事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。リンク切れに備えて魚拓を活用しています。

トリエンナーレ表現の不自由展中止の法的問題と船橋市立図書館蔵書廃棄事件

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「表現の不自由展」が展示中止となりました。

その法的問題について、船橋市立図書館蔵書廃棄事件との関係から確認していきます。

トリエンナーレと表現の不自由展についての勘違い

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まず、トリエンナーレ全体と表現の不自由展の関係を理解していない方が相当数いるので、改めてこの図を提示します。

中止されたのは表現の不自由展だけであって、それ以外の美術作品の展示・プログラム実施には影響はありません。

次に、トリエンナーレの運営と芸術作品の扱いについても誤解があります。

行政が運営して自分で作品を選んでいるだけ

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文化庁の2019年度「日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業(文化資源活用推進事業)」採択一覧では、補助事業者名が「愛知県」になっています。

トリエンナーレのうち、「国際現代美術展事業」にのみ補助金が採択されています(執行はされていない)。その他、愛知県や名古屋市からもトリエンナーレに補助金が出ています。

あいちトリエンナーレの主催はあいちトリエンナーレ実行委員会です。

この実行委員会は厳密には自治体とは別組織ですが、会長が愛知県知事、会長代行が名古屋市長であり、愛知県の職員が事務を担当し、問い合わせ先も愛知県の民生活部 文化芸術課です。メールアドレスのドメインも愛知県のドメインを使用しています。

芸術監督である津田大介は実行委員会の仕事の委嘱を受けているため、実質的に実行委員会の行為として扱うことが可能です。

実行委員会には愛知県以外のNHK、新聞社、商工会議所、独立行政法人、大学教授等が名を連ねていますが、実態としては公的機関(ほぼ愛知県)が運営主体と言って良いでしょう。

トリエンナーレ事務局において電話で応対している方も基本的には愛知県の職員の方である公務員です。

したがって、今回の話は「民間が美術館等の利用許可を得て自分の作品を展示した」場合とは異なり、「行政が主催する芸術祭において、行政が展示作品を選考して展示した」という場合なのです。

図示すると以下のようになります。

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「検閲」はありえない

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http://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/cmsfiles/contents/0000119/119833/webc.pdf

以上より、トリエンナーレ全体や「表現の不自由展」は行政の力によってはじめて展示可能になっているものであって、行政が自分らで運営している事業についてどの作品を展示するかを決めるのは法令に抵触しない限りは基本的に裁量の範囲内です。

「検閲」とは、本来は民間が自由に出版・表現できるのに行政が禁止する場合です。

検閲の定義に照らす以前に、そもそも検閲の話に成りえない場面だということです。

ある作品を採用しなかったからといってもそれは検閲ではないわけです。

この前提に立った上で、今回、表現の不自由展で出展された作品は、別の個人ギャラリーでの出展も禁止されているわけではありませんから、検閲の定義にはかかりません。

名古屋市の河村市長が抗議文を送ったことが「弾圧」などと言う人がいますが、多数の国民からの陳情を受けてのことですし、河村市長自身が実行委員会の会長代行なので、身内からの中止要請です。なお、大村知事が中止判断をした理由としては、この抗議は言及されていません。

法的な問題が起こるとすれば、作品の著作権者の人格的利益との関係です。

船橋市立西図書館蔵書廃棄事件

実は、公立図書館の蔵書となった書籍が、通常の手続を無視した違法行為によって勝手に廃棄された事件があります。そこにおいて、廃棄された書籍の著作者(「新しい歴史教科書をつくる会」メンバーやこれに賛同する者(井沢元彦、西部邁、渡部昇一ら))の人格的利益が侵害されたとして国賠法上違法となった事例があります。

