事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

安倍元総理国葬儀の閣議決定に関する国会閉会中審査:吉川さおり・浜野喜史議員の質疑

安倍元総理の国葬は、「国の儀式」たる国葬の実質を備えたものになるのか?

安倍晋三元総理国葬儀の閣議決定に関する国会閉会中審査

9月8日、衆議院・参議院の議院運営委員会において、安倍晋三元総理国葬儀の閣議決定に関する国会閉会中審査が行われました。

その中で参議院の質疑が本質に迫るものがあったので紹介します。

重要な吉川さおり・浜野喜史議員の質疑:全国民の弔意とは

国葬儀について他の無用な喧騒によって無視されている重要な点が野党議員から質疑されています。

立憲民主党の吉川さおり議員からは国葬儀と合同葬の違いが問われました。

吉川議員 国葬儀と内閣・自民党合同葬の違いとは何でしょうか?

松野官房長官 国葬儀は国による葬儀であり、内閣葬に関しては内閣による葬儀であります。

吉川議員 昭和42年10月23日の吉田元総理の葬儀の執行についての閣議決定と、昭和55年6月24日の大平正芳元総理の葬儀の執行についての閣議決定、日付以外は同じ文言なんですが一か所だけ違う所があります。何が違うといいますと、葬儀のため必要な経費は国費、合同葬の方は、葬儀のため必要な経費の一部は、とか書いてあります。国葬儀と合同葬の外形上の違いっていうのは費用負担でしかないと思うのですがそれで認識あってますでしょうか。

松野官房長官 国葬儀と内閣葬儀それぞれですね、どういった形が相応しいかにつきましてはその時の内閣によって判断をされるものでございますが、先生からご質問がありました経費に関するものは合同葬儀に関しては内閣と今までは自由民主党葬ということでありましたが、自民党と折半であります。

吉川議員 これまでいろいろ伺ってまいりましたし、総理も衆議院でもそして今でもさまざま答弁されました。国葬儀とした理由は4点中心に多く挙げられていますが、合同葬では不十分だという理由にはすべてなっていないんです。合同葬では不十分な理由って何かございますでしょうか。

岸田総理 今回国葬儀を行うことを判断した理由として、委員御指摘のように大きく4点申し上げております。その中でまず日本の憲政の歴史133年の中で最長であること、そして、さまざまな功績についても指摘をさせていただきました。そうして今回のこの非業の死についても指摘をさせていただきましたが、それと合わせてやはり国際的な様々な弔意、敬意の表明、これを国としてどう受けるのか、これが大きなポイントになると思います。多くの弔意が日本国民全体に対する弔意というメッセージになっている。また、国挙げて各国が弔意を様々な形で表明している。こうしたことを国としてどう受け止めるのが適切なのか。こういった判断が国葬儀なのか内閣葬なのか、こういった違いになっていると認識しております。

吉川議員 今答弁頂いたのは今までの内容と一緒です。国葬儀としての理由は何回もお示しになられています。しかし、国葬儀として行うのであれば、特定の個人を国の儀式として行うことが説得的であって多くの共感を呼び、国民の理解を広く得られる説明になっていると言えば、そうはなっていないと思います。なぜ内閣・自民党合同葬では不十分なのか、何が足りないのか、国葬儀とは何が決定的に違うのか、依然として不明で、この点を私は十分に説明して頂きたかったと思います。

以下省略

「合同葬では不十分だという理由」という説明は私は不要だと思いますし、政府が国葬と合同葬の違いを明確にする必要もないと思いますが、国葬と合同葬の違いをどのように位置づけるのか、というのは潜在的に問題になると思います。

その上、次に取り上げる国民民主党の浜野喜史議員の質疑で問われる岸田総理の国葬儀の位置づけに関する説明の仕方にも関係します。

浜野議員 7月22日の閣議決定以降もですね、たしか8月10日の総理の記者会見においてですね、私が先程も申し上げました通り、安倍元総理に対する敬意と弔意、国全体として表す儀式なんだと説明されているんですね。この説明はですね、修正をされるとか撤退をされるということにはなるんでしょうか?国全体として、経緯と弔意を表す儀式というふうに説明されたことについて改めてお伺いをいたします。

浜野議員 私が申し上げたご質問はですね、明確に安倍元総理に対する敬意と弔意を国全体として表す儀式であるというふうに総理は記者会見で表明されているんですね。そういう説明はもうしないのかと。そういう説明は撤回するのかということを質問させていただいてるわけです。これは議事録で明確に総理が仰ってるのですから。ご説明をお願いします。

吉川議員も問うていた国葬儀と合同葬の違いは、敬意と弔意を「国全体として表す」のが国葬である、ということじゃないでしょうか?

行政機関内部だけで弔意を示すのではないということでは?

以降は浜野議員と岸田総理との質疑・答弁の形式で記述します。

浜野議員 失礼ながらですね、私の推察する所では少し説明の表現を修正されたのかなと理解致しますけども、その上でお伺いいたします。国全体としてそして国としてでもいいでしょう。国の儀式として今回を行うということであるならばですね、国民の皆様方に、共に追悼しようじゃないかということを呼びかけるということが私は極めて自然なことではないかというふうに理解するのですけど、そういうことはされないのでしょうか?

