「法律に基づく行政」の誤解が多い
※追記:巷での反対理由に対応する形で整理・追加で論じたもの
- 国葬には「法律上の根拠」が必要?
- 憲法41条「唯一の立法機関」の解釈と行政権
- 「法律の留保」と「法律に基づく行政」と判例実務の侵害留保説
- 「国葬儀には国家予算が使われるから」国民の財産を「侵害」する?
- 岸田総理「内閣府設置法に国の儀式に関する事務が明記、閣議決定が根拠」
- 内閣府設置法4条3項33号「儀式」に国葬は含まれない?憲法上の「儀式」との比較
- 吉田茂元総理大臣の場合の国葬時には内閣府設置法が無かったが閣議決定が実施根拠
- まとめ:安倍晋三元内閣総理大臣の国葬儀は適法:法解釈論に仮託した国家運営の妨害行為について
国葬には「法律上の根拠」が必要?
「国葬には法律上の根拠が必要だからそれが無いのに内閣が閣議決定しても違法だ」
こういう論があります。
それって本当でしょうか?
本当に「法律上の根拠」は必要なのでしょうか?
巷で展開されている言説には誤解が多いので考え方の筋道を示していきます。
憲法41条「唯一の立法機関」の解釈と行政権
日本国憲法
〔国会の地位〕
第四十一条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
沿革的な話を抜きにすると、現行憲法下においては日本国憲法41条「唯一の立法機関」の解釈論が出発点。国会が法律で定めなければならない事項は何か、という問題。
その意味する所には議論があるが、少なくとも国民の自由を制約したり義務を課すことを内容とする事項の規範定立については民主基盤を持った議会の承認が必要である、という理解に争いが無い。
ここでは憲法学上の解釈論には立ち入らないが、行政法学では行政が具体的な活動をするにあたっては、いかなる性質の活動について法律の根拠が必要とされるべきか、という視点から解釈論が展開されてきました。
これが「法律の留保」の問題です。
「法律の留保」と「法律に基づく行政」と判例実務の侵害留保説
判例実務は「侵害留保説」に立っています。すなわち、行政活動のうち、私人の自由と財産を「侵害」する行為については法律の根拠を必要とする、という立場。
敢えて注意的に言及しますが、およそ行政が何か行為をする際に必ず「法律」に基づいていなければならない、という考え方は現実世界では取られていないということ。
さて、「法律に基づく行政」という言葉が脳裏に浮かんだ人も居るかもしれません。
それも「法律の留保」の話なのですが、行政に関して定める法律には複数の種類のものがあり、侵害留保説からは「法律に基づく行政」と言うときの法律とは、ここでの意味の「侵害」があると認められる行為に関して求められるに過ぎません。
対して「全部留保説」という、あらゆる行政活動は国民代表による議会が制定した法律の授権に基づくべきだという見解がありますが、民主主義の当然の帰結とも言えず、あらゆる事象への対応についてまでいちいち事前に法律を立法しておかなければならなくなるために現実の行政需要への対応を困難にし、むしろ国民の権利利益を脅かすことになりかねないため、思考実験上の意味以外にはないものです。
他にも説はあるのですが、ここで論じる意義も薄いため割愛します。
すると、「国葬」は国民の自由や財産を何ら「侵害」しませんので、法律上の根拠無く行政府が実施できる、ということになります。
ただ、行政府といってもどこが所掌するのか?ということがあるので、内閣府設置法に基づいて行われる、と説明されます。
「国葬儀には国家予算が使われるから」国民の財産を「侵害」する?
巷には「国葬儀には国家予算が使われるから国民の財産を「侵害」する」という主張が存在しますが、予算が使われることが直ちにここでの意味の「侵害」であるならば、国家の行為のほぼすべてが「侵害」になり、全部留保説と変わらない事態になります。
もっとも、国家予算の大半を支出するような場合(現実的に想定できませんが)にはそのように評価することも可能になる余地が出てくると考えられますが、実際には予備費の一部の範囲に収まることが予想されます。
2020年に実施された故中曽根康弘元総理大臣の自民党・内閣合同葬では1億9000万円余りの費用がかかったので、今回の安倍晋三元総理大臣の国葬については、警備の必要の増大による費用増加を無視すれば、2億円程度の支出になるのではないでしょうか?
