事実を整える

Nathan(ねーさん) ほぼオープンソースをベースに法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

検察庁法改正に反対する元検事総長ら検察OBの意見書がガッカリ過ぎた

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令和2年5月15日、元検事総長・松尾邦弘らが中心になって検察庁法改正に反対する元検事総長ら検察OBの意見書が元最高検検事の清水勇男によって取りまとめられました。

正直いって、その内容にはガッカリしました。

なお、大前提として黒川検事長の勤務延長の解釈変更問題と、検察庁法改正案の問題は別個です。この点の理解が危うい人は亀井教授の以下の論考が素晴らしいので要参照。

また、改正案に関して「三権分立論」「権力分立論」から論じることは悪手であることについて以下論考を書いています。

「検察の独立性」を訴える者が朝日新聞というマスメディア頼みですか

【意見書全文】首相は「朕は国家」のルイ14世を彷彿:朝日新聞デジタル魚拓

元検事総長を中心とする検察OBらによる今般の国家公務員法改正に関連する検察庁法改正案についての意見書は、今のところ朝日新聞でしか見れません。

あの~初っ端から申し訳ないのですが

「検察の独立性」を訴える者が朝日新聞というマスメディア頼みですか?

自分らでHP建てて公開しないんでしょうか?

国民による検証可能性の方途が無いのは残念です。

たまに「〇〇に関する弁護士有志の会」みたいな形でHPが作成されて意見書などが公開されることがありますが、検察OBらの今回の場合にはそのようなものがないという時点で残念です。

これって検察とメディアの癒着関係そのままを反映してるだけなんじゃないですかね?

実質論を言うならば、【検察のマスメディアからの独立性】はどうなってるんでしょうか?という疑念を持ってしまいます。

検察はメディアを利用して「リーク」を行い、それによって世論の力を得ようとしているが、悪く言えば「捜査情報の特定主体に対する漏洩」なわけです。

その点についての国民の批判も少なからずあるのに、そこには一瞥もくれてやらないという態度が滲み出てると理解するほかありません。

「検察によるリーク」については私は以下のような記事を書いてました。

結論としてはリークが直ちに悪いとは言えない、というものです。

伝聞法則を無視した陰謀論、ルイ14世の「朕は国家なり」などの文学的表現

意見書は黒川検事長の人事について伝聞に基づいてモノを言っています。

ここは刑事裁判の場ではないので本来は無関係ですが、「伝聞法則」を無視した陰謀論を最初に書かれても、一般国民の読み手としては身構えてしまいます。

メディアの作り出した風潮に乗っかって国民を煽動しようとする文章としか思えないのですよ。

また、ルイ14世の「朕は国家なり」や、ジョン・ロックの「法が終わるところ、暴政が始まる」を引用するなどの文学的表現が目立ちましたが、これもメディアが報じる際にインパクトのある文言を入れているだけで、逆に主張の理論的な積み上げがあるのかと不安になりました。

で、不安は的中します。

検察の独立性が求められる根拠は「慣例」だけ?

【意見書全文】首相は「朕は国家」のルイ14世を彷彿:朝日新聞デジタル魚拓

 

この改正案中重要な問題点は(省略)要するに次長検事および検事長は63歳の職務定年に達しても内閣が必要と認める一定の理由があれば1年以内の範囲で定年延長ができるということである。

中略

これまで政界と検察との両者間には検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例があり、その慣例がきちんと守られてきた。これは「検察を政治の影響から切りはなすための知恵」とされている(元検事総長伊藤栄樹著「だまされる検事」)検察庁法は、組織の長に事故があるときまたは欠けたときに備えて臨時職務代行の制度(同法13条)を設けており、定年延長によって対応することは毫(ごう)も想定していなかったし、これからも同様であろうと思われる。

意見書では検察組織やその職務の特殊性(起訴独占主義など)が示され、だからこそ政界の影響が排除されるべきであるという主張がなされています。

この事自体は支持します。

しかし、ではそのための方法として持ち出された「政界と検察との両者間には検察官の人事に政治は介入しない」という慣例は、なぜ出てきたのか、なぜそういう慣例にしなければならないのか、という点を論じないとダメでしょう。

あれだけ長文を書いてるクセになんでそこだけ記述が薄いのでしょうか?

本来はこの部分こそ重点的に論じないといけないハズです。

なぜなら、検察庁法15条で内閣に検察幹部の、16条で法務大臣にそれ以外の検事の任命権が認められているのであって、法の前提を覆す運用が行われているのです。

その正当性を示すならば、十分な説得力を持って論じるべきなのですが、単に「慣例」を持ち出し、しかも元検事総長という身内の理論を振りかざすだけだというのは、何なんでしょうか?

