事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

KADOKAWA連載作家けんたろ「聖徳太子が厩戸王になり教科書からは肖像画も消えた」とデマを流す

厩戸王教科書から消えたデマ

無くならない「厩戸王デマ」

KADOKAWA連載作家けんたろ「聖徳太子が厩戸王になり教科書からは肖像画も消え」

https://archive.is/p0hKX

KADOKAWA『ウォーカープラス』連載作家を名乗る「けんたろ」@kentlife202010氏が、教科書上の記述が昔から変わっているものの表をツイート。

その中に「聖徳太子」が「厩戸王」になったことを示す表示があり、さらにツイート本文では詳細説明として

聖徳太子⇒厩戸王
厩戸王が実名であり、聖徳太子は死後100年以上経ってから後世の人がつけた名前とされるためです。また、教科書からは肖像画も消え、聖徳太子が行ったとされる内容の扱いも薄くなっています。

こうした投稿がありました。

デマなので注意です。

聖徳太子に関するこのような話題は、出版社業界で延々と繰り返されている恒常的なネタです。
※他にも疑問符がつく内容がありますが割愛します

小中学校の学習指導要領では「聖徳太子」と「厩戸皇子」

平成29・30・31年改訂学習指導要領(本文、解説):文部科学省

最新の学習指導要領はこちらになります。

教科書から聖徳太子が消え厩戸王にというデマ

小学校学習指導要領(平成29年告示)

小学校学習指導要領では「聖徳太子」があります。

歴史教科書から聖徳太子が消え厩戸王にというデマ

社会編】中学校学習指導要領(平成29年告示)解説

中学校社会編の学習指導要領でも「『聖徳太子の政治』を扱う際には、古事記や日本書紀などに『厩戸皇子』など複数の呼称が示されていたり…後に『聖徳太子』と称されるようになったことにも触れるようにする」とあります。

「聖徳太子」の語は健在ですし、ましてや「厩戸王」という表記はありません

実は、2017年の学習指導要領改訂の際に、「聖徳太子」の語が消されようとしていました。パブリックコメントが4600件以上投稿され、政治問題にもなり、結局、今の表現に落ち着きました。

そして、この際の報道で、「厩戸王」の表記が正当であるという印象を与えようとする捏造工作がマスメディアによって行われていました

一部の検定教科書では「厩戸王」表記も聖徳太子は存在

学習指導要領に沿う内容なのが検定教科書ですが、一部の検定教科書では「厩戸王」表記があるものの、それでも「聖徳太子」の記述は存在しています。

「聖徳太子」は、なぜ「聖徳太子(厩戸王)」と表記されるようになったのですか。|株式会社帝国書院

 しかし、「聖徳太子」の記述の根拠となる史料の時期を分析すると、『日本書紀』は奈良時代初期、法隆寺関連の史料は、確実に年代が確認できるのが奈良時代中期になります。つまり、聖徳太子の事績の根拠となる史料は、彼の死後1世紀を過ぎた史料であるといえます。また、「聖徳」とは厩戸王の没後におくられた名であること、また「太子」は「皇太子」の意味ですが、厩戸王存命時に、「天皇」や「皇太子」の呼び名や制度が成立している可能性はかなり低いことも、現在の研究では分かっています。このような状況から、「聖徳太子」の存在自体を否定する説もでています。しかし、その記述内容を分析し、ほかの史料と合わせてみると、「聖徳太子」のモデルとなった「厩戸王」といわれる実在の人物がいたこと、その人物が、奈良県斑鳩の地に斑鳩宮や斑鳩寺(法隆寺)を営むほどの有力な王族であったこと、中国の『隋書』などからも倭国に中国の太子に対応するような有力な王子がいるとみていたことなどは確実にいうことができます。そのため、現在では、推古朝において、蘇我馬子とともに厩戸王が政治を行ったというのが有力となっており、弊社でもその考えのもと、「聖徳太子(厩戸王)」と表記しています。

