事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

安倍首相の所信表明演説で改憲議論の呼びかけが憲法違反?:自由法曹団のヤベー奴

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10月24日、衆議院本会議で臨時国会の召集にあたり、安倍晋三内閣総理大臣が所信表明演説を行いました。

その中で改憲議論を呼び掛けた部分があり、「何故か」この部分が「憲法違反である」と騒ぎ喚く輩が多数発生しています。

そうした声の中でも、特に「ヤベー奴」が私に絡んできたので紹介します。

同時に自民党憲法草案についての誤解も指摘していきます。

安倍内閣総理大臣の所信表明演説

安倍晋三首相、所信表明演説の全文(7/7ページ) - 産経ニュース

国の理想を語るものは憲法です。憲法審査会において、政党が具体的な改正案を示すことで、国民の皆様の理解を深める努力を重ねていく。そうした中から、与党、野党といった政治的立場を超え、できるだけ幅広い合意が得られると確信しています。

 そのあるべき姿を最終的に決めるのは、国民の皆様です。制定から70年以上を経た今、国民の皆様とともに議論を深め、私たち国会議員の責任を、共に、果たしていこうではありませんか。

「彼ら」からすると、この部分が問題だというのです。

改憲議論の呼びかけが憲法違反…なわけがない

このブログでも過去2度指摘しましたが、「改憲議論の呼びかけが違憲である」という共産党界隈を中心とした批判は法解釈上も誤りであるということを書いています。

今回もまた、アチラ側の人たちが騒いでいます。

安倍総理大臣が憲法違反だという主張をする人たち

これらのツイートに書いてあるのは間違いであるか、少なくとも誤解をまき散らす行為です。

でも、もっとヤベー奴が居ました。

自由法曹団の福山和人弁護士と名乗る者

魚拓:http://archive.is/lshOC

共産党の小池晃とまったく同じ内容のツイートをしているこの者。

弁護士登録上、京都弁護士会所属、京都法律事務所の福山和人という名前の弁護士がいることは確認しましたが、果たして。

上記ツイートの①について、「国の理想を語るもの」と「国家権力を縛るもの」というのは両立します。相互排他的な関係にはありません。

②も憲法96条を無視してます。③はもはや意味不明です。

というツイートをしたら、何と反論がありました。

魚拓:http://archive.is/L8heF

これに対しては以下の返答をしました。

  1. 憲法の機能或いは性質の話から安倍総理個人の理想の話にすり替えている
  2. 発議の後に国民投票するという手続きを無視している。何をもって「民意」なのか?

そもそも「議員発議権は手続にすぎず民意を離れた発議はできません」という文言が謎過ぎて話になりません。民意を反映させるための仕組みが選挙であり、一定数の賛成がないと法案の可決ができないという国会の手続ですから、自動的に民意が反映されることになっています。

殊更に手続と民意を乖離させているのはどういう世界線を生きているのでしょうか?

そして、「民意」はどうやって測るのでしょうか?

たかが新聞社の世論調査で「民意」なのでしょうか?

「民意」を反映するのは選挙結果でしょう。

福山氏の論だとすると、少数政党から憲法改正案は提出できないことになり、憲法に反している上に、議員に改憲原案の提出権限を認めている国会法68条の2に反しています。

国会法

第六十八条の二 議員が日本国憲法の改正案(以下「憲法改正案」という。)の原案(以下「憲法改正原案」という。)を発議するには、第五十六条第一項の規定にかかわらず、衆議院においては議員百人以上、参議院においては議員五十人以上の賛成を要する。

憲法改正「原案」の発議に一定数の賛成が必要であるという点では「民意」を離れた発議は出来ないと言えますが、それは既に手続に顕れています。

そして、自民党改憲草案は、本当に「国民が国を縛る立憲主義に反することは明らか」なのでしょうか?

自民党の憲法改正草案についての誤解

魚拓:http://archive.is/x1plh

①について。その前提でも自民党草案102条の憲法尊重擁護義務の名宛人に「国民」が追加されたりその他の改正があっても国を縛る機能は無くならないし主要な機能でもなくなると解釈するのは困難
安倍総理の発言の内容からは、個人的な見解ではなく憲法の性質の一般的理解を示したに過ぎないと第一に解される(同時に総理の憲法理解でもある可能性もあるが)。そして福山氏の最初のツイートは総理個人の理想に対するものと理解するのは困難。まぁ、本人が胸中を明かした以上はそれに沿いますが。

②について、国民の多数の支持であるかどうかを判断するのは誰でしょうか?多数政党だとすれば自己言及になり(単に自分で自分が「多数派である!」と言っているだけ)、説得力がない。したがって、結局は国民投票で多数の支持かが判断されることになります。

ここで、自民党改憲草案を見ていきます。

自民党憲法改正草案は国民が名宛人になってはいるが

自民党の憲法改正草案

自民党の憲法改正草案のページには、条文とQ&Aが掲載されています。

これによると、現行憲法では99条に定められている憲法尊重擁護義務は、自民党草案では102条に規定されています。

そして、1項に「国民」が「憲法を尊重しなければならない」と追加されています。

2項で国会議員等が憲法を「擁護する義務を負う」と書かれています。

文言上、義務を負うのは国会議員等で、国民は「尊重」であり、重みが違うということが分かります。

では、Q&Aではどう解説されているのか?

