」でわざわざ3年以上も異国の地で生活するメリットは感じられません。

そういう個人への中傷をするのではなく、安田純平氏の事案から何を学ぶべきなのかを議論するべきでしょう。

安田純平の批判と政府の責任の論点

国の責務」と「人の落ち度」の話

これらは分けて論じなければならないという指摘はその通りだと思います。

一連の件で「自己責任」や「自業自得」と言うときに、個人を非難するにとどまらず、政府の邦人保護の義務を排除する意味合いで使われているとすれば、それは違うと思います。

1:「人の落ち度」危険地帯に行って拘束された者は非難されるべきか?

ルワンダ内戦の状況について立ち入った説明をするのは省きますが、野球選手のダルビッシュ有さんのこの指摘は重要。

たとえば、 チベット・ウイグルの民族浄化を取材するために現地に行った記者(別に記者でなくとも良い)が居たとして、中国当局に拘束された場合にどう考えるべきなのか?について重要な示唆を含んでいると思います。

それで成果もなく、身代金を支払ったとして、安田純平氏と同じ評価になるでしょうか?

成果と悪影響が評価軸の一つ

安田氏個人の問題はさておき、【一般的に危険地帯に行って拘束された者は非難されるべきか?】という問題について考えてみます。

これは「得られた成果」と「拘束されることでの悪影響(解放のために支払った犠牲含む)」との均衡で判断されるものだと思います。

橋下徹氏も「取材結果を発表できたら…」と言っているように、「得られた成果」が何なのかは拘束された人の評価にとって重要です。

ただ、他方でテロリストに対してカタールから3億円が支払われたと報道があるように、それを元に武器購入がなされ、新たな犠牲者が出ることに加担してしまったという側面は無視できません。

橋下氏は「結果発表できたらただちに英雄」という趣旨と捉えられかねない発言をしていますが、おそらくそうではなく、取材結果の質によって評価は変わるでしょう。

「危険地帯に赴いて拘束された人一般の話」でいえば、直ちに「非難されるべき」という評価がなされるのは不当だという結論になると思います。

このように、安田純平個人に対する非難の問題と、「危険地帯に赴いて拘束された人一般の話」とが混同されている言論状況は良くないと思います。

安田純平個人に対する評価

では、安田純平個人はどう評価されるべきか?

モーニングショーで玉川徹が「英雄として扱われるべき」と発言しましたが、少なくともこのような扱いをするのは不当でしょう。

なぜなら、安田氏は何ら取材結果を持っていないからです。

単に「拘束されていた経験」は得られたかもしれませんが、本来、現地に赴いて得るべき必要な情報はそんなものはないでしょう。それは不必要な情報です。

では、「安田純平個人は非難されるべきか?」

それは明確に「非難されるべき」だと思います。

なぜなら、

  1. 安田氏は過去に何度も拘束されている
  2. よって、取材する能力資質に疑問がある
  3. 日本政府等からも渡航禁止勧告を受けていた
    ※2019年2月13日追記。安田氏帰国後、ツイッターで「シリア渡航前に日本政府からの接触はなかった」旨の発言がありました。
  4. にもかかわらず敢えて渡航した結果、拘束された
  5. パスポート没収に際して自己責任であると自ら主張して日本国をバカにしていた
    ※2019年2月13日追記。3番の指摘がパスポート没収を否定したのかは定かではないですが、安田氏が没収されたということの根拠として使われているのは下記画像の最初のツイート以外に見つかりません。

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これだけの事を言い放って渡航して拘束され、カタールに身代金を支払わせて解放され、テロ資金援助に実質的に加担し、その挙句に成果も何もないような人間は、非難されて当たり前です。

もしかすると今後、「成果」と呼べるようなものが出てくるかもしれませんが、これらの事情を覆すものを彼が獲得しているか、果たして疑問です。

「フリーのジャーナリストを育てろ」論は大手メディア無視の欺瞞でしかない

少し脱線しますが、「ほり・じゅん」は「フリーのジャーナリストを育て、守り、そして発信の場を確保するための取り組みを連帯してやることを議論すべきではないか」などと言っています。

え?大手マスメディアの記者は何やってるの?

そう思いませんか?

日本の場合、大手マスメディアは記者を派遣しないから、フリーのジャーナリストが危険を冒し、そこからネタを買っているという事情があります。

大手なんですから、自社で記者を育成して装備も防衛体制も整えてあげればいいのに、それをしない。

欧米のメディアは報道機関が自社社員を育成して現地に派遣し、PMC(民間軍事会社)のガードを付けて保険にも入って取材活動をしています。

もちろん、欧米もフリージャーナリストはいないわけではないでしょうが、ジャーナリズム界隈できちんと記者を育成しています。それは資金力のあるメディアだからこそやっているわけで、「フリー」ジャーナリストを育てろ、というのは的外れですね。

いったいなぜ、大手メディアを名宛人にして「ジャーナリストを育てろ」と言わないのか不思議で仕方がありません。

ジャーナリストの現地取材の価値の変化

10月26日のDHC虎ノ門ニュースにおいて大高未貴さんによる指摘。

ダルビッシュ選手のルワンダ内戦についての指摘に対するアンチテーゼになりそうです。

2:「国の責任」邦人保護義務は常にあるのか?

