事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

剽窃(盗用=Plagirism)の定義とパロディ・オマージュとの違い

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剽窃」という言葉について情報が錯そうしてるので整理しました。

アカデミックの文脈と一般の文脈とで、相当扱いが異なるものになっています。

剽窃の定義

剽窃の一般的な定義として確定的なものはありません。 

一番広い理解としては「他人が創作したモノ(文章でも音楽でもアイディアでもなんでも)から拝借したけど適切なクレジットがついてない不正な行為」という感じで把握されています。

「剽窃 定義」で検索をかけても、モヤっとした記述しか見当あたりません。

「著作物から~」というものであるとする説明もありますが、実態としては客体は著作物に限ったものではありません。

学術的には「盗用=Plagiarism」

剽窃は学術的(アカデミック)には盗用=Plagiarismという表現で扱われています。

政府が定義している「盗用」について「参考」となるものを示します。

2 研究活動の不正行為等の定義:文部科学省

本ガイドラインの対象とする研究活動は、文部科学省及び研究費を配分する文部科学省所管の独立行政法人の競争的資金を活用した研究活動であり、本ガイドラインの対象とする不正行為は、発表された研究成果の中に示されたデータや調査結果等の捏造と改ざん、及び盗用である。ただし、故意によるものではないことが根拠をもって明らかにされたものは不正行為には当たらない。

(1)捏造
 存在しないデータ、研究結果等を作成すること。

(2)改ざん
 研究資料・機器・過程を変更する操作を行い、データ、研究活動によって得られた結果等を真正でないものに加工すること。

(3)盗用
 他の研究者のアイディア、分析・解析方法、データ、研究結果、論文又は用語を、当該研究者の了解もしくは適切な表示なく流用すること。

このガイドラインは対象とする研究活動を限定しており、ここでの定義が学術系における盗用の定義・用法と完全に一致しているかは不明です。

ただ、おそらくほとんど変わりない扱いがなされているものと思われます。

科学技術研究の成果の客観性、再現性の確保が目的

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http://www.meti.go.jp/policy/economy/gijutsu_kakushin/innovation_policy/pdf/150526_kenkyufusei_kyouzai.pdf

こちらは経産省の説明ですが文科省の定義に若干の説明を加えたものになっています。

科学技術研究においては、その成果の客観性、再現性が確保されることが不可欠

ここに一般的な場面とアカデミックの文脈での「剽窃」の扱い方の違いが表れていると思います。 そのために著作権違反ではない盗用までもが「研究不正」の対象になっているのです。

では、成果の客観性・再現性の確保が求められない一般の書籍等で剽窃が非難される理由は何か?

私の予測ですが「成果の横取り」という許されざる行為を駆逐することと「先行者へのリスペクト」という要素が、剽窃を悪であるとして扱う理由になっているのではないかと思います。

アメリカにおける研究不正・盗用の定義

盗用 - Wikipedia

研究不正を、研究の提案、実行、評価、結果発表における、捏造、改ざん、盗用と定義する。盗用は、適切なクレジットをしないで、他人のアイデア、作業過程、結果、語群を横領することである。ただし悪意のない間違及び意見の相違は含まない。
— Federal Register / Vol. 70, No. 94 / Tuesday, May 17, 2005 / Rules and Regulations、28,386ページ

アメリカでは一般的な研究における盗用の定義をしっかりと定めています。
日本では一般的な研究=アカデミック全般における盗用の公的な定義がない

アメリカでもアイディアのレベルにまで盗用の対象を含めていることが分かります。

日本における研究不正の対策はアメリカを参考にしているのでこれは重要です。

ただ、いずれにしてもアカデミックの文脈であることは忘れてはなりません。

問題になるのは「適切なクレジット」か否か

慣れていない人にとっては「適切なクレジット」とは何か?が関心事でしょう。

たとえば、剽窃を避ける – 江口某の不如意研究室というサイトでは、実際に引用元となる文章を提示して、インディアナ大学が禁止している「不適切なパラフレーズ」の例と回避方法を説明しています。

一般的には、「書名・著者名・訳者名・出版社名・出版年・版数・ページ数」を記載した上で語順を入れ替えたり意味が変わるような黙示的省略をしなければ完璧だ、という理解でいいでしょう。

アカデミック界隈ではない読み物では、書名・著者名しか書かれていないことがほとんどですが、それで問題視されることはほとんどありません。

剽窃・盗用とそうでないもの

以上みてきたように、特定の領域における剽窃・盗用の定義は一応は決められているが、一般的な剽窃・盗用の定義があるわけではない、という状況です。

少なくとも省庁の特定研究における「盗用」や、大学における剽窃・盗用に該当する行為は、厳密にチェックしたら世のあらゆる読み物の中でみられます。

しかし、これは悪いことなのでしょうか?

