枝葉末節ですが一応書いておきます。
- 「オープンレター」のチェックの杜撰さ
- 青識亜論の署名を弾いた理由「オープンレターの趣旨と異なる」
- 「ブロックや鍵アカウント越しに、対立者の人格や容姿を中傷するネット文化」
- 「性差別に反対する女性を戯画化・揶揄し男性こそ被害者とするネットコミュニケーション様式」
- それでも正当化不可能な「オープンレター」の管理の杜撰さと不誠実さ
「オープンレター」のチェックの杜撰さ
「オープンレター」は管理の杜撰さが指摘されています。
古谷経衡・渡瀬裕哉 両氏の氏名が冒用されていた(第三者の愉快犯の可能性)ものが今年1月19日まで残っていたことや、今現在も「松本 松本」という名前が残っていること、削除依頼のための連絡先が掲載されておらず、そもそも署名投稿時にメールアドレスの入力が任意でチェックできないようになっていたことなど。
なお、国際信州学院大学という架空の大学の肩書きが存在していたのは署名開始当初の約20時間で直ちに削除されているため、この視点から「オープンレター」側を論難することはしない。
その中で、「青識亜論を署名から弾いただろう」「ということはチェックしてるのに…」「にもかかわらず妙な名前が残っているのはおかしい」「人物を見て決めているのでは」という言い方で批判する向きも出現している。
しかし、私の結論は以下です。
- 青識氏を弾いたのは(一応)筋が通っている
- コメントが書かれたり外部から指摘があればチェックして対応したが、そうでない限り知覚できなかったと思われる
- が、それにしてもメールアドレスの入力が任意だったということや「松本 松本」の記載があることからは、自発的なチェックの欠缺があると言え、管理の杜撰さとして無視できない
- さらに、氏名冒用の事実があってオープンレター側を批判した者に「恥を知れ」と恫喝した差出人も出現したが、最底辺の攻撃者だけを見た発言であり、自分らの社会的責任を無視した言語道断の主張である
本稿は①番がメインなのでそれ以外はあまり触れません。
青識亜論の署名を弾いた理由「オープンレターの趣旨と異なる」
なお、いたずら目的と思われるもの、特定個人への告発を目的とするものなど、本レターについて呼び掛け人側が意図した趣旨とは異なる根拠で賛同をしているものが少数あり、こうした署名については掲載を見送りました
「オープンレター」は2021年4月5日からこのような注意書きを追記しています。これは青識氏が署名をしようとした後に追記されたと思われるものです。
では、青識氏は「本レターについて呼び掛け人側が意図した趣旨とは異なる根拠で賛同をしている」のでしょうか?
青識氏が署名入力の際のコメントの画像を掲載しているので見てみます。
「ブロックや鍵アカウント越しに、対立者の人格や容姿を中傷するネット文化」
早速、賛成のコメントをお送りさせていただきました。賛同人もそうそうたる面々ですね。先日のnote記事でも書かせていただいたように、ブロック越しに対立者の人格中傷をぶつけ、それを拡散するような卑劣なネット文化は変えていかねばなりません。 pic.twitter.com/lkMmeZrSnY
— 青識亜論(せいしき・あろん) (@BlauerSeelowe) 2021年4月4日
微力ながら、呼びかけに賛同いたします。ブロックや鍵アカウント越しに、対立者の人格や容姿を中傷するネット文化を、わずかずつでも変えていかなければならないと考えるからです。
「ブロックや鍵アカウント越しに、対立者の人格や容姿を中傷するネット文化」
この指摘は彼の同時期のnote記事でも存在。興味ある方は見ると良いでしょう。
では、オープンレターの趣旨とは?
「性差別に反対する女性を戯画化・揶揄し男性こそ被害者とするネットコミュニケーション様式」
オープンレターの趣旨について。
彼らの言うところの表向きの趣旨と、文章から読み取れる客観的に認定できる趣旨は異なりますが、彼らの言い分に沿った「キレイな」趣旨については、以下のような文章を参照すると分かりやすいと思います。
このオープンレターは、この問題について背景にある仕組みをより深く考え、同様の問題が繰り返されぬよう行動することを、広く研究・教育・言論・メディアにかかわる人びとに呼びかけるものです。
オープンレターの冒頭部分で「背景にある仕組み」を取り上げるとしています。
その「答え」は最後の方に書かれています。
要するに、ネット上のコミュニケーション様式と、アカデミアや言論、メディア業界の双方にある男性中心主義文化が結びつき、それによって差別的言動への抵抗感が麻痺させられる仕組みがあったことが、今回の一件をうんだと私たちは考えています。
「背景にある仕組み」として複合要因を例示しています。
では、「ネット上のコミュニケーション様式」とは?