最高裁平成17年7月14日判決 平成16(受)930  船橋市立図書館蔵書廃棄事件

公立図書館が,上記のとおり,住民に図書館資料を提供するための公的な場であるということは,そこで閲覧に供された図書の著作者にとって,その思想,意見等を公衆に伝達する公的な場でもあるということができる。したがって,公立図書館の図書館職員が閲覧に供されている図書を著作者の思想や信条を理由とするなど不公正な取扱いによって廃棄することは,当該著作者が著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益を不当に損なうものといわなければならない。そして,著作者の思想の自由,表現の自由が憲法により保障された基本的人権であることにもかんがみると,公立図書館において,その著作物が閲覧に供されている著作者が有する上記利益は,法的保護に値する人格的利益であると解するのが相当であり,【要旨】公立図書館の図書館職員である公務員が,図書の廃棄について,基本的な職務上の義務に反し,著作者又は著作物に対する独断的な評価や個人的な好みによって不公正な取扱いをしたときは,当該図書の著作者の上記人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となるというべきである。

船橋市立西図書館の場合、蔵書とすることを決定したのは図書館側であり、著作者らが積極的に蔵書とするように要請したわけではありません。それでも「著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益」が法的保護に値する利益とされました。

そのため、表現の不自由展においても、愛知県と作品の著作者との関係で、上記のような利益の侵害があったのかが問題になりえます。

著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益はあるのか

船橋市立西図書館事件と表現の不自由展では、以下の違いがあります。

  1. 作品の「廃棄」と「展示撤去」
  2. 無料閲覧可能であったか有料での閲覧だったか
  3. 1の理由が思想信条によるものだったか安全面の懸念だったか

作品の廃棄であるか展示撤去であるかは、公衆に伝達することが不可能になる状況はほぼ同じなので、実質的に違いは無いと言えます。

2番について、船橋市立西図書館事件では公立図書館が「公的な場」であるという役割・機能から著作物が閲覧に供された場合に法的保護に値する「その思想,意見等を公衆に伝達する利益」が生じることを導いています(それを導くために関連法規を詳細に参照している)。

では、果たして「表現の不自由展」はここで言われているような「公的な場」と言えるのか。有料である今回の場合には閲覧者が限られてくる上に、トリエンナーレの開催の法的根拠は何なのかが争点になって来ると思われます。著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益があったのかの問題です。

そして、3番目の展示中止の理由は、「不公正な取扱い」であったか否かに決定的な違いが出てきます。上記人格的利益の侵害があったのかの問題です。

大村知事が記者会見で述べた「安全面の懸念」という理由は、このあたりを見越したものである可能性があります。

天皇コラージュ事件と大村知事の展示中止の理由

天皇コラージュ事件とは、富山県美術館に昭和天皇の写真コラージュ作品が展示され、反対運動が起こった結果、美術館が本件作品を他に譲渡し、図録を焼却することを決定したことが表現の自由、鑑賞する権利、知る権利等の侵害だとして作品の著作者(今回の表現の不自由展で昭和天皇の御真影を焼却する動画を展示した者)から提訴された事件です。

