事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

メンタリストDaiGo「ホームレスの命はどうでもいい」と「優生思想!」の問題

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酷いものを見た。

メンタリストDaiGo「ホームレスの命はどうでもいい」

問題の動画は2021/08/07 にライブ配信された【超激辛】科学的にバッサリ斬られたい人のための質疑応答というタイトルの動画。

1:50:23から始まる「親から全て間違っていると言われた」という相談に対して、DaiGo氏が回答する場面での発言。

この中で、「ハンデや制約を行動しない言い訳にする人」に対する辛口コメントをした後に例示されたのが「ホームレス」「生活保護」に関する話。

メンタリストDaiGoの問題発言の前後書き起こし

メンタリストDaiGoの問題発言のあたりを書き起こしました。

重要なのは最後の所じゃないですかね。

僕は生活保護の人たちに、なんだろう、お金を払うために税金を納めてるんじゃないからね。 生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救って欲しいと僕は思うんで。生活保護の人が生きてても僕は別に得しないけどさ、猫は生きてれば得なんで

猫がさ、道端で伸びてたら可愛いもんだけど、ホームレスのおっさんがさ、伸びてるとさ、なんでこいつ我が物顔でダンボール引いて寝てんだろうなって思うもんね。うん。僕は今日辛口なのもあれですけど、ダークなんで。人間の命と猫の命はね、人間の命の方が重いなんて僕全く思ってないからね

自分にとって必要のない命は、僕にとって軽いんで。だからホームレスの命はどうでもいい。どちらかというと、みんな思わない?どちらかというといない方がよくないホームレスって?言っちゃ悪いけど、本当に言っちゃ悪いこといいますけど、いない方がよくない?

いない方がだってさ、みんな確かに命は大事って思ってるよ、人権もあるから、一応形上大事ですよ、でもいない方がよくない?正直。 邪魔だしさ、プラスになんないしさ、臭いしさ、ねぇ。治安悪くなるしさ、いない方がいいじゃん。猫はでもかわいいじゃん、って思うけどね、僕はね

もともと人間はね、自分たちの群れにそぐわない、社会にそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きてきてるんですよ。犯罪者を殺すのだって同じですよ。犯罪者が社会の中にいるのは問題だしみんなに害があるでしょ、だから殺すんですよ。同じですよ

最後の部分以外は、個人の感想としてそうなんだ、と流せると思います。

が、犯罪者を処刑することとホームレスの存在自体を排除することを並べて論じている部分が、DaiGo氏の発言の問題部分でしょう。

「生活保護受給者」も、この文脈では排除予備軍と扱われていることになります。

「辛口コメントをするエンタメですから」という言い訳

ところで、DaiGo氏は別の動画でも「辛口質疑応答」をやっていました。

8月11日の【ハバネロ】かつての激辛を超える辛口質疑応答

その中で、「注意事項です。あくまでこれはエンターテイメント。結構激辛でワザとやりますし、結構辛辣なことを言いますが、あくまでエンターテイメントです。エンターテイメントと現実の区別がつかない人は質問しないでください。真に受けないでください。」と言っています。

問題となった7日の動画の言い訳とも考えられる内容です(7日の動画にはこのような発言があったと言う事実は確認できていない)。

仮に7日の動画でも同様の前説をしていたとして…

それこそ問題発言の前に質問者に回答している中で発していた「何かをしない言い訳にするな」ということと相似形で、「何かをすることを正当化することに使うな」という話です

「エンタメだから…」と言っても、許されない場合があるというのはつい最近ありましたよね?ラーメンズ時代の小林賢太郎氏が25年前にコントでユダヤ人関係のネタをやった例が。

小林賢太郎氏もこれを「愚かな失敗だった」と言っていたように、エンタメだからって完全に批判を免れるのが当然、という考えは甘ちゃんすぎますね。

「優生思想だ!」というマジックワードに逃げる有害議論

メンタリストDaiGoの発言は「優生思想」なの?

この点を無視してなんか「それっぽく語るのに便利」なマジックワードとして「優生思想」を使ってるのは、有害でしょう。

「ナチス」というワードが出てきたら思考停止のサイン。

ただの経済的弱者排除思想を優生思想とする論調の害悪

上掲記事で「優生思想」という言葉は伝統的には「劣等遺伝子の排除」と「人の排除」とがほぼ不可避的に結びついていたものが、近時、遺伝子治療という手法によって、それらが分離可能な可能性が出てきたため、「国家政策として強制するもの」という範囲を超えて、「民間における自発的な意思に基づく「優生思想」の実現の途」が開かれることになったために、その用語法に揺らぎが生じた、ということを指摘しています。

ただの【経済的弱者排除の思想】を「優生思想」と呼ぶの、「優生思想」や「障害の社会モデル」という用語の意味や議論をスポイルさせる害が発生すると思うんですよ。

まず、「優生思想」は、子孫を残すという局面で出てきた用語

しかし、犯罪者を処刑することとホームレスの存在自体を排除することを並べて論じていることは、子孫を残す残さないは無関係

そういう意味で、まったく異なる場面の話について言葉を用いている。

また、「ホームレス・生活保護受給者」という経済的弱者は(社会的弱者と表現してもいいだろう)、いわゆる健常者も成ることができる/成ってしまう。その者がどれだけ血統的な優越を獲得していても経済的弱者には誰もがなり得る。

「ホームレスや生活保護受給者」でなくとも、行政リソース・税金を使って保護されている立場の者で似たような境遇の者も、そこに含まれるだろう。

したがって、DaiGo氏の「いない方がいいじゃん」という言葉の名宛人となる立場の者が居る可能性は「あなたの遺伝子や身体的能力的特質は劣っているので排除します」と言われる可能性よりも、遥かに高い。

そのような「誰もがなり得る」立場に対する攻撃的な言葉に対して論難する際に発すべき言葉は、「優生思想は危険だからダメだ」ではないだろう。

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