自民党の憲法改正草案

憲法も法であり、遵守するのは余りに当然のことであって、憲法に規定を置く以上、一歩進めて憲法尊重義務を規定したものです。

この規定は、飽くまで訓示規定であり、具体的な効果があるわけではありません。

このように、当たり前のことを明文化しただけのことであり、現行憲法の性質を全面的に変更するものではないということが明らかです。

その他の条文の変更を考慮しても、自民党憲法草案が「国民が国を縛る立憲主義に反することは明らか」であると言うことはできません。また、国を縛る機能が主要な機能ではなくなるということも困難です。

いったい、どういう解釈をしたらそのような理解になるのでしょうか?

国民の多くが自民党改憲草案を読んでいないことにつけこんで、印象操作をしているのではないでしょうか?

なお、当然のことですが、この自民党草案は平成24年に作成されたものであり、現在検討されている憲法改正の内容とは全く別個のものであり、今後の国会で提出が検討されているものではありません。

自由法曹団はオウム真理教への破防法適用に反対していた団体

こちらの記事でも指摘していますが、自由法曹団はオウム真理教への破防法適用に反対する声明を出している団体です。

現行憲法の解釈を歪め、自民党草案の理解も印象操作する者が所属している団体がどういうものなのか、これで大方の性質がわかるのではないでしょうか?

以上

安田純平が韓国人を名乗った理由:「自己責任論ガー」が無視する憲法改正

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安田純平氏が武装勢力による監禁から解放されました。

彼は「ウマルです。韓国人です。」と名乗りましたが、その理由は何だったのでしょうか?それは事実だったのでしょうか?

報道をどう理解するべきか。「自己責任論ガー」についても一言触れていきます。

安田純平が韓国人を名乗った理由「他の囚人に収容場所がバレるのを避けるため」

安田純平さん なぜ「私はウマルで韓国人です」と話した? | NHKニュース

「韓国人です」と話した理由についても、「日本人であることとか、私の実名を言うと、ほかの囚人がきいて、もし彼らが解放された場合、私の監禁場所を知っているので、例えば日本側に通報するとか、ほかの組織に通報するとかしたら、ばれてしまう。だから、実名を言うとか、日本人とか言うのは禁止されていたんです」と語りました。

つまり監禁場所が外部に漏れないよう、拘束されている人たちはいずれも実名や国籍を言ってはならないルールが徹底されていたということです。

これは疑問も呈されています。

「だったら日本語でしゃべったのは国籍がバレルではないか?」

「だったら韓国人です、も言ってはいけないのでは?」

「だったら名乗りをする意味がわからない」

上記記事の発言からだけでも、これだけの疑問は湧いてきます。

NHKが解説している「実名や国籍を言ってはならないルールが徹底されていた」というのは本当なんでしょうか?

過去には「純平」と発言していた

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上記画像は日本語で安田純平と本名が書かれています。

これは矛盾しているのでしょうか?というと、安田氏がウマル…と言った理由について整合的に理解するならば、『他の囚人が「音声」を聞くのを避けるため』と考えれば良いと言えます。

しかし、過去に安田氏は英語ではありますが「ジュンペイ」という自分の本名(と一般的には思われている)を口頭で伝えています。

毎日新聞映像グループ - 安田純平さんを名乗る男性の動画:ヌスラ戦線拘束か(フェイスブックより) | Facebook

これは矛盾ではないか?とは言い切れません。

「実名や国籍を言ってはならないルールが徹底されていた」というのは安田氏の発言ではなくNHKの解説です。安田氏本人は、ウマル発言をした際のルールについてのみ言及していた可能性があります。

また、安田氏は3年以上も拘束されていたのですから、その都度どのようなルールに基づいて発言していたのかの正確な記憶が残っているかというと、期待すべきではないでしょう。

さらに、今回安田氏が解放されたのはヌスラ戦線の内部分裂によって穏健派から解放されたから、という見方もあることから、テロリスト集団の中でルールが徹底されていなかった可能性も残ります。

したがって、「ほかの囚人が本名等をきいて解放されたときに居場所がバレルのを防ぐため」といのは、ウマル発言をしたときに限ってのことであり、それと過去の動画・画像が異なるからと言って、安田氏が嘘を言っていると断定するのは危険なように思います。

