事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します

戦史叢書等にみる神風特攻隊の戦果

 

神風特攻隊の戦果はどうだったのか?死者数に比してあまりにも少なかったのではないか?その非道な作戦に比して戦果が乏しかったのではないか?こうした見解をたびたび目にしますが、実際に沈没、損傷させた艦船はどれほどだったのでしょうか?

私は靖国神社偕行文庫にある戦史叢書を読んできましたが、戦果を意図的に過小評価しようとする者の「仕掛け」「トリック」への気づきを頂いてきました。

この記事では沖縄方面海軍作戦 (1968年) (戦史叢書)の中にある記述を中心に紹介していきます。

戦史叢書について

戦史叢書という書物の性格についてウィキから抜粋します。

記述の元となったのは、戦中に占領軍の接収から秘匿されて残された大本営内部の文書(大本営陸軍部戦争指導班『機密戦争日誌』など)と、引き揚げてきた部隊の関係者が執筆を求められて執筆した準公式の報告書、及び、自発的に執筆された私的な回想録、米国より返還された戦闘詳報などの日本軍作成文書が主であり、「対抗戦史」として外国の文献も参照して執筆されている。

【一次資料をベースに複数の観点からの資料を元に戦後の研究によって書かれた物】

このように言えると思います。

神風特攻隊:航空特攻の戦果の理解の仕方について

このエントリでは航空特攻の全てを網羅できません。「特攻の戦果」と言うとき、「特攻」の定義、「戦果」の定義によって内容が様々であるということは最初に指摘していきます。

あくまでも戦史叢書沖縄方面海軍作戦に記述のある戦果について書いていきます。

航空特攻が行われたのは大きく分けて「比島(フィリピン)特攻作戦」と「沖縄方面における特別攻撃隊」があります。また、海軍と陸軍双方が航空機を持っていたため、それぞれの戦果が別々に記載されています。

こうした点を意識して資料を読むと、戦史叢書編纂者による戦果を正確に理解できると思います。

比島(フィリピン)特攻作戦での神風特攻隊設立経緯

神風特攻隊はレイテ湾上陸の米攻略軍を撃滅するための捷一合作戦において、大西瀧治郎海軍中将によって初めて編成されました。

当時の状況の詳細は割愛しますが、有馬正文少将の日誌によると、哨戒機は敵発見の報告前に米軍に捕捉されて悉く撃墜されてしまい、攻撃に向かっても被害のみが大きくなるという状況であり、「司令官以下、全員体当たりでいかねば駄目である」と語っていた有馬少将自らが決然搭乗して出撃したこともありました。これを知った陸軍第二飛行師団は「これに大きなショック(戦史叢書の記載)を感じ、その後特攻に踏み切る動機になった」と伝えています。

大西中将は特攻作戦は最初の13機をもって米機動部隊封止の作戦を終了すれば打ち切る考えであったと伝えられていますが、この後規模を広げて長期継続することになりました。 

フィリピン特攻作戦での戦果

ここは引用します。

707頁

十九年十月二十一日、大和隊の久納好爪孚中尉に始まり、二十五日の關行男大尉の敷島隊五機による護衛空母セント・ローの撃沈のほか、空母六隻の撃破を皮切りとして、比島における航空特攻は大きな戦果をあげた。資料不分で概略のものであるが海軍の特攻出撃約四百三十六機、直掩機(※ブログ主注:味方の航空機を掩護 (えんご) する戦闘空中哨戒を行う航空機)約二百四十九機、特攻実施約二百九十九機、未帰還百四十六機、命中艦船数約七〇隻で、この中には一艦に多数機が突入したものがあり、命中延隻数百二十二隻余となっている。

この中には空母損傷十八隻、沈没二隻を含んでいる。このほか陸軍でも、先に述べた萬朶隊以下約二百四十三機が特攻として出撃した。陸海軍合わせて成功率は約二十七パーセントとなっている。

「撃沈」「撃破」「損傷」「沈没」などの用語法については調べてません。

ここで、「神風特攻隊の戦果」と呼ばれているものについて、「撃沈」「沈没」のみを挙げている文章があることを思い出しました。そういう論法をもって「特攻は戦果が乏しかった」と論評している文章は、神風特攻隊の戦果を意図的に過小評価しようとする目的が疑われます。

沖縄方面における特別攻撃隊

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上図の表は戦時中当時の上奏書から抄録したものです。

これとは別に710頁以下でも戦果についての注釈があります。

沖縄方面作戦における航空特攻の概要

沖縄作戦における特攻については第六章に詳しく述べたところである。その集計は第十一章(※注:上記図)に記載した。陸海軍合計特攻機数一、九〇〇機余りで安延多計夫大佐の戦後の研究によれば命中及び至近弾となったもの約二五〇機を算し被害艦船延隻数二三九隻、命中率約一三パーセントとなっている。ただこの被害艦船は海軍在籍船のみで、従来しばしば述べているように商船等の民間徴傭船舶の被害が明らかになると、相当増加するものと思われる。このほか、英艦隊でも空母延六隻、駆逐艦一隻が損害を被っている。