岸田総理 先程も申し上げているように、この故人に対する敬意と弔意を表す儀式として安倍元総理の国葬儀を行うことが適切であると判断したわけですが、一方で、今般の国葬儀の実施にあたっては、国民一人一人に弔意の表明を強制する、強制的に求めるものであるとの誤解を招くことがないように、吉田元総理の国葬儀に際して実施した弔意表明を行う閣議了解や、地方自治体や教育委員会等の関係機関に対する弔意表明の協力方の要望、これは行わないこととした、こうした次第です。

浜野議員 総理、失礼ながら極めてもっともらしいご説明なんですけれども、私はちょっと納得がいかないんですね。といいますのは、国の儀式としてやるものですよね、追悼をするということであるわけですから、国民の皆様方に共に追悼しようと呼びかけるのはごく自然なことであって、それがですね、弔意の表明の強制に繋がりかねないと、だからそういうことはしないんだという説明はですね、私は通らないというふうに思うんですけどいかがでしょうか。

岸田総理 国民の皆さんとともに安倍元総理に対する弔意を表明する、国葬儀としてこれは大変重要だと思います。ただ、そうした弔意を強制するものなのではないかという声があるからして、そうした誤解を招かないように、丁寧に、手続、或いは説明を続けていきたいという事で政府としてもその手続、取り組みを進めているということであります。是非多くの皆さんと共に弔意を示せるような国葬儀にしていきたいと思っています。

浜野議員 ちょっとですね、私は失礼ながら、政府の説明に一貫性が無いと思うんですね。国葬儀としてやるという以上はですね、共にですね、安倍元総理を追悼申し上げようではないかということをですね呼びかけるのはごく自然なことで、それがですね、弔意表明の強制につながる、だからやらないんだという説明は私はまったく通らないと思いますけども、もう一度。

岸田総理 弔意強制というような誤解に繋がらないように丁寧な説明を行いたいということを申し上げさせていただいています。ぜひ多くの国民の皆さんと共に、安倍元総理に、弔意を示せる、こうした国葬儀にしたいと思っています。

浜野議員 いろいろご説明をお伺いする中でですね、国葬儀になぜするのかということについてですね、海外から弔意が寄せられていると、それに対して国の儀式として礼節を持ってお応えするのだということを強調されてました。そうであればですね、国民の皆様方に共に、国内的にも安倍元総理を追悼申し上げようじゃないかということをですね、両方やらなければ極めておかしい国葬儀になりかねないということを申し上げまして、私からの質問を終わりたいと思います。

岸田総理は「弔意を強制するものではないかという声があるから」「そうした誤解を招かないように」という理由で国民一般への弔意表明の要求をしないとしていますが、浜野議員の指摘するように「だから弔意表明の要求をしない」というのはおかしい。

吉川議員への答弁で「大きなポイント」とまで言及した「国際的な弔意・敬意の多くが日本国民全体に対する弔意であり、それに国として応える」という路線ならば(そもそも諸外国からの反応への応答は副次的であるべきと思うが…)、日本国民全体が追悼の誠を捧げなければ、まったく対応関係に立たない。

勘違いが広まってますが、戦前の国葬令も「弔意を強制」するものではなく、「國民喪ヲ服ス」と書かれているだけです。

そして、同じく閣議決定を根拠に執行されている儀式は、次項のような内容となっています。

「国の儀式」たる国葬の実質を備えたものになるのか?全国戦没者追悼式などとの比較

東日本大震災十周年追悼式 - 内閣府

全国戦没者追悼式の開催(8/15(月))

4 半旗の掲揚及び黙とうの励行等
 (1) 当日は、各府省庁及びこれらの出先機関並びに国立施設で、半旗を掲揚するとともに、正午から1分間の黙とうを行います。
  なお、国会及び裁判所にも協力を依頼しました。
 (2) 地方公共団体の庁舎等での半旗の掲揚及び黙とうの励行については、各都道府県知事及び市区町村長に協力を依頼しました。
 (3) 私立の学校、商工会議所、農業協同組合、会社、工場等については、関係団体を通じ協力を依頼しました。
 (4) 当日の正午には都道府県庁、市区役所、町村役場、寺院等で、鐘、サイレン、チャイム等を鳴らし、また、当日の午前中にボーイスカウト、遺族会等による戦没者墓地等の清掃、供花等が行われるよう、各都道府県知事に措置を依頼しました。

内閣官房長官談話 | 内閣官房長官談話など | 首相官邸ホームページ

明日8月15日は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であります。
 政府は、日本武道館において、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、遺族代表及び各界代表の参列の下に、先の大戦における300万余の戦没者のため、全国戦没者追悼式を挙行いたします。
 この式典を政府が主催する趣旨は、今日の我が国の平和と繁栄の陰に、先の大戦において祖国を思い、家族を案じつつ、戦禍に倒れた戦没者の方々の尊い犠牲があったことに思いを致し、全国民が深く追悼の誠を捧(ささ)げるとともに、恒久平和の確立への誓いを新たにしようとするものであります。
 明日の正午には、国民一人ひとりが、その家庭、職場等、それぞれの場所において、この式典に合わせて、戦没者をしのび、心から黙とうを捧げられるよう切望いたします。