小括:「安田純平の自作自演」という邪推は不毛

その他、「3年も拘束されて健康状態が悪いと言われてるが、表情を見る限りそうでもないな」などという邪推がなされています。

しかし、がんが転移している高須クリニックの高須克弥院長の画像を見ても、「健康状態が悪い」とは思えないように、単なる画像だけで判断するのは拙速に過ぎます。

【問題視】安田純平のシリア拘束に自作自演疑惑浮上 / テロリスト集団「安田純平の拘束なんて関わってないしテレビで初めて知った」 | バズプラスニュース Buzz+

ヌスラ戦線(タハリールアルシャーム機構(HTS)に改称)が「拘束に関わっていない」と言っていたという報道がありますが、信憑性には疑問がついてまわるでしょう。

安田氏が機材を失ってまで「自作自演」でわざわざ3年以上も異国の地で生活するメリットは感じられません。

そういう個人への中傷をするのではなく、安田純平氏の事案から何を学ぶべきなのかを議論するべきでしょう。

安田純平の批判と政府の責任の論点

国の責務」と「人の落ち度」の話

これらは分けて論じなければならないという指摘はその通りだと思います。

一連の件で「自己責任」や「自業自得」と言うときに、個人を非難するにとどまらず、政府の邦人保護の義務を排除する意味合いで使われているとすれば、それは違うと思います。

1:「人の落ち度」危険地帯に行って拘束された者は非難されるべきか?

ルワンダ内戦の状況について立ち入った説明をするのは省きますが、野球選手のダルビッシュ有さんのこの指摘は重要。

たとえば、 チベット・ウイグルの民族浄化を取材するために現地に行った記者(別に記者でなくとも良い)が居たとして、中国当局に拘束された場合にどう考えるべきなのか?について重要な示唆を含んでいると思います。

それで成果もなく、身代金を支払ったとして、安田純平氏と同じ評価になるでしょうか?

成果と悪影響が評価軸の一つ

安田氏個人の問題はさておき、【一般的に危険地帯に行って拘束された者は非難されるべきか?】という問題について考えてみます。

これは「得られた成果」と「拘束されることでの悪影響(解放のために支払った犠牲含む)」との均衡で判断されるものだと思います。

橋下徹氏も「取材結果を発表できたら…」と言っているように、「得られた成果」が何なのかは拘束された人の評価にとって重要です。

ただ、他方でテロリストに対してカタールから3億円が支払われたと報道があるように、それを元に武器購入がなされ、新たな犠牲者が出ることに加担してしまったという側面は無視できません。

橋下氏は「結果発表できたらただちに英雄」という趣旨と捉えられかねない発言をしていますが、おそらくそうではなく、取材結果の質によって評価は変わるでしょう。

「危険地帯に赴いて拘束された人一般の話」でいえば、直ちに「非難されるべき」という評価がなされるのは不当だという結論になると思います。

このように、安田純平個人に対する非難の問題と、「危険地帯に赴いて拘束された人一般の話」とが混同されている言論状況は良くないと思います。

安田純平個人に対する評価

では、安田純平個人はどう評価されるべきか?

モーニングショーで玉川徹が「英雄として扱われるべき」と発言しましたが、少なくともこのような扱いをするのは不当でしょう。

なぜなら、安田氏は何ら取材結果を持っていないからです。

単に「拘束されていた経験」は得られたかもしれませんが、本来、現地に赴いて得るべき必要な情報はそんなものはないでしょう。それは不必要な情報です。

では、「安田純平個人は非難されるべきか?」

それは明確に「非難されるべき」だと思います。

なぜなら、

  1. 安田氏は過去に何度も拘束されている
  2. よって、取材する能力資質に疑問がある
  3. 日本政府等からも渡航禁止勧告を受けていた
    ※2019年2月13日追記。安田氏帰国後、ツイッターで「シリア渡航前に日本政府からの接触はなかった」旨の発言がありました。
  4. にもかかわらず敢えて渡航した結果、拘束された
  5. パスポート没収に際して自己責任であると自ら主張して日本国をバカにしていた
    ※2019年2月13日追記。3番の指摘がパスポート没収を否定したのかは定かではないですが、安田氏が没収されたということの根拠として使われているのは下記画像の最初のツイート以外に見つかりません。

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これだけの事を言い放って渡航して拘束され、カタールに身代金を支払わせて解放され、テロ資金援助に実質的に加担し、その挙句に成果も何もないような人間は、非難されて当たり前です。

もしかすると今後、「成果」と呼べるようなものが出てくるかもしれませんが、これらの事情を覆すものを彼が獲得しているか、果たして疑問です。

「フリーのジャーナリストを育てろ」論は大手メディア無視の欺瞞でしかない

少し脱線しますが、「ほり・じゅん」は「フリーのジャーナリストを育て、守り、そして発信の場を確保するための取り組みを連帯してやることを議論すべきではないか」などと言っています。

え?大手マスメディアの記者は何やってるの?

