事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

池上彰の番組で昭和天皇は靖国神社参拝してないという嘘というデマ

池上彰が昭和天皇はA級戦犯合祀によって靖国神社に参拝しなくなったとする番組

 

『池上彰が番組で昭和天皇は靖国神社に生涯参拝してないという嘘を言っていた』というデマが拡散されているので、その指摘をするとともに、靖国神社の御親拝に関して整理しましょう。

「池上彰は昭和天皇が靖国神社参拝せずに亡くなったと嘘」というデマ

池上彰が昭和天皇は生涯靖国神社に参拝していないとするデマを拡散するアカウント

http://archive.is/md5rA

 魚拓

「池上彰は昭和天皇が靖国神社参拝せずに亡くなったと嘘」というデマ言説は2016年12月に観測され始めます。

実際の発言はどうだったか。

その前後の発言を確認しない限りは、危険なツイートだと思わないといけません。番組のテロップはその時点の発言しか表示しませんからね。

フジテレビ開局55周年特別番組『池上彰緊急スペシャル!』での発言

池上彰

A級戦犯が合祀されていたことが明らかになって以来ここに参拝されなくなった方がいらっしゃいますこちらの方ですね。

昭和天皇ですね。昭和天皇は戦後からですね、毎年という訳ではないんですが、靖国神社を参拝されていらっしゃったんですね。ところが、A級戦犯を合祀されていたという事がわかって以降、靖国神社を参拝されていなかったんですね。その理由は明らかではなかったんですが、2006年、こんな新聞記事が出ました。

こちら、日経新聞の記事なんですが、昭和天皇が在位中に宮内庁長官だった富田朝彦氏が取っていた、昭和天皇との会話メモ、これが記事になっていましてね、そのメモの中で、昭和天皇は靖国神社参拝についてこう仰っていたと、書かれているんですね。

昭和天皇は1988年、靖国神社のA級戦犯合祀に強い不快感を示し
だから私はあれ以来参拝していない、それが私の心だと、こういう風に富田メモに書かれていた。だから、昭和天皇はA級戦犯が合祀されているから、靖国神社の参拝をとりやめられたのではないか、とこういう記事だというわけですね。この時既に富田元長官も亡くなられていたものですから。

さぁ、本当の所はどうなのかというのは、分からない部分もあるんですが、前後に書かれている文章から見ても、非常に信憑性のあるメモではないか、という事で、当時大変話題になったというわけですねで、真相はどうであれ、A級戦犯合祀が明らかになって以来、昭和天皇は一度も靖国神社を参拝されないまま亡くなりましたし、今の天皇陛下も参拝されていない、という事なんですね

当該発言は、フジテレビ開局55周年特別番組『池上彰緊急スペシャル!』でのもの。

これが実際に池上彰氏が発言していたことです。

要するに池上氏は「A級戦犯合祀が明らかになって以来」ということを言っているわけで、決して「昭和天皇は生涯靖国神社に参拝していない」などと言っているわけではありません。

昭和天皇は、2~6年毎に靖国神社に参拝しています。

昭和天皇は本当にA級戦犯合祀が原因で靖国参拝しなくなったのか

では、昭和天皇は本当にA級戦犯合祀が原因で靖国参拝しなくなったのでしょうか?

時系列でみていきます。

  1. 昭和50年(1975年)8月15日:三木武夫が総理としては初めて終戦の日に参拝した際に、朝日新聞記者が『「私人」としての参拝か、「公人」としての参拝か』と質問した際に「私人」と返答
  2. 昭和50年(1975年)11月20日:内閣法制局が参議院内閣委員会で「天皇の靖国神社参拝は憲法第二十条第三項に直ちに違反するとまでは言えないが、第二十条第三項の重大な問題になる」と答弁
  3. 昭和50年(1975年)11月21日:昭和天皇が靖国神社に御親拝(これが現在までの直近の天皇の靖国神社参拝)
  4. 昭和53年(1978年)10月17日:「昭和殉難者」(国家の犠牲者)としてA級戦犯が靖国神社に合祀
  5. 昭和54年(1979年)4月19日、朝日新聞によってこの事実が報道されたことによって、国民の広く知るところとなった。
  6. 昭和60年(1985年)朝日新聞が中曽根総理の靖国神社参拝を批判、その後、中国や韓国が政権側の人間の靖国神社参拝を非難するようになる

さて、天皇が靖国神社に参拝しなくなった原因として言われているものに関しては、以下に大別されると思います。

  • 三木首相の「私人か公人か」発言が発端説
  • 内閣法制局が憲法上の政教分離問題とした説
  • A級戦犯合祀説
  • 中韓が騒いだから説

内閣法制局、A級戦犯合祀と富田メモ、天皇の勅使派遣

このうち、「中韓が騒いだから説」は昭和天皇の直近の御親拝から離れすぎています。また、「「私人か公人か」発言が発端説」は、3か月後に昭和天皇が当然のごとく参拝しているので、取り得ない。

残るは内閣法制局説A級戦犯合祀説ですが、内閣法制局説は、問題が指摘された翌日に参拝が行われている点をどう見るか。指摘があってもなお問題ないとしているのか、問題は認識していてもスケジュールとして決まっていたので行ったのか、その後、憲法違反の可能性を考えるようになったのか。

A級戦犯合祀説は、「富田メモ」によって補強・裏付けされたと言われていますが、現時点では歴史資料の価値としては「中身が公開されていない怪文書」と評価する他はありません。新聞の紙面に一部の有識者らの分析結果として見解が示されただけで、アカデミックな研究の対象にすらなっていません。

富田メモにあるのは『戦前に日独伊三国同盟を主導し、A級戦犯となった松岡洋右外相と白鳥敏夫駐伊大使が合祀されたことへの不快感』についての記述ですが、果たして昭和天皇がたった2人のために246万人もの戦死者を祀る靖国神社に参拝しなくなったのか?というと大いに疑問です。「合祀への憤り」と「親拝をやめる」ことは本来直結しない問題ですから。

他方で、天皇は例大祭への勅使の派遣をA級戦犯合祀後も行っています

「勅使の派遣」とは、皇室の流儀としては、天皇の分身がその場に来るということを意味します。

A級戦犯合祀が原因であるとするならば、勅使すら派遣しないハズだと考えられます。これに対して憲法上の政教分離規定との抵触に疑義が生じているということであれば、勅使の派遣はこれを回避する方法として機能していると考えられます。

したがって、内閣法制局説であるとは確定できないものの、A級戦犯合祀説もまた疑わしいと言えます。

まとめ:靖国神社をコンテンツ化する池上彰とネットデマアカウント

  • 池上彰は天皇が生涯靖国神社に参拝してないとは言っていない
  • 池上彰はA級戦犯合祀が靖国参拝を止めた原因だと解説
  • A級戦犯合祀説以外に内閣法制局説もあり得るが、いずれも確定できず、A級戦犯合祀説もまた疑わしい

総じて言えることは、ある時期から「靖国神社への参拝が騒がれ、政治問題化した」ということです。そのような状況での天皇の御親拝は、避けるべきと考えられた、というのは公約数的な理解だと思います。

靖国神社問題をいい加減な解説でコンテンツ化する池上彰とネットデマアカウントには、本当に辟易とします。

以上