事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します

皇族の降下に関する施行準則で旧皇族はGHQと無関係に皇籍離脱という論の誤り

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皇統の安定的継承の方法として旧皇族の男系男子の皇籍復帰が議論されています。

これに対して『「皇族の降下に関する施行準則」があったのでいずれにしても皇籍離脱していたから、復帰はおかしい』と主張する者が居ます。

この制度についてきちんと理解しましょう。

旧皇族が皇籍離脱=臣籍降下した理由:GHQの指令の事実上の影響

旧皇族の皇籍離脱=臣籍降下はGHQの指示なのか:安倍総理「GHQの決定は変えるつもりはない」

上記で詳述しましたが、旧皇族(昭和21年当時の11宮家とその子孫も含むものとする)が皇籍離脱せざるを得なかったのはGHQの覚書である「皇室財産凍結に関する指令」「皇室の財産上その他の特権廃止に関する指令」の直接的な効果ではないものの、その事実上の影響によるものであるという評価がなされています。

ですから、旧皇族に皇籍復帰を求めることは、本来あるべき地位にお戻り頂くという性質の事柄であるとも言えます。

しかし、次のような指摘があります。

『「皇族の降下に関する施行準則」があったのだから、GHQの指令が無かったとしても旧皇族は自動的に皇籍離脱=臣籍降下していたでしょ』

皇族ノ降下ニ関スル施行準則とは

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Ref:A03033116800 皇族ノ降下ニ関スル内規ノ件 国立公文書館アジア歴史資料センター

皇族ノ降下ニ関スル施行準則」とは、明治40年皇室典範増補第1条に規定する勅旨による臣籍降下の範囲についておおよその基準を定めたものです。

皇族ノ降下ニ関スル施行準則

第一條
 皇玄孫の子孫たる王明治四十年二月十一日勅定の皇室典範増補第一條及皇族身位令第二十五條の規定により情願を為さざるときは長子孫の系統四世以内を除くの外勅旨に依り家名を賜ひ華族に列す

第二條
 前條の長子孫の系統を定むるは皇位繼承の順序に依る

第三條
 長子孫の系統四世以内に在る者子孫なくして父祖に先ち薨去したる場合に於て兄弟たる王あるときは其の王皇位繼承の順序に從ひ之に代るものとす

第四條
 前數條の規定は皇室典範第三十二條の規定に依り親王の號を宣賜せられたる皇兄弟の子孫に之を準用す

  附 則

此の準則は現在の宣下親王の子孫現に宮號を有する王の子孫竝兄弟及其の子孫に之を準用す但し第一條に定メタル世數は故邦家親王の子を一世とし實系に依り之を算す

博恭王は長子孫の系統に在るものと看做す

邦芳王及多嘉王には此の準則を適用せず

明治の皇室典範では皇族女子が臣籍にある者(現在でいう民間人)と婚姻する他は皇族の臣籍降下を認めていませんでした。そこで皇室典範増補で規定が設けられました。

ただ、皇族の数が増えすぎないようにするため、さらに一定の基準を作る必要が認識されるようになり、皇族ノ降下ニ関スル施行準則が立案されました。

当時は「華族」 という身分があったので、ここの基準に該当すれば臣籍降下して皇族ではなく華族になるということが書いてあります。

しかし、施行準則の「勅旨」が根拠となった臣籍降下の例はありませんでした

皇室典範増補第一条と実際の運用

皇室典範増補(明治四十年二月十一日)

第一条 王は勅旨又は情願に依り家名を賜ひ華族に列せしむることあるべし

第五条 第一条第二条第四条の場合に於ては皇族会議及枢密顧問の諮詢を経べし

「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」について 阿部寛「明治聖徳記念学会紀要〔復刊第50号〕平成25年11月】では、以下のように述べています。

  1. 施行準則の通りに自動降下するなら皇室典範増補と抵触するので違法のおそれがある
  2. この問題意識は当時も存在していた
  3. 施行準則は皇室典範増補1条の勅旨による降下基準を定めた内規に過ぎないと解すれば、合法的である
  4. 実際にも「準則」という名称、準則が公布されず通達として関係者に伝達されたに過ぎない事、枢密院では必ずしもこれに拘束されないという見解であったこと、などから、法的性質は皇室典範と同等の法規範ではなく下位規範たる内規である
  5. 「内規」であることが各所の文書に記載されている