美術館=富山県側は地方自治法244条2項の「正当な理由」に基づいた行為であり違法性はないと主張しました。

富山地裁では無効確認・義務づけ訴訟は却下されましたが、美術館側に対する損害賠償のみは認められました。しかし、名古屋高裁ではそれも棄却されました。

名古屋高裁 金沢支部 平成12年2月16日 平成11年(ネ)第17号  

そこで、県教育委員会による本件作品の特別観覧許可申請の不許可、県立美術館及ひ県教育委員会による本件図録の閲覧の拒否について、地方自治法二四四条二項の「正当な理由」が認められるか否かについて検討するに、県立美術館としては、購入・収蔵している美術品や自ら作成した美術品の図録については、前記特別観覧に係る条例等の規定を「知る権利」を具体化する趣旨の規定と解するか否かにかかわらず、観覧あるいは閲覧を希望する者にできるだけ公開して住民への便宜(サービス)を図るよう努めなければならないことは当然であるが、同時に美術館という施設の特質からして、利用者が美術作品を鑑賞するにふさわしい平穏で静寂な館内環境を提供・保持することや、美術作品自体を良好な状態に保持すること(破損・汚損の防止を含む。)もその管理者に対して強く要請されるところである。これらの観点からすると、県立美術館の管理運営上の支障を生じる蓋然性が客観的に認められる場合には、管理者において、右の美術品の特別観覧許可申請を不許可とし、あるには図録の閲覧を許否しても、公の施設の利用の制限についての地方自治法二四四条二項の「正当な理由」があるものとして許される(違法性はない)というべきである(この点について、原判決が示した「美術館が管理運営上の障害を理由として作品及び図録を非公開とすることができるのは、利用者の知る権利を保障する重要性よりも、美術館で作品及び図録が公開されることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避、防止することの必要性が優越する場合であり、その危険性の程度としては、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、客観的な事実に照らして、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要である」との基準は、憲法二一条が保障する「集会の自由」を制約するおそれのある事案については相当であるが、本件のような美術品及びその図録の観覧あるいは閲覧に関する事案については厳格に過ぎて相当でないというべきである)。

今回の事件もこの事案とパラレルに考えられるのであれば、「県立美術館の管理運営上の支障を生じる蓋然性が客観的に認められる場合」には、県側が「正当な理由」に基づくとして撤去をしても、違法性はないということになりそうです。

ただ、先述の通り、今回の話は「民間が美術館等の利用許可を得て自分の作品を展示した」場合とは異なり、「行政が主催する芸術祭において、行政が展示作品を選考して展示した」という場合ですから、地方自治法244条2項の話にならないかもしれません。

表現の不自由展の実行委員会は非難声明

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大村知事の言う「安全面の懸念」という理由に実質的な根拠があるとされ、仮に天皇コラージュ事件と同じ規範が使えるとするならば、「不公正な取扱い」ではないということになり、トリエンナーレ実行委員会≒愛知県は著作者らに対して法的責任を負いません。

それは、あいちトリエンナーレ実行委員会が展示作品の審査基準・撤去基準を設けず、津田大介芸術監督に一任しており、法規に触れる場合以外には作品を撤去する根拠がないために出てきた主張である可能性があります。

大村知事は愛知県知事ですから、愛知県にとってダメージが出ないように振る舞った結果かもしれません。「国民からの抗議」「政治的な展示」を今回の著作者との関係で正当化できるという事情は今の所見えてきません。

まとめ:審査基準・運営の見直しと脅迫犯の検挙を

  1. 船橋市立西図書館事件からは、表現の不自由展中止は著作者の人格的利益の侵害として争われる可能性がある
  2. 表現の不自由展は「公的な場」とされるのかが争点
  3. 大村知事の中止理由として「安全上の懸念」は天皇コラージュ事件では地方自治法244条2項の「正当な理由」として使えるが、今回の場合にも使えるのかどうか
  4. 仮に正当な理由として使える事案なら、愛知県は勝訴する

個人的には展示の撤去は妥当だと思いますが、その理由として「安全上の懸念」が持ち出されるような状況にはなってほしくなかったと思っています。

著作者側への協議を経て任意の中止の道を探ってほしかった(それが表現の不自由展側との契約内容でもあったようです)。

今回の場合、東京都美術館のように独自の審査・撤去基準を設けていなかったため、上記理由以外の理由で一方的に展示中止をすれば愛知県は負けてしまうと考えられたと思われます。

それを考えると、トリエンナーレ実行委員会が公金が支出される展示会で「法規に触れなければOK」という運営をしていたこと自体が問題視されるべきです。

並行して、文化庁の助成金採択にかかる審査に問題はなかったのかもチェックするべきでしょう。

そして何より、トリエンナーレの関係者を畏怖させ、来客者にも不安を招くこととなった脅迫犯人の早急な検挙を望みます。

以上