主観を他者に強要することを公権力で認めてはいけない
- 法学教室2024年5月号:特例法生殖不能要件違憲判決の評釈
- ジェンダー法政策研究所(GELEPOC)のフランス支部長の齊藤笑美子
- 「性自認の利益は物質的根拠が希薄、公権力含む他者に要求可能?」
- 「ジェンダーに合わせた取扱いを受ける利益は憲法の雌雄の差異を認めつつ性役割を否定した営為に逆行」
- 齊藤笑美子も考えを改めた「自らトラブルを起こしに女性スペースに入る男性器付の者の出現」
法学教室2024年5月号:特例法生殖不能要件違憲判決の評釈
法学教室2024年5月号の38~43頁に、性同一性障害特例法の生殖不能要件が違憲とした最高裁判決の評釈が書かれており評価が高いので読んでみました。
ジェンダー法政策研究所(GELEPOC)のフランス支部長の齊藤笑美子
評釈を書いたのは齊藤笑美子氏。
法学博士でジェンダー法政策研究所(GELEPOC)のフランス支部長の肩書です。
最高裁判所大法廷決定 令和5年10月25日 令和2(ク)993について、まずは本件の意義がまとめられています。
まず, 本決定は,憲法13条を根拠として法法令違憲の結論を導いた初の最高裁判断である。 同条の裁判規範性が認められた京都府学連事件 判決(最大判昭和 44・12・24刑集 23巻12号 1625 頁)以来, ついにこれを根拠とした法令違憲の結論が導かれた。
第二に,最高裁が,「身体への侵襲を受けない自由」を「人格的生存に関わる重要な権利」として憲法13条に明確に位置づけたこと,さらには「性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける利益(以下,「性自認の利益」)」を「人格的存在」と結び付いた重要な法的利益として確立したことがある。
第三に、本決定は,権利制約が直接的でなくても、その制約を甘受しなければ他の重要な法益の放棄を迫られる制約態様の場合には,制約が過剰とされうることを明らかにした。
最後に, 本件は付随的違憲審査制の 「死角」 を照らし出した。本件は非訟手続であり、法律が合憲であるとの立場からの主張を尽くす当事者は存しなかった。この点は立法事実の収集に影響を与えた可能性があり、看過できない問題である。
第二の意義が、特に重いと感じます。
非訟手続であった点も重要ですが、本稿ではほんの少しだけ触れるに留めます。
「性自認の利益は物質的根拠が希薄、公権力含む他者に要求可能?」
本決定で確立された「性自認の利益」とはいったい何か、なにゆえにそれは「個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益」とされるのか。本決定は、法的性別が社会生活において「個人の基本的な属性の一つ」となっていることを挙げる。しかし、そのことだけによって自己意識に従った属性で扱うことを公権力を含む他者に要求することができる利益にまで、それが高まるわけではない(国籍のようにアイデンティティと結び付いた他の基本的属性と比較すれば明白であろう)。 そもそも法的性別が個人の基本的な属性の一つとなっているのは、それが反映していると想定される生物としての性別(セックス)が個人の識別や特定,社会の組織にとって重要な側面を持っているからであろう(本籍地のように便宜上どこかに決まっていればよいという性質のものではない)。物質的根拠の希薄な自己意識に従った記載をし、それに法的効果を包括的に発生させるのであれば、特例を認めるそれなりの理由が必要である。それに当たるのが身体への強い違和を核とする「性同一性障害」であった。したがって、この文脈を離れて、「性自認の利益」を抽象的に認める精神主義は、理論的にも実践的にも重大な問題をもたらしかねない。本決定には、性同一性障害者にとってこの「性自認の利益」が重要であるという趣旨の留保が見られるが、今後の特例法をめぐる議論においては、このように射程が限定されたことを参照すべきである。
齊藤氏の指摘は、「性自認の利益は主観的な要素が濃く物質的根拠が希薄である、そのため、公権力含む他者に要求するには、それなりの理由があり、それにあたるのが身体違和を核とする性同一性障害であり、その文脈を離れてはならない」というもの。
判決は以下書いています。
最高裁判所大法廷決定 令和5年10月25日 令和2(ク)993
性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることは、法的性別が社会生活上の多様な場面において個人の基本的な属性の一つとして取り扱われており、性同一性障害を有する者の置かれた状況が既にみたとおりのものであることに鑑みると、個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益というべきである。
「性同一性障害者が」という限定が付されていることが重要。
単に「性自認を披歴しているだけの者」ではないということ。
