事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

「善きサマリア人の法はなぜ日本ではない?」の誤解

善きサマリア人の法

「善きサマリア人の法」について誤解が多いと思ったので整理。

善きサマリア人の法とは

善きサマリア人の法とは、英米法体系の国において、災難や急病により窮地となっている者を救うため、無償で善意の行動をとった場合、良識的かつ誠実な行動をとっていれば、たとえ結果として失敗してもその結果につき責任を問われないという趣旨の内容の法律であると言われます。

日本ではアメリカの言説が輸入され、そこにおけるポピュラーな意味が説明されることが多いです。

アメリカにおける善きサマリア人の法

アメリカにおける善きサマリア人の法、といっても規定ぶりは様々です。なぜなら、各州が立法しているからです。

さらに、実はその意味内容が一般的に言われている意味とは異なるものとして規定されている州が少数ながら存在しています。

1:救助者への免責規定として立法されているもの

「善きサマリア人の法」のポピュラーな意義というのは、負傷、病気、危険、またはその他の原因で無能力である者、またはそのような状態であると信じられている者に対して合理的な援助を与える人々に法的保護を提供する趣旨の規定です。この保護は、意図せず怪我や死亡してしまった場合に訴えられたり起訴されたりすることを恐れて居合わせた者が支援を躊躇することを減らすのが目的です。

New York Consolidated Laws, Public Health Law - PBH § 3000-a. Emergency medical treatment

1. Except as provided in subdivision six of section six thousand six hundred eleven , subdivision two of section six thousand five hundred twenty-seven , subdivision one of section six thousand nine hundred nine and sections six thousand five hundred forty-seven and six thousand seven hundred thirty-seven of the education law , any person who voluntarily and without expectation of monetary compensation renders first aid or emergency treatment at the scene of an accident or other emergency outside a hospital, doctor's office or any other place having proper and necessary medical equipment, to a person who is unconscious, ill, or injured, shall not be liable for damages for injuries alleged to have been sustained by such person or for damages for the death of such person alleged to have occurred by reason of an act or omission in the rendering of such emergency treatment unless it is established that such injuries were or such death was caused by gross negligence on the part of such person.  Nothing in this section shall be deemed or construed to relieve a licensed physician, dentist, nurse, physical therapist or registered physician's assistant from liability for damages for injuries or death caused by an act or omission on the part of such person while rendering professional services in the normal and ordinary course of his or her practice.

2. (i) Any person or entity that purchases, operates, facilitates implementation or makes available resuscitation equipment that facilitates first aid, an automated external defibrillator or an epinephrine auto-injector device as required by or pursuant to law or local law, or that conducts training under section three thousand-c of this article, or (ii) an emergency health care provider under a collaborative agreement pursuant to section three thousand-b of this article with respect to an automated external defibrillator, or (iii) a health care practitioner that prescribes, dispenses or provides an epinephrine auto-injector device under section three thousand-c of this article, shall not be liable for damages arising either from the use of that equipment by a person who voluntarily and without expectation of monetary compensation renders first aid or emergency treatment at the scene of an accident or medical emergency, or from the use of defectively manufactured equipment;  provided that this subdivision shall not limit the person's or entity's, the emergency health care provider's, or other health care practitioner's liability for his, her or its own negligence, gross negligence or intentional misconduct.

とりあえずニューヨーク州の規定を置いておきます。

何か感じることはないだろうか?

2:支援義務と罰則のある善きサマリア人法:ミネソタ州など

さて、同じ「善きサマリア人の法」と呼ばれているものでも、支援義務と義務違反に対する罰則が規定されている善きサマリア人の法が立法されている州があります。

魚拓

In most instances, a bystander can’t be held liable for not providing assistance. However, there are exceptions. Good Samaritan laws in Vermont, Minnesota and Rhode Island require bystanders to act in some limited capacity. In Canada, residents of Quebec can also face legal consequences for not giving aid. However, that doesn’t mean putting yourself in danger like entering a burning building or moving a person who has fallen and may have injured their neck – in both cases it’s best to wait for emergency medical personnel. In more common emergency situations, like assisting someone who is feeling dizzy or confused, Good Samaritan assistance can be as simple as providing a blanket, offering water or calling 911.

