事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

聖徳太抹殺計画:学習指導要領と教科書検定の工作と厩戸王推進派

2017年3月末に聖徳太子が小中学校の学習指導要領から消え、厩戸王となるというニュースがありました。

http://archive.is/ZzHtc

文科省の意見公募時の画面

https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000878&Mode=0&fromPCMMSTDETAIL=true

結局は聖徳太子の語は維持されましたが、実は工作は未だに続いています。そうした工作に惑わされないために、「厩戸王」がなぜおかしいのか、その背景には何があるのか?を整理していきます。 

学習指導要領(案)ではなぜ聖徳太子が消されたか

聖徳太子

上記記事の引用を基に考えていきます。

一貫性のない変更理由

社会科では歴史研究の進展に合わせ、小中学校で計7つの用語の表記を変える。「聖徳太子」は小学校で「聖徳太子(厩戸王)」、中学校は「厩戸王(聖徳太子)」に変更。小学校では人物に親しみ、中学校では史実を重視する観点から表記を入れ替えている。聖徳太子は死後につけられた称号で、近年の研究では厩戸王に当たる可能性が高いとされている。

記事の冒頭で社会科では『歴史研究の進展に合わせ』と言っています。つまり、正式な歴史的事実の教育に資するための表記変更という目的がベースとしてあるわけです。

「大和朝廷」は、当時まだ「朝廷」の概念がなかったのではないかとの研究から「大和政権(大和朝廷)」に変更。「日華事変」はより一般的に使われている「日中戦争」に表記を変えた。中学社会の「元寇(げんこう)」は、世界史の内容を充実する観点から、当時のモンゴル帝国をイメージできるよう「モンゴルの襲来(元寇)」と変えた。

しかし、『「日華事変」はより一般的に使われている「日中戦争」に表記を変えた。』という部分は、それとは異なって、なぜか一般的な名称に合わせることになっています。

歴史研究の成果として厳密な用語にすることと、一般的な名称に合わせることは相反します。「厳密さ」と「受けの良さ」を恣意的に使い分けているということがわかります。

厩戸王推進派の論理:「聖徳太子虚構説」+α

聖徳太子虚構説と厩戸王推進派

文科省の説明は「今回の変更案は聖徳太子虚構説に立ったものではない」というもの。

上の図で言えば右側に相当するということです。

2017年3月9日の参議院文教科学委員会で松沢成文議員(無所属クラブ)の質疑において、松野博一文部科学大臣が答弁しています。関連部分は以下の動画の3時間46分からの10分程度です。議事録もつけておきます。

参議院インターネット審議中継

参議院会議録情報 第193回国会 文教科学委員会 第3号

ただ、そもそも厩戸王推進派を勢いづけたのは虚構説であることは間違いなく、虚構説に立っていないとする者でも、虚構説が拠って立つ根拠を採用していたりします。

以下では虚構説とそれ以外の論について触れていきます。

虚構説の出発点~大山 誠一:「聖徳太子」の誕生1999/4 

大山誠一という人物のこの書籍が、虚構説が世に認知された最初のもののようです(1999年なので、ずいぶん最近ですね)。この中で虚構説の根拠として上げている中核的な根拠が

『「日本書記」の記述が中国の書物に書いてあることと違うから』というものです。

中国の書物とは、隋書「倭国伝」というものを指します。「当時の文化水準では儒教や仏教などの中国思想を深く理解できるはずはなかった」などという分析(?)が平気で出てきます。

また、「聖徳太子の時代には天皇の称号はまだ使われていなかった」という理由で、「厩戸皇子」の使用を回避すべきであるという見解もあります。要するに、日本書記の記載が信用ならないという前提に立っています。
一体なぜ、我が国の書物よりも外国の書物の記述が正しいという前提に立つのか?この点からして既に疑問が湧いてくるのが自然です。隋書の記述についても、内容が不正確であるという疑義が呈されていることを完全に無視しています。
そして重要なことは「厩戸王」という名称がどこかの文献に記述されていたり、物件に刻まれていたという指摘はないということです。

