事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

NHK「女性へのAED」記事の「配慮」への疑問:「女性へのAED使用に対する抵抗感について」

論文には書かれていない内容が。

NHK「女性へのAED」記事

NHKは2019年5月31日の「女性へのAED」記事をある時期から定期的にSNSでシェアしています。それによって2022年6月中旬に妙な騒ぎになりました。

結局、これは論文に書かれた研究の理解について拙速な推測が為されていることと、「配慮」という表現に過剰反応しているだけだということは以下で示しました。

女性へのAED使用に対する抵抗感について プレホスピタル・ケア

「全国の学校の構内で心停止となった子ども232人について、救急隊が到着する前にAEDのパッドが装着されたかどうかを調べた」研究について書かれている論文は【Sex Disparities in Receipt of Bystander Interventions for Students Who Experienced Cardiac Arrest in Japan | Adolescent Medicine | JAMA Network Open | JAMA Network】です。

ただ、NHK記事に出てくる石見教授の研究室では、プレホスピタル・ケア誌32巻5号の41頁~43頁に掲載されている「女性へのAED使用に対する抵抗感について」という投稿が書かれていたため、国立国会図書館から取り寄せました。

が、当該投稿には「本稿は、Matsui S et al JAMA Network Open 2 (5) e195111. 2019に掲載された原著論文の内容を報告したものです」と書かれ、要するに上掲論文の簡易報告版でした。

ただ、記載内容には上掲の論文とは異なる表現もあったため、研究者らが当該研究についてどう考えているのかを探るために一部引用します。

法的リスクが無いことの周知と善意の行為への感謝をする社会文化

 特に男性がバイスタンダーである場合、救命行為を行うことで訴訟などのトラブルに巻き込まれることを不安に感じる者もいるかもしれない、しかし、善意で人を助けるという救命処置の場合は、対象者を害するという悪意などがないかぎり、民事責任は問われることはなく、罪に問われることもない。この点については、より広く周知されることが必要である。何よりも、善意の行為に対して感謝をする社会、文化を育てていく必要がある。

まず、この論文はAED使用者・AED忌避者が男性か女性かを調べられていません。

なので、男性がトラブルに巻き込まれる不安を感じているのでは?というのは、単なる推測です(心肺蘇生は有意差が無かったがAED使用には高校生年代でのみ有意差があったことから推測するための根拠はある)。

それ以外にも「女性の服の構造に慣れていないために戸惑ってしまう」「女性はアクセサリ装着が多いことからAED使用が可能か判断がつかない」「衣服の破損(それに対する賠償)を恐れた」という可能性も一応考えられるはずが、なぜ可能性を狭く取ってしまったのか、思考過程が論文でも本投稿文でもまったく書かれていません。

この点、本論文は学校内でのケースであるため、アクセサリ装着は無視できそうですが、他の点はそうではない。また、女性が女性に対するAED使用を躊躇する、女性が女性の衣服を公衆の面前で脱がせることを躊躇することもあり得るということはアンケートでも示唆されているので、留意すべきでしょう。

その上で、最初に筆者が指摘しているのは「民事刑事のリスクが無いことが広く周知されること」が必要だということで、さらに「善意の行為に対して感謝をする社会、文化を育てていく必要がある」とまで言っています。

これは論文では書かれていない内容です。

筆者らの主張としては「男性が女性にAEDをするために服を脱がせても非難されることがない社会にしよう」というものであるということがわかります。

一刻を争う状況の中で服や下着を必ずしも脱がせる必要は無いのでは

 改めて、AEDが使用される心停止という状況が一刻を争うこと、そうした状況の中、大多数の救助者が様々な障壁を抱えながら行動を起こさなければいけないことを想起して、AEDを用いた救命処置の広げ方を検討することも重要である。著者等は、女性へのAEDの使用を促すために、AEDパッドを素肌に直接貼り付けることができていれば、下着は外す必要はなく服も必ずしも脱がせる必要はないし、AEDパッドを貼った後で上から布などをかけて肌を隠しても構わないと考えているが、こうした取扱いについて専門家の幅広いコンセンサスを得て社会に広げていることも求められる。

筆者らは心停止という状況が一刻を争うことを再確認した上で、救助者の障壁除去のために「AEDを用いた救命処置の広げ方」を検討するべきと主張。

そのための方法論として「服や下着を必ずしも脱がせる必要は無いのではないか」と、提案の形をとっています。

これは体表面の汗を拭きとらなければAEDの効果が薄まるために服を脱がして汗を拭きとることが必要な場面もあることから一概には言えないだろうが、そういうものは当然認識していると考えられます。

医師等の専門家の中では、一般のオペレーションを複雑にして迷いを生じさせることになるから案内としては「服を脱がすこと」で通した方が良いだろう、という意見の人も居るようですが、【電気ショックの時間を遅らせないこと】が重要であるということからは、服を脱がさなくてもOK、という知識があった方が良いとは思います。

ここまでは大丈夫じゃないでしょうか?

問題は、次の文中の表現です。

「女性傷病者への対応力を上げるべき」と、不用意な「配慮」の表現

 これまでの心肺蘇生講習会では、こうした女性傷病者への配慮の方法が十分に伝えられてこなかった。講習用のマネキンに女性の服を着せるなど、心停止を起こした症例が女性であることを想定した蘇生講習会の内容を検討することも必要であると考えられる。このような心停止現場での救助の障壁となり得る状況について、リアリティを持った取組みが広く行われ、バイスタンダーによる救命行為の促進につなげていくことが望まれる。

全体の趣旨としては「女性傷病者への対応力を上げるべき」というものでしょう。

女性を想定した講習というのも、実際の状況に遭遇した際の躊躇を無くすことでバイスタンダーによる救命行為を促進するためには良いでしょう。

ただ、『女性傷病者への「配慮」の方法』という表現だけが、ここまでの記述の中で異質なものに映ります。

法的リスクが無いことの周知をせよ、善意の行為に対して感謝をする社会、文化を育ててよ、とまで言ってきたのに、「配慮」という表現によって台無し感があります。

もちろん、この二文字に発狂して不安になるのは意味不明ですが、『「配慮」にもなるかもしれない方法』であるというだけで、最も重要なのは女性であっても電気ショックの時間を遅らせないこと、という目的・意識のもとに様々な意思決定・判断・行為が行われるべきです。「配慮」を目的にしてはならない。

「配慮」となる行動がむしろ迅速な電気ショックにつながることはあり得ますが、救助者になるかもしれない大多数に対して周知するための文言として「配慮」は無用であり、邪魔なだけでしょう。

ここで述べられた方法は男性傷病者にも応用できることが指摘できますから、我々自身がより望ましい表現で必要な知識を発信して共有していけばいいんだろうと思います。

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