神奈川県の黒岩知事が愛知の芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」における表現の不自由展の一部作品について「明確な政治的メッセージで表現の自由を逸脱」と評しました。
このような評価は非常に危険だと思います。
- 黒岩神奈川県知事「表現の自由を逸脱」は間違っている
- 「表現の自由を逸脱」ではなく「政府言論」
- 単なる「公金支出の問題」ではない
- 政治的メッセージは表現の自由で保護されない?
- 「事実を歪曲した」について
- まとめ:愛知の芸術祭の「少女像=捏造慰安婦像」は承認してはいけなかった
黒岩神奈川県知事「表現の自由を逸脱」は間違っている
動画の30分くらいから記者から唐突にトリエンナーレについて質問がありました。
朝日新聞記者 事務会の会見で伺うべきだったんですけれども、あいちトリエンナーレでですね、表現の不自由展というのがありまして、抗議が殺到して中止になりましたということがありましたが。県が関わる芸術展で名古屋市長と愛知県知事の主張が結構食い違っていてですね。大村知事の方は表現の内容までは行政側は踏み込むべきではないとおっしゃっている一方で、公金が出されている芸術展なので河村市長の方は日本人の心を踏みにじるみたいな意見もある。この辺りの見解についてですね、もし知事が同じ立場であったらどんな風に考えられるか、というあたりをお聞きしたいです。
黒岩知事 そうですね。あのやりとりというのは報道を通じて以上のことは私もよくわからないですけどね。しかし、皆さんと同じようなメディアという立場でずっといた立場としてですね、人間として、表現の自由ということは非常に大事だというふうに思います。ただそうはいっても、何でも表現してなんでも自由なのかと、それは違うだろうというふうに実は思っていますね。たとえば人を殺す瞬間がアートだと言う人が出てきたときにですね、人を殺すところをみんなの前でやって表現の自由だって、そういうのはありうる話ではないですよね。そういう何でもかんでも表現の自由で許されるということではないですね。で、河村市長と大村知事とのやりとりは別にして、もし同じようなことが神奈川県であったとしたならば、私は認めませんね。私は表現の自由ということから逸脱しているというふうに私は思います。或いは表現の自由だと認めるんでなくてあれは極めて政治的なメッセージでありますから、それに対して県の税金を使って主催・後押しするといったこと、それは表現の自由を後押しするという以上に政治的なメッセージを後押しするということ繋がると私は思いますから、それは県民の御理解を得られないと私は思いますから、そういうことがあったのなら、開催を認めないと思いますね。仮定の話ですけどね。
???記者 形としては公金を使ってやるものではない、ということなのか、それとも表現自体が行き過ぎているという判断なのかどちらでしょうか。
黒岩知事 どっちもですね。やっぱりああいう慰安婦像といったものは極めて政治的なメッセージであってですね、しかも事実を歪曲したような形での政治的メッセージですよね。そういうこと自体が私はおかしいと思いますね。それとともにやはりそれに対して公金を使って支援をするということなんて有りえないと思いますね。
時事通信記者 事実を歪曲している、捻じ曲げられているというのはどの部分にかかってくるのでしょうか
黒岩知事 要するに慰安婦の問題ですよね。慰安婦問題とされているものに対する主張ですよね
記者:慰安婦問題が存在したかしていないかという点ということでしょうか
黒岩 それは慰安婦問題が取り上げられている日本と韓国の様々な主張がありますよね。韓国の政治的な主張はある種一方的な主張だとだとおもいます。
記者 韓国の一方的な主張というのはどういった主張でしょうか
黒岩 強制的に連行していったようなニュアンスで伝えられていますよね。
記者 つまり強制連行があったということが…
黒岩 その問題について今日深く踏み込む話ではないですよね。
記者 結構大事なところだと思ったので、記事にするのに大事なポイントだと思ったので確認しているのですけれども
黒岩 その点は今までの議論を踏まえての私の判断だということです。
表現の不自由展における慰安婦像の展示についての黒岩知事の主張は、表現の内容が「事実を歪曲した」政治的メッセージであるのが問題であり、さらにそのような展示に対して公金を使って支援をするということは間違いだというものです。
「表現の自由を逸脱」ではなく「政府言論」
黒岩知事は「表現の自由を逸脱」と言っていますが、その判断は表現内容に着目した結果です。このような判断の仕方は非常に危ういと思います。
今回の事案は、行為者が「愛知県=公的機関」であり、民間ではないという視点が最も本質的で重要です。
詳細は上記記事で研究論文を引用して論じていますが、表現の自由は原則的に公権力に邪魔するなと言う権利であって、公権力に対して表現させろと言える権利ではないところ、本件は行為主体は愛知県=公的機関であって、表現の不自由展は履行補助者的立場にあるに過ぎないから、表現の自由の問題ではないということです。
