事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

月曜日のたわわ広告:治部れんげ「見たくない表現に触れない権利等3つの問題」の評判

治部れんげ:見たくない表現に触れない権利

法律論以前の問題。

※追記:新たに以下事案が発生。

 

月曜日のたわわ日経新聞広告:治部れんげ「3つの問題」

「月曜日のたわわ」全面広告を日経新聞が掲載。専門家が指摘する3つの問題点とは?金春喜 2022年04月08日 18時4分 JST 

全面広告、3つの問題点は?
東工大の治部准教授は、今回の全面広告の主な問題点を3つ指摘する。

  1. 『見たくない表現に触れない権利』をメディアが守れなかったこと
  2. 「異性愛者の男性が未成年の少女を性的な対象として搾取する」という「ステレオタイプ」(世間的固定概念)を肯定し、新聞社が「社会的なお墨付きを与えた」と見られること
  3. 日経新聞が、自ら「ジェンダーのステレオタイプを強化する」という矛盾に陥ってしまったこと

比村奇石原作の月曜日のたわわ  /講談社日経新聞広告に関して東工大でリベラルアーツ研究をしている治部れんげ准教授(一橋大学法学部卒)の主張はこの3つが要点です。

しかし、彼女の言う「3つの問題」は、その結論の不当性以前に、その結論を導くための論証が全く出来てないのという難点があります。

「法律論以前」とかも言われていますが、もはやそういうレベルではなくて、きちんと論理的な文章を書けよ、というレベルなんですよ。

Twitterで彼女自身がいろいろ書いているのを見ると、どうやらハフポストの記事の構成の問題ではなさそうです。

魚拓

治部氏のハスポス記事は、作品や出版社、新聞社への暴言ではないのか?

ということで、以下に具体的に指摘していきます。

順番として2、3の後に1番を書きます。

日経新聞が性的搾取のステレオタイプを肯定、社会的なお墨付きを与えた?

2つ目の問題は、広告掲載によって「異性愛者の男性が未成年の少女を性的な対象として搾取する」という「ステレオタイプ」(世間的固定概念)を肯定し、新聞社が「社会的なお墨付きを与えた」と見られることにある。

「広告は女子高生のイラストをあえて用いることで、作品が発信しているメッセージを確信犯的に、大々的に伝えています。作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待。男性による未成年の少女への性暴力や性加害そのものを日経新聞が肯定する構図です」

日経新聞は、国連女性機関(UN Women)などがつくった「女性のエンパワーメント原則」というガイドラインにも署名している。同原則は、次のように謳っている。

女性と女の子に対するネガティブで画一的な固定観念は、ジェンダー平等の実現を阻む最も大きな要因の一つです。
企業広告は、こうした固定観念や社会規範の形成に大きな影響を及ぼします。
女性と男性、女の子と男の子が、従来の固定観念にとらわれず、現代的で多様な役割を担っている様子を表現することで、社会に深く根付いているジェンダーバイアスに変革を起こすことができます

治部准教授は、今回の全面広告はこのガイドラインにも反すると強調する。
海外では、ジェンダー平等の実現を妨げる広告に対し、厳しい対応をとる動きもある。イギリスでは2019年から広告標準化協会が「性別にもとづく有害なステレオタイプ」を使った広告を禁止している。治部准教授は「今回の全面広告は、こうした国際的な潮流に日本の企業やメディアが取り残されていることを明白にした」と指摘する。

女性のエンパワーメント原則

女性のエンパワーメント原則

https://www.weps.org/sites/default/files/2021-02/WEPs_HANDBOOK_Japanese_LOW%20RES.pdf

国連女性機関(UN Women)などがつくった「女性のエンパワーメント原則」というガイドラインの該当部分はこれ。

で、上掲の文章を見て、「これが足りない」と思われたと思います。

そう、「なぜ当該広告がガイドラインに反するのか?」について全く論じていません。

そもそもこのガイドラインが広告掲載の絶対的基準として通用しているという事実は無い。

作品の主な内容=広告の趣旨という捉え方

いちおうそれらしいことを語っている部分としては以下の発言があります。

「広告は女子高生のイラストをあえて用いることで、作品が発信しているメッセージを確信犯的に、大々的に伝えています。作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待。男性による未成年の少女への性暴力や性加害そのものを日経新聞が肯定する構図です」