私たちが口ずさむ言葉、思いを綴った言葉が剽窃か盗用かをグチグチ判定するような社会って、とっても息苦しいと思いませんかね?

もちろん作曲・絵画・マンガ・執筆活動などの商業活動において、剽窃と認定されればマイナスの評価がなされます。

しかし、一方でパロディ作品や名作のオマージュといった形で先駆者の作品の要素を抽出して表現する手法は世界中で行われており、それを大切にする文化が育っているのも事実です。

パロディ・オマージュとの違い

 

たとえばパロディ・オマージュを凝縮したのがポプテピピックです。

ポプテピピックを「剽窃だ!盗用だ!」と言う人はいません。ただ、元ネタのクレジットはほぼ無いので、アカデミックの文脈では完全にアウトでしょう。
(裏には膨大な権利処理があるでしょうが)

オマージュ・パロディの定義と剽窃・盗用の定義を言葉だけ並べて理解することは一応は可能ですが、これらの違いを厳密に分けることは本来的に困難を極めます。

しかも、オマージュ・パロディだから著作権法違反ではないとも言い切れません

「元の作品に対する愛があれば大丈夫」などという事は、権利者が許してくれる可能性を高めることには寄与しますが、権利者が法に訴えた場合にはほとんど無価値です。

そのあたり、我々の人間社会は常識に照らしてギスギスしないようにうまくやってきたし、たまに裁判所に訴える者が出てきても比較的寛容な判断がなされているのが実情です。

本歌取り」という言葉に象徴されるように、我々はある程度、先行者の知見を拝借することで文化を発展させてきたのですから。

著作権・知的財産権の有無で判断?

著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう(著作権法2条1項1号)

著作物とは以下の要素が必要ということです。

  1. 思想又は感情を表現したもの
  2. 創作的に表現したもの
  3. 文芸等の範囲

「思想、感情、アイディアそれ自体」は著作物ではありません。

『思想又は感情を「表現」したもの』が要素にないといけないということです。

ネット上の説明には、剽窃・盗用は「著作物を~」「知的財産権を~」と書かれているものがあります。

しかし、アイディアそれ自体は著作権法による保護対象ではありませんから、これを剽窃・盗用ではないとすると、たとえばある研究の着眼点については何ら引用が不要、ということになります。これがおかしいというのは研究論文を書いた人なら理解できるでしょう。先行研究を引用しない、ということを意味しますからね。

著作権法の保護対象については以下記事で触れています。

「引用してないから盗用・剽窃」は拙速

「これは適切な引用をしていない」だから「盗用・剽窃だ」

 このような物言いをたまにみかけますが、すべての場合に通用する話ではありません。

たしかに大学などのアカデミックな文脈では「引用をしないと盗用・剽窃になる」という理解が浸透しており、現に大学が学生に対して説明をする際はそのような伝え方をしているところがあます。実際、その説明で不都合は生じません。

ただ、それは盗用・剽窃の法的・公的な定義が存在していない(定義困難)ということと、アカデミックの文脈(特に学部生の卒論レベル)では、そのような説明をすることで「引用」についての理解を深め、行動を促すことになり、不正行為の回避に導く目的を達成できるから、という側面もあると思われます。

しかし、アカデミックの文脈から離れた厳密な理解はそうもいきません。

著作権法違反にならない例外行為には「引用」以外にも「時事問題の論説の転載等」「時事事件の報道のための利用」など30以上が規定されているからです。

研究論文ではそのような理由で他者の文章を利用することはあり得ないので、「引用」だけが説明されるというだけの話です。

けっこう、「引用」以外に著作権法違反にならない行為を知らない人は(大卒でも)多いのですが、知っておいて損は無いでしょう。

まとめ:定義未確定の言葉

「剽窃」という言葉で検索をかけると、大学が学生向けに書いたもの、Wikipediaの内部における一応の定義らしきモノは見かけます。

しかし、かっちりと一般的な定義として記述しているものは日本においてはありません。また、アカデミック界隈では「盗用」と同義に扱われているということも検索を頑張らないと気づきません。さらに、他の言葉との境界線について触れているところはほぼありません。

「そのような状況なのだ」ということを理解していけばいいんじゃないでしょうか。

 以上