先日のこの記事で、広島高裁の判断がいかにおかしいかを感覚的に示していました。
ただ、感覚的に裁判所を論難してもなんか気持ちが悪かったので、今回は改めて決定文の全文を読んでみて、その判断構造と広島地裁の判断との違いを整理してみました。
- 広島高裁と広島地裁の違い:挙証責任(疎明責任)の所在
- 大前提:決定的に重要な火山学の知見
- 差止仮処分の判断指標:原子力規制委員会の「火山ガイド」
- 広島地裁の判断:差止請求を棄却
- 広島高裁の判断:差止仮処分を認容、本案はこれから
- 私見1:高裁は火山学者の知見を結局は無視してないか?
- 私見2:高裁が依拠した原子力規制委の「相対的危険」の欠陥
- 私見3:社会通念上の「相対的危険」と火山ガイドに乖離があるのか?
- 結論
広島高裁と広島地裁の違い:挙証責任(疎明責任)の所在
※ここでは挙証責任も疎明責任も主張立証責任も同じようなものとして記述します。厳密には正確な表記ではないことは認識してください。
端的かつデフォルメして言うと、「噴火が起こる可能性」「火砕流が到達する可能性」の存在を差止めを求める者(高裁判断では「抗告人」)が立証しなければならないとするのが広島地裁の判断。
対して、「噴火が起こる可能性」「火砕流が到達する可能性」の不存在を四国電力(高裁判断では「相手方」)が立証しなければならないとするのが広島高裁の判断ということです。
※ここで「悪魔の証明」うんぬんの話をしようとは全く思っていません。規制ガイドというルールに則って考えます。
決定文全文(判決ではない):20171213_kettei.pdf - Google ドライブ
決定要旨:20171213_youshi.pdf - Google ドライブ
疎明責任について言及しているのは以下ですね。
広島高裁の伊方原発運転差止仮処分の決定文全文。
— Nathan(ねーさん) (@Nathankirinoha) 2017年12月14日
裁判所の判断は175頁から。原発の立地評価にかかる火山活動に関する個別評価は350頁から367頁。この部分が結論に影響を与えてます。https://t.co/B3x7YU2uPA
大前提:決定的に重要な火山学の知見
決定全文の351頁の下部にある火山学者の一般的知見(a~f)が重要です。
これらを通覧すると、要するに現在の火山学の知見をもってしては、いつ火山が噴火するのかということを予見することはほとんどの場合に不可能であるということが分かります。
「いつ、何が起こるかわからない」
この状態から、「何かが起こる可能性は不存在である」と立証することを不合理と見るか否か。この違いが挙証責任(疎明責任)の分配判断にとって決定的になってきます。
また、この点が過去の判例とも異なるところです。
※最高裁平成4年10月29日に伊方原発の設置許可取消訴訟に関する判決があり、そこでは主張立証責任は四国電力側にあるとされました。ただし、その論理展開のベースには、専門的技術的知見が原子力委員会等にあるという前提があったのであり、本件のように火山学者において噴火予測についての知見が無いとされた場合には、「基準が不合理、或いは判断過程に看過しがたい過誤、欠落」という以前の問題があるように思われ、完全には妥当しないと考える。
では、何を挙証しなければならないか。それについて規定しているのが「火山ガイド」です。
差止仮処分の判断指標:原子力規制委員会の「火山ガイド」
原子力発電所の火山影響評価ガイド(通称:火山ガイド)
差止め判断は、こちらに定められている基準に照らして行われました。
文章化すると以下になります。
- 原発から半径160キロ圏内の活動可能性のある火山がであり
- 原発の運用期間中に活動する可能性が十分小さいかどうかを判断
- 十分小さいと判断できない場合、運用期間中に起きる噴火規模を推定
- 推定できない場合、過去最大の噴火規模を想定し、火砕流が原発に到達する可能性が十分小さいかどうかを評価
- 十分小さいと評価できない場合、原発の立地は不適となり、当該敷地に立地することは認められない
今回は、図の④つまり文章4番目の赤字部分が問題になり、この点が大きく報道されているところです。
ただ、私は図の③つまり文章の2番目の青文字部分の評価こそが、最も問題であると思っています。
