事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

高市大臣「捏造文書でなければ辞職」答弁の記事で印象形成の危険:文書の成立の真正性か内容の真実性か

文書の成立の真正か、内容の真実性か

高市氏「捏造文書でなければ辞職」答弁の記事で印象形成の危険

高市氏、放送法の文書「捏造」と反論 本物なら議員辞職で「結構だ」:朝日新聞デジタル魚拓

高市早苗大臣の「捏造文書でなければ辞職」答弁を報じるメディアで違和感のあるタイトル。これによって読者の印象に実態とズレが生じる危険があります。

なお、本文には「本物なら」の記述がありません。

……

実際上も高市大臣の答弁にはそのような発言はありません。

どういうことか?

高市議員が「捏造文書」と言ったのは、文書に書かれている内容が事実と異なる、それは悪意をもって虚偽と知りながら敢えて作成されたものである、という意味です。

※「捏造文書」と評された対象も限定がかかっていることに注意。

決して「その文書は総務省側の人間が作成したものである」という成立の真正性の点に対して捏造と評しているのではありません。

高市大臣は3月3日に小西議員から「なぜ悪意をもってこうした行政記録を作るとお考えになりますか」と質問を受けて、NHK改革の厳しい姿勢から「そういった私の態度が気に食わなかったんだろうと思います。」と答弁しているので、成立の真正性は一応は前提の上で、或いはそこの判断は棚上げした上で内容について述べているに過ぎません。

その事については以下で書いていますが、その前提として答弁全文の書き起こしを。

本物」という語は、「内容が虚偽ではない」という以前に、「存在が正当性のあるものである・文書を作成した主体は正しいものである」というニュアンスで受け取る人が多いと思われます。

実際、私も高市大臣の発言のニュースをいくつかパッと読んだあとの印象は、「成立の真正性について」語っているのではないか?というものでしたし、他のTwitterユーザーも同様の印象を持つ人が多かったです。

参議院の中継動画で答弁や小西議員とのやり取りを視聴して改めてその印象は実態と乖離していると認識するに至りました。

小西議員と高市大臣の認識はズレがある?高市議員の言葉遣いのせい?

さて、他にも妙な認識を広めている者に出くわしました。

https://archive.is/FC9a5

元毎日新聞記者の宮原健太氏は『「捏造」という言葉は普通それは「虚偽」と言う』などと評しています。もちろん高市大臣が内容の真実性を問題にしてるという前提です。

が、「捏造」とは文書の成立の真正性と内容の真実性とを分けない用語です。

実際、植村隆の朝日新聞記事で「金学順に関して、日本軍が強制連行した」という内容が書かれていたものに対して「捏造」と評した西岡氏の主張の真実性を認めた判決文では、以下の意味であるとしています。

一般的にはないことをあるかのように偽って作り上げること

事実と異なることを知りながら敢えて○○した

宮原健太氏のような主張は、刑法上の公文書偽造罪と虚偽公文書作成罪のうち、内容虚偽の場合は後者である、などという認識に近いのですが、法令用語の場面ではないですから「捏造ではなく虚偽と言うべきだ」という主張に何ら妥当性はありません。

更には彼のYouTube動画では「小西議員と高市大臣の認識にズレがある」、すなわち、小西議員は文書の作成者が総務省側の人間であるということをもって捏造ではないとしているのに対して、高市大臣は内容の真実性が無いから捏造であるとしている、という旨の「解説」をしていました。

本当にそうでしょうか?

まず、質疑と答弁の書き起こしでは、小西議員の高市大臣とのやり取りにおいては、両者ともに内容の真実性を問題にしているとしか理解できません。

そして、質疑後の小西議員は本件に関してツイートを連発していましたが…

魚拓        

やはり、内容の真実性を問題にしているとしか理解できません。

したがって、この点の宮原氏の主張も妥当性が皆無です。

それが本当に総務省の文書なのか?行政文書なのか?という点を気にかけていたのは岸田総理・松本総務大臣など政府の認識であったり、予算委員会に当該資料の配布を許すかどうかの議長の認識でした。

その場面では小西議員は「総務省の正当な文書だ」という成立の真正性の主張をしていましたが、高市大臣との応酬の場面では内容の真実性が争点になっていたことは明らかです。

ただし、土日以降のツイートからは小西議員もまた高市大臣との関係で内容の真実性の話と成立の真正性の話を混同させようとしている可能性も出て来たかもしれません。

以上:はてなブックマーク,ブログ,note等でのご紹介をお願いします