菅義偉議員の「国の基本は自助・共助・公助」と発言について、勘違いしている人が多いので、基本的なことを整理しました。
- 菅義偉議員の記者会見での「自助・共助・公助」
- 社会保障制度改革推進法の規定
- 米沢藩主上杉鷹山の「三助」
- 自助・公助・共助は相互連関している
- 菅義偉議員の国会答弁における自助共助公助
- 菅義偉の「自助・共助・公助」は深い
菅義偉議員の記者会見での「自助・共助・公助」
私自身、国の基本は自助・共助・公助であると私は思っている。自分のできる事はまず自分でやる。そして地域や自治体が助けあう、そのうえで政府が責任をもって対応する。当然のことではありますが、このような国の在り方を目指すには国民の皆様から信頼をされ続ける政府でなければならないと思っています。
菅義偉議員は、自民党総裁選出馬記者会見で「国の基本は自助・共助・公助」と語りました。
これに対して「順番がおかしい!」「行政の側が強調するな!」「責任逃れだ!」などと文句を言う者が居ます。
「自助・共助・公助」は、兵庫県南部地震以来、防災の現場でよく使われる言葉。「これは住民側の言葉であって、『いざと言う時に行政は当てにならない』ということ。なので行政がこれを前に出して防災計画を進めてはいけない」と行政向けの防災講演では常々言ってきた。
— Ryusuke IMURA (@tigers_1964) 2020年9月2日
しかし、菅義偉議員は「国は自助・共助を尽くさない者には助け舟を出さない」などとは決して言っていません。そのような見方は非常に狭い理解であり、一種のストローマン論法に過ぎません。
社会保障制度改革推進法の規定
社会保障制度改革推進法
(基本的な考え方)
第二条 社会保障制度改革は、次に掲げる事項を基本として行われるものとする。
一 自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互の助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していくこと。
社会保障制度改革推進法の規定に、既に「自助・共助・公助」が定められています。
順番は「自助」が最初で、「公助」が最後です。
菅義偉議員の主張と何ら変わりはありません。
そして、それらは【国民が自立した生活を営む】ために規定されています。
最初から「公助」によってズブズブにし、個人の自立心をスポイルするような環境を作るのではなく、「自助」ができるようにする、と規定しているのです。
「国は公助だけを意識すればいい」というものではないというのが分かるでしょう。
こうした考え方は何も法律によって無理やり作ったとか、近年になって新しい概念を創設したとかいう話ではありません。
米沢藩主上杉鷹山の「三助」
(1)「共助」のまちづくり
序章で見たとおり,阪神・淡路大震災では,災害後の対応で,地域コミュニティの役割が重要であることを多くの国民が認識したところである。しかし,その後の防災意識の風化,都市部における旧来型コミュニティの機能の低下が指摘されている。
省略コラム 上杉鷹山の「三助」の思想
米沢藩主上杉鷹山は「民の父母」としての藩主の根本方針を次の「三助」とした。すなわち,
・自ら助ける,すなわち「自助」
・近隣社会が互いに助け合う「互助」
・藩政府が手を貸す「扶助」
具体的には,「自助」実現のために,鷹山は米作以外の殖産興業を積極的に進めた。また,「互助」の実践として,農民には,五人組,十人組,一村の単位で組合を作り,互いに助け合うこととした。特に,孤児,孤老,障害者は,五人組,十人組の中で,養うようにさせた。一村が,火事や水害など大きな災害にあった時は,近隣の四か村が救援すべきことを定めた。
天明の大飢饉では,藩政府の「扶助」として,藩士,領民の区別なく,一日あたり,男,米3合,女2合5勺の割合で支給し,粥として食べさせることとした。鷹山以下,上杉家の全員も,領民と同様,三度の食事は粥とし,それを見習って,富裕な者たちも,貧しい者を競って助けたという。
(童門冬二「小説 上杉鷹山」集英社文庫,H8.12より)
「自助・共助・公助」類似の思想は古くは米沢藩(現在の山形県)主の上杉鷹山の「三助」に見て取れます。
「自助や互助」に関して、「民間で勝手にやってろ」などというものではなく、そのような行動が可能になるよう環境整備を藩の側(つまり「公」の側)が実践していたのが分かります。
そして、民間の側(「自助」「共助・互助」)も、「扶助・公助」を見習って行動をしていたという記録があります。
山形県の隣県である秋田県出身の菅義偉議員ですから、このことが念頭にあるのではないでしょうか?