なので、ここから先はこの点についての話になります。
「可能性が十分小さいか」は「具体的危険の不存在」と読み替えてよいです。ただ、これは裸の「無いことの証明」ではないので、「悪魔の証明」の議論は妥当しないと思います。
広島地裁の判断:差止請求を棄却
広島地裁は、同様の判断を行っていた福岡高裁宮崎支部決定を終始引用した上で、以下のように述べています。
※高裁決定148頁参照
立地評価に関する火山ガイドの定めは、少なくとも地球物理学的及び地球化学的調査等によって検討対象火山の噴火の時期及び規模が相当前の時点で的確に予測できることを前提としている点において、その内容が不合理である
という前提に立った上で
少なくともVEI7以上の規模のいわゆる破局的噴火については、その発生の可能性が相応の根拠をもって示されない限り……客観的にみて安全性に欠けるところがあるということができないし、そのように解しても……原子炉等規制法の趣旨に反するということもできない
つまり、火山学者が予測不可能と言っていることを主張立証責任の分配の段階で考慮しているということです。
これは高裁とは異なるものであり、重要だと思います。
広島高裁の判断:差止仮処分を認容、本案はこれから
原子力発電所の操業は侵害行政であるという前提と火山ガイドの理解が不可欠です。
侵害行政の前提
決定要旨に簡潔にまとめられていますが、決定175頁~184頁にある司法審査の在り方は以下の通りです。「判決」ではなく、運転差止めが本格的に認められるかはこれからの本案における判断にかかっています。※一部省略してます。
- 抗告人らは,伊方原発の安全性の欠如に起因して生じる放射性物質が周辺の環境に放出されるような事故によってその生命身体に直接的かつ重大な被害を受ける地域に居住する者ないし被害の及ぶ蓋然性が想定できる地域に居住する者といえる。
- このような場合には,伊方原発の設置運転の主体である四国電力において…放射線被曝により抗告人らがその生命身体に直接的かつ重大な被害を受ける具体的危険が存在しないことについて,相当の根拠資料に基づき主張立証(疎明)する必要があり,四国電力がこの主張立証(疎明)を尽くさない場合には,具体的危険の存在が事実上推定されると解すべきである。
火山ガイドの原則
また、364頁から365頁にかけても重要です。
審査の対象には、将来の予測に係る事項も含まれていることから、審査の基礎となる基準の策定及びその基準への適合性の審査においては、……高度な最新の科学的、専門技術的知見に基づく総合的判断が必要とされるのであり、……原子力規制委員会の科学的、専門技術的知見に基づく合理的な判断に委ねる趣旨と解される。
原子力規制委員会は、「考え方」において、科学技術分野における一般的な安全性の考え方として「科学技術を利用した各種の機会、装置等は、絶対に安全というものではなく、常に何らかの程度の事故発生等の危険を伴っているものであるが、その危険性が社会通念上容認できる水準以下であると考えられる場合に、又はその危険性の程度と科学技術の利用により得られる利益の大きさとの比較衡量上で、これを一応安全なものであるとして利用しているのであり、このような相対的安全性の考え方が従来から行われてきた安全性についての一般的な考え方であるといってよく、発電用原子炉施設についても、このような相対的安全性の考え方が当てはまる。」との前提に立った上で、「……原子力規制委員会が、時々の最新の科学技術水準に従い、かつ、社会がどの程度の危険までを容認するかなどの事情も見定めて、専門技術的裁量により選び取るほかなく、原子炉規制法は、設置許可に係る審査につき原子力規制委員会に専門技術裁量を付与するにあたり、この選択をゆだねたものと解すべきである」との見解を自ら公表している
以上の点からすると、当裁判所としては…社会通念に関する評価と…専門技術的裁量により策定した火山ガイドの立地評価の方法・考え方の一部との間に乖離があることをもって、原決定(※ブログ主注:広島地裁)…のように……判断基準の枠組みを変更することは、……原子炉等規制法及び…設置許可基準規則6条1項の趣旨に反し、許されないと考える。
広島高裁は、「以上によれば」として、立地評価が不合理であるとしています。
私見1:高裁は火山学者の知見を結局は無視してないか?
