クマラスワミ報告書を大げさに見せる工作が行われてきた
- クマラスワミ報告書と慰安婦問題に関する「付属文書Ⅰ」
- 国連人権委員会でのクマラスワミ報告書と「付属文書Ⅰ」の扱い:留意
- 有馬哲夫「クマラスワミ報告書の付属文書Ⅰの勧告はとくに議論されることもなかった」
- まとめ:クマラスワミ報告書を大げさに見せる工作が行われてきた
クマラスワミ報告書と慰安婦問題に関する「付属文書Ⅰ」
スリランカ出身の法学部教授であるラディカ・クマラスワミ氏によるクマラスワミ報告書というのは実は本体と付属文書Ⅰ・付属文書Ⅱが存在します。
こちらが本体。「女性への暴力」全般を扱うものであり、対象は日本に限らず1990年代当時の現在進行形の課題について語られています。
「付属文書Ⅰ」は1996年1月4日に示されたもので以下になります。
日本語では【女性のためのアジア平和国民基金編「クマラスワミ報告書付属文書Ⅰ」:女性に対する暴力ー戦時における軍事的性奴隷制問題に関する朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国および日本への訪問調査に基づく報告書】といった表記で書かれることが多いです。アジア助成基金が翻訳しています。
日本でいうクマラスワミ報告書は、この慰安婦に関する付属文書Ⅰのみを指していることがほとんどです。なぜか50年以上も前の第二次大戦中の事柄について言及するという不可解な構造になっているのがこの付属文書Ⅰです。
さて、巷では「慰安婦に関して日本政府が〇〇するべきということがクマラスワミ報告書で勧告された」と言われることが多いのですが、報告書と国連の組織としての動きはまた別の話です。
報告書は報告者が主語であり、国連の各種組織の主張ではありません。
【報告書は国連の組織体で最終的にどう扱われたのか?】
この視点が抜けている、或いは意図的に無視した情報が多く、決議前の種々の審議において各国代表やNGO代表が主張した内容がまるで国連オフィシャルの認識を構成したかのように喧伝されることがありますが、間違いです。*1
実際の決議文を見ていきましょう。
国連人権委員会でのクマラスワミ報告書と「付属文書Ⅰ」の扱い:留意
クマラスワミ報告書の扱いについて書かれた国連人権委員会の公式記録は
国連の公式文書検索システム【Official Document System - UN】でシンボルやワードを入力すればヒットします。
クマラスワミ報告書の「付属文書Ⅰ」に関しては以下の扱いが示されています。
1. Welcomes the work of the Special Rapporteur on violence against women, its causes and consequences, and takes note of her report (E/CN.4/1996/53 and Add.1 and 2)
"takes note" とあるように、報告書については「留意」するという扱いでした。
なお、活動に対して"Welcomes"=「歓迎」とありますが、これは報告者を労う社交辞令的な常套句であり、特別視する意義はありません。
「採択された」と言えますが、その中身には他にも「警告・勧告・深く懸念・強調・再確認」などがあり、それらと比べると非常にトーンが落ちたものであると言えますし、何よりも具体的な事項については何も触れていないのが分かります。
決議前の審議状況も含めて【国連等国際機関における審議,慰安婦問題とアジア女性基金】にて概要が書かれています。
この事の意味と、なぜこのような決議が為されたのか?については、公文書研究者の有馬哲夫氏が当時の日本外務省とアメリカがやりとりした内容の公文書をアメリカで入手して分析した内容を書籍で解説しています。
有馬哲夫「クマラスワミ報告書の付属文書Ⅰの勧告はとくに議論されることもなかった」
【一次資料で正す現代史のフェイク/有馬哲夫】では、クマラスワミ報告書の内容の誤謬に始まり、当該報告書が国連においてどのように扱われたのか、日本はどのように反論し、決議に影響を与えたのかが書かれていますが、ここでは報告書の扱いに絞って紹介します。
251頁
ここではっきりするのは、日本政府は「クマラスワミ報告書」の本体を却下しようとはしていなかったということだ。
これを却下するような主張を日本がするなら、女性を暴力から守ろうとする国連全体の動きを後退させるものだと悪者にされるだろう。それに本体はそんなに悪いものではなかった。 ~以下省略~
