百田尚樹氏の新刊「日本国紀」について。
「参考文献が載っていない!」という声があります。
それについてどう考えればいいでしょうか?
- 百田尚樹の日本国紀に参考文献が載っていない件
- 山川日本史教科書の参考文献はどうなっているか
- 日本史の書籍の多くは参考文献が無い
- 「新事実」 がなければ意味がないのか?
- まとめ:参考文献を希望するなら別を当たればいい
百田尚樹の日本国紀に参考文献が載っていない件
『日本国紀』のアンチは中身も見ずに「この本には参考文献が載ってない!」と鬼の首を取ったように非難するが、古代から現代までの通史で参考文献なんか載せられるわけがない。
— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) November 10, 2018
実際、市販されている歴史教科書や日本史の通史にも参考文献は載ってない!
アンチに言いたい。中身を読んで批判しろ、と。
まぁ、そうですよね。
書店で学校の教科書等を見てみればいいですよ。
参考文献、書いてないから。
書いていたとしても、全てが載っているわけではありません。
一時代についてのみ記述した書籍においても、『主要参考文献』という形で巻末に掲載されているものを見たことがある人が多いはずです。
そのような膨大な参考文献を載せようとしたら、文字をいくら小さくしても数十ページに及ぶでしょう。
もちろん、世の歴史本も真の意味で「参考にした文献が無い」ということではありません。
リストとして「載せていない」というだけに過ぎません。
山川日本史教科書の参考文献はどうなっているか
それでは、有名な山川出版の日本史の教科書等ではどうなっているでしょうか?
日本史A 改訂版 日A311の説明を読むと以下のような説明があります。
史料引用は,できるだけ必要な部分にとどめたが,その際も前略・後略は特別には記さなかった。また,読みやすく書き改めたところもある。
このように、主要参考文献としても掲載していません。
これは「山川が悪い」というものではなく、そういうものであるということです。
これは「日本史B」や「現代の日本史」においても同様です。
また、「日本史」という教科書よりも堅そうなものには「付録」として参考文献リストが掲載されています。ただ、この中身については確認できていません。
なお、「もういちど読む山川日本史」シリーズを実際に見てみましたが、参考文献はありませんでした。
中身を批判出来ないから参考文献など言っているのだと思います。
— 伊賀 (@kFCbdkYlrpJHVqs) November 10, 2018
日本国紀はコラムの部分がとても好きです。
勿論 年代別の冒頭の説明も分かりやすく、話に入っていきやすいです。
日本史の書籍の多くは参考文献が無い
左から。山川は既述。
- テーマ別だから理解が深まる日本史⇒巻末に主要参考文献2~30程度
- 漫画で分かる日本史⇒なし
- いっきに学び直す日本史⇒なし
- 早わかり日本史⇒記憶があいまいだが文献は無かったはず。
- 日本史のミカタ⇒巻末に主要参考文献として15程度
- 0から学ぶ「日本史」講義古代編⇒巻末に7,80程度のリストがあるが、たとえば日本書紀や古事記についてはそのものが参考文献ではなく、掻い摘んだ解説書が参考文献となっている。
- 日本国史⇒東北大学名誉教授の田中英道教授が執筆したものだが、参考文献はなし。
他にも天皇の歴史のみに注力した書籍など、主題の範囲が限定されているものや、時代が限定されているにもかかわらず参考文献が無いものはたくさんありました。
参考文献を学術論文のように掲載しているのは、たとえば以下のようなものです。
学者ではない作家の百田氏が書いた日本国紀は500ページであると言われていましたから、参考文献ガチガチの学術論文みたいなものは、普通は期待できないでしょう。
「新事実」 がなければ意味がないのか?
日本国紀批判の多くは中身の話ではなく形式的な側面のものが多いです。
その一つが「これまでの教科書等で既に書かれていた内容と同じものがあるだけで、新事実は無い」というもの。
それがあれば歴史学会で表彰ものでしょう。
そんな教科書はありますか?という話。
歴史は事実と事実を繋ぎ合わせて、そこにどういう意味があるのかを探るものです。
無味乾燥な事実のみの羅列では意味を成しません。
そういう歴史本というのは、これまでも無かったハズです。
なぜ百田尚樹氏にだけそれを求めるのか、不思議でたまりません。
百田氏が何度も言っているように、日本国紀は、これまでの歴史教科書等が、読者が日本国に誇りを持てるようになることができない構成になっているため、誇りを持てるようなものが必要だとして執筆したものです。
ですから、同じ事実を取り上げていたとしても評価が異なるのは当たり前です。
同様の事は、歴史関係の書籍では当たり前に発生することです。
例えば私は今現在、「韓非子」を読み進めていますが、何百種類もの韓非子本が出ているにせよ「新事実」があるということはありません。著者や訳注者の「解釈」の妙味が作品として楽しめるものになっています。
これを「新事実がなければ意味が無い」と言ったならば、韓非子が2000年以上前に書いた原文以外に価値を認めないということになります。
それはおかしいということは明らかです。
まとめ:参考文献を希望するなら別を当たればいい
- 日本史を書いた書籍は、教科書も含め参考文献を載せているものは少ない
- 参考文献を載せているものでも、主要なものしか載せていない
- 全ての参考文献を載せている書籍となると「大作」しかない
- 「新事実」を期待するのはお門違い
これまで世の中に断片的に存在していた、日本国を誇ることができるような歴史的事実をまとめることや、通史の文脈の中で焦点が当たってこなかった事実、発見・研究はされていたが大きく取り上げられることの無かった事実、何度も言及されていた事実について別視点から評価を加えた解釈…etc
歴史に関する書籍の価値はそれぞれです。
日本国紀は、他の歴史本と異なる視点から日本通史を見つめた点が魅力であるはずです。
形式的な点をあげつらった非難に釣られるのではなく、中身の評価をしていくべきでしょう。
以上