毎年8月15日に行われている全国戦没者追悼式や東日本大震災十周年追悼式に関する各種要請の内容や、政府がどのように考えているかということ。

全国民が深く追悼の誠を捧げる」のが趣旨とまで述べられています。

「半旗の掲揚及び黙とうの励行」も、私立学校や会社にまで協力依頼されてます。

しかし、これが「弔意を強制」とは決して言われないわけです。

故中曽根元内閣総理大臣の合同葬においても弔旗掲揚と黙祷の励行が通知されてます。

たった2年前の話、これも根拠は内閣府設置法です(4条3項33号の「内閣の儀式」)。

「法的根拠に欠ける!」などとは言われませんでした。

安倍元総理の国葬は、「国の儀式」たる国葬の実質を備えたものになるのか?

これが問われています。

第209回国会 質問の一覧にある各種の国葬に関する質問主意書への答弁書を見ると、8月15日時点で弔旗の掲揚と黙祷要請については未定でした。

職員が勤務しない或いは半休にすることや歌舞音曲の自粛要請については求めないことを考えているとのこと。

私は、国民の活動を自粛させる要請をしない方針は支持します。活動制限の度合いが大きければ弔意が深いのだ、というようなものではないからです。

同様の発想は、戦前の国葬令に基づく通牒についても見ることができます。

弔旗掲揚と各所への黙祷要請は行うべきでしょう。日本国民全体が追悼の意を表する趣旨なのですから。

当然、個々の国民に対して具体的に行為を強制するものではないし、周囲からそういった強要が為されないように配慮すべきです。

しかし、それは「国民一般への弔意表明の要求をしない」ということではないはず。

国民全体に対して協力依頼しつつ、それに反する者への強制や制裁が起こらないようにその者の自律性も尊重すべきことを関係機関に求めることを同時に行えば足りるはず。

岸田総理はワイドショーに阿るべきではない:事実に基づいた政策と発信を

大丈夫なのか、岸田外交…安倍元首相と比べ、岸田首相に「欠けているモノ」(篠田 英朗) | マネー現代 |

私が見る限り、各国首脳たちは、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」という安倍首相が提唱した理念を中心に、多国間主義外交を主導したことに言及していた。自由主義諸国の結束を高めるとともに、そのすそ野をインドを含めた「クアッド」の連携などにまで広げた。今日の世界情勢を考えたら、それは大変な功績だったのだ。

岸田首相のスタッフの脳裏には、「そんなことを言ったら、中国やロシアのような権威主義国家のご機嫌を損ねてしまうではないか、ここは調整、調整、調整を図らなければ」、といった思いでもあったのであろうか。

なんといっても「自由で開かれたインド太平洋」の理念が、要するに「日米関係を基軸とした戦略的な外交」のことだったのかと思うと、失望感を受ける。冷戦時代から淡々とやってきたことを安倍元首相もやったにすぎないのだ、とオーストラリアやインドの首脳や、その他の地域の人たちに言わなければならないのだとしたら、気が重い。

~省略~

結局のところ、世論対策の動機づけで行動しているかのように見えてしまうことの是非が、問われている。

国葬は、安倍元首相と共有する理念を語る政治家としての岸田首相の姿をアピールする良い機会だ。是非、安倍元首相とともに「自由で開かれたインド太平洋」を推進した人物として、自らを位置づけてほしい。そして日本が、国家として今後もその理念にコミットしていく覚悟を表明する機会を見つけてほしい。世論に配慮する丁寧さだけではなく、愚直に理念を語る首相の姿をこそ、国民に見せてほしい。

各自治体や学校に弔意表明を要請していない現時点での政府の対応に触れ、「国葬は国を挙げての取り組みだ。外国から多数の首脳クラスが来られるのに、わが国がどこにおいても弔意を表明していない状況が本当にふさわしいのか」と疑問視。

令和2年に実施された中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬では、政府から要請があったと振り返り、「国葬は、より高いレベルだと思うが、結果的に自治体などへの要請はそれよりも低い」とした上で「国葬と決めたなら国民にしっかりと説明し、国葬にふさわしい対応をしていくべきではないか」と、政府に毅然とした対応を求めた。

岸田総理に関して言われていることの多くがここの主張に詰まっていると思います。

岸田総理からは、「世論」、といってもTVの、さらにはワイドショーが作り出す空気に対して当たり障りのない発信をしようとしてるのではないか?という印象があります。

他方で、「保守派からの圧力があった」などと言われますが、安倍元総理には国葬に値する実質はあるのですから、逃げの姿勢ではなく、堂々と日本国の儀式の歴史的事実を踏まえて論ずるべきです。

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