事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します

朝日新聞による大坂なおみ選手への人種差別的記事?

朝日新聞による大坂なおみ選手への人種差別的表現

朝日新聞2018年9月24日朝刊29面

朝日新聞2018年9月24日朝刊29面で大坂なおみ選手に対する人種差別を助長するかのような記事が掲載されました。虎ノ門ニュースでも青山繁晴氏が取り上げ、「ヘイトではないか?」と指摘しています。

私も非常に問題だと思いましたが、ネット上の情報では評価を誤る可能性があるので該当部分を確認します。

記事1魚拓:http://archive.is/3I7y7

記事2魚拓:http://archive.is/skRla

「モヤモヤ」記事は3人へのインタビューが軸

紙面版では、岩澤直美さん、副島淳さん、下地ローレンス吉孝さんの3人のインタビューで構成されています。そのうち、副島さん、下地さんへのインタビューの部分は、その部分のみではまったく問題ありません。

副島さんへのインタビューの該当部分には「100%日本人…」と居酒屋で男性が話していた経験を語っていますが、それは日本人とは何かという日本社会における観念に対する問題提起であり、大坂選手を日本人として扱う事に対する疑問が示されているわけではありません(つまり記事の途中から内容がずれている)

ただし、紙面はそれも含めて構成されていますから無視はできません。
※なお、朝日新聞デジタルでは副島さんのインタビュー動画がありますが、実に清々しい内容であり問題はありませんでした。

より問題なのは、岩澤さんへのインタビューを構成した記事にあると思います。

他人に語らせる「日本人というモヤモヤ」

注意すべきは、岩澤さん自身がなにか大坂選手に対して言った発言があったのか、断定はできないということです。発言をそのまま抜き出したかのようなかっこがきの部分と、かっこがきではないものの発言を説明したかのような記述が混在しているからです。

本人がそう言ったのか、朝日新聞側が編集したのかは不明ですが、成立した記事としては朝日新聞としての表現と受け取るべきでしょう。少なくともこのような個人の見解をわざわざ掲載するということは朝日新聞社が表現として問題ないと判断したのでしょう。

問題の個所は以下です。

朝日新聞2018年9月24日朝刊29面

早稲田大学の岩澤直美さん(23)は「うれしいニュース」と思いながらも、「日本人初」という盛り上がり方にモヤモヤを覚える。父が日本人で、母がチェコ人。ー中略ー(彼女の名付けの経緯など)
モヤモヤの根にあるのは、普段の自分の体験とのズレだ。生後間もなくから大半を日本で暮らし、国籍は日本。しぐさや表情などから、海外では「日本人」として扱われ、自身もそのように考えている。
だが、日本で「何人?」と問われ、「日本人です」と答えると「違うでしょ」と否定される。不動産屋で「うちはジャパニーズ・オンリー」と断られた経験もある。友人らと飲食店に入れば、「彼女は何を頼みますか?」と岩澤さんを除いてやりとりが進む。「いつも『外側』にいる感覚。見た目や言葉などで『日本人』の中に入る、何重かのドアの開かれる数が違う」と話す。

そして「国籍ではなく個人に向き合ってほしい」旨で文は締めくくられます。

ようするに、「普段の自分の体験として日本人扱いされていないことがあるのに、大坂なおみ選手は日本人扱いされている」という事をこの女性が訴えたいかのようです。

その主張の名宛人(誰に対して言っているのか)はどうも「大坂選手やその応援者」ではなく「普段はハーフ等を日本人扱いしないのに都合のいい時だけ日本人扱いする者」であるようですが、そんなことは文字の上では書いていません。

素朴に読むと「大坂選手やその応援者」に対する主張と受け止めることになるでしょう。

なぜ記事の実際の文言と受け取る印象が乖離しているのか?

記事全体の構成が原因です。

読者に大坂選手関連のストーリーを想像させる

大見出しが【「日本人」って?私のモヤモヤ】であり

小見出しが【大坂選手の快挙で多用されるが…】とされ

導入文で【「日本」や「日本人」が多用されることに違和感を抱く人たちがいる。】という一連の記述から、何を読者は想像するでしょうか?

そして他人に【「日本人初」という盛り上がり方にモヤモヤを覚える。】と(記事の中で)語らせることで、まるで「応援者」が「大坂選手を日本人として賞賛すること」が気に入らないかのようです。

それは続く副島さん、下地さんに関する記事によっては払しょくできない読み取り方です。

意図的かはともかく、記事の構成によって、そのような解釈をさせるようになっているのです。

別の解釈の可能性?

