事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

立憲民主党枝野幸男「国籍が違うことで選挙権を持っていない人のために投票してください」

立憲民主党、外国籍の人のために投票しろと指示

ヤバすぎるでしょ。

立憲民主党枝野幸男「国籍が違うことで選挙権を持っていない人のために投票してください」

立憲民主党の枝野幸男代表が「あなた自身の暮らしのために、そしてまだ選挙権を持たない子どもたちのために、同じ社会に暮らしているのに国籍が違うことで選挙権を持っていない人のために選挙に行ってください」と動画で発信しました。

立憲民主党とは、いったい誰のための政党なのだろうか?

外国人参政権・選挙権の判例

参政権というと「選挙権」「被選挙権」が中核的な構成要素であり、「公務員の選定・罷免権」もそれに含まれていると解されます。

憲法改正の国民投票、各種住民投票、最高裁判事の国民審査を参政権に含める理解もあります。

また、請願権や選挙運動の自由に加え、「公務就任権」も、参政権に含める理解がありますが、公務就任権は職業選択の自由として捉える見解が主流のようです。

「外国人参政権」として今回の枝野幸男代表の発言で問題になるのは「選挙権」です。

外国人に選挙権を付与することについて判示したものとしては最高裁判所第三小法廷判決 平成7年2月28日 平成5(行ツ)163 民集 第49巻2号639頁 が有名です。

請求は棄却されていますが、傍論部分で以下述べていることが外国人地方参政権の議論として問題になりました。

 このように、憲法九三条二項は、我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが、憲法第八章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。しかしながら、右のような措置を講ずるか否かは、専ら国の立法政策にかかわる事柄であって、このような措置を講じないからといって違憲の問題を生ずるものではない。

なお、最高裁判所第二小法廷判決 平成5年2月26日 平成4年(オ)第1928号では、外国人の国政参政権について控訴審が「参政権は、国の政治に参加し、国家意思の形式に参画する国民固有の権利であるから、その性質上、日本国民のみに与えられるものといわざるをえず、……定住外国人であるからといって参政権を付与すべきことが憲法上の要請であると解する余地はない」と判示したものについて、最高裁もマクリーン事件判決を引用しながら「国会議員の選挙権を有する者を日本国民に限っている公職選挙法9条1項の規定が憲法15条、14条の規定に違反するものでないことは、最高裁昭和50年(行ツ)第120号同53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1233頁の趣旨に徴して明らかであり、これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。」と判示しています。

立憲民主党の枝野幸男代表の発言は、この理解を前提にする限り、非常に問題です。

外国人のために国政をするのではない

「国籍が違うことで選挙権を持っていない人のために」というのは、善意解釈するとすれば、外国人国政参政権を付与することに賛成の政党に対して投票してください、ということだろうか?

それは日本国の主権者として外国人にも選挙権を与えるのだという意思表示なのだから、それ自体は理屈の上では問題ない(現状のままでは最高裁判例に反するが、憲法改正をするのだというなら別だろう)。

ただ、「外国人の代理として」だとか「外国人が求める政策を主張している政党に対して投票してください」という意味であるならば、それは主権者としての判断の放棄にとどまらず、外国籍者の使者として振る舞うという国家主権を脅かす行為です。 

立憲民主党は外国人への選挙権付与に賛成なのでしょうか?

それとも、それには賛成せずとも外国人の利益になる政策を考えている政党に投票するように、ということを遠回しに言っているだけなのでしょうか?

まぁ入管での外国人の扱いなどで騒いでる連中ですから、そういう意味なのかもしれませんが、それは日本人として外国人の扱いをどうするかという自分の話であって、「外国人のために」というのは法体系の観点からすると非常に危うい論じ方です。

単にその人の心情としてそういう心の動きに訴えかける演説なのかもしれません。

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