「善きサマリア人の法には例外がある。ベルモント州・ミネソタ州・ロードアイランド州では、居合わせた者に対して一定の行動を要求している」とあるように、一定の行為義務とその義務違反に対する罰則を規定しているところがあります。

Sec. 604A.01 MN Statutes魚拓

2021 Minnesota Statutes
604A.01 GOOD SAMARITAN LAW.
Subdivision 1.Duty to assist. A person at the scene of an emergency who knows that another person is exposed to or has suffered grave physical harm shall, to the extent that the person can do so without danger or peril to self or others, give reasonable assistance to the exposed person. Reasonable assistance may include obtaining or attempting to obtain aid from law enforcement or medical personnel. A person who violates this subdivision is guilty of a petty misdemeanor.

§Subd. 2.General immunity from liability. (a) A person who, without compensation or the expectation of compensation, renders emergency care, advice, or assistance at the scene of an emergency or during transit to a location where professional medical care can be rendered, is not liable for any civil damages as a result of acts or omissions by that person in rendering the emergency care, advice, or assistance, unless the person acts in a willful and wanton or reckless manner in providing the care, advice, or assistance. This subdivision does not apply to a person rendering emergency care, advice, or assistance during the course of regular employment, and receiving compensation or expecting to receive compensation for rendering the care, advice, or assistance.

ミネソタ州では、身体への脅威に直面していると知っているか予期できる場合に、現場に居る者が、自分や他人に危険・危難が及ばない範囲で、合理的な支援をする義務が課されています。

これに違反した者には罰則が課されているのがわかります。

Good Samaritan Rule | Wex | US Law | LII / Legal Information Institute魚拓

Under the Good Samaritan Rule, if a Good Samaritan provides services for another, either gratuitously or for compensation, the Good Samaritan assumes a duty to use reasonable care. The Good Samaritan may be held liable if they are negligent in providing those services or if their negligence causes injury either to the person on whose behalf the Good Samaritan is performing services or to a foreseeable third party. 

コーネル大学ロースクールによる「善きサマリア人の法」に関する説明でも、「合理的な注意を払う義務を負う」という書きぶりです。「義務を負う」です。

3:元ネタの善きサマリア人のたとえに近いのは後者の方

Good Samaritan law - Wikipedia

「善きサマリア人の法」というのは、キリスト教におけるたとえ話が元ネタです。

ルカの福音書の中でイエスによって語られている内容として以下のものがあります。

Parable of the Good Samaritan - Wikipedia

イエスは答えられた、「ある人がエルサレムからジェリコに下って行ったところ、彼は強盗に遭い、身ぐるみを剥がされて殴られ、半殺しにされたところで強盗は去っていった。たまたま、ある神父がその道を通りかかった。その人を見ると、反対側を通り過ぎた。同じように、レビ人もその場所に来て、彼を見ると、向こう側を通り過ぎた。しかし、あるサマリア人は旅をしているうちに、彼のいるところに来た。サマリア人は彼を見て憐憫の情に駆られ、彼のもとに来て、その傷を縫い、油とぶどう酒を注いだ。サマリア人は彼を自分の動物に乗せ、宿屋に連れて行き、世話をした。翌日、サマリア人が出発するとき、2デナリを取り出し宿屋の主人にそれを与え、言った。『彼の世話をしなさい。それを超えて費消するようなら、私が戻った際に返済します。』さて、この3人のうち、強盗に遭った彼の隣人のように見えるのは誰だと思いますか?」

彼は「彼に憐れみを示した者」と言った。

それからイエスは彼に言われた、「行って同じようにしなさい」。

— ルカ10:30–37、世界英語聖書

善きサマリア人のたとえに近いのは、ミネソタ州などの「義務を課す」といった表現で規定している方であるというのがわかります。

「善きサマリア人の法」の用語法の混迷があるのは、ここに原因があると言えます。

よくわかる法哲学・法思想第2版 】でも「善きサマリア人の法」について言及がありますが、その定義・意味内容について慎重な書きぶりになっているのは、こういった現実があるからでしょう。

4:立法されるきっかけのジェノヴェーゼ事件

善きサマリア人の法が生まれたのは、【ジェノヴェーゼ事件】という痛ましい出来事があったことがきっかけと言われています。

1964年3月13日にアメリカ合衆国ニューヨーク州クイーンズ郡キュー・ガーデン地区で発生した殺人事件で、この地区に住むキティ (Kitty) ことキャサリン・ジェノヴェーゼ (Catherine Genovese) が、帰宅途中にキューガーデン駅の近くで暴漢に殺害されました。