聖徳太子虚構論者の破綻

この説を信じた者があらゆる媒体で発信を行っています。代表的なものを取り上げます。

東洋経済ONLINE
「あの「聖徳太子」が教科書から姿を消すワケここまでわかった!「日本史」の最新常識」
http://archive.is/7ZTtU

こちらでは以下のような記述があります。

 『「厩戸王(うまやとおう、574~622)」は飛鳥時代の政治家です。本名は「厩戸豊聡耳皇子(うまやとのとよとみみのみこ)」』
ご覧のように虚構説の立場に立った見解からも本名を採用していないことになります。
また、「厩戸王」の表記が何らかの書物に記載があったということは、この記事では言及されていません。

小括1:聖徳太子虚構説は破たんしている。

聖徳太子虚構説は明確に破綻しています。 
この見解に立って論を展開している者は何らかのビジネスであったりイデオロギーを疑った方がいいでしょう。

歴史文献の研究から「厩戸王」の呼称を推測する説

松野文部科学大臣が言うように、文科省は聖徳太子の語を消そうとしていたのは聖徳太子虚構説に立ったものではなく、日本書紀や古事記などの書物等の歴史研究によって「厩戸王」という呼称がなされていたという推測をする説に立っていたと言っています。

歴史教育の連続性を無視していた文科省学習指導要領案

しかし、果たして歴史教育において「厩戸王」への名称の変更は必然性のあるものでしょうか?「歴史教育の連続性」という観点から松沢成文議員が以下の重要な質疑をしています。

193 参議院 文教科学委員会 3号 平成29年03月09日

○松沢成文君 ー省略ー もう十七条の憲法からそうですし、あるいは外交にしても遣隋使を送って対等外交を目指した、これもすごいことだと思いますし、あるいは仏教伝来で、仏教を排除せずに神道と融合をもって日本の中で位置付けさせた、これも大変なことです。これはみんな聖徳太子の偉業として学んできているんですよね。
 ですから、ここを大事にしないと、これは例えばおくり名であって本名ではないとか、こういうことでどんどん名前変えていったら、例えばその後に出てきた大化の改新をやった中大兄皇子だって葛城王というある意味では本名があるわけですよ。江戸時代の絵師だった歌川広重だって本名は安藤重右衛門ですよね。あるいは、戦国大名だった北条早雲だって、これ、北条早雲というのは、北条という名前は二代の氏綱のときから使った名字ですから、例えば北条早雲が出てきて活躍していたときは伊勢新九郎盛時、これが正しいわけですよ。
 ですから、そうやって名前のことをいじくり始めちゃうと、いろんなところで噴出しちゃいます、問題が。だからこそ、歴史において、こういう偉業を成し遂げた人、その業績については普遍性を持っていないと私は歴史が成り立たないというふうに思っております。 

同様の考え方は、既に「新しい歴史教科書をつくる会」が示しており、包括的な意見、個別意見を載せています。

歴史教科書に求められる基本的な考え方 

  1. 歴史教育は世代間の連続性が大切であり、学修の便宜などというものよりも優越する
  2. 「厩戸王」推進派が多く依拠しているのは「聖徳太子虚構説」だが、学説の通説ではなく、むしろ淘汰されている
  3. 聖徳太子の語や関連する語は古来からあらゆる書物や建造物に刻まれている一方、「厩戸王」は単なる一学説に過ぎないため、変更する必然性はない
  4. 「聖徳太子は死後の諡(おくりな)だから」というのは理由にならない。「厩戸王」は推測にすぎない。

作る会の主張を整理すると上記のように分けられます。

加えて、あらゆる物事において「相当の反対論が示されていない段階では、現状変更を求める者が主張立証を尽くさなければならない」 という一般的な議論の基本的なルールがあります。これは裁判などのあらゆる場面で通用するものの考え方です。

聖徳太子に関しては、聖徳太子という呼称は、現在広く国民の間に浸透しています。認識のレベルにとどまらず、事実のレベルとしても「太子堂」という建物、「太子道」という道路があるように聖徳太子の呼称を前提とした歴史的遺産がたくさんあります。

そのような現状から聖徳太子の語が歴史教育において用いられている現状を変更するには、 相当説得力を持つ必然性がなければならないということです。

では、「厩戸王」推進派はどうか?

