クイズ王・小西洋之議員が参議院で「法の支配の対義語を答えよ」と質問しました。
これに安倍総理が回答できなかったというデマが本人によってばらまかれています。
この場合の法の支配の「対概念」は人の支配ではありません。
- 法の支配とは
- 伝統的な「法の支配」は各国で異なる
- 人の支配と法の支配との関係の一般論
- 安倍総理の言う法の支配は国際関係における意味
- 国際関係における「法の支配」と 「力の支配」
- 「人治主義」と「人の支配」という比喩語
- やはり「国民の敵」であった小西洋之議員
法の支配とは
「法の支配」とは"Rule of Law"の訳語です。
イギリスのダイシー教授の憲法論が代表的です。
その中で触れられているH,de.ブラクトン(~1268)の「国王は、いかなる人の下にもあるべきではない。しかし、神と法の下で統治すべきである」「何故ならば、法が国王をつくるのであるから」という言葉がありますが、これが「法の支配」の中心的な内容であることは間違いありません。
専断的権力(arbitrary power)、とくに政府の広汎な裁量権の支配に対立する正規な法(regular law)が優越するというのが法の支配の核心的部分です。
伝統的な「法の支配」は各国で異なる
法の支配と裁判 (1960年) [Jan 01, 1960] 田中 耕太郎を参考にします。
実は、「法の支配」の意味内容は国によって異なります。
日本国の法体系が属すると言われる英米法系の国であるイギリスとアメリカについて言うと、両者とも「正規法の絶対優位」は執行権の優越に対する個人の権利自由の擁護として発展したものですが、その存立基盤が異なります。
イギリスの場合、正規法の絶対優位は政府の専断、特権、広汎な自由裁量権の排除によって確立されています。念頭にあるのは国王大権の抑制であり、議会と裁判所は協力関係にあります。
一方アメリカの場合、それは裁判所の違憲審査権によって確立しています。議会(立法)と政府(行政)に対する抑制的機能が念頭にあります。
こうしてみると「法の支配」はそれぞれの国家に固有の歴史や政治的事情と密接に結びついて構成されていると言えるでしょう。
「法の支配」の「法」を完全に定義することは困難であると田中耕太郎は言います。
なお、「法治主義」とも異なりますが、一応の区分けとしては自然法を観念するか否かと言うことができるでしょう。
より詳しくは以下にまとめてあります。
人の支配と法の支配との関係の一般論
法の支配の「対概念」は「人の支配」と言われます(芦部憲法も一言だけ触れてる)。
その意味内容は「正規法の絶対優位」ではない状態ですが、既述のように各国毎に法の支配の内容が異なるために、意味内容の確定は難しいでしょう。一般的には「為政者が裁量でルールを無視できる」のような状態を指すのでしょう。
ただ、法の支配の「対義語」が人の支配だという説明を私は見たことがありません。
対義語とは何ぞやという話になってきますが、今回はそういう話にはしません。
それよりも、安倍総理はどのような意味で法の支配と言い答弁したか?が重要です。
安倍総理の言う法の支配は国際関係における意味
○小西洋之君 -省略ー
二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。事変、侵略、戦争、いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に決別し、日露戦争は朝鮮半島の、中国の植民地の権益の戦いでございました、全ての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければなりません。植民地支配を日本は行いました。さきの戦争への深い悔悟の念とともに、我が国はそう誓いました。自由で民主的な国をつくり上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年に及ぶ平和国家としての歩みに私たちは静かな誇りを抱きながら、この不動の方針をこれからも貫いてまいります。
このような総理談話から、なぜ日露戦争の戦意発揚の歌をもって、これからの時代、国民の皆さん、共に切り開いていこうではありませんかというようなことが言えるのか、私には到底理解できないわけでございます。
安倍総理、一つだけちょっと今気付いたので、安倍総理、よく法の支配という言葉をおっしゃいますが、端的に質問に答えてください。法の支配の対義語は何ですか。法の支配の反対の意味の言葉は何ですか。法の支配の反対の意味の言葉は何でしょうか。
小西洋之議員は「総理は法の支配と言いますが~」と総理の発言を前提にしています。
安倍総理が法の支配という言葉を持ち出すのは国際関係の場面においてです。
一国内における「法の支配」とは異なる場面であるということに気づきます。