少し遡ったところで書かれています。
日本語圏では以前から、ツイッターを中心にSNSやブログにおいて、性差別に反対する女性の発言を戯画化し揶揄すると同時に、男性のほうこそ被害者であると反発するためのコミュニケーション様式が見られました。たとえば性差別的な表現に対する女性たちからの批判を「お気持ち」と揶揄するのはその典型です。今回明らかになった呉座氏の発言も、大なり小なりそうしたコミュニケーション様式の影響を受けていたと考えられます。
「性差別に反対する女性の発言を戯画化し揶揄すると同時に、男性のほうこそ被害者であると反発する」と書いています。
オープンレターではこれに続いて無関係の文脈についても「コミュニケーション様式」を敷衍していますが、後半部分に注目。
このような、マジョリティからマイノリティへの攻撃のハードルを下げるコミュニケーション様式は、性差別のみならず、在日コリアンへの差別的言動やそれと関連した日本軍「慰安婦」問題をめぐる歴史修正主義言説、あるいは最近ではトランスジェンダーの人びとへの差別的言動などにおいても同様によく見られるものです。呉座氏自身が、専門家として公的には歴史修正主義を批判しつつ、非公開アカウントにおいてはそれに同調するかのような振る舞いをしていたことからも、そうしたコミュニケーション様式の影響力の強さを想像することができるでしょう。
「非公開アカウント」で「同調するかのように振る舞う」こと(=悪口を言う)というのは、ここで言うところの「コミュニケーション様式」を構成せず、単なる事実としての振る舞いの叙述として表れています。
したがって、青識氏の言う「ブロックや鍵アカウント越しに、対立者の人格や容姿を中傷するネット文化」は、「オープンレター」の(表向きのキレイな)趣旨からは外れているということ。
この限りにおいて、「オープンレター側」の筋は通っている。
もっとも、「より本質的な次元において排除し切るまでの意図は読み取れないのではないか?」「この趣旨なら敢えて弾く意味は無いのではないか?」という事は言い得るが、もはやどうでもいい話だろう。
ここでの問題は「青識排除」と「管理の杜撰さ」を結び付けた評価なのだから。
それでも正当化不可能な「オープンレター」の管理の杜撰さと不誠実さ
しかし、それで「オープンレター」の管理の杜撰さと不誠実さを正当化することはできません。「表向きの趣旨」とは異なる趣旨については上掲記事で指摘していますが(ここに対しても青識氏の言う賛同趣旨は当てはまらない)、他人を排除する効果を持つ文書への署名を肩書付きで求めているのですから、管理責任が生じるのが当然。
チェンジオルグなどの署名サイトは署名者はコメントしない限りわからず、数としてのみ認識されるが、「オープンレター」は「肩書」こそ重要であり、そのことは登録フォームに追記された文言に現れている。
※4/22 22:00追記:「肩書き」は必ずしも職業上の地位や所属先名を求めるものではなく、なんらかの形で「研究・教育・言論・メディア」にかかわることをお示しいただくためのものであり、ご自由に設定していただいて構いません。
「研究・教育・言論・メディア」は、オープンレター本文冒頭で「…広く研究・教育・言論・メディアにかかわる人びとに呼びかけるもの」という記述と対応している。
こういう目的であったならば、本来であれば、ac.jpなど特定のドメインからのメール以外は排除するということをするべきでしょう。実際、Googleフォームの機能でそれは実現できる。
しかし、実態は「主婦」「高校生」といった、目的とは無関係な肩書の者も存在し、さらには現在でも「精神障害者」や「76才」という凡そ「肩書」として掲載するようなものではない文言も残存しています。
肩書による権威を利用するだけでは満足せず「数の力」をも利用しようとした結果、様々な管理がいいかげんになっていったのだと考えられます。
このようなオープンレターを呉座勇一氏の実質解雇の根拠の一つとして扱った日文研=国際日本文化研究センターは、人間文化研究機構を構成する機関の一つとして、研究者集団としてどう対応するのか。
本件は日文研の意思決定の在り方という問題にまで発展するものでしょう。
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