しかし、これは【作品の主な内容=広告の趣旨】という捉え方をしているのであり、そのような捉え方がそもそも出来るのか?という点については何も言っていません。

戦闘シーンが主な内容であるドラゴンボールを広告に使っているからといって、「暴力を肯定する」という趣旨とは解されないのは論を待たないでしょう。

月曜日のたわわに存在しない「女子高生への性的な虐待」

それ以前に、「月曜日のたわわ」作品内で『女子高生への性的な虐待』という事実は無い。性的な内容の描写(当該漫画は18禁ではない)に嫌悪感を覚えることはあり得ても、性的虐待の描写が主要なものであるという事実は、この文章では何も示されていないし、現実にもそのような描写が主要なものであることは無い(存在自体が無い)。

「搾取」「虐待」というのは広義の意味としても使われるが、「性的な内容で嫌悪感を生じさせ得る行為全般」と捉えるのは、言葉の意義を失わせることになります。

以下の定義が絶対ではないですが、一応の目安が存在しています。

国際援助分野における性的搾取・虐待及びセクシャルハラスメント対策のためのドナー・コミットメント

主な定義

性的搾取とは,国連事務総長告示 ST/SGB/2003/13 において定義されるように,国連職員による,性的な目的のために,地位の脆弱性,権力格差又は信頼を実際に濫用すること又はその試みをいい,そこには他者の性的搾取による金銭的,社会的又は政治的な利得行為も含まれる。これは広義語であり,取引としての性交渉,取引としての性交渉の教唆,搾取的な関係等をも含む。 

性的虐待とは,国連事務総長告示 ST/SGB/2003/13 において定義されるように,力の行使による又は不平等若しくは強制的な状況下における,身体の性的侵害行為又はその脅威をいう。

現地における成年の規定や合意の認識に関わらず,児童(児童の権利に関する条約に定義される18歳未満の者)とのあらゆる性的行為は性的虐待に該当する。児童の年齢を誤って理解していたことは抗弁とはならない。

「性的虐待」は広義語であり,「性的暴力」(レイプ,レイプ未遂,オーラルセックス又は接触の強要等),「性的犯罪」,「児童に対する性的犯罪」等の多数の行為が含まれる。

第86回 性的搾取・虐待(SEA)防止の取組み : 内閣府国際平和協力本部事務局(PKO) - 内閣府国際平和協力本部事務局(PKO)

SEAの例としては、性的サービスとの引換えによる援助物資の提供、また性的サービスをしなければ援助を停止するという脅迫行為、買春[4]、強姦、売春を目的とする人身売買等です。国連では違反行為を「重大な違反行為」と「違反行為」の2つの類型に区別していますが、SEAは国連にとってハイリスクであり独立した専門の調査官による調査が必須とされる「重大な違反行為」に分類されます[5]。

月曜日のたわわ内の描写でこれらは存在しません。

「性的搾取・虐待」は存在しないとしても、月曜日のたわわの日経新聞広告はそれ自体で「ネガティブで画一的な固定観念」を肯定するのか?という事を論じる余地は論理的には残されているが、それはまったく論じられていません。

まとめ:存在しない事実を元にして作品と広告の趣旨を無理やり混同

  1. 存在しない「作品内での性的虐待」という事実を前提にしている
  2. (存在しない)作品の主な内容のネガティブな側面のみを広告の趣旨として捉える
  3. それをもって「広告にはネガティブで画一的な固定観念を肯定するメッセージがある」と評している

まとめると治部氏の当該主張にはこうした難点があるということです。

日経新聞が、自ら「ジェンダーのステレオタイプを強化する」という矛盾に陥った?

3つ目の問題点は、これまで「メディアと広告によってジェンダー平等を推進し有害なステレオタイプを撤廃するための世界的な取り組み」を国際機関とともに展開してきた日経新聞が、自ら「ジェンダーのステレオタイプを強化する」という矛盾に陥ってしまったことだ。

日経新聞はUN Women 日本事務所と連携し、ジェンダー平等に貢献する広告を表彰する「日経ウーマンエンパワーメント広告賞」を主催するなど、広告のジェンダー平等化を推進する立場に立ってきた。同賞では、「3つのP」という審査項目を掲げている。

Presence 多様な人々が含まれているか
Perspective 男性と女性の視点を平等に取り上げているか
Personality 人格や主体性がある存在として描かれているか

治部准教授は「この基準に照らすと、今回の全面広告は、『未成年の女性の肉体に欲望を抱く男性の視点』のみに偏っており、見られ、触られる側に立つ女子高生の『人格や主体性』は考慮されていません」と指摘する。
日経新聞は自ら掲げてきた理念に反する広告を掲載したことになる。
「今回の全面広告は、女子高生が胸を腕で隠すなど、『いまの日本が持つ基準内で問題にならないように』工夫した形跡があります。この広告がステレオタイプの助長につながるおそれがあると『多少はわかっている』のに、掲載に至ったと思われます。
これまで大手メディアとしてジェンダーのステレオタイプを克服するために取り組んできたことは、全て偽善だったのでしょうか」

