事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。リンク切れに備えて魚拓を活用しています。

南京事件で日本軍による大虐殺があったと言う者への対処法

SNSなどで「南京事件で日本軍による大虐殺があった」と言う者への対処法。

南京事件で日本軍の命令による大量の殺害があったと言う者への対処法

南京事件(或いは南京大虐殺)で日本軍の命令による(大量の)殺害があったと言う者に関して、面白い事例があったので、以下のスレッドを読んで欲しい。

魚拓 

魚拓 

 魚拓

魚拓 

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「南京事件」 とは何か?を問うべき

  1. 30万人の一般人・捕虜が殺害された事件
  2. 30万人はありえないが、少なくとも数千人の一般人・捕虜が殺害された事件
  3. 殺害のうち、国際法上違法と評価されるべきものが発生した事件

「南京事件」について語っている者は、これらのうち一体どれを指して言及しているのでしょうか? 

これを最初に問うべきです。

相手が卑怯者や不誠実な者でなければ、ここの認識を合わせる(或いは認識の違いを理解した上で議論する)ようにするはずです。

「南京事件」の意味内容

南京事件」という言葉は、パル判事(パール判事)が書いた「パル判決書」の時点でも使われているものですが、これは当時の東京裁判の検察側(戦勝国側)の主張として大要【南京陥落の1937年12月13日以降、南京において、日本軍の陸海軍の最高司令官らの命によって、30万人に至る一般人あるいは捕虜が裁判なしに殺戮された、2万人を下らない婦女子が日本兵によって強姦された、その他略奪行為が行われた、それは犯罪と評価されるべきものである】といった内容でした(東京裁判全体では、その他の占領地域全土における種々の行為も訴因となり訴追対象になっている)。

参考:共同研究 パル判決書(下) (講談社学術文庫)

パル判事は「この物語を全て受け入れることは困難」「そこにはある程度の誇張とたぶんある程度の歪曲があった」と評しているように、「人数」や内容については数千人説から様々あります。

そして、強姦や略奪は別にして「殺害」については、それは国際法上違法と評価されるべきものだったのか?という点の評価も行う必要があります。

上記1番はあり得ないと考え、2番の点を論じる者も、3番の視点が無い者が多いです。

パル判決文上の「残虐行為」の用語法の注意

なおパール判事の判決文上では「南京における日本軍の一般民衆或いは戦時捕虜に対する残虐行為があった証拠は圧倒的」「南京における日本兵の行動はベイツ博士が証言したように残虐は3週間にわたって惨烈なものであり合計6週間にわたって深刻」という記述があります。

確かに一部の日本軍の将校が犯罪行為を犯して軍法会議にかけられる例があるのも確かです。

しかし、ここで使われている「残虐行為」(と訳されているもの)の語は、元々は検察側の使用していた文言であり、パール判事の用語法としては、法的な意味を帯びない評価文言であり、一人の人間にとっての(痛ましい)法益侵害行為というニュアンスで使われています。

つまり、パール判事の用語法では、「組織的・大規模な違法行為」という予断は行われていないのです。むしろ、それを避ける表現だということです。

なぜなら、「判決文」なのに最初からとある行為に対して違法・犯罪行為であるという評価文言を使うのは、予断を持って論じていることになってしまうからです。ここでの「残虐行為」は、法的な評価を加えない、生の事実を叙述するための文言です。

その根拠として、共同研究 パル判決書(下) (講談社学術文庫)のp574以降では、検察側の説明する「残虐行為」としてアジアの20の地域ごとに事件が記述されているのですが、その中で『アンボン諸島で妊婦がげんこつで頭を殴られて腹を蹴られた』事案の1件、『クエゼリン島および父島で倉庫破り未遂のかどでアメリカ人が激しく殴打された後斬首された』事案の1件なども「残虐行為」とされています。

その前提に立ってパール判事の記述を理解する必要があるのですが、中には前後の文脈から切り離してパール判事の当該部分だけを出して「ほら、あのパール判事ですら南京事件があったと認めている!」と主張する者がいます。

しかも、この手の者は「南京事件」の中身を明確にせず、暗に「日本軍が組織的に数十万人を不法殺害+強姦略奪した事件」であるような仄めかしをしながら論じる傾向にあります。

南京大「虐殺」 という不毛な用語

南京事件については南京大虐殺などと言われ、英語ではNanking Massacre (Atrocity, Genocide)と呼ばれることがあります。

しかし、虐殺とその対応する訳語である英語表現のどれも、その定義はあいまいですし、用語法も一定ではありません。

人数が数人レベルなら虐殺ではないのか、数千人が殺されていても殺害方法が惨たらしいものでなければ虐殺ではないのか、など、「虐殺か否か」の問題設定では、人数・殺害方法によって虐殺かどうかが決まるといった不毛な議論になるだけです。

それを回避するためにも「不法殺害」が何人あったのかを端的に論じるのが正統です。

こうした前提に立って、これまで南京事件について検証された書物を読めば、その意味する所が曲解されて引用されている場合(そういうケースが多い)それを見抜けるようになります。

IIPSの星山隆主任研究員が2007年にまとめた南京事件70年ー収束しない論争ー日中歴史共同研究に向けての視点ーは、論点整理には使えると思います。

以上