事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

朝鮮騒擾(三・一運動)の韓国(朝鮮)独立運動の血史の評価・矛盾点

 

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朝鮮騒擾(三・一独立運動)について記述した朴殷植(パク・ウンシク)の韓国独立運動之血史とその和訳である姜徳相(カン・ドクサン)の朝鮮独立運動の血史について。

記述に矛盾があるので指摘します。

姜徳相氏が和訳したものを参考にします。

韓国独立運動之血史(朝鮮独立運動の血史)の伝聞

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朝鮮独立運動の血史1 朴殷植・姜徳相訳注 平凡社 東洋文庫 169頁

最初に、この書物は当時上海に居た朴殷植が、新聞報道や個人の伝聞的報告によるものだけで構成されているということを、朴自身が暴露しています。

現地調査を行ったという記述は一切ありません。

朝鮮独立運動の血史にみる郭山郡の惨殺の記述

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朝鮮独立運動の血史1 朴殷植・姜徳相訳注 平凡社 東洋文庫 223頁

平安道の郭山郡の事件の記述とされるものでは、「殺された朝鮮人の数は、数千人に達した」とあります。

これと後述の独立運動一覧表の記載と比べてみましょう。

朝鮮騒擾(三・一独立運動)全体の逮捕投獄者(被囚者)

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朝鮮独立運動の血史1 朴殷植・姜徳相訳注 平凡社 東洋文庫 212頁

朝鮮騒擾(三・一独立運動)の全体の「被害」とされている記述です。

ここでは「逮捕投獄者=被囚者が数十万をかぞえ」と書いています。

朝鮮騒擾の参加者は200万人と韓国側は主張していますが、日本側の推計では58万人であるというものがあります。最近の韓国の研究では100万人ではないかと言われているようです。

「数十万人」というからには少なくとも30万人であるという主張でしょう。

すると、全体の2分の1~3分の1もの人々が収監されたということになります。

これは明らかに過大でしょう。

そんな人数を収容できる留置施設があったとは思えません。

後掲の独立運動による被害の総計表とも矛盾しています。

独立運動一覧表との矛盾点

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朝鮮独立運動の血史1 朴殷植・姜徳相訳注 東洋文庫 170頁

上から4つ目の欄が死亡者数になっていることが分かります。

この部分について、郭山の「殺された朝鮮人の数は、数千人に達した」を確認してみましょう。

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朝鮮独立運動の血史1 朴殷植・姜徳相訳注 東洋文庫 173頁

空欄になってます。

数千人が殺害される事件(と主張されているもの)は数えるほどしかないのに、その「貴重な」ものの一つが空欄になっているというのはどういうことでしょうか?

 次に、「逮捕投獄者=被囚者が数十万をかぞえ」という部分についても確認します。

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朝鮮独立運動の血史1 朴殷植・姜徳相訳注 東洋文庫 183頁

被囚者数、4万6948人。

要するに、この書籍の内部において矛盾しているのです。

『「数十万人」は誇張表現に過ぎない』というのは無理があるでしょう。

こういうことがあるので、4万6968人という数字もまた信憑性が非常に疑わしいものであると言えます。

検挙人員については現代史資料25の492頁に「長谷川総督の事務引き継ぎ意見書(1919年6月)」という性質の文書の中で、「2万8200余人に達し」とあります。

韓国の専門家は参加者103万人、死者934人という研究結果

今回の発表によると、当時のデモは日帝による統計はもちろん、歴史家の朴殷植(パク・ウンシク)氏が1920年にまとめた「韓国独立運動之血史」に記載がある1542件よりも多かった。資料を検討した高麗大のチョン・ビョンウク教授は「日帝の三・一運動関連統計には縮小傾向があり、歴史学界では朴殷植氏の記録を『最大値』としてしばしば引用してきた」とし、今回国史編さん委が集計したデモ件数は、これまで誇張だとされてきた朴氏の数値と最も近いという点でも意味があると指摘した。

このように、韓国側でもアカデミックな世界では検証が加えられています。

これは日本側の報告である「死傷者1500人程度」とあまり変わりありません。

国史編纂委員会の「デモの件数」が朴殷植の「韓国独立運動之血史」よりも多いとされていますが、このような記述になっています。

忠清北道清州や忠清南道青陽など全国43郡では夜間に山の上で火をたき、独立万歳を叫ぶ「山上たいまつデモ」が行われた。イ教授は「警察や憲兵の出動が困難で、暴力的な鎮圧を避けやすかったため、デモ参加者の被害と犠牲を最小化しながら、独立と抵抗の声を上げる空間として使われた」とし、農民による地域共同体中心の自発的なデモが目立ったとした。

郡部の山上で行われた例を入れています。

憲兵が認知していなかった・対処することを諦めたものが含まれているでしょう。

ですから、日本側の報告よりも多いのは当然であり、また、デモの件数が多いとしても、何ら問題はないでしょう。

自国民の研究実績をムンジェインは無視しているのですから、困ったものです。

まとめ:これ以外にも記述の矛盾、違和感がたくさんある

この書籍は新聞報道や個人の体験をまとめたものであると書かれていましたが、出典を明記した記述はほとんど見当たりません。

著者の朴殷植の解説が入っているのか、体験者の叙述をそのまま書いているのか、まったく分からないような書きぶりになっています。

ムンジェイン大統領が本書の数字を直接的に参照したのかは定かではありませんが、死者7500人、負傷者1万6000人という数字の出所は本書、韓国独立運動之血史です。

この数字が連綿と「最大値」として利用されてきました。

朴殷植が居た上海は、大韓民国臨時政府が活動拠点としていた場所です。

現在の韓国は憲法で大韓民国臨時政府を継承したと謳っており、この系統が創作した「歴史」を前提としているのでしょう。

だからこそ、100周年記念演説でムンジェイン大統領がこれを持ち出してきたという側面もあるのではないでしょうか。

以上