そう思いませんか?

日本の場合、大手マスメディアは記者を派遣しないから、フリーのジャーナリストが危険を冒し、そこからネタを買っているという事情があります。

大手なんですから、自社で記者を育成して装備も防衛体制も整えてあげればいいのに、それをしない。

欧米のメディアは報道機関が自社社員を育成して現地に派遣し、PMC(民間軍事会社)のガードを付けて保険にも入って取材活動をしています。

もちろん、欧米もフリージャーナリストはいないわけではないでしょうが、ジャーナリズム界隈できちんと記者を育成しています。それは資金力のあるメディアだからこそやっているわけで、「フリー」ジャーナリストを育てろ、というのは的外れですね。

いったいなぜ、大手メディアを名宛人にして「ジャーナリストを育てろ」と言わないのか不思議で仕方がありません。

ジャーナリストの現地取材の価値の変化

10月26日のDHC虎ノ門ニュースにおいて大高未貴さんによる指摘。

ダルビッシュ選手のルワンダ内戦についての指摘に対するアンチテーゼになりそうです。

2:「国の責任」邦人保護義務は常にあるのか?

今度は国の責任の問題について検討します。

「自己責任だ」「自業自得だ」と言う主張は、国の責任を完全に無視してしまうことになるので、そういうものには与しません。

  1. すべての場合に国の法人保護義務が発生するのか
  2. 安田純平氏の場合は国籍に疑義があるが、それでも保護義務が発生するのか
  3. 9条2項をどう考えるか

一応、上記論点を思いついたので検討していきます。

すべての場合に国の邦人保護義務が発生し、履行しなければダメ?

国民の生命身体財産を守るのは国家の責務です。

したがって、すべての場合に国の法人保護義務は発生していると言わなければダメです。これは国民主権を国家が侵してはいけないという、国内の話でも当然です。

ただし、海外における邦人保護の場面では、対外的な「国家主権」の問題です。

国家主権vsテロリストとの関係で論じられるべき話であって、決して「人権」の話ではありません。

「国際人権」なるものを持ち出しても、それを守るべき名宛人は本来はテロリストであるはず。テロリストに邦人が拉致されているのに、日本政府に対して「邦人の人権を守れ!」と言うのは話がずれています。

たしかに「人命を守れ!」と言うことは何らおかしくはありませんが、国家-国民の関係でいう所の「人権」については、この場面では適用されません。

戦争が起こったときに、日本国の都市に外国軍による空爆があっても『「被害者の生存権」を守らなかった日本国の責任だ!』などとはならないでしょう。

対外的に日本国の統治権を守ることで日本国民の生命身体財産を守ることになる。このような意味で国家の責務であるということになります。

たとえ今回の事象について「人命尊重」とか「道義的見地に立って」とか言っていたとしても、それは(本来は)政治的な意味・素朴な意味においての話であって、法的な「人権」の話ではありません。

安田純平の場合は国籍に疑義があるが、保護義務が発生するのか

安田氏が「ウマルです」「韓国人」と話した当時は、パスポートの疑義からも「日本国籍者ではないのではないか?」と推測されていました。

しかし、そうであっても、日本社会に根差して生活していた者であるなら日本国が保護義務を負うべきではないか?

大手メディアは「ウマル」「韓国人」発言の部分を当初は報道していなかったため、この部分の議論が形成されなかったことは残念としかいいようがありません。

私は、安田純平個人の場合に「国の義務が無い」としてしまうと、「じゃあ一般的に義務が消滅する場合はどういう場合?」というよくわからないことになるので、一応「日本政府が保護するべき者」とするべきだと思います。

しかし、国が「切り捨てる」判断をしたらどうか?

安田氏個人の批判の項で述べた通り、彼の帰責性は高いのですから、彼のケースの場合は国が無視したとしても「妥当」と評価していたと思います。

それは国家の対外的な国家主権行使の裁量の問題であり、やむを得ない判断でしょう。

「いや、それはおかしい、邦人は保護するべきだ」

このような主張がありますが、では、「保護」の「手段」は何があるでしょうか?

「奪還・殲滅」の選択肢を無視するな:不可避的な9条2項論

安田氏を「保護するべき」と言っている者の多くは、なぜか自衛隊がシリアに乗り込んで行って「奪還・殲滅」作戦をすることを選択肢に入れていません。

それは現行憲法が9条2項を規定しているためにできないのが明らかですから、ある意味当然視されています。

しかし、本来安田氏の身を案ずる者であれば「憲法9条2項を改正してでも安田氏を救出するべきだ」ということになるはずです。なぜそういう議論が無いのでしょうか?