一学説による推測にすぎない「厩戸王」

「聖徳太子」や「厩戸皇子」は、歴史書物に明確に記載があります。したがって、まずはそれが正しいという原則的な立場に立たなければいけません。
しかし、「厩戸王」は何らかの書物や物件に記述があるということはないのです。
大雑把にいえば、「日本書紀は記述に不正確な点があるから信用できない」「存名当時は聖徳太子とは呼ばれていなかった」「当時はまだ天皇という呼称がなかったから「皇子」とは呼ばれていなかった」「だから「王」と呼ばれていた」という程度の話だったのです。
日本書記の記載が信用ならないとしても、記載のない表記が正しいという解釈によって「王」という呼称が適切であるというのであれば、相当な論証が必要です。特に学習指導要領は歴史教育のスタンダードですから十分な論証が必要ですが、歴史教育の連続性という観点を覆すべきであると言える程の論証がなされているとはいえません。

小括2:必然性のない「厩戸王」への呼称変更

  • 「厩戸王」の呼称は、一定程度の歴史的研究から推測されるもの
  • しかし、歴史学の「推測」と歴史教育の連続性のどちらが優先されるべきかという点にかんがみると後者を優先すべきである
  • なぜなら、既に聖徳太子の呼称が古くから日本国民に浸透しているからである
  • そのような中、わざわざ「厩戸王」という呼称を広める方向へ変更することは、害悪でしかなく、必然性がない
  • したがって、聖徳太子の呼称が第一義的であることが最も正当性を有する

パブリックコメントの内容

この件については2度、パブリックコメントを提出しました。

参考までに全文を載せたリンクを貼ります。

一度目は学習指導要領案全体に対するもの。

二度目は聖徳太子に関するものに限定したものです。 

私は歴史の専門知識があるわけではないので、一般的な論理から導かれるあるべき態度とはどういうものかを論じています。 

ちなみに、パブリックコメントとは、行政が特定の政策について国民に広く意見を求めるもので、期限を切ってネット等で公開されているものです。地方の自治体でも実施されています。

パブリックコメントはレベルがあり、学習指導要領の件のように一般人でもコメント可能なもの、ある業界の方向けのもの、特定の専門知識・業界知識を有する方向けのもの、に大別されると思います。

4600のパブリックコメントの結果

約4600件のパブリックコメントが寄せられ、大半が歴史用語の書き換えに反対する意見だったということですね。もちろん、パブリックコメントだけで結果が変わったのではありません。山田宏さんや青山繁晴さんらの国会議員の文科省への働きかけ、国会での質疑を行った議員によって、文科省も誤りに気付いたのです。

しかし、安心はできません。参議院議員の山田宏さんが言うように、10年後の改訂でも同じような動きが文科省内で起こる事が予想されます。そのような事が無いように改訂のプロセスから見直す必要があります。この記事の最後にこの点について触れています。

学習指導要領の改訂案と改訂前後

学習指導要領改訂案と本案の前後

中学校の学習指導要領:左が改定案、右が正式決定後のもの

いずれも平成28年度までの学習指導要領では「聖徳太子」でした。

小学校は改定案「聖徳太子(厩戸王)」から正式決定後は「聖徳太子」の表記とされました。

中学校は改定案「厩戸王(聖徳太子)」から正式決定後は「聖徳太子」の表記とされ、更に古事記や日本書紀等では「厩戸皇子」と記載されていたが後に「聖徳太子」と称されるようになったことに触れる事とされました。

学習指導要領の前段階:検定教科書に対する工作

検定教科書、育鵬社

出典:育鵬社HP

学習指導要領の改訂における聖徳太子抹殺は阻止しましたが、それに基づいて作成される検定教科書のレベルでは、聖徳太子の語を用いず「厩戸王」の文言を使用する教科書があり、多くの学校で採用されているという事実があります。 

検定教科書について

検定教科書:初等・中等教育課程に用いられる文部科学大臣の検定を経た図書のこと

学習指導要領に手を加える以前に、文部科学省が検定をし、公式教科書として扱われる書物が狙われていました。検定教科書の記載に、今回の「厩戸王」に繋がる布石が打たれていたのです。