『いや、その後のインタビュー内容からすれば「普段はハーフ等を日本人扱いしない人」が「都合のいい時だけ大坂選手を日本人扱いした」ことに対して非難を加えているだけであるという解釈をするのが筋である』

と言う人も居るでしょう。

しかし、不思議なことに、「普段はハーフ等を日本人扱いしない人」が「大坂選手にだけ日本人扱いした」実例が全くこの記事の中に登場していないのです。文章を見渡しても、決してそういう内容であるとは明示していません。

そうだとしても、「普段はハーフ等を日本人扱いしない人」の多くが「大坂選手についてだけは日本人扱いしている」という実例が無いと、上述のような解釈にはなりにくいです。

また、「日本」や「日本人」が多用されることは大多数の者によって為されている社会的な現象なのに対して、インタビューを受けた者が経験したことは特定人による行為です。

特定の人物が普段はハーフ等を日本人扱いしていないのに都合のいい時だけ日本人扱いしていることへの非難という卑近な事象から、「日本や日本人が多用されることに違和感を抱く」ということには飛躍があります。

応援者は大坂選手が日本人選手として初めての快挙を成し遂げたからこそ「日本人」という言葉を使っており、そのような想いでいる者が多数だからこそ「日本人が多用」されているに過ぎません。

よって、「モヤモヤ感」の名宛人は大坂選手を賞賛する者たちであると理解することの方がより自然であるということになります。

『「単なる応援者」ではなく「都合のいい人」が名宛人である』という読み方はあり得る解釈の一つでしょうが、読者が第一に受け止める可能性が高い解釈ではありません。

つまり、非難の対象は「都合のいいこと」ではなく「大坂選手を日本人として賞賛すること」が第一義的であるということになります。

多義的な文章に人種差別的解釈が含まれることについて

奇しくも新潮45の10月号における小川榮太郎氏の文章が多義的であることについて批判を加えましたが、朝日新聞についても同様のことが当てはまりそうです。

多義的な文章を意図的に作るということはあります。

しかし、朝日新聞の「日本人というモヤモヤ」という主題について、まるで「応援者」が「大坂選手を日本人として賞賛すること」が気に入らないかのような解釈ができてしまう文章というのは意図的なのでしょうか?

意図的であったら許されない行為ですし、そうでなくとも甚だ不注意であると言えます。

世界に誇るクオリティーペーパーの朝日新聞ですから、不注意というのはあまり考えにくいのですが…

大坂なおみ選手へのヘイトや人種差別ではないが…

『「大坂選手を日本人として賞賛すること」が気に入らない』

このような主張はヘイトや人種差別でしょうか?

「ヘイト」は直訳で「憎悪」であり、 ヘイトスピーチの用法としては「自分から主体的に変えることが困難な事柄に基づいて属する個人または集団に対して攻撃、脅迫、侮辱を加えること」というのが一般的ですが、攻撃や脅迫、侮辱ではないでしょう。

また、いわゆる「ヘイトスピーチ規制法」上のヘイトスピーチも「地域社会からの排除」が要素にありますから、これには当たりません。

「人種差別」はいわゆる国連人種差別撤廃条約と言われる「あらゆる形態の人種差別の
撤廃に関する国際条約
」に定義があります。

第1条

1 この条約において、「人種差別」とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう。

日本国視点から見れば、大坂選手は日本国籍とアメリカ国籍のいずれかをこれから選択しなければならない立場です。

しかし、テニス選手としては、自らの意思で日本国の選手と言う立場を選び勝ち取っています。

であるならば、大坂選手を「日本人として賞賛」することも「日本人という属性を賞賛」することも、何ら妨げられる理由は無いはずです。

にもかかわらずそのような行為が非難されるというのは、大坂選手を国籍以外の人種等で区別しているということになると思います。

よって、朝日新聞の記事は人種差別に当たると言える余地があるということになります。

まとめ:それでも朝日新聞は休刊しない

新潮45は休刊となりました。その理由は「会社として十分な編集体制を整備しないまま『新潮45』の刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思い」ということです。

朝日新聞の大坂なおみ選手に対する記事は同レベルの行為だと思うのですが、朝日新聞は休刊しないでしょう。いや、するべきではないと思います。

こうした表現があったからいちいち休刊だの廃刊だの言っていたらキリがありません。言論活動が窮屈になるだけです。

朝日新聞は人種差別的な表現があるという指摘に対してどう応えるのか?今こそ真摯な対応が求められる。

以上