なぜ、「保護」と言うと「身代金を払う」や「対話」という意味不明な文言を持ち出すのでしょうか?

結局のところ、9条2項があるせいで救出作戦が「絶対に」できない状況だったのだから、自分たちの政治イデオロギーを優先して安田純平氏を蔑ろにしているとしか思えません。

憲法9条2項改正しても無意味?

ここで「世界最強の軍隊を持っているアメリカ人のジャーナリストも拘束されているのだから、憲法9条2項を改正したところで無意味であり、無関係な主張だ」という意見があり得ると思います。

しかし、武力行使の可能性が「絶対に無い」国と、わずかでもある国の人間とでは、やはり拉致拘束をする場合の心理的ハードルが上がるでしょう。拘束解除のハードルも下がることになります。

9条2項があるせいで邦人が危険に曝されている潜在的可能性はあります。

だからこそ北朝鮮による拉致が行われてきました。

もちろん、9条2項を改正しただけでは何らの解決にはなりませんから、関連法規も日本人保護に資する形への改正が必要です。

このようにして、結局、9条2項の存在は無視できないことになります。

よって、後藤健二氏や安田純平氏の事例から、憲法改正をするべきだという議論が生まれないとおかしいと思います。

しかし、マスメディアはこの議論を封殺し、「自己責任論ガー」を唱えることで、自己責任論者を非難することに終始し、この論点を覆い隠しました。

この事案から何か建設的なことを掴みとろうという姿勢をマスメディアからはまったく感じません。

まとめ:自己責任論も自己責任論ガーも有害

「自己責任!」も「自己責任論ガー!」も有害でしかありません。

前者は「国の責務」そのものを捨象しています。

後者は「国の責務」から救出・奪還という選択肢を意図的に無視し、身代金要求に応えることを政府に要求することや意味不明な「対話」を持ち出して、安田氏をエンタメとして利用しているに過ぎません。

この事件は国家の統治権の問題であり、対外的な国家主権を守るために邦人保護をより強化するためにはどうすればよいのか?そのための法的な側面として9条2項改正は避けては通れない議論であるにもかかわらず、意図的に無視されている。

そう感じざるを得ません。

以上

【iOS12 safari】「以下のページは制限されているのでブラウズできません」の解決方法

以下のページは制限されているのでブラウズできませんiOS12



以下のページは制限されているのでブラウズできません

safariでこの画面が表示された場合に、iOS11までであればその画面からもアクセスできました。

しかし、iOS12からは、それ以上アクセスできない仕様に変更になったようです。

この場合は設定変更するしかないので、その方法をまとめます。

※safari以外のウェブブラウザアプリのアクセス制限についても、ここでまとめた方法で解決できます。

iOS12では「機能制限」ではなく「スクリーンタイム」から

以下のページは制限されているのでブラウズできませんiOS12

iOS11までは「設定」アプリ⇒「一般」→「機能制限」

というルートで設定変更可能でした。

しかし、iOS12では以下の手順で設定変更することになります。

  1. 「設定」アプリ
  2. スクリーンタイム
  3. コンテンツとプライバシーの制限」からパスコードを入力
  4. コンテンツとプライバシーの制限」を無効にする

さらに、「スクリーンタイム」内の「コンテンツ制限」にて成人向けコンテンツの制限の有効無効などを決定することができます。

safari以外のウェブブラウザアプリの場合もこの方法で解決

このウェブページは一時的に停止しているか、新しいウェブアドレスに移動した可能性がありますiOS12

たとえばChromeやGoogleのウェブブラウザアプリからのアクセスの場合、上図や下図のように表示されます。

アクセス制限Googleアプリ解決方法

それでも、既述の方法での設定変更で、アクセス可能になります。

「以下のページは制限されているのでブラウズできません」は非SSLページか?

なお、詳しいことは調べてませんが、URLが"https"のサイト(SSLページ)にアクセスする場合には「ブラウズできません」の表示が出ない気がします。

制限をかける人やサイト運営等をしている人は注意してみればいいんじゃないでしょうか?

