ゆがめられた「悪魔の照明」論
森友学園への国有地売却における公文書改ざん問題について、2018年3月27日に衆参両院で財務省の佐川宣寿前理財局長の証人喚問が行われました。
この際に佐川氏が「刑事訴追のおそれ」を理由に答弁拒否をすることが50数回あったということで佐川氏の証言が信用できないという言説がふりまかれています。
最初にいいますが、そうした言説は証人喚問という制度そのものを否定しています。
なぜそう言えるのか?「悪魔の証明」についての理解と併せて整理します。
- 悪魔の証明とは:無いことの証明を求めること
- 大前治弁護士が誤解を拡散する「悪魔の証明」
- 文書改ざんに全面的に関わっていたことが前提?
- 証言拒否が多いから信用できないというフェイク
- 嘘を一回でもついたら発言のすべてが信用できない?
- 悪魔の証明を誤魔化しフェイクする弁護士へ
悪魔の証明とは:無いことの証明を求めること
悪魔の証明を一般的な用法で言い表すと「不存在事実の証明を求める事」を指します。
端的に言うと『「無いこと」の証明を求めること』です。
この記事を見ている人
そこのあなたですよ。
あなた、犯罪を犯しましたね?
やってない?犯罪者はみんなそう言うよ。
火の無い所に煙は立たないんだから。
やってないのであればこの記事の下にあるコメント欄に書いて証明してください。
証明しない場合はアクセスのIPログから通報しますよ。
…とまぁ、このように「お前が犯罪を犯していないという事を証明しろ」というようなものが「悪魔の証明を求めること」です。別の言い方では「すべての存在事実を調べた上でもなお不存在と言える」ほどの立証を求めることと言われることがあります。
大前治弁護士が誤解を拡散する「悪魔の証明」
現代ビジネスのネット記事、佐川氏が証人喚問で陥った「悪魔の証明」という罠から引用します。(gendai.ismedia.jp/articles/-/55046)魚拓はこちら。
佐川氏の証人喚問の特徴は、刑事訴追の恐れがあるとして40回以上も証言を拒否しながら、一方で「首相官邸からの指示はなかった」と自信満々で言い切ったところにある。
このように、「なかった」という事実を証明することを「悪魔の証明」という。不存在を証明するには、全ての存在事実を調査し尽さなければならない。それは事実上不可能であるから、こう呼ばれる。
佐川氏は、自信満々でこの「悪魔の証明」をやってしまったのである。それが自分を苦しめることに気付いているだろうか。
首相側からの指示が「なかった」という証言は、「私は、文書改ざんに最初から最後まで全面的にかかわっていたから、不存在を証明できる立場にある」という前提があって初めて信用できる
2つ赤字で強調しましたがそれぞれがおかしいのです。
佐川氏自らが悪魔の証明を買って出た?
ここで、最初の悪魔の証明の定義を思い出しましょう。
不存在事実の証明を「求めること」
「不存在事実の証明を求めること」。この「求めること」というのが重要です。
不存在事実の証明を「はい!やります!」と自らが請け負って行うのであれば、それは「悪魔」でもなんでもなく、勝手にやってろという話になりますよね?
なぜ「悪魔」という言葉が付いたかと言えば、他人から証明を強制されるからです。本来的な意味として「他人が証明を強制すること」という原義が「悪魔の証明」にはあるという事です。
誰かが「無い」と言ったときに「他の可能性を全て潰した訳でも無いのに嘘を言うな!」と言う行為。これこそが人類が避けるべきとしてきた悪魔の証明を求める行為そのものです。大前弁護士の言っていることは、まごうことなき悪魔の証明そのものです。
カリフォルニア州弁護士のケント・ギルバート氏の論考が参考になります。
「無い」は事実から合理的な推論をした結果
ここで、「それはないわー」「あり得ないでしょ」という言葉を使うことは良くある事に気づきます。
例えば4月(気温摂氏15度)に食パンの袋を開けて常温で保存して丸1日経ったとします。そのときに食パンにカビが生えているでしょうか?「いやいや、ないでしょ」と言う人がほとんどだと思います。この際に発言者が心の内で「食パンのすべての組織を分解して確認した結果、食パンにカビは生えていない」とは思わないでしょう。せいぜい表面を目視して「ない」と言っているはずです。
つまり、「全ての存在事実を調査し尽くした結果、無い」と言っているのではなく、「いや、あるかもしれないけれども、ふつうに考えてその可能性はめちゃくちゃ低いでしょ」という意味で、私たちは「無い」や「不存在」という言葉を使っているのです。「不存在の証明」ではないのです。
少し難しい言い回しをすれば「無い」と言うことは「把握した事実から合理的に導かれる結論としてあるとは認められない」という意味であるのが通常なのです。発言者が明示的に「不存在の証明」を行うと明言しない限り、周りの人間は発言者が上記のような意味で発言をしたとして扱うのが通常ですし、扱わなければならないのが「悪魔の証明」論の意義です。
弁護士であれば「表示」と「内心の効果意思」という概念を知っているはずです。
「表示」とは、この場合は「無いと言ったこと」です。
「内心の効果意思」とは、この場合、無いと言ったとしても本心は「いや、あるかもしれないけれども、ふつうに考えてその可能性はめちゃくちゃ低いでしょ」と考えていることです。
この二つを混同させて、佐川氏自身が自己の悪魔の証明を請け負ったと理解するのは明確に虚偽であり、誤解を拡散する行為です。
佐川氏の答弁で非難するとすれば、せいぜい「把握した事実から合理的に導かれる結論としてあるとは認められない、と言うべきだった」という事でしょうか。
「全ての存在事実を調査し尽くした」立証は在り得ない
実は、裁判において「不存在の証明」をする事はあります。この場合には悪魔の証明とは言われません。それは裁判で求められる場合があるのは「裸の無いことの証明」ではなく、「合理的に不存在が推認できる相当程度の証明」だからです。
この場合にすべての存在事実を調査し尽くした立証を求められることはありません。
裁判ですらそうであるのに、なぜ証人喚問でそのような立証負担を佐川氏自らが被ったと解釈できるのでしょうか?このような解釈は合理的な解釈ではないということは明らかです。
※ある事実の不存在を主張する者が全く証拠を提示しなくてもいい、という事は全ての場合に当てはまるとは言えません。不存在を主張する者も一定の証拠提示をすることがあります(証拠提示を求められることと証明を求められることは違います)。しかし、それはある事実が存在すると言う者が一定程度の証拠を出している場合に限られます。しかも、今回野党が証明を要求しているのは「安倍の指示」の不存在ですから、佐川氏自身の疑惑ですらないわけです。他人の疑惑の不存在の証拠を積極的に示す義務が他人にあると言っているのはおかしいのです。
ここまで述べた2つの理解、『「無い」は合理的な推論』と『すべての存在事実の立証は在り得ない』という理解は、次の説明に繋がります。
文書改ざんに全面的に関わっていたことが前提?
