「加計学園問題でも公文書書き換え」という報道があります。
ここではこの報道がフェイクだということを整理しています。
- 内閣府との協議で間違いを正し、旧文書とセットで書類作成
- 「加計学園問題でも公文書書き換え」への各所の反応
- 「公文書の書き換え」という言葉に脊髄反射する愚
- 改ざんと書き換えの定義
- 言葉の定義を明確にしないことの弊害
内閣府との協議で間違いを正し、旧文書とセットで書類作成
今治市は本誌の取材に「(議事内容が開示されたほうの文書は)内閣府からの確認作業に基づき、過去に部分開示決定を行った復命書について内容を精査し、聞き取り間違いやニュアンス間違いを正し、古いものとセットで、同日付で書類作成し、保管していたものです」と回答した。
- 「間違いを正した」
- 「古いものとセットで書類作成した」
これでわかるでしょう。何も問題はありません。
印鑑が異なっているのは、「別文書として新たに決裁を取り直した」から。正当な手続きです。
- 新文書は別文書として新たに決裁を取って作成
- 内容は、旧文書の間違いを正した「訂正」の意味合い
- 旧文書は別途保管
- 新旧両文書共に、開示請求者に開示している
違法性が無いどころか、正当な手続きを踏んだ通常の処理です。
要するに、一つの文書の内部で「書き換えた」と言うよりは、記載を改めた別文書として正当な手続を踏んで「別文書として再決裁」を受けたということですね。部分開示から全部開示にあたって、内閣府の公表と合わせる形で協議しながら再作成したということ。2ページ減ったのは説明補助者の加計学園関係者の発言を削除したため。
「加計学園でも公文書書き換え」というのは、「疑惑」の語をつけていたとしても、明確にフェイクです。
※追記:厳密には行政用語でいう「供覧」と思われますが、今治市文書規程の文言上齟齬はないのでこのままの表現にしています。
「加計学園問題でも公文書書き換え」への各所の反応
便乗した商法まるだし。一瞬驚いたが、経緯やまた書類の種類からもこれで「書き換えだあ」と批判してたら、今治市どころか、文春など民間まで仕事すらできなくなる
— 田中秀臣 (@hidetomitanaka) 2018年3月14日
加計学園問題でも公文書書き換え疑惑(文春オンライン) - goo ニュース https://t.co/Fmb5k85wZl
真実と異なる内容の文書ができたら、それを訂正する追加の文書の作成も許されないのか?そんな馬鹿な話はない。「内閣府の指示」は当たり前で、国家戦略特区は内閣府の管轄なのだから、真実と異なるものは訂正する必要があるというだけの話。こんなので騒ぐな。騙されるな。 https://t.co/86Ru3R10UQ
— Nathan(ねーさん) (@Nathankirinoha) 2018年3月14日
これは普通の行政処理過程では?
判子の数も違うから時系列が違うのもわかる。しかも2つ同時に保存ということは、修正箇所がわかるようにとの配慮であり、むしろ正しいやり方だと思うのだけれども。
— しょんぺい (@shonpe1) 2018年3月14日
文春砲も精度落ちたな・・・
決裁済みの公文書の中身をいじったんじゃなくて、これこそドラフトから議事要旨を起こしたんでしょ。しかも隠蔽でなく両方あると公言しているのだから。
— Sunrise (@Tech_JP) 2018年3月14日
役所にはこんなの日常茶飯事です。重要なものだと例えば地方自治体が国庫補助事業で補助申請を行う場合、国の予備審査というものがあります。そこで国からの指導を受け決済文書の訂正を行います。そしてその後本申請をするために新しく決裁をとります。文書は訂正前、後と2つ合わせて保存します。
— なべたん🇯🇵頑張れニッポン (@jnxkm450) 2018年3月14日
報道によれば、「今治市の職員は内閣府の指示で動いた」とあります。
しかし、仮にそうだとしても、この件で内閣府は国家戦略特区の主体として「当事者」でもあるわけです。当事者が申請者である今治市に対して、当事者に関する事柄について客観的真実と異なる記述があるので訂正を促すというのは何ら不思議なことでは無い。当たり前の話。
※追記:なお、内閣府は今治市への指示を否定しています。
違法性が無いどころか、文書管理体制上の問題も無く、むしろ正当な行為。
「公文書の書き換え」という言葉に脊髄反射する愚
今回の事象は「元の内容を修正したものを別文書として改めて決裁を受けて作成した」というものであり、「書き換え」という表現よりも「別文書の再決裁を受けた」が適切のような気がします。
ただ、仮に今回のような事態を「書き換え」と表現したとしても、「公文書の書き換え」という言葉ですぐに「悪いことをした」と脊髄反射するのは愚かの極みです。真実と異なる内容の文書がそのままずっと残っているだけで良いはずがないということは明らかです。
ネットで検索すると「改ざん=書き換え」という一般的な定義が見つかりますが、両者をいっしょくたにする理解が蔓延しているから、フェイクニュースに騙される者も出てくるんですよね。この点は各所の発信者は反省しろと言いたい。人は言葉によって世界を認識するんですから。
改ざんと書き換えの定義
こちらでも「捏造」「改ざん」の定義を示しましたが、いわゆる「書き換え」にも種類があります。両者を改めて記載します。
捏造、改ざんの定義
研究活動の不正行為への対応のガイドライン
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/08/__icsFiles/afieldfile/2014/08/26/1351568_02_1.pdf
上記の文科省のガイドラインによると、捏造と改ざんとは以下と定義されます。
- 「捏造」:存在しないデータ、研究結果等を作成すること。
- 「改ざん」:研究資料・機器・過程を変更する操作を行い、データ、研究活動によって得られた結果等を真正でないものに加工すること。
ここから、改ざんは①既に存在している文書について、②客観的真実とは異なる内容のものに書き換えること、と定義できます。
「書き換え」の意味
- 真実と異ならないが、元の文書とは別の事実を表すもの
- 真実と異ならず、元の文書の記述に別の事実が追加されたもの
- 真実と異ならず、元の文書の記述を削除したもの
- 元の文書と記述されている事実は同じだが表現が異なるもの
- 元の文書が示す事実が真実と異なっているため、真実と異なることが無いように記述を「訂正」すること
これらの内、報道されている加計学園に関する公文書については、5番目のいわゆる「訂正」です。何度も言うように、古いものとセットで作成しており、開示請求者に対して両方を提示しているのです。何も問題ではない。
言葉の定義を明確にしないことの弊害
一般的な言葉の使い方として、「改ざん」と「書き換え」と全く同じ意味である、という見解があり、それは一般論としては正当です。しかし、両者が常に同じ場面を表す語であるという認識が蔓延すると、こういう言葉のマジックに騙されて報道に翻弄されてしまいます。
菅官房長官は、森友決裁文書については『「改ざん」ではなく「書き換え」だと思う』と言っており、国会議事録を見ても両者は一応別物であるという前提があります。そのような意味で改ざんと書き換えを分けて考え、更には「許される書き換え」というものも存在するのだということも認識しなければなりません。
今回の加計学園の「疑惑」 は、更に「書き換え」ですらない「再決裁」とも呼べるというこどです。
以上