実際安倍総理は、こう答えています。
第198回国会 参議院 予算委員会 第5号 平成31年3月6日
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 言わば、私が申し上げているのは、私が申し上げている法の支配というのは、まさにこの反対語というよりも、法の支配ということを申し上げているのは、言わばこの海、繁栄の海、アジア太平洋の海を繁栄の海としていく、インド太平洋を繁栄の海としていく、地域としていく上においては、法の支配、国際法の支配の中においてルールを守るということが大切であると、言わば力による現状変更ということは認めないということでございまして、そういう意味におきまして、まさに法の支配による、ルールによるこの国際秩序を維持をし、そして平和な海を守っていくことがそれぞれの国の繁栄につながっていくという考え方を示しているところでございます。
安倍総理はちゃんと「力による現状変更」と答えています。
国際関係における「法の支配」と 「力の支配」
国際社会における「法」観念の多元性*一一地球大の「法の支配」の基盤をめぐる一試論一一粛藤民徒ではしばしば「力の支配」と対置されるとあります。
これは当然です。
国家vs国家の場面では、「為政者が誰か」という話にはならないからです。
国連は【国際法の諸原則に合致する法規範に依拠した統治の原則】を「法の支配」としています。国家の行為が問題になる以上、主体は国家であって、決して「人」ではありません。
小西議員の質問の前も、安倍談話において国際社会における日本の役割に言及していたのであって、客観的に明らかに文脈は国際関係上のものです(小西議員の主観はどうでもいい)。
したがって、国際関係の場面で『法の支配の対義語は人の支配なんだ!』と言うのは明確に間違いです。
その他の資料としては国際社会における法の支配 柳井俊二などがあります。
「人治主義」と「人の支配」という比喩語
○小西洋之君 -省略ー
安倍総理が認識している、自衛隊を違憲だという違憲論をお持ちの憲法学者の学説の概要でいいですから、こういう考え方で、九条をこういうふうに解釈して違憲と言っている学者さんがいらっしゃるという学説を二つほど御紹介していただけますか。どういう考え方で違憲になっているか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 先ほど、先ほどもとうとうと述べられたわけでございますが、まさにこの人治主義に陥ってはならないということは当然のことであろうと、こう申し上げているところでございまして、先ほど私が、法の支配ということにつきましては、言わばアジア太平洋地域、インド太平洋戦略の中におきまして法の支配を尊ぶべきであるということを、この考え方、そういう世界を実現していこうということで申し上げてきたわけでございまして、それは言わば人治主義ということだけではなくて、力によるこの現状変更等々もこれはあるわけでございます。
そして同時に、今、学者の解釈論でございますが、学者の解釈論につきまして私がここにおいて論評する立場にはないということでございます。さらには、合憲だと言い切れる憲法学者は二割しかいないということについては、違憲であるということと合憲とは言えないという方等々も含めた調査の結果であるということは申し添えておきたいと思います。○小西洋之君 秘書官から人治主義という言葉を教わって答弁するのはやめてください。
「人治主義」 という言葉が「人の支配」とほぼ同義で使われていることがあります。
法の支配と法治主義は異なるということは触れましたが、人治主義がどういう関係にあるのかは不明です。
そもそも法治主義という言葉の定義はなく、法治国家の要素として叙述されています。
「人治国家」という言葉は定義としては存在せず、法治国家ではない国という揶揄の意味合いで用いられるわけですから、人治主義という内容が人の支配とどういう関係なのかというのは意味の無い話です。
やはり「国民の敵」であった小西洋之議員
カルロス・ゴーン氏の保釈よりも、安倍総理が「法の支配」の対義語の「人の支配」を知らなかった事実の方がはるかに日本社会への重大事件なのだが、テレビ報道は残念な限りだ。
— 小西ひろゆき (参議院議員) (@konishihiroyuki) March 6, 2019
自分で国際関係の文脈にしておいてこの始末。
そもそも一般的な意味での法の支配の対義語を聞いていると考えるのは、国会質疑という場面を考えると意味不明なので、それを聞いていると解釈することはできません。
しかも小西洋之議員自体が「安倍総理が言う法の支配」と限定しているのですから。
テレビがほとんど放送しないのは、あなたのデマが大拡散されるからですよ。
以上