日経ウーマンエンパワーメント広告賞 | 日経アドネット

第 2 回日経ウーマンエンパワーメント広告賞 募集要項

応募による広告賞の審査基準を他の広告に適用する無理筋論

治部氏は、「日経ウーマンエンパワーメント広告賞」に【応募】した広告への評価の基準を、それに応募していない広告に適用しているということです。

月曜日のたわわ日経新聞広告は、特に女性をエンパワーメントするために作られたものではないですし、「日経ウーマンエンパワーメント広告賞」に応募したという事実は見つかりません。

「日経ウーマンエンパワーメント広告賞」の【審査基準】が他の全ての広告の【掲載基準】になるわけがありません。

見られ、触られる側に立つ女子高生の『人格や主体性』は考慮されてない?

編集部コメント
4月4日は今年の新入社員が最初に迎える月曜日です。
不安を吹き飛ばし、元気になってもらうために全面広告を出しました。

当該広告は「新入社員」を意識したものであるとされ、そこに男女の別はありません。

『未成年の女性の肉体に欲望を抱く男性の視点』のみに偏っており、見られ、触られる側に立つ女子高生の『人格や主体性』は考慮されていません」

治部氏はこう言うが、広告に女性しか映っていなければそうだというのなら、常にその危険があるということになり、おかしい。

広告も、「男性目線」となぜ断定できるのか、理解不能です。

女性(キャラ)だけが映ってたら「男性目線だけ」なんだろうか?

じゃあ男性キャラだけが映っていたら「女性目線だけ」なんだろうか?

「テニスの王子様」の女性に人気があるキャラクターだけが描写された広告があったとして、それは「女性目線だけ」なんだろうか?

掲載誌が少年漫画だから?

女性がどれほど少年漫画を見ていると思っているのか?

しかも、「見られ、触られる側に立つ」と書いていることからは、ここでも「作品の主要な内容を広告の趣旨として捉えている」という語謬が表れているのが分かります。

では、月曜日のたわわ作品自体はどうかというと、「男性目線」に限らず「女性目線」での「巨乳あるある」とも理解できる内容すらあります。

「女子高生の『人格や主体性』」ですが、主人公のアイちゃんが「来週からはアイちゃん改め ジェイちゃんなんです」とバストのカップが大きくなったことを公言するシーンや、主要人物のサラリーマンとの通勤通学の日常をアイちゃんが希望している描写があるように、そこに「主体性」を感じないというのは無理があります。

月曜日のたわわ - 第1話 アイちゃん① | ヤンマガWeb

「言わされている」?

もしそういう理解になるなら、マンガは全てそうなるでしょう。

まとめ2:適用不可能なルールの適用と作品と広告の混同・原作を無視した『人格や主体性は無考慮』の評価

  1. ウーマンエンパワーメント広告賞の審査基準がすべての広告に当てはまるかのように論じている
  2. 月曜日のたわわ日経新聞広告は広告に応募していないし、特に女性のエンパワーメントを狙ったものではないので、適用できないルールを適用している
  3. しかも、相変わらず作品の主たる内容と広告の趣旨を混同している
  4. 仮に広告の審査基準に照らして作品をみても、女子高生側の『人格や主体性』が考慮されていないとは言えないのではないか

ちなみに、「アイちゃん」は高校生だという設定だが、18歳なのかはわからない。

改正民法の成人規定が2022年4月1日から施行され、18歳から成人となりました。

「未成年の女性の肉体」という書き方は、これまでの世の中のルールからすればそれほどおかしなものではないが、これからは注意すべきでしょう。

「『見たくない表現に触れない権利』をメディアが守れなかった」?

1つ目は、あらゆる属性の人が読む最大手の経済新聞に掲載されたことで、「見たくない人」にも情報が届いたことだ。
「読みたい人がヤングマガジンを手に取って読むことは、今回の問題ではありません。それよりも、女性や性的な描写のある漫画を好まない男性が『見たくない表現に触れない権利』をメディアが守れなかったことが問題です」
ネット上では、はからずも「見たくない表現」に日経新聞の朝刊で出合ってしまった読者が、購読の解約を表明する動きも出ている。治部准教授は「広告によって与えられた媒体のイメージはすぐには払拭できません。どのような広告を載せるかは、メディアにとってのリスクにもつながります」と話す。

『見たくない表現に触れない権利』をメディアが守れなかった」という主張部分。

これだけです。

具体的に、どういうルールがあるのだというのでしょうか?