自助・公助・共助は相互連関している
冊子・計画内容(Plan)|都の基本計画|東京都政策企画局(魚拓)
政策の柱2 自助・共助・公助の連携による防災力の向上(魚拓)
現代においては例えば東京都のアクションプランにおいて、【(自助・共助の促進による地域防災力の向上)】と【(公助による防災対策の充実強化)】の項目があります。
前者においては地域の消防団員の人員を確保するために都が広報等で積極的に募集したことや、帰宅困難者を受け入れる一時滞在施設の確保を推進していること、発災時に帰宅困難者が適切に行動できるよう、帰宅困難者に対して災害情報等を的確に提供していく必要などが記述されています。
ここでも都の側(「公」の側)が、自助・共助の環境整備を手伝っている構図が見て取れます。また、想像すれば分かりますが、公助を有効的に機能させるためには個人(「自」の側)が都の政策(「公」の側)について知っていれば役に立つことは論を待たないでしょう。たとえば自治体が作成した土砂災害警戒区域の情報を参照して個人的な避難計画を持っておくことなど。
このように、あらゆる分野において、自助・公助・共助は相互連関しており、切り離して論じることはまったく有益ではありません。
菅義偉議員の国会答弁における自助共助公助
第189回国会 参議院 内閣委員会 第4号 平成27年4月7日
○国務大臣(菅義偉君) 私、日本という国は衣食住、生活の基本であります、衣も食も世界で私、トップクラスだというふうに思っています。ただ、住宅政策、これはやっぱり遅れているというふうに私は思っていました。
私、秋田から出てきたとき一番びっくりしたのは、住宅の家賃が余りにも高過ぎたんですね。そういう思いの中で、私、今自民党の、これは個人的なことで恐縮ですけれども、公団住宅居住者を守る会の会長というのを実はやっているところであります。
ただ、やはり基本は自助自立、共助、公助ですか、そこをやはりしっかり行うということがまず基本だというふうに思っています。
今、国交省と厚労省から所得の低い若年者に対しての対策のお話をさせていただきました。その両省がいわゆる連携を取りながら行っていくということがこれは極めて大事だというふうに思っております。ただ、その比較は、それぞれの国によって事情も違うと思いますので一概には言えないと思いますけれども、とにかくそうした対策をやはりしっかり打ちながらも、しかし、若い人にはやはりまさに自立という思いの中で取り組んでいただければというふうに思っています。
菅義偉議員の国会答弁における「自助共助公助」が出てきたのはこのシーンだけなのですが、やはり「自助自立」が最初に来るべきだということは変わっていません。
それは、「自助自立していない者には何もしない」などというものではなく、自助自立が可能になるような環境を作っていくという意味です。公の側による支援が行き過ぎると、それに依存した生活・思考回路に陥ってしまうからです。
このことは、たとえば「生活保護受給世帯」において常々指摘されてきましたし、改めて論じる必要もないくらい常識的な話です。
菅義偉の「自助・共助・公助」は深い
まず自立する・独立する、ということに意識を向けさせる菅義偉議員の「自助・共助・公助」という標語は、非常に潜勢力のある概念だと思います。
個人においてはどうか?
たとえば青山繁晴議員が「独立総合研究所」という名称の会社を興したのはなぜなのか?私のブログを見ている人は理解している人は多いと思いますが、何が人の根幹たる価値かと言えば、金があることでも名誉を得ていることでもなく、【自立した主体として生きること】であるからです。
国内においてはどうか?
中央集権体制によって霞が関官庁の規制が全国一律に渡って敷かれている現状が制度疲労を起こしていると言われ、地方分権の必要性が叫ばれています(菅議員も会見で言及)。大阪府の泉佐野市が総務省のいじめによってふるさと納税制度の対象外になったことが争われて久しいですが、地方が国の言いなりにならないといけない場面が多すぎ、国力を削いでいる現状があります(泉佐野市は最高裁で勝訴)。実は、安倍晋三議員が道州制の導入について検討を重ねていることはあまり知られていません。
国際社会においてはどうか?
国土・国民・国家主権を守るためには、まず自らの武力を充実させねばなりません。その上で集団的自衛権による補強、国際社会との連帯による抑止力を働かせることも考える。この当たり前を実現させなければならない。しかし、何ら実力の無い国家は蹂躙されてしまいます。現在の香港やウイグルのように。
菅義偉議員の「自助・共助・公助」は、普遍的なメッセージが込められた、含蓄のあるものであると考えます。
以上