つまり、帝国書院でも「聖徳太子」の語は消えていません。あくまで「厩戸王」が併記されているにとどまります。しかも、「厩戸王」の方が副次的な扱いとなっています。

実際に検定教科書を読んできました。

中学校は令和2年と3年検定済みのもので以下のものが見つかりました。

学び舎⇒「厩戸皇子(のちに聖徳太子と呼ばれる)」

日本文教出版⇒「聖徳太子(厩戸皇子)」

自由社⇒「聖徳太子」の記述がメイン。「厩戸皇子とも伝えられている」の記述あり。

帝国書院⇒「聖徳太子(厩戸王)」及び「厩戸王は、のちに聖徳太子と呼ばれるように」という記述もあり。

教育出版⇒「聖徳太子(厩戸皇子)」

育鵬社⇒「聖徳太子(厩戸皇子)」。諡として「聖徳王」という記述が史料にあることについても記述。

ほとんどの検定教科書において「聖徳太子」がメインであり、「厩戸皇子」が付記されているのが通常です。さらに、「厩戸王」の記述がある教科書でも「聖徳太子」の記述が欠けるところはありませんでした

次に、高校は令和4年3月29日検定済みのものとして…

山川出版社⇒「聖徳太子(厩戸王)」・「詳説日本史」の方は「厩戸王(聖徳太子)」

第一学習社⇒「厩戸皇子(のちに聖徳太子と呼ばれる)」

清水書院⇒「厩戸皇子(聖徳太子)」

実教出版⇒本文では「厩戸王」。皇統図で「厩戸王(聖徳太子)」

東京書籍⇒「厩戸王(聖徳太子)」。皇統図でも同様。

こういったものが見つかりました。

「聖徳太子」がメインに書かれているもの、「厩戸皇子」がメインに書かれているもの、「厩戸王」がメインに書かれているものが混在していますが、いずれにおいても「聖徳太子」の語が欠けるところはありませんでした。

したがって、「聖徳太子の表記が厩戸王に変更された」というのは、「聖徳太子の語が消えた」という意味なら完全なるデマですし、「厩戸王」の表記メインに置き換わっている、という意味であっても、実態から乖離しています。

なぜ、実際の歴史史料に記載のある「厩戸皇子」は無視されているのか?

「教科書からは聖徳太子の肖像画も消えた」というデマ

加えて、上掲の検定教科書のほとんどにおいて、「宮内庁侍従職蔵」の聖徳太子として伝えられている肖像画(お供が二名侍っている有名なもの)が掲載されていました。

したがって、「教科書からは聖徳太子の肖像画も消えた」もデマです。

『「聖徳太子と伝えられている」という表現に変わったのだ』と主張されそうですが、既に2000年あたりにはそういった表現になっている教科書があります。聖徳太子ではないと確定しているわけではありません。

検定外の教科書や学習参考書、高校大学入試の模範解答などにおける厩戸王

再掲しますが、上記記事を書いた2018年春に、市販の検定外の教科書や学習参考書を書店で確認しました。その結果は…

ほぼ全て聖徳太子ではなく厩戸王の表記のみでした。 

児童向けマンガ日本史等の本では、聖徳太子と「厩戸王」の記述は五分五分

こういったものとなっています。肖像画は当時は確認していません。

通常、「教科書」と聞けば「検定教科書」を抜きには語れないので、けんたろ氏が市販の検定外の教科書のみを念頭に置いていたのだと主張するのであれば、甚だ不誠実だと言えます。

そうであったとしても、「完全には消えていない」のです。

2023年の今回は確認はしていませんが、2017年の騒動後、どうなったでしょうか?

  • 「聖徳太子」の呼称は諡号であるが、現在広く日本国民の間に浸透
  • 人々の認識レベルにとどまらず、客観状況のレベルとしても「太子堂」という建物、「太子道」という道路があり、「聖徳太子」の語を前提とした歴史的遺産が多く存在する
  • 「厩戸皇子」という記述は史料がベース
    (『日本書紀』推古天皇紀の「厩戸豊聡耳皇子命」。なお、用明天皇紀には「豊耳聡聖徳」や「豊聡耳法大王」という表記が)
  • 「厩戸王」の呼称は一定程度の歴史的研究から推測されるものだが、資料には記載が無いものであり、学界でも論争がある
  • 「歴史教育の連続性」と「推測」のどちらが優先されるべきか

このような基本認識の発信を繰り返していかなければならないでしょう。
※なお、皇統図を見れば後の世では親王宣下を受けて然るべき地位にあるため「皇子」という呼称が生前あったかはともかく表記として不自然ではない

「聖徳太子」の語を消し去りたい者、「厩戸王」という語をゴリ押ししたい者が居るということ。度々「聖徳太子の語は消えた!」と喧伝する者が出てきているということ。

最後に、参考となるものとして駒澤大学名誉教授の石井公成氏のブログを紹介します。

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