その一例が、(株)学び舎 の歴史教科書です。 

学び舎の歴史教科書の記述

以下は、学び舎にかんする「新しい歴史教科書をつくる会」の意見です。

現行版の歴史教科書のうち、学び舎の教科書は、大きな文字で「厩戸皇子」という見出しをつけています。聖徳太子の肖像もなく、一方で隋の皇帝煬帝(ようだい)の肖像画はしっかり掲載されています。この教科書は今回の文科省の方針を先取りしていたといえます。

ついでに言えば、学び舎の教科書が平成27年に検定に合格したことについて、教科書検定審議会歴史小委員会の委員長をつとめた上山和雄氏は、「学習指導要領の枠に沿っていない」と評価し、政治的な配慮で特別に合格とされたことをにおわせています(朝日新聞、平成27年4月24日) 

しかし、「学習指導要領の枠に沿っていない」教科書は本来検定不合格となるべきものです。学び舎教科書の合格をめぐる疑惑を、この際改めて問題にせざるを得ません。

支那の記述に沿った内容というのは、以前に指摘した「厩戸王」推進派の論理と一致するものであり、聖徳太子を抹殺しようとする者が類型的に取る論法と類似しています。

ちなみに、当該教科書の内容については以下の記事を参照ください。

魚拓:http://archive.is/25IGL

学び舎の教科書は検定を通っていないのか?

つくる会の意見の中で、「学習指導要領の枠に沿っていない」とありますが、これは文部省が学び舎の初回原稿を一度不合格処理した後、「強制連行を直接示す資料は発見されなかった」という日本政府の見解を併記する条件で慰安婦関連記述を許容したということです。

一応、学び舎の教科書は、検定には合法的に通過していることを指摘しておきます。

もっとも、今回の件と学び舎の教科書の記述に関連性があるというのは、慎重になるべきです。このあたりはフェアに考えなければなりませんし、何か特定の主体が悪であるとし、原因を全てそのものに帰責させるという態度は慎むべきです。ただし同時に、この教科書の「厩戸皇子」の記述が、「厩戸王」への足掛かりとなるものであるということも確かです。

今回、学び舎が主体として積極的に何かをしたということはおそらくないでしょう。しかし、何者かがこの記述を利用して、指導要領の表記を「厩戸王」へスライドさせる方向へと働かせるということは、無理な考えではありません。

その他の検定教科書の記述は?

検定教科書一覧

出典:産経新聞http://www.sankei.com/life/news/170320/lif1703200006-n1.html

教科書目録(平成28年4月):文部科学省

これは学習指導要領改定前のものですが、学び舎は「厩戸皇子」を第一義とし、帝国書院はかっこつきで「厩戸王」としていたということです。

実は検定教科書は、歴史に関して言えば、上記目録に記載されている数社が発行しているものしかありません。

これらのうち、東京書籍、教育出版、清水書院、日本文京出版、育鵬社は、HPに掲載している指導計画案において、「聖徳太子」の記述のみを用いていました。自由社、帝国書院、学び舎は、HP上に指導計画案を確認することができませんでした。もっとも、指導計画案がWEB上にないからといってどうということはありません。また、指導計画案に「聖徳太子」のみ用いていたとしても、検定教科書の記述でその他の記述がないとも限りません。

ここから分かることは、学習指導要領に「沿った」記述であれば、それから多少はみ出した記述があっても検定を通るという事です。

厩戸王捏造推進派の戦略

厩戸王推進派の聖徳太子抹殺工作の構造

  1. 学習指導要領において聖徳太子⇒厩戸皇子
  2. 学習指導要領において厩戸皇子⇒厩戸王
  3. 学習指導要領に手を加えられないのなら、検定通過教科書に聖徳太子以外の記載の実績を作る
  4. 検定教科書の工作が無理でも、検定外の教科書や学習参考書、入試問題の答えなどに厩戸王の語を入れる

