事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

糸数健一与那国町長「9条を変えて交戦権を認めて」:国際法と憲法下の自衛権行使の要件・範囲との違い

国際法上のフルの自衛権行使を

糸数健一与那国町長「憲法9条を変えて交戦権を認めて」

戦争や災害時に、政府の権限を一時強化する緊急事態条項を改正憲法に盛り込むことや「現憲法9条2項の交戦権を『認めない』を『認める』に改める必要がある」と強調した。

沖縄タイムスが与那国町長の糸数健一氏の集会で「憲法9条を変えて交戦権を認めて」と主張したことを報じました。

本件については「交戦権」に関して誤解があるので整理します。

交戦権の意味と政府見解:交戦国が国際法上有する種々の権利の総称

交戦権の意味

衆議院議員稲葉誠一君提出自衛隊の海外派兵・日米安保条約等の問題に関する質問に対する答弁書昭和五十五年十月二十八日

 憲法第九条第二項は、「国の交戦権は、これを認めない。」と規定しているが、ここにいう交戦権とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であつて、相手国兵力の殺傷及び破壊、相手国の領土の占領、そこにおける占領行政、中立国船舶の臨検、敵性船舶のだ捕等を行うことを含むものであると解している。
  他方、我が国は、自衛権の行使に当たつては、我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することが当然認められているのであつて、その行使は、交戦権の行使とは別のものである。

憲法9条2項で否定されてた「交戦権」の意味については学説が分かれていますが、政府見解としては「戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称」を意味する、としています。*1

これは昭和55年の答弁で明確化して以来の見解ですが、安倍政権下でさらに概念の構造が明確化されています。

衆議院議員長島昭久君提出国際法上の交戦者の権利・義務に関する質問に対する答弁書

 一般国際法上、「交戦権」については、確立した定義があるとは承知していないが、一般に、戦争自体が国家政策の遂行手段の一つとして認められていた伝統的な戦時国際法の下において、国家が「交戦国」として有する国際法上の諸権利を指すと考えられている。しかしながら、武力の行使が原則的に禁止され、国際法上戦争が違法化された国連憲章の下においては、戦争が違法ではないことを前提とした伝統的な意味での「交戦権」をそのままの形で適用することはできないと考えている。その上で、各紛争当事国は、個別の事例ごとにおける国際法上の根拠に基づき、その認める範囲内で、従来であれば「交戦権」の行使として認められていた措置をとることが可能であるが、当該措置の態様がいかなるものになるかについては、具体的な状況に応じて異なると考えられるため、一概に述べることは困難である。

戦争それ自体が違法化される前の国際法下で「交戦権」として認められていた権利があり、現在の国際法上の根拠に基づいて認められる措置であるところのものであって従来「交戦権」の行使として認められた措置は採ることができる。

現在の国際法上では「交戦権」という概念は使われなくなりましたが、敢えて戦争が認められていた時代の国際法上の「交戦権」の内容である措置について「交戦権」と呼んで論じるのであれば、それは現行の国際法上で認められる措置に引き直して(限定して)考えるべき、ということになります。*2*3

国際法上の自衛権行使と日本国憲法下の自衛権行使との違いと交戦権

国際法上の自衛権と日本国憲法上の自衛権の違い

衆憲資

衆憲資第101号「安全保障」に関する資料 令和4年5月 衆議院憲法審査会事務局

「現在の国際法上適法であるところの従来交戦権と呼ばれていた権利の行使」については、その多くは日本国憲法下の自衛権の行使によって可能だが、両者の内容には相違点があり、自衛権行使ではできないものがある。

その例として相手国の領土の占領や占領行政、一定以上の臨検や拿捕が挙げられています。*4

日本政府の言う自衛権=自衛のための最小限度の実力行使は、現在の国際法上認められている自衛権の範囲よりも狭いという前提の理解が重要です。

国際法上の自衛権行使の要件である「均衡性」と日本国憲法下での自衛権行使要件である「必要最小限度」は、後者の方が範囲が小さいという悲しい現実があります。

例えば、「相手国の領土の占領」や「そこにおける占領行政」などは、たとえ国際法上の均衡性の要件を満たす場合であっても、「自衛のための必要最小限度を超えるもの」と考えられている(すなわち、国際法上の自衛権行使として認められるとして
も、日本国憲法 9 条 2 項の下では許されない。)。

「交戦権の復活」は、現行国際法上の権利をフルで行使できるようにしろ、なら正当だが

「交戦権の復活」と言うとき、要するに「現行の国際法上の権利をフルに行使できるようにしろ」ということであれば正当です。

この場合、現行の日本国憲法における自衛権の「必要最小限度の実力の行使」を超える行為たる交戦権の行使を認めろという主張になりますが、そのためには憲法解釈の変更か、憲法改正が必要です。

しかし、伝統的な意味での「交戦権」に値する措置のすべてを可能にしろ、というのは、単なる現行国際法違反の主張になるので要注意です。

今回報道された与那国町長がどういう考えなのかは、記事だけではわかりません。

不用意な言葉遣いだと言い得る発言ですが、文脈としてきちんとここで示したような説明があった場合にはそうではないということなります。

ただ、「交戦権」という言葉を見ただけで拒絶反応を起こすのは、政府解釈と国際法の差に関する洞察を見過ごすことになってしまうと思われます。

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*1:衆憲資第 33 号「憲法第 9 条(戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認)について~自衛隊の海外派遣をめぐる憲法的諸問題」に関する基礎的資料 安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会(平成 15 年 7 月 3 日の参考資料) 平 成 1 5 年 6 月 衆議院憲法調査会事務局

*2:昭和44年の高辻答弁の中で「交戦権というものは、人道主義的見地からする制約以外には制約がないものである、元来」とあることから、以下の説明が導かれています⇒「人道主義的見地からする制約以外には制約がない」という「交戦権」は、国際法上適法な武力行使において国家が交戦者として有する権利とは本質が異なるものであり、国連憲章下では行使されることはない。つまり、国際法上適法な武力行使の下に国家が交戦者として有する権利と、憲法上適法な武力行使の下に「国家が交戦者として有する権利」は、ともに、日本政府の解釈の下での憲法第9条が否認する「交戦権」とは本質が異なるものである。

*3:憲法第 9 条の交戦権否認規定と国際法上の交戦権 松 山 健 二

*4:ここでの「占領」は、事実の問題であり、それ自体で敵国占領地の占領国への領土移転・併合を法的に認めるものではない。つまりは暫定的なものであり、軍事行動の終了に伴って返還することになる。このことは文民条約に規定されている。