以上

Twitter検索結果から邪魔なツイートを消す方法

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ツイッター検索をするとbot等が検索結果に引っかかって、邪魔なときがあります。

これはブロック・ミュートをしても、一時的にしか非表示にされません。

スクロールして読み込むと再度登場してきます。

これは面倒なので、邪魔なツイートを検索結果から消す方法をまとめます。

Twitter検索結果から邪魔なツイートを消す方法

こちらはPC版のインターフェースですが、検索結果画面の右側に注目。

 

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縦に「・・・」が並んでる部分をクリックします。

「サーチ設定」というタブが出てきます。

Twitter検索結果から邪魔なツイートを消す方法

「ブロックまたはミュートしているアカウントを除外」

とある項目にチェックを入れます。

「変更を保存」をクリックします。

これで、ブロック、ミュートしているアカウントのツイートは検索結果から表示されなくなります。

これだけです。

スマホモバイル版の場合

Twitter検索結果から邪魔なツイートを消す方法

ツイッターアプリからの場合、上述のような「・・・」ボタンはありません。

つまり……設定ができません。

一応、検索窓の右側のマークから各種設定ができますが…

Twitter検索結果から邪魔なツイートを消す方法

ごらんの通り、せいぜいクオリティフィルターくらいしか設定できません。

ただ、スマホでも【safariなどのウェブブラウザ】からであれば設定可能です。

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PCとスマホ版ウェブブラウザはほぼ同じ「つくり」です。

これが頭にあれば、いろんな不具合の問題に切り分けができることになります。

以上

「余命大量懲戒請求」事案で初の判決:金竜介弁護士に33万円

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余命三年時事日記というブログに影響されて弁護士に対して数百人が大量懲戒請求をした事案で、初の判決がありました。

41歳の男性に対して33万円の損害賠償が命じられました。

ただ、この男性の場合は特殊な事例であり、男性以外の他の被告に対する訴訟では異なるものになる可能性があることに注意です。

41歳の男性は答弁書も提出せず出廷もしなかった

報道では「被告が反論せず法廷にも姿を現さなかった」とあるように、擬制自白が成立していました。

そのため、原告である弁護士側の主張を41歳の男性が全面的に認めたことになります。

この男性以外の被告は反論しており、それによっては被告が損害賠償義務を負わなかったり、損害賠償額が低くなる可能性があります。

金竜介弁護士はどういう主張をしていたか

この事案では、同じ時期に弁護士会の幹部ではない金竜介らに対して、苗字が一文字の者だけを懲戒請求していたという状況でした。

金竜介弁護士は「ただ日弁連の名簿から名前で選ばれた」「国籍ないし民族を理由として懲戒請求しており、人種差別にあたる」「1文字の姓の弁護士を選んで、懲戒請求をしている。明らかな人種差別だ」などと主張していました。

人種差別的な言動があった場合、それによって名誉毀損や侮辱とされた際には損害賠償額が高く算定されています。たとえば以下の事案がそうです。
(「人種差別だから違法」、ではないことに注意)

違法な懲戒請求に対する損害賠償額の目安は50万円

弁護士に対する懲戒請求が違法になる基準を示した最高裁判例では、懲戒請求をしたY1とY2ら(Y2は弁護士)が違法な懲戒請求をしたことによる損害額が50万円と認定されました。

今回の金弁護士の請求額も55万円であり、損害として認定された額の10%程度が弁護士費用相当の損害があったとする慣例に従えば相場通りの請求(50万円+5万円)でした。

しかし、今回の判決は合計33万円(おそらく30万+3万)の賠償額でした。

軽微な事案+人種差別的か?

仮に人種差別的な懲戒請求であると認められるとすると、上記で示した相場の50万円よりも高い請求になったはずです。しかし、そうではないのはなぜか?

上記最高裁判例の事案では、 懲戒請求を受けた側の弁護士が相当の反論を弁護士会に対して行う必要があった事案でした。単位弁護士会の綱紀委員会で却下された後も日弁連に異議申立を行うなど執拗な事案でした。

しかし、今回の事案は懲戒請求書に書いてある事実が真実であったとしても全く違法ではないものでした(単に朝鮮学校に対する無償化を求める行為・私は反対ですが、主張すること自体はまったく違法でもなんでもない)。懲戒請求者は異議申立もしていないようです。

そのため、反論に要する負担は少なく、損害はほとんど発生していない軽微なものと思われます。

したがって、軽微な事案の賠償額+人種差別的、もしくは単に軽微な事案であるとして33万円という額になった可能性があります。

今回の事案は人種差別的か?

金竜介弁護士は「人種差別的な懲戒請求に対して賠償がなされた初の判決」

と言っていますが、判決文を読んでないのでわかりませんが、報道にはそのような趣旨の内容が判決文に含まれているということは今のところ確認できません。

そして、本当に判決で人種差別的であると認定されたとしても、それは被告が全く反論しなかったせいである可能性があります。

なので、単に軽微な違法懲戒請求として33万円の損害額が認定された可能性が残ります。

※追記:東京新聞と朝日新聞デジタルの一部では、「在日コリアンを理由に懲戒請求され、苦痛を受けた」と認定されたとありました。魚拓:http://archive.is/WlAjO

