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令和の選定過程の政府説明は実態と乖離しているのか?

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新元号令和の選定過程の政府説明が実態と異なっているのではないか?

こういう報道がありますので、どう理解すればよいか調べた結果をまとめます。

「政府説明、実態と乖離」の時事通信の報道

政府説明、実態と乖離=「令和」の選定過程(時事通信) - Yahoo!ニュース魚拓

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時事通信の記事が初出で、それが全国の地方紙に載っているのが分かります。

政府による元号選定の手続の流れの説明

新元号の選定について | 首相官邸ホームページ

内閣総理大臣は、高い識見を有する方を選び、これらの方に次の元号とするのにふさわしい候補名(以下「候補名」という。)の考案を委嘱する。(3月14日に委嘱

4月1日の手続として、内閣官房長官が各界の有識者の参集を得て、元号に関する懇談会を開催し、新元号の原案につき意見を求め、その結果を内閣総理大臣に報告することとなっていました。

「政府説明と乖離」とは何か

政府は、はるか以前に有識者に元号候補の考案を非公式に依頼。100に迫る候補を官房副長官補室の金庫で代々保管し、考案者が亡くなるたびに新しい候補を補充してきた。これらを精査し、原案を六つに絞り込んだのは4月1日ではなく先週だった。

 さらに、首相は2月以前に元号候補を見せられ、意中の元号案を事前に固めていたのではないかとの見方が政府内では強い。令和に異論はなかったとの説明に反し、野党出身の郡司彰参院副議長が、意見聴取の場で「季語の入った万葉集(を典拠とする案)はどうなのか」と疑問を呈したことも分かっている。

  1. 3月14日に委属したとする新元号の候補名の考案は、それよりも「はるか以前に」内々に行われていた
  2. 原案を6つに絞ったのは4月1日ではなく先週だった
  3. 令和に異論はなかったという説明があったが、元民進党・現無所属の郡司彰参院副議長が疑問を呈していた

時事通信の記事の中で、「政府説明と乖離」とあるのはこの3つです。
「首相は2月以前に元号候補を見せられ、意中の元号案を事前に固めていたのではないかとの見方が政府内では強い」という部分は憶測が混じっているのでここでは検討対象としません。

ひとまずは、この記事が事実である前提で検討していきます。

「はるか以前」に「官房副長官補」室で「代々」保管

「官房副長官補」室で「代々」保管とあります。

今上天皇陛下が譲位のお気持ちを表明されたのは平成28年(2016年)8月8日です。

それ以降に3名いる官房副長官補が代わったのは、安全保障担当官房副長官補の中島明彦から前田哲への交代しかありません。

これを「代々」とは言わないでしょう。

よって、「はるか以前」は天皇陛下の「お気持ち」表明より前の話になります。

内政担当官房副長官補か

官房副長官補は安全保障担当の他に内政担当外政担当がありますが、このうち改元を扱うのはふつうに考えて内政担当でしょう。

すると、現職以前は民主党政権時代の方も含まれます。

民主党政権時代と言っても、官房副長官補はキャリア官僚が担ってますから、政権交代による影響があったのかはよく分かりません。

「はるか以前」に元号の候補を考えていたことは手続に反して悪いのか?

時事通信の報道が正しいとすると平時から候補名を吟味してきたという話になります。

これは、「手続違反」と評価すべきことなのでしょうか?