今度は国の責任の問題について検討します。

「自己責任だ」「自業自得だ」と言う主張は、国の責任を完全に無視してしまうことになるので、そういうものには与しません。

  1. すべての場合に国の法人保護義務が発生するのか
  2. 安田純平氏の場合は国籍に疑義があるが、それでも保護義務が発生するのか
  3. 9条2項をどう考えるか

一応、上記論点を思いついたので検討していきます。

すべての場合に国の邦人保護義務が発生し、履行しなければダメ?

国民の生命身体財産を守るのは国家の責務です。

したがって、すべての場合に国の法人保護義務は発生していると言わなければダメです。これは国民主権を国家が侵してはいけないという、国内の話でも当然です。

ただし、海外における邦人保護の場面では、対外的な「国家主権」の問題です。

国家主権vsテロリストとの関係で論じられるべき話であって、決して「人権」の話ではありません。

「国際人権」なるものを持ち出しても、それを守るべき名宛人は本来はテロリストであるはず。テロリストに邦人が拉致されているのに、日本政府に対して「邦人の人権を守れ!」と言うのは話がずれています。

たしかに「人命を守れ!」と言うことは何らおかしくはありませんが、国家-国民の関係でいう所の「人権」については、この場面では適用されません。

戦争が起こったときに、日本国の都市に外国軍による空爆があっても『「被害者の生存権」を守らなかった日本国の責任だ!』などとはならないでしょう。

対外的に日本国の統治権を守ることで日本国民の生命身体財産を守ることになる。このような意味で国家の責務であるということになります。

たとえ今回の事象について「人命尊重」とか「道義的見地に立って」とか言っていたとしても、それは(本来は)政治的な意味・素朴な意味においての話であって、法的な「人権」の話ではありません。

安田純平の場合は国籍に疑義があるが、保護義務が発生するのか

安田氏が「ウマルです」「韓国人」と話した当時は、パスポートの疑義からも「日本国籍者ではないのではないか?」と推測されていました。

しかし、そうであっても、日本社会に根差して生活していた者であるなら日本国が保護義務を負うべきではないか?

大手メディアは「ウマル」「韓国人」発言の部分を当初は報道していなかったため、この部分の議論が形成されなかったことは残念としかいいようがありません。

私は、安田純平個人の場合に「国の義務が無い」としてしまうと、「じゃあ一般的に義務が消滅する場合はどういう場合?」というよくわからないことになるので、一応「日本政府が保護するべき者」とするべきだと思います。

しかし、国が「切り捨てる」判断をしたらどうか?

安田氏個人の批判の項で述べた通り、彼の帰責性は高いのですから、彼のケースの場合は国が無視したとしても「妥当」と評価していたと思います。

それは国家の対外的な国家主権行使の裁量の問題であり、やむを得ない判断でしょう。

「いや、それはおかしい、邦人は保護するべきだ」

このような主張がありますが、では、「保護」の「手段」は何があるでしょうか?

「奪還・殲滅」の選択肢を無視するな:不可避的な9条2項論

安田氏を「保護するべき」と言っている者の多くは、なぜか自衛隊がシリアに乗り込んで行って「奪還・殲滅」作戦をすることを選択肢に入れていません。

それは現行憲法が9条2項を規定しているためにできないのが明らかですから、ある意味当然視されています。

しかし、本来安田氏の身を案ずる者であれば「憲法9条2項を改正してでも安田氏を救出するべきだ」ということになるはずです。なぜそういう議論が無いのでしょうか?

なぜ、「保護」と言うと「身代金を払う」や「対話」という意味不明な文言を持ち出すのでしょうか?

結局のところ、9条2項があるせいで救出作戦が「絶対に」できない状況だったのだから、自分たちの政治イデオロギーを優先して安田純平氏を蔑ろにしているとしか思えません。

憲法9条2項改正しても無意味?

ここで「世界最強の軍隊を持っているアメリカ人のジャーナリストも拘束されているのだから、憲法9条2項を改正したところで無意味であり、無関係な主張だ」という意見があり得ると思います。

しかし、武力行使の可能性が「絶対に無い」国と、わずかでもある国の人間とでは、やはり拉致拘束をする場合の心理的ハードルが上がるでしょう。拘束解除のハードルも下がることになります。

9条2項があるせいで邦人が危険に曝されている潜在的可能性はあります。

だからこそ北朝鮮による拉致が行われてきました。

もちろん、9条2項を改正しただけでは何らの解決にはなりませんから、関連法規も日本人保護に資する形への改正が必要です。

このようにして、結局、9条2項の存在は無視できないことになります。

よって、後藤健二氏や安田純平氏の事例から、憲法改正をするべきだという議論が生まれないとおかしいと思います。

しかし、マスメディアはこの議論を封殺し、「自己責任論ガー」を唱えることで、自己責任論者を非難することに終始し、この論点を覆い隠しました。

この事案から何か建設的なことを掴みとろうという姿勢をマスメディアからはまったく感じません。

まとめ:自己責任論も自己責任論ガーも有害

「自己責任!」も「自己責任論ガー!」も有害でしかありません。

前者は「国の責務」そのものを捨象しています。

後者は「国の責務」から救出・奪還という選択肢を意図的に無視し、身代金要求に応えることを政府に要求することや意味不明な「対話」を持ち出して、安田氏をエンタメとして利用しているに過ぎません。

この事件は国家の統治権の問題であり、対外的な国家主権を守るために邦人保護をより強化するためにはどうすればよいのか?そのための法的な側面として9条2項改正は避けては通れない議論であるにもかかわらず、意図的に無視されている。

そう感じざるを得ません。

以上