ウイグル話法・ウイグル論法の意味と語源
- ウイグル論法・ウイグル話法の意味とは
- 「ネトウヨ」のウイグル話法
- Whataboutism=そっちこそどうなんだ主義との関係
- 単なる話題逸らし
- 「ウイグル話法」の用語法・用例・使用場面
- 「Aを言うならBも言え」が妥当する場合
- ウイグル論法・ウイグル話法の初出・元ネタ
- 一般論としてのウイグル弾圧批判の不存在の指摘
- 「〇〇話法」の将来
ウイグル論法・ウイグル話法の意味とは
「ウイグル話法」或いは「ウイグル論法」と呼ばれるものがあります。
その公約数的意味は【ある人権問題について批判が展開されると、批判者に対して「ならばなぜウイグル問題を批判しないのか」「ウイグル問題も批判するべきでは」などと要求する行為】を指しているようです。
この言葉が出てきた経緯がネット上の言説に対するものであるため、特にネット上での意味・用語法があります。
「ネトウヨ」のウイグル話法
この論法を使う者の多くが、チャイナの新疆ウイグル自治区における共産党によるウイグル族への弾圧(民族浄化・ジェノサイドともいわれる)を問題視する者に多い、いわゆる保守派の者が使う場合が主たる文脈であると認識されています。
そのため、保守系の政治家や私人による発言が人権軽視とされた場合、或いは日本国内におけるある事項について人権意識が低いと言われている場合に、その批判者への対抗のつもり或いは揶揄する目的で、主にネット上で持ち出す言説を指すことがあります。
「ネトウヨがまたウイグル話法してるよ」という感じで、ネット上では主に政治的左派側からの揶揄の形で用いられています。
世界には他にもクルド、パレスチナ問題など複数の人権問題とされているものがあるのに、ウイグルについてのみ盛んに持ち出されることに対する違和感も含まれています。
Whataboutism=そっちこそどうなんだ主義との関係
ウイグル話法は、【そっちこそどうなんだ主義= "Whataboutism"】というソ連が使っていた詭弁の一種である場合があります。
Whataboutismの場合、主張者自身の態度を問題にしているので、ウイグル話法と言えるのは中国共産党が何かの人権問題について批判してきた場合に妥当すると言えます。
が、ネット上では「この件はどうなんだ?」という用法でwhataboutismが使われている例もあるようで、あまり差は無いのかもしれません。
単なる話題逸らし
結局、これは単なる「話題逸らし」です。
しかし、話題逸らしのために「ウイグル弾圧」を持ち出す者が居ることからそのように名付けた者が居る、ということでしょう。
「ウイグル話法」の用語法・用例・使用場面
「ウイグル話法」が使われる場合、それは対象となる言説を揶揄する形です。
「ウイグル話法でワロタ」というような用語法。
この場合、ウイグル話法を使っているとされる者が批判しているのはウイグル弾圧とは比較にならないほど違法性・不当性が低い物事について言及している者に対して、という場合が多いです。
つまり、「批判対象者の理屈によれば、当然ウイグル弾圧についても批判を加えるべきだろう」という意識が背景にあります。
ただ、元言説が「ロヒンギャ弾圧」とかになってくると微妙で、ISISによるテロやエプスタインの児童買春になってくると「ウイグル話法」を使う者はいないと思われます。
なぜなら、どっちも重大な悪質行為であって、どっちの程度が高いか低いか、という話にはなり得ないからです。
もっとも、このような論法は相手の主張に対する反論にはなり得ず、また、次項で指摘するような場面でない限り、皮肉や揶揄としても機能しないものと思われます。
「Aを言うならBも言え」が妥当する場合
元110mハードル選手の為末大 氏が、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長であった森喜朗 氏の発言に対して、沈黙は賛同である。私はいかなる性差別にも反対します。森会長の処遇の検討を求めます、という旨のツイートをしました。
これに対して「ならばウイグル弾圧についても声をあげ、冬季北京オリンピックを開催する中国も批判しましょう」というコメントが多数つけられました。
この場合、為末氏自身が「沈黙は賛同である」と他人に要求していること、森喜朗 氏の発言がオリンピック精神・五輪憲章との関係で批判されていたことから、彼の論法に基づけば、東京オリンピックの半年後に控えている冬季北京オリンピックに関して、同じくオリンピック精神に照らして問題になるであろうウイグル弾圧について「沈黙」していることを批判しなければおかしい、という論理的な帰結になります。
そのため、為末氏が持ち出した理屈に対するマイルドな皮肉の意味として「ウイグル」が使われているだけで、これを「ウイグル話法」と言うのは不適当と言えます。
「沈黙は賛同と同義である(だから私が非難している問題についてあなたも非難せよ)」というのは全体主義的発言ですが、この話の帰結については以下参照。
「沈黙は賛同と同義」について|Nathan(ねーさん)|note
ウイグル論法・ウイグル話法の初出・元ネタ
こういう人には注意したい。
— Shin Hori (@ShinHori1) 2018年10月20日
・普段はおよそ人権に関心がないのに、日本社会の人権問題の話題があると、"なんでウイグルの人権も問題にしないのか?"と唐突に言い出す人
(いわゆるウイグル話法) https://t.co/VvJF937aQE
現存するTwitter上の最古のウイグル話法・ウイグル論法に関するツイートがコレ。
ウイグル話法・ウイグル論法という言葉がネット上で頻出するようになるのは、2018年10月20日の堀新弁護士によるこのツイートがきっかけです。
このツイートでも「いわゆるウイグル話法」と書かれていることから、 それ以前に5chや他のSNS、現実世界など、どこか別の場所で既に何度も言及されていた言葉なのかもしれませんが、その存在を確認するには至っていません。
一般論としてのウイグル弾圧批判の不存在の指摘
なお、特定の相手や言説を対象とせずに、一般論として、ある集団や個人において「ウイグル弾圧に対する批判が無い」ことを指摘する発言があります。
こういう人には注意したい。
— KAZUYA (@kazuyahkd2) 2018年10月15日
・右派を装って中国に対してドンパチ含めて戦えと煽るような論調(結果日本の立場は悪くなる)
・普段人権がどうこう言っているのに、中国がウイグルで行っている人権弾圧など、中国に対して何も言わず日本にばかり文句を言う輩(単純に頭が悪いのか工作員みたいな奴)
これを「ウイグル話法」と言うべきか否か。
私としては、これは「ウイグル話法」ではないと考えています。
なぜなら、これは特定主体や言説に対する「反論」としてのものではないから。
ウイグル話法が詭弁であると言われるのは、それが具体的な相手が存在する「議論」の場面を想定しているから。
上記ツイートはそうした場面において使用されているものではありません。
こういった発言まで否定されると、「なぜAを言ってる者がBについては無視するのだろうか?」という類の発言がすべて否定されます。
それはもはや「言葉狩り」のレベルに達している話だろうと思うのです。
「〇〇話法」の将来
「ウイグル話法」と言われているのは、「ウイグル問題」に関心がある現在、ネット上でそのような論法が多用されていることに起因します。
ということは、将来的にウイグル問題についての関心が薄れ、或いはさらに別の重大な問題が生じてそちらの方がより多く言及されるようになれば、いずれは「〇〇話法」という形で置き換わるのかもしれません。
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