元号の選定は、かつては天皇が行っていました。

そして、本来は新元号は天皇崩御の際に決められるものでした。

しかし、現代では新天皇や皇族が元号選定の手続から外れました。

そうである以上、元号について高い識見を持つ者が吟味する期間を確保できず、短時間で決定せざるを得ないという弊害を回避しようとするのは自然だと思われるのです。

その手続は内閣総理大臣が委属したものではないですから、正式な手続に乗っかっているものではありません。

ただ、最終的には現実には正式な手続きに則って元号選定が行われたのは事実なので、そこに問題があるということにはならないはずです。

たとえば、法律の立法過程では原案を国会に提出するのが法的手続ですが、その前には党内で議論しています。それを「非公式だ」といって非難するのはお門違いでしょう。

政府の説明は、あくまでも正式手続に乗っかった後の事について述べています。

昭和から平成への場合

元号選定の手続については昭和54年に閣議決定されていました。

ただ、内閣総理大臣による考案の委属は、かなり後になってからです。

昭和61年10月28日の国会内閣委員会

○政府委員(的場順三君) 御承知のとおり、新元号の選定は大変重要な事項でございます。遺漏なきを、万全を期する必要がございますので、政府としては、昭和五十四年十月の閣議報告で「元号選定手続について」というのを定めておりますが、それに従いまして適時適切に対処すべく現在研究をしているところでございます。
○野田哲君 今のお答えでは全く抽象的なんですが、当時の法案を審議をした三原総務長官の当委員会での答弁などを見ると、新元号の選定のための選定委員会の人選、こういうような問題も議論になっているわけでありますけれども、選定委員会というようなものを設けるのか設けないかは別にいたしまして、学識経験者等に意見を聞くとか、あるいは元号の候補みたいなものを挙げてもらうとか、そういう有識者との相談などはなさっているわけですか。
○政府委員(的場順三君) 元号法には、「元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。」ということに定められておりまして、この法案につきましてのタイミング等は非常に慎重を期すべき事柄であろうと思っております。御指摘の、いろんな考案者の先生方の名前を考えたり、あるいは委員の委嘱の手続をしているのかということでございますが、現在まだ考案者に委嘱するような手続は行っておりません。ただ、そういう委嘱の時期につきましても、諸般の状況を考慮し、遺憾なきを、万全を期しているところでございます。

この間に内々に候補名を検討していたのかは定かではありません。

昭和の時代、内閣総理大臣からの委属はいつからか

【独自】“秘中の秘”元号の選定過程…「平成」考えた人は誰?30年の謎に新資料(日本テレビ系(NNN)) - Yahoo!ニュース 

昭和天皇が、亡くなる2年前開腹手術を行った頃の事。首相執務室で、当時の竹下首相と小渕官房長官は3枚の紙を考案者は伏せた状態で見せられたという。
竹下首相は
「うまくやってくれ」
事務方に、一言こう話したという。
その後、1988年9月19日、昭和天皇が大量に吐血。この頃、小渕は
「これが世に出たら大変な事になる」
周囲にこう語り、2つの資料を官邸の金庫にひそかに保管させたという。

昭和62年(1987年)9月22日に昭和天皇が開腹手術を受けたあと以降に、元号の選定手続きが加速したということが伺えます。この時期に、内閣総理大臣からの委属が行われたのでしょうか?

いずれにしても、今回の選定手続きが現行法体系後のものとして異常であるとは言えない気がします。

なお、元号選定手続の公表については、30年非公開としていますが、平成については5年間延長がなされました。

原案を6つに絞った時期と異論について

ここは政府の説明と時事通信の報道と矛盾しない場合として、「考案者から上がってきた候補が元から6つだった」というものが考えられます。

なお、元民進党・現無所属の郡司彰参院副議長が「令和」に疑問を呈していたということについては本当にそうなのかもしれません。そこは、政府側の発表と「実態と乖離」がある可能性があると思います。

ただ、それは「元号に反対した者が槍玉に挙げられるのを避けるため」という見方もできますし、疑問を呈していた者が一人しかおらずそこまで喧々諤々に議論されたということがなかったので、捨象されて当然な程度だったということなのかもしれません。

まとめ:時事通信の報道通りでも問題ないのでは

結局のところ、実際が時事通信の報道通りだったとしても、何ら責められるべき点は無いのではないでしょうか。

問題は、どうして内々にしておかれるべき情報がこうもメディアにリークされているのかということではないでしょうか?

以上