不存在と言うことの理解が間違っているから、このような前提を観念することになるのです。そもそも求められる「不存在の証明」の程度が「すべての存在事実の立証」ではないのであり、合理的な推論で可能性が低いことの証明なのですから。
すべてを把握する全知全能の神のような存在でなければできない程度の不存在の証明は、そもそも求められていないのです。
前述の食パンの例で言えば「製造工程に問題があってカビが生えてるかもしれないだろ!食パンにカビが生えていないと言い切るためには製造工程から輸送まで全面的に管理していたという前提に立って初めて言える。それが出来ていないお前が食パンにカビが生えていないと言うのは嘘だ!」となります。
そして、最初に言った通り、佐川氏が自らそのような負担を背負うという選択をしたと周囲が考えること自体がいわゆる「悪魔の証明」論そのものなのです。
証言拒否が多いから信用できないというフェイク
証言拒絶が多いから発言は信用できないという論もフェイクです。
供述拒否権は憲法38条1項で認められている国民の権利です。
この権利を担保するため、自己が刑事訴追を受ける可能性があるときに証言拒絶できると定めているのが議院証言法4条1項です。
したがって、証言拒絶が多いから発言は信用できないと言う事は、憲法上も法律上も認められている権利を軽視しています。本来、証言拒絶と発言の信憑性はほとんど関係ありません。
むしろ、証人喚問ですから虚偽の事実を言えば刑事罰を受ける事となっているのです。よって「刑事罰を怖れて証言拒否をする部分がある人が発言しているのだから、その内容は一定程度の信頼性がある」となるのが通常です。それが証人喚問の制度趣旨です。
上記の妄言は証人喚問の存在自体を否定してるんですよね。
嘘を一回でもついたら発言のすべてが信用できない?
「〇〇〇の人の証言は信用ならない」というのは「嘘を多くつく人」や「発言がコロコロ変わる人」の場合などの場合です。この場合であっても、発言のすべてが信用できないとはなりません。
そんなことを言ったら、詐欺罪の被告人などは供述を聴取することや証言を聞くことは無意味ということになってしまいます。
もちろん、佐川氏の発言で明確に事実に反する部分はあります。橋下徹さんも指摘してますが、意見価格での売却を不動産鑑定に基づいてと言った所です。
また、佐川氏の発言の信頼性を疑う有効な意見は『事実と異なる答弁をする程度の「勉強」しかしていない者が、事態の全容を把握しているとは思えない、よって「官邸の指示は無かった」は信用できない』というものがあり得ると思います。ただ、そもそも官邸の指示がある事を示す証拠が現時点ではほとんど示されていないので、この意見は現時点ではほとんど無価値です。
悪魔の証明を誤魔化しフェイクする弁護士へ
『佐川氏自身が「ない」と自ら悪魔の証明の土俵に上がった』という大前弁護士のインチキ.これこそが人類が忌避した悪魔の証明を求める行為そのもの.
— Nathan(ねーさん) (@Nathankirinoha) 2018年4月1日
「ない」と言う事は「把握した事実から合理的に導かれる結論としてあるとは認められない」であって消極的事実の証明を請け負った事にはならない. https://t.co/RpnhJPAKBD
自説に自信があるならブロックなどせずに堂々と反論すればいいんじゃないですか?
ちなみに私が彼に対してツイートしたのはこの一件だけです。
この事実は大前弁護士の言論の信頼性に疑問を持たざるを得ないと評価できるのではないでしょうか。
丸川珠代の質問が誘導尋問ではないかという言説を振りまいていたのも弁護士ですが、上記の記事で完全論破しました。専門知識を振りかざし、一般人を誤った認識に導く言動に騙されてはいけません。
※追記:「無罪推定」についても関係するので記事を書きました。
文字数を割いて説明しましたが、健全な常識で考えれば分かるような話です。
「専門家が言っていたから」と思考停止するのではなく、疑問に思ったら一般常識から考える、或いは言葉の本来の意味に立ち返って思考することが、正しい認識への近道です。
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