「彼ら」はこのような段取りを考えていたのでしょう

このように、徐々に徐々に目的とする成果に近づいていき、既成事実を作ることで障壁を切り崩していく手法は「サラミスライス戦略」そのものです。これはケントギルバートさんや藤井厳喜さんらが支那共産党の戦略を比喩的に表現しているものです。意味は、徐々に徐々に現状を変更していき、切り崩していく様子を端的に捉えた様です。

上記ツイートの動画を参照していただきたいが、工作の具体例として「RKBラジオ・インサイト」というラジオにおいて加来耕三という輩が『教科書から聖徳太子は消えた』と断言したということがありました。「消えた」というのは既に示した現行教科書の記述の図からも明確に虚偽です。

このような工作については後述します。

「厩戸皇子」の表記をどう考えるか

今回、「学び舎」に矢面に立って頂きましたが、少なくともこれまでの検定教科書において聖徳太子(厩戸皇子)や、厩戸皇子(聖徳太子)、厩戸皇子単独表記という記述のある教科書は存在していたようです。*1

私は、そのような表記は、正確な歴史的事実を把握すると言う観点からは、正当なものとして理解できます。日本書記の記述との関連性も把握できることになるのですから。

しかし、先に論じたように、聖徳太子を抹殺しようとする者がいることも確かなのですから、我が国の歴史文化を護るという観点からは、『聖徳太子』或いは『聖徳太子(厩戸皇子)』の2択しか考えられないということになります。

一定程度の合理性があるからといって、サラミスライス戦略の付け入る余地を与えてはいけませんからね。

学習参考書等の記述:検定教科書の更に前段階の工作

検定教科書ではない、他の教科書や学習参考書、演習書の場合はどうか?

この問題について知見を得ようと地域の書店で歴史関連の書棚を調べてみました。

検定外教科書と参考書の厩戸王教科書と参考書の厩戸王

サラミスライス戦略は、実は検定教科書の更に前段階から始まっていたことに気づいてしまいました。私が読んだ限り、教科書ではない受験対策本等の、いわゆる学習参考書の類の本では

ほぼ全て聖徳太子ではなく厩戸王の表記のみでした。 

児童向けマンガ日本史等の本では、聖徳太子と「厩戸王」の記述は五分五分でした。

つまり、これらの領域においては、相当程度早い段階から、「厩戸王」の表記が用いられてきていたということです。今の大学生以下の子供たちは、既にこういう言葉のシャワーを浴びていたのです。

なお、同時に聖徳太子の時代の歴史書も書店で読みましたが、「厩戸王」の表記を使用している書物は、なんらの断りもなく使用されていました。

「ここまで変わった日本史教科書 2016年 吉川弘文館」(この書籍は聖徳太子の語のみ使用)によれば「厩戸王」の表記をしている書物が採用している理由は「皇子などの表記は没後に編纂された日本書記等の書物にしかなく、生存当時はまだそのような言葉は使用されていなかったであろう」というものだというのです。

高校・大学の教科書における工作?

2017年で話題になったのは小中学校の学習指導要領でしたが、高校はどうか?

高大連携歴史教育研究会という私的な団体が、学習指導要領が改訂された後である2018年にもなお工作活動?を展開しています。

高大連携歴史教育研究会による工作?

同会がまとめた「高校歴史用語精選案」では様々な歴史用語が消えましたが、「従軍慰安婦」「南京大虐殺」の表記が残るなどしています。聖徳太子に限っては『厩戸王(聖徳太子)』という表記になっています。

高校歴史用語精選案

http://www.kodairen.u-ryukyu.ac.jp/pdf/selection_plan_2017.pdf

selection_plan_2017.pdf - Google ドライブ

歴史用語は昔に比べて数倍にも上っており、削除の必要性はあるのは間違いないですが、それにかこつけて重要用語を消そうと言う動きです。

高大連携歴史教育研究会とは?