そして、皇族の降下に関する施行準則が適用された事例はなく、それが存在していた時期に降下した十二王の事例は、すべて皇室典範増補1条の「情願」によるものでした(間接適用されていたと評価することは一応は可能としている)。

この場合は増補5条により「皇族会議及び枢密顧問の諮詢を経」ることになっていたのですから、自動降下ではなく皇族会議と枢密顧問の裁量の余地があったということになります。

なお、阿部論文では平成24年に野田政権下で開かれた「皇室典範に関する論点整理」において作成された「参考資料」のなかに、施行準則に当てはまれば自動的に皇族でなくなるかのような記載があるが、それは不正確である、とも指摘されています。

同様の指摘をしているのは例えば【波多野敬直宮内大臣辞職顛末―一九二〇年の皇族会議― 永井和】や【「皇族降下準則」で旧宮家は自動的に皇籍離脱していたというウソ 谷田川惣】など複数あります。 

GHQの占領が無くとも「皇族の降下に関する施行準則で自動的に皇籍離脱」は誤り

GHQ占領後、皇族の降下に関する施行準則は、昭和21年12月27日に「皇族ノ降下ニ関スル施行準則廃止ノ件」が施行されて廃止されました。

また、日本国憲法施行に伴って皇室典範と皇室典範増補は昭和22年5月1日の「皇室典範及皇室典範増補廃止ノ件」により翌日限りで廃止となった。

これを受けて、皇室令と附属法令も廃止になっています。

このとき廃止となった皇室令及び附属法令の規定は、皇統譜令(昭和22年政令第1号)第1条の「皇統譜に関しては、当分の間、従前の例による」という規定等により現在でも一部が援用されていますが、既に廃止となった皇族の降下に関する施行準則は、当然にして援用の対象となっていません。

したがって昭和22年10月14日に行われた旧皇族の臣籍降下に関して、

『「皇族の降下に関する施行準則」があったのだから、GHQの指令が無かったとしても旧皇族は自動的に皇籍離脱=臣籍降下していたでしょ』

という指摘は、的外れ、ということになります。

現在は皇族の降下に関する施行準則の想定外の事態

「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」について 阿部寛「明治聖徳記念学会紀要〔復刊第50号〕平成25年11月

ところで、近現代における宮号の継承の前例について振り返ると、「皇族の降下に関する施行準則」制定時には全く想定されていない事態となっていることに気付づく。

なんと直近の宮号継承は、伏見宮博明王(昭和二十一年八月一六日御祖父君博恭王薨去による)となり、これ以後、宮号を継承した事例が存在していない。
ー中略ー
このようなことに鑑みると、もし、華族制度を含む当時の制度が存続していて、「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」が存続していたとしていも、この内規の例外を明確に検討しなければならない状態になっていたことも考えられる。

皇族の数が多くなり過ぎないようにという問題意識のもとに立案された施行準則ですが、現在では全く逆の事態になっています。

 

果たして、「かつてはこのような施行準則があったのだから、現在においてもこの基準に適うような制度にするべきだ」というのは、現在において正当性のある主張でしょうか?

まとめ:女系天皇・女性宮家創設論者の論理破綻

  1. 皇族の降下に関する施行準則は皇室典範増補の下位規範たる内規に過ぎない運用だった
  2. 施行準則に当てはまる者は自動降下するというような運用はなされていなかった
  3. よって、GHQの占領がなくとも「施行準則で自動降下していた」というのは誤り
  4. GHQ占領下では施行準則は廃止されていたので無関係
  5. 施行準則が立案された当時の状況と現在の状況は真逆であって、現在に置いて施行準則のようなルールを設けることに正当性があると直ちに言えるのか疑問である

旧皇族の男系男子の皇籍復帰については女系天皇・女性宮家創設派から「数十年も民間の垢にまみれたどこぞの馬の骨を皇室に入れるのはけしからん」などと言われますが、彼らは125代2500年以上遡っても神武天皇に辿り着かない民間人に対しては「馬の骨」とは言わないのが不思議で仕方がありません。

また、彼らは「旧皇族復帰は今上陛下との共通の祖先は600年以上も遡らないと辿り着かない。こんなことは先例が無い」と言いながら、歴史上の例がただの一つもない女系天皇・女性宮家を推進しています。

施行準則は、そういった者が反論として持ち出してきたものですが、このように実際の運用を無視した暴論だったということです。

以上