数十名もの大勢が彼女の叫び声を認識しているのにもかかわらず誰も助けず、通報したのはわずか1名という「傍観者効果」が指摘された事件です。

「なぜなら!もうお分かりだろう!誰も…消防車を呼んでいないのである」のセリフで有名なあの漫画のような事案と言えるでしょう。

この事件の後、アメリカでは救助義務の法制化をめぐって議論が活発化しました。

善きサマリア人の法が立法されても適用されなかった事例

ところで、「善きサマリア人の法」が立法されても、それが適用されなかった事例があります。

California’s Good Samaritan Law | San Jose Injury Lawyers魚拓

Medical and Nonmedical Emergencies

California’s statute provides protection for rescuers in both medical and nonmedical emergencies. Prior to 2009, it only covered medical emergencies. In 2008, a case reached the California Supreme Court in which a woman crashed her car into a light pole. A second woman pulled the first woman out of the car, because she believed that the car was going to catch fire. Before she exited the car, the first woman could move her legs, but she ended up paralyzed and blamed the rescuer.

The rescuer claimed that the Good Samaritan statute applied, because she was providing care in an emergency. The court, however, ruled in favor of the injured woman, holding that the statute only covered medical care, and that moving someone to a safer location was not medical care. This decision, however, was not popular, and shortly thereafter, the law was revised to include nonmedical emergencies.

2008年にある女性が車で事故を起こした際に別の女性(便宜的に「女性2」と書く)が事故を起こした女性を車から引きずり出した、という事案。「女性2」は女性が火に包まれてしまうと思ったということですが、事故を起こした女性は事故後車内で肢を動かせたのに神経麻痺になったとして「女性2」を訴えました。

救助者である「女性2」は善きサマリア人の法が適用されると主張しました。しかし、裁判所は、法律は医療のみを対象としており、誰かをより安全な場所に移動させることは医療ではないと判断したことから、負傷した女性の方を支持する判決を下しました。

その後、法改正が為されましたが、このように、法律があっても規定が具体的過ぎたためにそれを超える事態には適用されないと判断されることがあり得るということがわかります。

日本では善きサマリア人の法が無い?緊急事務管理と緊急避難

日本では導入されていない「善きサマリア人の法」とはどんな法律なのか? - シェアしたくなる法律相談所

実は、日本の法体系が属する大陸法(ドイツ・フランス)においては、「善きサマリア人の法」が想定する事態は、元々民法の中に規定(規律)があります。

そのため、日本では、独立した法律としての善きサマリア人の法は現在存在しません。

「善きサマリア人の法律」は日本には無い。

なぜなら

「善きサマリア人の法」は、既に日本にあるから。

民事的には、民法の緊急事務管理の規定が、刑事だと緊急避難の規定があります。

民法

(事務管理)
第六百九十七条 義務なく他人のために事務の管理を始めた者(以下この章において「管理者」という。)は、その事務の性質に従い、最も本人の利益に適合する方法によって、その事務の管理(以下「事務管理」という。)をしなければならない。
2 管理者は、本人の意思を知っているとき、又はこれを推知することができるときは、その意思に従って事務管理をしなければならない。

(緊急事務管理)
第六百九十八条 管理者は、本人の身体、名誉又は財産に対する急迫の危害を免れさせるために事務管理をしたときは、悪意又は重大な過失があるのでなければ、これによって生じた損害を賠償する責任を負わない。

刑法

(緊急避難)
第三十七条 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
2 前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない

医師が唱える立法の必要性:医師法19条の応召義務と令和元年の通達

日本では導入されていない「善きサマリア人の法」とはどんな法律なのか? - シェアしたくなる法律相談所

通りすがりの素人の救助であれば、事務管理の規定により、不法行為責任が悪意重過失に限定されますが、医師法19条の医師の応召義務の存在から、ドクターコールで呼ばれた医師による救助行為は、「義務なく」という事務管理の要件を満たさず、緊急事務管理の際の責任限定規定も適用されないという見解もあるようです。

この点を明確に示した最高裁判例はないようですが、事務管理が居合わせた医師にも適用されるとの立場を採用すれば、日本民法の下でも、善きサマリア人の法と同様の結論となります。