高大連携歴史教育研究会

旧サイト:高大連携歴史教育研究会

上記ツイートの動画でわかるように、同会の会長である油井大三氏は著書「未完の占領改革」において「GHQの日本占領政策は甘い。皇室を解体し(天皇をギロチンにかける)、非武装、農業化、アジア諸国に対する徹底的な謝罪と賠償、中共に謝りし続ければ日本は民主主義国家になれる」という趣旨の記述をしています。

呼びかけ人として百人程度の高校・大学関係者が名を連ねていますが、日本の教育界全体から考えれば極々一部に過ぎません。

上記ツイートの動画の指摘では、高大連携歴史教育研究会で今は現職ではないが影響力があった者がソウル大学の教授になっており「竹島は韓国のものだ」と発言したとのこと。この研究会はパブリックコメントを提出するだけでなく、文科省にパイプを持っていることから学習指導要領や教科書検定に影響を与える団体です。

このような私設団体からの工作に対抗できるよう、仕組みを整える必要があると言えます。

日本国の歴史を護るために

「厩戸王」捏造推進派の計画は、以下のような段階を想定して実践されてきたのだと認識すべきでしょう。

  1. 日本人の認識からの聖徳太子の抹殺
  2. 学習指導要領の表記変更
  3. 検定教科書の表記変更
  4. 検定教科書以外の教科書または学習参考書における表記変更
  5. 一分の合理性のある学説の創作

こうしてみると、1番目の目標に向かって、着実に事が運ばれていたことがわかります。これに対処するためには、専門知識は必要ありません。ただ、「敵」は歴然と存在するのだと言うことを認識することから始めなければなりません。

私たち日本国民の『認識そのもの』が狙われているというのは、GHQのWGIPの例で知っているはずです。それ以外の者が行わないと考えるのは、どうかしているのです。

文部科学省の学習指導要領改訂プロセスを見直す必要性

山田宏さんは、以下のように指摘します。

これで次の改訂まで10年間は大丈夫だが、文科省の学習指導要領改訂のプロセスの問題点も分かった。学習指導要領改訂原案は、文科省の国立教育政策研究所の各教科調査官(教師出身)1名と、文科省の視学官(調査官出身)1名でまとめられる。特に、国民精神の支柱と深く関わる歴史、地理、国語、公民などの分野は、しっかりとした定見をもつ人物を担当につける仕組みや、助言グループの設置など、次の改訂まで検討しておかないと危ない。

このような仕組みが、今回の騒動を生み出す一端であったということは間違いないと思われます。ただし、仕組みを変えても、またその仕組みに合わせた工作活動が行われることは容易に想像できます。それを防止、対応するためには、また別の観点からの行動が必要になってきます。

一般国民ができること

今回、私たち国民のネットワークが、この事態を改善させたといえます。

国会議員、新しい歴史教科書をつくる会などの民間の組織、個人としてこの問題に取り組んだ著名人、そして、私たち専門知識を持たない一般国民。これらの誰か特定の人が指示を出し、音頭を取っていたわけではありません。

各々が自己の価値観を元に、情報を収集して活動を行った結果が、改定案の修正という結果へと結実しました。 いわば日本の防衛ネットワークというものが、ネットの力によって構築されているように感じます。 

私たち国民のだれも今回の件について問題視し、行動を起こさなかったのなら、今回の結果は導けなかったでしょう。それは、私たちが普段の意識として、歴史問題に対するアンテナを張り、嘘とデマが引き起こされている現状について問題意識を持っていたことで気づけたのだと思います。 

今後もそうした意識を継続するとともに、より多くの国民が同様の意識を持つことが広まるように、理解されるような言動で行動していこうと思います。

そのためにはまずは私達自信がしっかりとした知識がなければなりません。今回の書店の調査で読んだもののうち、聖徳太子についての記述がしっかりとしているものとして、以下の書籍をおすすめします。 

 

まとめ:学習指導要領に留まらない今回の教訓

上記ツイートの動画は「NHKが過去に聖徳太子の服装は騎馬民族の服装だという報道をしたことがある」という指摘です。

ありとあらゆる領域で、今回のような工作が行われています。

この記事は2017年度末に起こった学習指導要領改訂の事案をベースに記述してきましたが、それを乗り越えてもなお安心できないということは示してきた通りです。

私たち国民の1人1人が歴史について正しい認識を持つこと、工作活動が行われているということを認識するということ。結局はこれが最も日本国の歴史を守ることに繋がります。

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*1:ここまで変わった日本史教科書 2016年 吉川弘文館