事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

靖国神社問題とA級戦犯合祀・分祀、靖国国立化に関する有本橋下百田論争1

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有本香、橋下徹、百田尚樹ら(+長島昭久)がTwitter上で繰り広げた靖国神社論争。

これに関連して、靖国神社問題の論点整理をしていきます。

全てを語ると5万字は超えるので、ここでは議論のスタート地点を確認します。 

靖国神社問題・A級戦犯合祀・分祀・靖国国立化の思考順序

有本・橋下・百田+長島らの靖国神社問題の議論を観察すると、上記のような分岐点が浮かび上がってきました。これは政策実現の順序ではなく、思考の順序です。

思考の優先順位としては、まず英霊のために考えるべきであるということです。

次いで、昭和天皇の意思、或いは上皇陛下や今上天皇の意思を絶対視するか否か。

ここの考え方の違いが、有本百田と橋下長島らの出発点の違いになっているのです。

それが分祀をする理由や国立化する根拠に繋がってくるからです。

いきなり「分祀は妥当か」「国立化や別個の国立追悼施設を作るべきか」という結果について検討してしまうと、話がごちゃごちゃになってしまうのです。

8月15日の参拝は必須ではない

靖国神社の在り方については別稿で紹介しますが、本来は戊辰戦争以来の戦没者を祀るために建立されたのが靖国神社です。

したがって、8月15日の参拝だけが意味のあるものではなく、春秋の例大祭が最も重要な催しであるという位置づけです。

この点については2年前に指摘しています。

橋下徹の出発点とゴール

橋下氏のゴールは「天皇と総理大臣が参拝すること」です。

その障害として「A級戦犯が合祀されたこと」を挙げ、昭和天皇が御親拝されなくなった原因も合祀である、という見解のようです。

したがって、橋下氏の見解の場合には本当に昭和天皇はA級戦犯合祀を原因として親拝を止めたのか?という因果関係が問題になります。

昭和天皇の意思はどうだったのか?という話になるので、「富田メモ」に触れざるを得ないでしょう。

有本・百田らの出発点とゴール

有本「何よりもまず誤解を解き、静かな元通りの祈りの環境を取り戻すこと

百田「昭和天皇が参拝をやめられたのは76年からで、A級戦犯合祀が理由と決めつける理由はない。」「陛下の心中を軽々に推し量ることは慎むべき

二人は橋下氏と異なり、「静かな祈りの環境を取り戻すこと」がゴール(と表現して良いのかわからないが)であるとしています。これは、谷田川氏が指摘した「まずは英霊のため」という思考に沿っています。

そして、昭和天皇が参拝をやめた理由はA級戦犯合祀ではない、という見解です。

したがって、この見解の場合には、「昭和天皇の意思はどうだったのか?」はフォーカスされず、富田メモに触れる必然性がないということになります。

東京裁判から解放された思考と、曖昧な思考

ここで注意したいのは、すくなくとも有本・百田・長島は、東京裁判の結果からは解放された考えであるということです。

そのため、東京裁判の枠組みである「A級戦犯」という言葉は便宜的に用いているのであって、例えば以下のような見解を持っています。

これに対して、橋下氏は東京裁判史観から抜け出しているのか、非常に疑わしいことを呟いています。

議論の当初は、こんな表現でした。外国の見解を気にしている時点で、東京裁判の結果ありきで考えていると思わざるを得ません。

3日後にはこのような発言をするようになっていますが、発言がぶれているのが分かります。

いずれにしても、東京裁判の結果を受け入れた「A級戦犯」の扱いという議論と、それとは切り離した日本国内の問題としての戦争指導者の責任問題として考えることがあり得るということを、橋下・長島らは考えています。

これに対して有本・百田らは、それは彼らを「もう一度裁く」ことを意味するため反対のようです。

橋下徹の発信のブレについて

最初から意見が固まっていたわけではなかったということがわかります。

私の見解は、橋下さんがブレブレの状態で議論を始めたことで、誤解を解くどころか混乱を招いただけだということです。

結局、有本氏が先決だと言ったことの真逆をやっていたということです。

まとめ

靖国問題は前提となる事実の認識そのものからぐちゃぐちゃになっているので、誤解が絶えません。

その辺りを今後のエントリで整理していきたいと思います。

以上