政府は「一般予備費の使用を想定しているが詳細は今後検討していく」としていますが、予備費は内閣の責任で支出できることが憲法に明記されています。
日本国憲法
第八十七条 予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。
② すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。
岸田総理「内閣府設置法に国の儀式に関する事務が明記、閣議決定が根拠」
令和4年7月14日 岸田内閣総理大臣記者会見 | 総理の演説・記者会見など | 首相官邸ホームページ
国葬儀、いわゆる国葬についてですが、これは、費用負担については国の儀式として実施するものであり、その全額が国費による支弁となるものであると考えています。そして、国会の審議等が必要なのかという質問につきましては、国の儀式を内閣が行うことについては、平成13年1月6日施行の内閣府設置法において、内閣府の所掌事務として、国の儀式に関する事務に関すること、これが明記されています。よって、国の儀式として行う国葬儀については、閣議決定を根拠として、行政が国を代表して行い得るものであると考えます。
岸田総理は7月14日の記者会見において、「国葬儀」は内閣府設置法(4条3項33号)において「国の儀式…に関する事務に関すること」と明記されており、閣議決定を根拠として行政が国を代表して行うとしました。その後7月22日に閣議決定が行われました。
令和4年7月22日(金)定例閣議案件 | 閣議 | 首相官邸ホームページ
というわけで、内閣府が国葬儀を行うこととなったこと、それは閣議決定を根拠とする、ということが明確になりました。
敢えて言及すると憲法73条柱書も「内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。」とあるため、内閣府が行う事務は「他の一般行政事務」と言い得るし、国葬儀に「法律上の根拠」はありませんが、「法的根拠」はある、と言えるでしょう。
内閣府設置法4条3項33号「儀式」に国葬は含まれない?憲法上の「儀式」との比較
「内閣府設置法4条3項33号に規定されている「儀式」には「国葬」は含まれない、或いは含まれるか明らかではない」という主張があります。
この際、「含まれる」という政策論を取っても良いのですが、憲法に「儀式」という文言があるので解釈論で説明できると思います。
日本国憲法
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
十 儀式を行ふこと。
皇室典範
第二十五条 天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う。
昭和天皇の大喪の礼は憲法7条10号の儀式として実施されたというのが政府見解です。
このように、憲法上の「儀式」には何らかの形式の葬儀を行うことが含まれるという理解が固まっている中で、内閣府設置法上の「儀式」について別異に解す方が難しい。
もちろん憲法上の文言と同じ文言を使っていても法律では異なる意味内容のものはあります(例:「押収」は刑事訴訟法上は差押え・領置・提出命令が含まれるが、憲法上の押収は刑訴法上の差押えの意味)が、全く異なるものという理解が第一義的に来るような判断の仕方は危うく、解釈の手法として不安定に過ぎる。
それに、国語的な「儀式」の意味としても、そこに何らかの形式の「葬儀」が含まれるので、それと別異に解す場合には理由付けが必要でしょう。
仮にこうした思考の枠づけができないなら、あらゆる事象について法令においていちいち限定列挙すべき、ということに話は収斂していきます。ここでも、先述の法律の留保の議論における全部留保説への反論と似たような指摘ができます。
※8月17日追記※
宮内庁法にも「儀式」があります。
第二条 宮内庁の所掌事務は、次のとおりとする。
~省略~
八 儀式に関すること。
宮内庁法には葬儀に関して他にそれらしい文言が使われていないので、「儀式」に葬儀が入ることは当然でしょう。
皇室典範では「大喪の礼」のみが定められているに過ぎず、「斂葬の儀」などの皇族の葬儀は国家の行為では無いらしく皇室の儀式のようなので実施主体は宮内庁法でしょう。
実際、8月15日の浜田聡議員の質問主意書に対する答弁書にも宮内庁法の「儀式」との対比で国葬実施の根拠である内閣府設置法上の「儀式」についてりかいできるようになっています。
※※追記終わり※※
吉田茂元総理大臣の場合の国葬時には内閣府設置法が無かったが閣議決定が実施根拠
故吉田茂元内閣総理大臣の場合の国葬時には内閣府設置法がありませんでしたが、内閣府設置法が設置されたから内閣が国葬を実施する権限が創設されたのではなく、所掌事務範囲を明確化したに過ぎません。
行政が国葬を実施できるということは法律上の根拠がなくとも可能なのだから、その他の法的な規制をクリアする限りにおいて=閣議決定があれば実施可能。
現実に吉田元総理の場合にも閣議決定を根拠として実施されています。
まとめ:安倍晋三元内閣総理大臣の国葬儀は適法:法解釈論に仮託した国家運営の妨害行為について
まとめると
- 国葬を行うにふさわしい国家権力は行政権
- 憲法41条の「唯一の立法機関」の解釈を出発点に、行政が行為する場合に法律が必要な事項は私人の自由と財産を「侵害」する行為=侵害留保説と言う考え方が採られている
- それ以外の事項については法律上の根拠が無くとも行政が行為できたほうが実際上国民の権利利益に資する
- 行政権のうち内閣が所掌することが内閣府設置法で明記
- 内閣府設置法に内閣がつかさどる事務として「儀式」とあり、国葬はこれに含まれる
- 国葬を行う場合には閣議決定に基づく
- よって、安倍晋三元内閣総理大臣の国葬儀は法的根拠があると言え、適法である
平時から共産党を中心に法解釈論に仮託した国家運営に対する妨害言説が撒き散らされてきましたが、国葬についても同様の状況になっています。
特に本件では法律の留保≒法律に基づく行政の概念を誤解した者や、誤解を生じさせることを企図した者による認識煽動が観測されていますが、一定の見識を有していれば見破れる論理だという事です。
ただ、これは解釈論であると同時に政策論でもあるため、論理必然的な誤りとまで言えるかというとそこはそれこそ留保が必要だろうと思われます。
もっとも、「法律上の根拠」が無くともできるからといって、果たしてそれは妥当なのか?という問題意識それ自体は正当でしょう。国葬の対象者や実施において何らかの基準を設けた方がいいのでは?(設けなければ違法だ、ではない)という議論はしてもよいかもしれない。
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