日本政府は当初、詳細な反論文を提出しようとしていました。が、クマラスワミ報告書の本体部分で扱っている事柄は重要であることから、その部分の採択すらも日本が反対するかのような印象を各国に与えることは避けたかったことが伺えます。30年ほど前の1990年代当時の日本の国際的な立場、空気感というものを感じ取られたようです。((クマラスワミ氏は当時「国連事務次長」という肩書でもあり、政治力の彼我の差もあっただろう)
現在WEBで見る事の出来る日本側の反論文は【NOTE VERBALE DATED 96/03/26 FROM THE PERMANENT MISSION OF JAPAN TO THE UNITED NATIONS OFFICE AT GENEVA ADDRESSED TO THE CENTRE FOR HUMAN RIGHTS. Symbol : E/CN.4/1996/137】にて掲載されています。
ただ、アメリカ側との水面下のやりとりでは、アメリカ側はクマラスワミ報告書の日本の法的責任を認める見解には同意しないとしていました。
255頁
たしかに、老齢化がすすんでいる「慰安婦」を救済することが第一~中略~「問われているのは法律の問題ではなくモラルの問題なのだ」と言う指摘は傾聴に値する。実際、日本がアジア女性基金という民間機関を通じてしていることは、条約や国際法の問題ではなく、モラルの問題に応えるものだと言える。
「法的問題ではなく道徳的問題である」という日本政府のスタンスは一貫していており、その立場をアメリカも、国際社会の多数も支持しています。
257頁
つまり、「クマラスワミ報告書」は本体と付属文書が切り離されることもなく「留意」という評価を受けた。だが、付属文書Ⅰの勧告はとくに議論されることもなく、日本が不同意を示したこともあって、決議となることはなかった。
~中略~
そして本体そのものはたしかに現代の女性に対する暴力の問題解決に貢献するものなのだから、その作成者の無知を指摘し、杜撰な事実認定を激しく非難した反論文はそれ以上人目に触れてはならない。それは国連の参加国が日本に反感を持つもととなりえる。まして、日本は先の戦争において連合国側にいなかった「戦争加害国」なのだから、ひたすら反省の姿勢を示し、反論などしてはならない。国連は、そのような「空気」が流れているところらしい。
しかも、日本は河野談話、村山談話、細川総理談話と一貫して、日本軍の関与を認め、強制連行を否定せず、謝罪し、反省し、「償い」をする方向でやってきた。
~中略~
それなのに、反論文では、一転して否定に転じる。日本側のコンテキストではおかしくなくても、アメリカ側、そして先進国やアジア諸国から見れば、明らかに突如として「逆行」を始め、「歴史修正主義」に転じたように見えるのだ。
259頁
そして、実際日本はアメリカのアドヴァイスの通りにし、法的な問題に関しては「うまく行った」のだ。
反論文書の記載内容やアメリカとのやり取りの詳細については以下の動画でも説明されています。
まとめ:クマラスワミ報告書を大げさに見せる工作が行われてきた
クマラスワミ報告書の「付属文書Ⅰ」は却下されなかったが、国連人権委員会の組織としては、大して重要視するような扱いを受けてはいなかったというのが実態でした。
それでも、クマラスワミ報告は事実上、一定の影響力を持ちました。2014年8月20日、その主張の影響下にある自由権規約委員会の総括所見(CCPR/C/JPN/CO/6)では、「性奴隷制」などの用語を用いて日本政府に対して種々の不当な要求をしていますが、日本政府は以下反論しています。
委員会勧告パラ14に対する回答-慰安婦問題
~省略~
30.最後に,そもそも,自由権規約は,日本が同規約を締結(1979年)する以前に生じた問題に対して遡って適用されないため,慰安婦問題を同規約の実施状況の報告において取り上げることは適切でないというのが日本政府の基本的な考え方である。また,同規約委員会の総括所見にある「性的奴隷」との表現については,日本政府として,1926年の奴隷条約の奴隷の定義について検討したが,当時の国際法上,奴隷条約第一条に規定された「奴隷制度」の定義に鑑みても,慰安婦制度を「奴隷制度」とすることは不適切であると考える。
当時からマスメディアやNGOの活動家弁護士などによりクマラスワミ報告書を大げさに見せる工作が行われてきましたが、既にそのメッキが剥がれ落ちてきています。
あとは我々日本国民が正しく認識するかどうかにかかっています。
「奴隷」の国際法上の定義、慰安婦の実態を当時の国際法に照らした際に奴隷とは言えないということは既に以下で示しています。
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*1:前田朗弁護士や戸塚悦郎弁護士らの個人的認識が語られている記事や本人らのブログがヒットする