ささきりょう、ノースライム弁護士らの和解金額は

時期は異なりますが、同じく「余命信者」から大量懲戒請求を受けた者に佐々木亮、北周士弁護士がいます(他にもいます)。

彼らが示した和解金5万円が妥当なのかどうか、今回の判決が仮に単なる軽微な違法懲戒請求であるとして33万円であったとすれば、妥当だということになります。

他方、33万円が軽微な事案+人種差別的であるとして増額された結果だとすると、和解金額が妥当だったのかどうか、未だ不明ということになりそうです。

以上

プリンセス駅伝の骨折事例について:「選手生命ガー!」は色んな人をバカにしている

プリンセス駅伝

日本実業団陸上競技連合:http://www.jita-trackfield.jp/jita/wp-content/uploads/2018/10/2018PrincessEKIDEN_Result_Final.pdf

福岡県で行われた全日本実業団対抗女子駅伝(プリンセス駅伝)の予選会で選手が脛骨を骨折するという重大な傷害を受傷しながらも200mの距離を四つん這いで進み、襷(タスキ)を渡したことが賞賛されると同時に物議を醸しています。

選手の精神と行動は素直に素晴らしいと思いますし、今後の復帰活躍を祈念します。

その上で、「選手生命が潰える可能性があるから早く棄権させるべきだった!だから運営はおかしい!」という論調があります。

私はそういうものに与しませんし、どうも、そういう意見はこの駅伝に関わる人たちをバカにしているなと思ったので一筆書いていきます。

事実関係:監督は棄権要請をしていた

事実関係についてはNHKの記事にまとまっています。

女子駅伝 けがをした選手が四つんばいでレース 棄権の連絡遅れ | NHKニュース

岩谷産業の廣瀬永和監督から棄権の申し出がありましたが、現場での連絡を円滑に行うことができず、チームの意向が伝わった時には中継所まで20メートルほどに近づいていて、飯田選手もレースを続ける強い意思を示したことから、止められなかった

また、岩谷産業広報部の声明によれば、「監督車による伴走が認められておらず、廣瀬監督は、選手から離れた監督控室でテレビ中継モニターを見ながら指揮を執って」いたということです。

私も主催した日本実業団陸上競技連合に確認しましたが、岩谷産業の監督は棄権要請を大会運営側に伝えていたが、現場審判員との連絡がスムーズにいかなかったためにこのような状況になっていたということです。

監督⇒(1)⇒大会運営⇒(2)⇒現場審判

このうち、(2)の連絡に課題があったということです。

駅伝は42.195キロを分割して行われますから、監督・運営と現場審判に距離があったという要素があります。

なので、監督が大会運営に棄権要請をすればその瞬間に審判が監督の棄権要請を認識したということではありません。

岩谷産業の指摘はもっとも

岩谷産業は、今回の大会運営を「遺憾」と表現しています。

たしかに、現場審判にトランシーバーを持たせる等をしており、適切に対応していれば即座に棄権要請が伝わったハズですから、少なくとも中継所まで20mの地点になって初めて気づいたという事態は改善しないといけません。

岩谷産業は選手を社員として雇用してもいるので、選手の身体の安否を憂う姿勢はまったくその通りだと思います。

少なくとも、選手が中継所に向かっている間に審判員⇒大会運営⇒監督の連絡はあって欲しかったというのは当然でしょう。

ルール:監督の要請を審判が聞いたらどうするべきか?

では、仮に監督の棄権要請が即座に現場審判員に伝わった場合、監督の意向が全てなのでしょうか?

選手と監督の意思が相反する場合には、どうするべきなのでしょうか?

プリンセス駅伝は日本陸上競技連盟駅伝競走規準に基づいて運営されており、第5条2項では以下の定めがあります。

2.競技者が走行不能となった場合、即ち、歩いたり、立ち止まったり、倒れた状態になったときは、役員、チーム関係者等によって、道路の左端に移動させなければならない。その後、続行させるかどうかは審判長、医師(医務員)の判断による。

つまり、最終的に選手の棄権を決めるのは審判員(と医師)の裁量に基づく総合判断によるということです。

日本実業団陸上競技連合には監督からの要請があったとしても最終的な判断は審判員が行うということでした。

審判員が最終判断をする。

これは、どのようなスポーツにおいても共通したルールです。

監督の要請は、一つの考慮要素として扱うということになります。

同時に「選手の競技継続の意思」も考慮することになります。

現状はこのようなルールですが、このようなルールで良いのか?ということは議論の余地があると思います。

審判員の判断:選手の容態は危険ではない

「監督の意向はこうだった、だから棄権させなかった大会運営はダメだ!」という意見は、ルールを知らないということ以前に、審判員の判断というものについて全く無知だと思います。

仮に以下のような状況だったらどうでしょう?