その上で、この「人格的存在と結びついた重要な法的利益」という言い回しは、既に平成31年最高裁決定で見られていました。
最高裁判所第二小法廷決定 平成31年1月23日 平成30年(ク)第269号
また、性別は,社会生活や人間関係における個人の属性の一つとして取り扱われているため,個人の人格的存在と密接不可分のものということができ,性同一性障害者にとって,特例法により性別の取扱いの変更の審判を受けられることは,切実ともいうべき重要な法的利益である。
この際も、「性同一性障害者にとって」という限定があります。
同じ論理に基づいて手術無しでの戸籍上の性別変更を認めるものとして静岡家裁浜松支部 令和3年(家)第335 令和5年10月11日の審判が出ています。
「ジェンダーに合わせた取扱いを受ける利益は憲法の雌雄の差異を認めつつ性役割を否定した営為に逆行」
本決定などが用いる「心理的な性別」という言い回しも引っかかる。そもそも心理に性別はあるのか。あるとすればそれは「生物としての性別=セックス」ではなく、社会的な性別・性 役割としてのジェンダーを指していると考えざるを得ない。そうなると「性自認に従った法令上の性別の取扱い」とは、単純化すれば「心理的な性別=ジェンダー」を本質と想定し、それを身分登録に反映し、法的取扱いをジェンダーに合わせていくことを意味する。
しかし、日本国憲法は、生物としての人間に雌雄が存すること、そのことにより必要とされる限りの取扱いの差異を否定することなく、性役割を否定することに貢献してきたのではなかったか(例えば結婚退職制を無効とした住友セメント事件判決の判決理由)。ジェンダーに合わせた取扱いを受ける利益は、原理的にはこのような営為に逆行する。それゆえに、この利益が身体違和を中核とする性同一性障害の文脈を離れて独り歩きすることに戒を要するのである。
最高裁の射程としては「性同一性障害者」に限定されると釘を刺す一方で、斎藤氏は本決定に対するより根源的な批判として「ジェンダーに合わせた取扱いを受ける利益は、原理的には日本国憲法では雌雄の差異を認めつつ性役割を否定したという営為に逆行する」とまで指摘しています。
本決定が社会状況として指摘する性的少数者への理解の進展も、本来,法的性別を変更する利益の重要性を高める事情ではない。
具体的に問題となっている権利や文脈から離れて、性自認の利益を一般化し、法的性別の変更そのものを自己実現の成就のように扱うことには賛成できない。
法的性別を変えるということは、公権力をもってして他者にその性別表記の通りに扱うことを強要することに他なりません。性同一性障害者だったとしても、その主観に基づいて他者に強要することまでの利益を認めてもよいのか?最高裁の平成31年から続くこの認識自体が誤りなのではないか?と私も感じています。
齊藤笑美子も考えを改めた「自らトラブルを起こしに女性スペースに入る男性器付の者の出現」
ところで、5号要件も違憲とした3つの反対意見はいずれも、外性器要件を廃止しても、性別で区切られたスペースに関して大きな問題は起きないと楽観的である。男性器切除を経ていない当事者が、自らトラブルを起こしに女性スペースに入ることはないと予測しているようである 9)。
しかし、本決定から一か月も経たずにこの見立てを裏切る事例が発生した。この一時他家なら予見は不可能と言えたかもしれない。ところがこの数年間ですでに、法的性別変更の要件緩和を先行した国では、女性専用スペースは身体的には男性であるトランス女性への開放の要求にさらされるようになっていたのである。
時事通信 2023-11-14 14:23 女湯侵入容疑で男逮捕=「心は女性」と主張―三重県警
齊藤氏は時事通信が報じたような事件が本決定直後に出たことを挙げ、警鐘を鳴らす。
面白いのが、注釈において齊藤氏が従前の自己の見解を変えたと明記している所です。
9) 評者もかつてそのように考えていたが(齊藤笑美子「性と家族の多様化と自己決定」大沢秀介ほか編著『憲法.com 』〔成文堂、2010年〕117頁)~省略~後掲注11)に掲げたような例を受け見方を変えざるを得なくなった。
これは「Wi Spa事件」という名称で有名なロサンゼルスの韓国サウナでの出来事です。
以下で詳細が書かれていますが、Olympus Spa v. Armstrong 22-CV-00340-BJRで現在も係争中です。英語圏の報道ではこうした例が多数報告されており、最高裁の裁判官はこの例を知らなかったのでしょうか?非訟事件であるのだから「弁論主義の目隠し」などというものは存在せず、自由に裁判官が参照した上で論じることができたはずです。
これが訴訟事件の公開・対審構造の下で被告が証拠提出していれば話はだいぶ変わったはずで、その辺りも本決定の結論や裁判官の少数意見に影響したと思われます。
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