素朴に考えてみれば、自分(政府)の方針と異なる行為を強制させられるのはおかしいという、ごくごく当たり前のことを言っているに過ぎません。
同様のことは横大道聡教授が朝日新聞デジタルで論じていますし、北村晴男弁護士もメルマガで指摘しています。また、大阪の吉村知事(弁護士)や自民党の三谷英弘議員(弁護士)など、早くからこの問題の本質を「公的機関が主体」であることに言及していました。
もちろん、政府言論だからといって何をしてもOKということにはならないことには注意が必要です。今回の件は、作品選考前の段階では弾いても裁量の範囲内だが、展示後の撤回の場面で表現の不自由展との関係では、何らかの違法になる可能性があります。ただ、それは表現の自由に反したからということではない可能性が高いということです。
全く意味不明。この件は愛知県知事が実行委の会長の公共イベント。しかも公金を投じて開催しようとしていたわけで、民間事業者にパブリックフォーラムとしての広場を使わせるのとは根本的に異なる。この件については河村市長の言うことが正しい。 https://t.co/5G9dkFUOQK
— みたに英弘 自民党 神奈川8区/横浜市青葉・緑・都筑区 (@mitani_h) August 5, 2019
愛知県知事は今回の展示を知ってやったのだろう。公共たる愛知県が主催、知事が会長となり、公権力を行使して、展示した。一方的に反日政治活動を後押し、慰安婦像の設置、天皇の写真をバーナーで焼き、踏みつけ。公共として責任問題にならない方がおかしい。https://t.co/K9fpdBorLx @Sankei_newsより
— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) August 7, 2019
単なる「公金支出の問題」ではない
よって、今回の件を単なる「公金支出の問題」と捉えると、おかしなことになります。
公金を支出していても、それが民間事業であれば、主体は民間ですから、補助金の支出基準に準拠している限り、政府の方針に反する行為が行われていたとしてもそれは違法でもなんでもないし、必ずしも政府がその行為を是認したと評価されるものではありません。
今回の件で公金支出が問題視されているのは、公金が支出されている以上、支出の判断過程や審査基準が適切だったのかの事後的チェックや立法の検討が必要であるということに過ぎません。
政治的メッセージは表現の自由で保護されない?
黒岩知事の発言が危ういと言ったのは、政治的メッセージだから表現の自由を逸脱=表現の自由で保護されないと言っているという側面もあります。「表現の自由の濫用」は一応は表現の自由の枠に入っていますが、それとも違っています。
これの何が問題か?
ある行為が表現の自由に入らないと言ってしまえば、それを公権力の側が侵害したとしても、正当化される余地が大きくなってしまいます。その判断は事実上恣意的になされるので、国民の表現行為に対する「萎縮効果」が大きく働いてしまいます。
ですから、よほどのことが無い限りある表現行為を表現の自由の保護対象ではないとするのは慎むべきでしょう。
まぁ、そもそも今回のは表現内容を見て表現の自由論で語ることが困難だというのは先述の通りなので、仮定の話です。
仮に今回の事案が単なる民間団体が民間のスペースを借りて展示をしていただけに過ぎないと言う場合に、公権力が「政治的だから表現の自由ではない」といって中止に追い込んだらどうか?を考えればよい。
「事実を歪曲した」について
「日本軍の手によって強制された」というものとして展示されているのが事実歪曲であるということを明確に指摘しないといけません。
「主体」ではなく「客体」である当時日本人たる朝鮮半島の住民の女性の立場からすると、親や女衒に意思に反して売春させられた例があるということは日本政府も認識しているところですからね。
ただし、「強制」の「主体」については日本政府は明言していません。「軍の関与のもと」と言っています。それは、慰安所は軍が管理運営していたからであって、そこに女性が来るまでの過程については応募も居たでしょうし、不幸にも身売りさせられた方も居たでしょう。日本政府は、後者のような当時日本人たる女性に対して責任を感じているという意味で何度も遺憾の意を表明してきたということです。
決して異民族たる韓国人に対して言っているのではありません。
捏造慰安婦像の作者がどういう意図だったのかを弁明しようとも、出来上がった作品は「日本軍によって強制連行させられた」ものであると受け止められるように喧伝させられているのですから、「事実歪曲」そのものです。
こういった理解をせずに「強制はなかった」だけでは、メディア等に利用されてしまいます。
まとめ:愛知の芸術祭の「少女像=捏造慰安婦像」は承認してはいけなかった
黒岩知事のように「トリエンナーレ・表現の不自由展の主体は誰か?」を無視してしまうと、ツッコみを受ける余地を与えてしまうことになります。
また、「慰安婦強制連行問題」についても雑な理解があってはいけません。
そういう意味で、黒岩知事の発言は残念だなと思います。
以上