  1. 選手:競技継続したい
  2. 監督:指示なし(或いは選手の意向を尊重)
  3. 審判:競技継続は危険なため、棄権にしよう

客観的に危険だという前提なら、この場合は審判の判断が100%正しいというのは明らかです。

審判員という第三者の判断を優先すべきなのは、中立な立場で物事を見ることができる状況にあるからです。

審判員が最終判断するというルール・運用が間違いであるとは言えません。

今回の「骨折事例」では、審判員が選手の容態を確認した上で、「選手の意思通りにしても危険は小さい」と判断したということでしょう。

総合判断:選手の競技継続の意思と容態などの諸状況

本来であれば、監督の棄権要請を聞いた上で(選手にも監督の意向を伝えた上で)選手の競技継続の意思を確認するのが適切です。

今回の場合、果たしてそれでも選手は棄権していただろうか?

マラソン(駅伝)の競技特性

サッカーなどの競技場内のスポーツであれば、チーム関係者が近くに居て直接ケガの状況を判断できます。怪我でまともにプレイ出来ないのに出場するのはチームに取っても有害でしかないから選手もストップしやすいという競技特性があります。

他方、マラソン(駅伝)の場合は選手間に距離がある場合が多いため、今回のようにチーム関係者が直接ケガの状況を判断しにくい情況があります。競技特性上「動ければ」続けられるという側面もあります。また、体力の限界近辺で運動し続けるということも無視できません。

選手の容態

大前提ですが、当該選手については熱中症等の他の体調異常は無かったのでしょう。

ケガの状態ですが、脛骨骨折という重大な傷害ではあるものの、「生命の危険」は生じていません。「選手生命の危険」も、200mという距離を移動することで失われる危険が高いかと言われれば、そのように判断し難いでしょう。

たとえば「熱中症」の例は選手生命どころか【生命そのもの】の問題なので早めに棄権させるべきであると言えますが、「骨折して四つん這い」の例は選手生命に支障が出る可能性はそこまで高くありません。

熱中症の事例と骨折事例をいっしょくたに語っている論調は、まったく信用できません。選手、監督、審判員がそれぞれ熟慮したであろう結果について、机上からこき下ろすかのようないい加減な主張には辟易します。

競技継続の意思

自分がタスキを渡せなければ後の走者も失格になるという競技上のルールがありますから、選手の競技継続意思は一般的に強いと言えます。
※競技特性もあり、選手の意向を重視することは問題である場合があります。

200mは駅伝ペースで40秒弱、少し早歩きで2分ほど、当該選手の状態を見ると4、5分でしょう。駅伝としては致命的な時間差とは言い切れませんから、競技継続が無意味であるとも言い切れません。

脛骨骨折しながらも四つん這いで進むことを決意している選手の意思がどれほど強固なものであるか、想像以上のものがあると思います。

「選手生命ガー!」「美談にするな!」⇒何にすればいいの?

「棄権となってしまったことでチームが失格になったことの精神的ダメージ」

これは審判員が考慮するようなことではないでしょうが、この側面が無視されていることに違和感があります。

監督はこの点も熟慮の上での苦渋の決断だったでしょうが、後から見た我々一般人がこの点を無視して何でもかんでも「選手生命ガー!」と身体的なダメージのみを語って偉そうに言うのは何なんだろう?と思います。

今回、大会の運営には不十分な点があったというのは事実です。

しかし、「選手生命を蔑ろにしている」という評価が妥当であるとは到底思えません。

また、「美談にするな!」というのも、「じゃあ何にすればいいの?」と思います。

誰かを叩き、話を単純化して語ることは、駅伝関係者・ひいてはスポーツに携わる人たちを冒涜していると思いますね。

身体・精神の限界付近までパフォーマンスをする事もある競技スポーツの世界において、どうすればケガをせずに良い成績を出すか?そのギリギリの努力があるからこそ他分野においても技術発展がしてきたという事実があります。

スポーツウェア、靴などはその典型例でしょう。

競技スポーツの流れで発生したある種「通常の」状況を取り上げて「選手の命が!」っていうのは違いますよ。

学校体育等の事案や天災があるのに競技させた、などの事案とは違うんですよ。

まとめ:ルールの見直しか連絡手段の改善か

マラソン(駅伝)は競技特性上、選手の競技継続意思が強い一方、体力の限界付近まで高い運動強度を継続するので、選手が自分の身体の危険についての正常な判断が行えない状況が多々発生していると思います。その一例が熱中症です。

そのような中で選手の意思を重視するべきではなく、監督からの要請があった場合に監督の意思に「より重みをつけて考慮する」べきではないか?という主張があっても良いとは思います。

そうした事には手を加える必要は無く、監督の意思が審判員(そして選手に)に伝わらなかったという今回の状況を改善していくべきなのか。

選手を想うのであれば、この辺りの議論が行われて欲しいと思います。

以上