「善きサマリア人の法を日本でも立法せよ!」というのは、どうやら医師らの間で前々から主張されてきたようです。応召義務とは以下の規定です。

医師法

第十九条 診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。

国会議事録でも医師免許を持つ議員による質疑が為されていますが、(例:第179回国会参議院厚生労働委員会平成23年10月27日)、政府は緊急避難・緊急事務管理の規定があるため必要性については要検討、とだけ答弁しています。

医師法19条の「診療に従事する医師は」という文言から、勤務中ではない場面(勤務している診療所から離れた場所でのバケーション中など)で拒むことができず、更にはその状況で救護対応した者が医師資格を有する者だからと言って事務管理規定等が適用されないと解すのは、かなり通常の感覚とはかけ離れた解釈と言えます。

実際、以下では令和元年の厚労省の通達から事務管理規定等が適用されると考えられる場面が書かれています。

コロナ診療での医師の応召義務-発熱患者の診療を一切拒否した場合、応召義務違反となるか? |ニッセイ基礎研究所

ただ、「ドクターコールで呼ばれた医師による救助行為」という場面がどういうものなのかといった問題も重なり、断定はできない、ということは言えるでしょう。
※応召義務の話は診察治療しないことが正当化されるかという話であり、救助措置を講じた結果を問われないか、ということは別問題。
※緊急事務管理の規定が適用されないとしても不法行為法の「故意又は過失」が立証されなければならない

もっとも、アメリカのポピュラーな善きサマリア人の法を見ても分かるように、特に「医師による行為」に限定して規定されているわけではありません

むしろ、素人も含めたバイスタンダー=その場に居合わせた者すべてに適用されるように書かれていますし、医療を行った際、という限定もありません(その限定があったカリフォルニア州では問題が生じたのは既述の通り。)。

責任を問われるのが「悪意重過失」の場合に限定せよ、という主張なら理解はできます(民法709条の不法行為規定では「故意又は過失」とだけ書かれている)。

法規範の具体性と抽象性のメリットとデメリット

当該法規範の抽象度について、アメリカの方がより抽象性の高い規定ぶりであり、日本の医師らが求めている(と思われる)ものは、規定が具体的過ぎるといえるでしょう。

善きサマリア人の法をアメリカ式に規定しようとすると、ニューヨーク州のように膨大な文字数を用いて場面を例示し或いは限定し…という規定の書きぶりになります。他の州の規定も日本の法律と比べると、記述が多いということが明らかです。

規範が具体的であると記述されている事態における適用に関する予測可能性が高いですが、そこから漏れる事象もまた明確になり、適用されなくなりがちです。

規範の抽象度が高いといろんな事象に適用できる可能性が広がりますが、他方で意味内容が曖昧であるために予測可能性が低い、ということが言えます。

「日本には善きサマリア人の法が無い!立法化すべきだ!」と言ってる人らは、結局のところ、規定の曖昧さが嫌で言っている人が多いように見受けられます。

しかし、いくら具体的に規定していても限界事例というものは生じ得るということは一般的事実として論を待ちません。それを避けるために具体的な規定を盛りだくさんにすればよいと考えたとしても、人間が想像して記述できる事態には限りがあります。

救助行為を促すための社会認識と救助者への保護

何やら「善きサマリア人の法」という崇高な理念・法規範があり、それを導入していない日本は遅れているのだ!、というような主張をするのは楽だと思いますが、雰囲気だけで「善きサマリア人の法」を唱えると、現実との乖離が甚だしいことになりかねない、ということが本稿で伝われば良いなと思います。

まず、「診察治療しないことが正当化されるか」という問題について語っているのか、それとも「救助措置を講じた結果を問われないか」という問題について語っているのかは明確にすべきでしょう。

応召義務の話は令和元年の通達前後で状況が変化し、医師側に有利な状況になったといえます。

そして、緊急事務管理規定やアメリカの善きサマリア人の法が適用されれば(州によって異なるが)「悪意重過失」が求められるのに対し、適用されなければ不法行為法の「故意又は過失」が立証されれば損害賠償責任を負うこととなり、医師らに過大な負担となるのではないか、というような具体的な主張であれば納得できます。

結局のところ、【救助行為を促すための社会認識の醸成と救助者への保護】が最終目的なわけで、「善きサマリア人の法」という文言に拘る必要はないわけです。

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