軍隊内での報告数は「盛っているのでは?」という疑念が浮かぶと思います。しかし、戦史叢書の文を引用した部分を合わせて考えれば、穏当な理解が得られると思われます。

「記載されている被害艦船が海軍在籍船のみで、商船等も含めると多い」

これは日本軍の艦船の「船籍」を調べると分かりますが、当時は軍隊が所有している艦船のみならず、民間が所有している船が徴傭されたものも含まれていたということで、他国でもそういったことがありました。日本の場合、川崎機縁や日本郵船、日本海運、大阪商船、東洋汽船など、多くの民間造船企業が関係していることが確認できますたとえばこちら

民間船舶だからといって大きくないとか重要ではないということは言えないということがわかるでしょう。こういった民間船舶に対する攻撃は「戦果」に含まれていない場合も多く、神風特攻隊の戦果が過小評価されている原因の一端でもあると思います。

なお、当然ですが民間船籍には軍人が乗っており、民間の船舶に対する攻撃だからといって「戦争法違反だ!」とはなりません。日本の民間船舶も魚雷によって多数撃沈されています。

神風特攻隊の戦果を記述しているネット上の論評

例として栗原俊雄氏による上記記事の論評を引用します。

敗戦まで、航空特攻の戦死者は海軍が2431人、陸軍が1417人で計3830人であった(人数には諸説がある)。一方で敵艦の撃沈、つまり沈めた戦果は以下の通りである(『戦史叢書』などによる)

正規空母=0/護衛空母=3/戦艦0/巡洋艦=0/駆逐艦=撃沈13/その他(輸送船、上陸艇など)撃沈=31

撃沈の合計は47隻である。1隻沈めるために81人もの兵士が死ななければならなかった、ということだ。しかも戦果のほとんどが、米軍にとって沈んでも大勢に影響のない小艦艇だった

この論評は「戦果」を「撃沈」でしか算定していないという叙述上のトリックがあるということに気づきます。 

ただし、特攻が空母を目的にしたものであるということはその通りで、特攻が戦争全体の大勢に影響を与えたかどうかという点は、確かに疑問です。また、予想された戦果に比して小さかったこともまた事実です。

しかし、次の項のように外国人による日本軍の戦果の調査結果も参考に値します。

ウォーナー夫妻による太平洋戦線の調査

オーストラリアの戦記作家であるウォーナー夫妻らが特攻隊の戦果についてまとめており、ドキュメント神風―特攻作戦の全貌 (1982年)という書籍もあります。

ウォーナー夫妻が太平洋戦線で日本機から体当たりを受けたアメリカ、オーストラリア、イギリスの全艦船について調査した結果は以下です。

空母「セント・ロー」「オマニー・ベイ」「ビスマーク・シー」の3隻を含む少なくとも57隻が撃沈された

正規空母「タイコンデロガ」「バンカー・ヒル」「エンタープライズ」「フランクリン」、護衛空母「サンガモン」、英空母「フォーミダブル」、水上機母艦「カーチス」、豪重巡「オーストラリア」を含む108隻は、特攻攻撃で受けた損傷のため、終戦まで戦線に復帰できなかった

空母「レキシントン」「イントレピッド」「ランドルフ」「サラトガ」「ワスプ」「ハンコック」、軽空母「カボット」、護衛空母「キトカン・ベイ」「カダシャン・ベイ」「ウェーク・アイランド」「サラマウア」、戦艦「ニュー・メキシコ」「メリーランド」「ネヴァダ」を含む84隻が船体に重大な損傷を受けるか、多数の死傷者を出すか、それとも物的人的両面において大損害を受けた。

さらに少なくとも221隻が軽損害を負った。

これらがいわゆる「神風特攻隊」の予め発令された作戦による被害なのかどうか、フィリピンや沖縄方面での話なのかどうか、被害船には民間船舶も含まれているのかどうかは確認していません。

しかし、相手国(オーストラリアは連合国側)の方による日本軍の戦果ということで信憑性が高いものと言えるでしょう。当たり前ですが、日本は太平洋で連合国と戦っていたのであり、米国との戦果のみを想念するのは片手落ちだと思います。

まとめ:特攻攻撃の戦果を過小評価するトリックがある

  1. 撃沈、沈没数のみで戦果を評価する論評があるが、撃沈に至らなかったものの損害を与えた戦果についても考慮するべきである
  2. 民間船籍の敵国艦に対する戦果が無視されている場合がある
  3. アメリカ一国の被害のみが特攻攻撃の戦果とされている可能性がある

神風特攻隊をはじめとして、回天などの各種特攻攻撃による戦果は、上記のようなトリックによって過小評価されていないでしょうか?そのような視点で一度他の論評に目を通してみると、その意図が見え隠れするかもしれません。

もちろん、特攻攻撃は非道の作戦です。それを20歳前後の青年に行わせた当時の上層部は非難されるべきですし、作戦を美化してはいけないと思います。

しかし、特攻に散った青年たちの精神は後世に受け継がれなければなりません。同時に戦果を過小評価することもあってはならないと思います。

以上