広告業界や日経新聞社内の「法律よりも厳しいルール」を示さない

法律よりも厳しいルールには…

  1. 行政の通達等による運用ルール
  2. 広告業界のルール
  3. 日経新聞の社内ルール

これらが考えられますが、本件では1の話ではないし3なら基本的には世間とは関係ない(株主との関係はあるかもしれないが)。

治部氏が「社内ルールに反している矛盾行動」を言おうとしたのはウーマンエンパワーメント広告賞の審査基準を持ち出したことから分かりますが、その不当性は指摘済み。

日経新聞出版広告規定を見ても、反しているとは思われない。

そもそもなぜこの広告規定を参照しなかったのか。

とすると、2の話をしているはずですが、新聞広告倫理綱領/新聞広告掲載基準に照らして論じている箇所はまったくない。

「参照されるべきルールをそもそも示していない」という問題がここにはあります。

電車内音声による聞きたくない宣伝を聞かない権利の主張が排斥された最高裁判例

さて、「見たくない表現に触れない権利」の法律論について。

治部氏本人は前掲ツイートのように「法律論ではない」と書いているので、「法律(ここでは憲法も含む法制度の意味)よりも厳しいルール」を示していない時点でアウト。

ただ、法律論として憲法上の権利の話であれば、同じ「広告」の事例で以下の最高裁判例があります。
(なお、過去に今回のイラストと同様のものが電車内に掲示されていたことがある。)

最高裁判所第三小法廷 昭和63年12月20日判決 昭和58(オ)1022 集民第155号377頁

市営地下鉄の列車内における商業宣伝放送は、業務放送の後に「次は○○前です。」又は「○○へお越しの方は次でお降りください。」という企業への降車駅案内を兼ね、一駅一回五秒を基準とする方式で行われ、一般乗客にそれ程の嫌悪感を与えるものではないなど原判示の事情の下においては、これを違法ということはできない。

これは「聞きたくない宣伝を聞かない権利」の主張が全員一致の判決で排斥された事案です。

伊藤正己裁判官の補足意見では「聞きたくないものを聞かない自由」=「個人が他者から自己の欲しない刺戟によつて心の静穏を乱されない利益」が憲法13条の幸福追求権に含まれると解することもできないものではないとしながら、一般の公共の空間ではプライバシーの利益問題にはなり得ず他の権利利益との調整を考えると受忍限度の範囲は広くなるとし、本件の「囚われの聴衆」という状況下である場合にはプライバシーの利益との調整が必要だが、それを考慮してもなお受忍限度内だった、とされています。

月曜日のたわわ広告の場合、【視覚】の問題です。

電車内に掲示されていたとしても、視線を変えたり目を瞑れば容易に「見ない」ことは実現可能です。電車にラッピングされて自動ドア部分に描かれていない限りは。

これに対して、宣伝放送の場合は【聴覚】の問題。「逃れられない」性質の度合いは、聴覚の方が強い。そうした事案であっても、受忍限度内だったとされたわけです。

しかも、今回の日経新聞広告はそれ自体は公共空間にあるのではなく、それを購読している者に対するモノですから、「嫌なら解約すれば?」ということに。

「学校に置いてある場合によくない」という論者も居るが、その場合は学校側教師側の管理といったまた別の話になるので割愛するが、イラスト自体に何ら問題は無い以上、必ずしも排除すべきとする結論にはならないでしょう。

したがって、最高裁のこの理屈からすれば(補足意見が本当に裁判所の拠って立つロジックなのかはいったん留保が必要だが)、「見たくない表現に触れない権利」は認められず、月曜日のたわわの日経新聞広告は「見たくない表現に触れない自由」が問題になるとしても受忍限度内とされるだろう、ということは言えます。

もちろん最高裁の判例が絶対、ということではなく、「その理屈はおかしい」「時代が変わった」と評することも、それ自体はおかしな話ではありません。

しかし、営業の自由・表現の自由といった他の権利利益との調整を考えれば、最高裁の理解は妥当と言えるでしょう。

なお、日経新聞の認識は以下の通りでした。

日経新聞の広報室はハフポスト日本版の取材に「今回の広告を巡って様々なご意見があることは把握しております。個別の広告掲載の判断についてはお答えしておりません」とコメントした。

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