しかし、これは原子力規制委員会の定めた審査基準が不合理ではないとしただけで、挙証責任(疎明責任)の所在が四国電力にあると言うことの根拠を明示したわけではありません。
まぁ、高裁のロジックとしては以下のようなものなのでしょう。
- 侵害行政となり得る原発事故の設置許可においては、設置主体である四国電力の側で具体的危険の不存在の主張立証責任が課されている。
- 火山ガイド上も、原則として具体的危険の可能性の不存在の立証を原子炉設置者に負わせている
※上記判示の中で「判断基準の枠組みを変更することは」と言っているのはこの前提があるから - 地裁は火山学者が予測不可能と言っていることからすれば、具体的危険の相当の可能性の存在を差止めを求める者に立証責任を負わせるべきとした
- しかし、地裁の考え方はおかしいので、結局2に戻る
だから改めて主張立証責任の所在の根拠などというものについて言及する必要はない。そう考えているふしがあります。
しかし、高裁は火山学者が予測不可能としていることについて、主張立証責任の分配の判断資料には用いず、専ら具体的危険の不存在の判断資料としてしか用いていません。
359頁で、それまでに示した火山学者の知見を引用するだけで「本件では検討対象火山の活動の可能性が十分小さいと判断できないから…」として火砕流に関する評価判断にいとも簡単に移行しています。
高裁自身が「原子炉規制法は、設置許可に係る審査につき原子力規制委員会に専門技術裁量を付与するにあたり、この選択をゆだねたものと解すべきである」と言っている以上、火山学者が予測不能と言っていることに鑑みて、そもそも具体的危険についての主張立証責任を四国電力に分配することは妥当なのかどうかを考えるべきであり、且つ、それが重要なのではないでしょうか?
私見2:高裁が依拠した原子力規制委の「相対的危険」の欠陥
※この点について深く検討した記事を書きました。
再掲
「その危険性が社会通念上容認できる水準以下であると考えられる場合に、又はその危険性の程度と科学技術の利用により得られる利益の大きさとの比較衡量上で、これを一応安全なものであるとして利用している」
これが「高裁が依拠した原子力規制委の相対的安全性」の概念です。
しかし、この概念設定自体、妥当なのでしょうか?
上記の文言に足りないものがあります。
「可能性」の概念がありません。
つまり、「裸の危険」vs利益の程度の衡量になってしまっているということ。
本来であれば危険が起こる可能性×危険の程度vs利益の程度というような定式化をするのが当然ではないでしょうか?
ただ、「危険性」の内実に既に「可能性」は含まれていると原子力委員会は考えているのかもしれません。しかし、高裁は果たしてそのような理解に立っているのか、今回の結果を見ると疑問に思います。
仮に高裁の相対的安全性の考え方がこのようなものであれば、そうであるからこそ、火山学者が予測不可能としていることを主張立証責任の分配判断に用いることを無視しているような気がします。
私見3:社会通念上の「相対的危険」と火山ガイドに乖離があるのか?
再掲
「原子力規制委員会が、時々の最新の科学技術水準に従い、かつ、社会がどの程度の危険までを容認するかなどの事情も見定めて、専門技術的裁量により選び取る」
この考え方によれば、火山ガイドの中には既に相対的危険の考え方が含まれており、社会通念上、どの程度の危険までを容認するかということについて、火山ガイドの要件該当性判断で考慮しているのではないか?
そうすると、高裁が示した
「社会通念に関する評価と…専門技術的裁量により策定した火山ガイドの立地評価の方法・考え方の一部との間に乖離がある」
というのは、どういう意味で「乖離がある」と言っているのか?
高裁は原子力規制委の見解を曲解して利用して自説の根拠としているのではないか?
結論
- 高裁は、火山学者が火山噴火が予測不可能と言っていることを実質的に無視している
- 高裁のいう相対的安全の概念は危険の程度のみ言及し、危険が発生する可能性を考慮していない点で不合理である
- 高裁は原子力規制委の火山ガイドと社会通念上の相対的危険が相反するものと曲解しており、その見解を前提に判断している点で不合理である
結論が真逆になるのは「挙証責任」 の理解が逆だからという類型的な現象があるということを認識して、他の社会現象を見ると面白いと思います。
以上