検察庁法13条も欠員の場合の規定であり、定年延長が許されない解釈の根拠になるとは到底思えません。

この点が最もガッカリした部分です。

内閣と一緒に検察が腐敗するなら検察だけが腐敗した方がマシ

私は今回のタイミングでの審議には反対の立場であることを明示しておきます。

その上で、「内閣による民主的統制を重視するべきか」vs「検察の独立性を高度に確保するべきか」という問題については、【内閣と一緒に検察が腐敗するなら検察だけが腐敗した方がマシ】と考えています。

なぜなら、「民主的統制」が行われていたはずなのに検察に政権の気に入らない人物を勾留させたり懲戒裁判にかけたりといった事案が歴史上はあるからです。

弄花事件や中野正剛事件にみる民主的統制

弄花事件とは、大津事件で司法権の対外的独立を護った大審院院長の児島惟謙(こじまこれかた)に対して政権が賭博罪の疑惑をかけて懲戒裁判に付した事案。証拠不十分で処罰は免れたが児島は辞職。

中野正剛事件とは、中野正剛(なかのせいごう)衆議院議員が雑誌に寄稿した内容に不満だった当時の内閣総理大臣の東條英機が勾留を命じた際に検事総長は抗えず、大審院が勾留請求を憲法違反としたが中野は自決した事件。

弄花事件当時は制限選挙でしたが中野正剛事件の当時は既に男子普通選挙が行われていましたから、民主的統制とはいったい何だったのかということを想起させるには良い事案でしょう。

いずれも政権側の権力闘争が影響したと言われています。

こういうのを知ってしまうと、「内閣は民主的な選挙で選ばれた国会議員で構成されているから、問題があれば選挙で審判を受ける」と無邪気に言っても居られないよなと思うのですよ。

降格人事で政権側が関与する影響力

今回の改正法案をどう評価するかは様々でしょうが、63歳以上の検察幹部の役職にとどまったままの勤務や検事総長の勤務延長については内閣が決めたルールに基づくという構造は、単に任命権を有するだけではなく「降格人事」ができるようになるという見方ができます。
(もっとも、改正法案の建付け上は原則が役職定年=役職を降りることなので、内閣の関与によって「維持」することはあっても降格人事ではない、と反論してくることが予想される)

降格人事については昭和26年に木内次長検事が札幌高検検事長への降格人事を命じられた際に検察庁法25条「前三条の場合を除いてその意思に反してその官を失い…又は俸給を減額されることはない。但し、懲戒処分による場合は、この限りでない。」を主張したという事案があります。

「官」とは検察庁法3条「検察官は、検事総長、次長検事、検事長、検事及び副検事とする。」のそれぞれの主体を指すということから、形式上は降格人事は「官を失う」に該当するという主張。

結局木内検事は内閣による法解釈が示される前に抗議の意味も込めて辞職しました。

実質的な降格人事が可能になる制度は検察の独立性を大きく損なうことになるのではないか?こう主張することが可能だと思います。

降格人事による検察の意識に対する(抽象的な)影響についてはこの連ツイがまとまっています。

同意見の部分:解釈変更による勤務延長は違法の疑い

【意見書全文】首相は「朕は国家」のルイ14世を彷彿:朝日新聞デジタル魚拓

ところで仮に安倍総理の解釈のように国家公務員法による定年延長規定が検察官にも適用されると解釈しても、同法81条の3に規定する「その職員の職務の特殊性またはその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分の理由があるとき」という定年延長の要件に該当しないことは明らかである。

中略

 これは要するに、余人をもって代えがたいということであって、現在であれば新型コロナウイルスの流行を収束させるために必死に調査研究を続けている専門家チームのリーダーで後継者がすぐには見付からないというような場合が想定される。

 現在、検察には黒川氏でなければ対応できないというほどの事案が係属しているのかどうか。引き合いに出されるゴーン被告逃亡事件についても黒川氏でなければ、言い換えれば後任の検事長では解決できないという特別な理由があるのであろうか。法律によって厳然と決められている役職定年を延長してまで検事長に留任させるべき法律上の要件に合致する理由は認め難い。

黒川検事の勤務延長の際の解釈については私は以下の立場です。

  1. 一般的な解釈の可能性はあり得る⇒安倍総理による解釈変更の答弁で問題なし
  2. 国公法81条の3の理由は十分に示されていない
  3. 勤務延長後の検事総長就任は脱法行為

まぁ、検察OBの意見書は弁護士会らが言うような「三権分立」「権力分立」を安易に軸とした主張ではなかったので、そこは良かったと思いますよ。ただ、やはり「三権分立」という国民が知ってるワードを使って煽動したかっただけなんだなとしか思わないんですよ。改正法とは関係ない、解釈変更の文脈で出てきましたから。

何度も言いますが、解釈変更の話と改正法案の話は黒川氏の処遇のレベルでは連動しません。検察OBの意見書はこの点も混同させる書きぶりが一部あるので困ったものです。

他方で混同させる動きをしたのは安倍内閣であり、解釈上の問題を知っていながら当初は解釈変更によらずに勤務延長可能とする態度だったのですから非難されて当然です。

現職は検察OBの声に迷惑?

検察庁法改正、OBも異議 現職は冷静「問題ごちゃまぜ」 - 産経ニュース

検察庁法改正案をめぐっては法曹界からも反発の声が上がっている。元検事総長の松尾邦弘氏(77)ら検察OB14人は15日、改正案に反対する意見書を法務省に提出し「検察人事に政府が口を出さない慣例が破られる」と主張した。一方で現職の法務・検察幹部からは国家公務員の定年延長と黒川弘務・東京高検検事長の定年延長問題が「ごちゃまぜになっている」との冷静な声も聞かれる。

産経の記事なので割り引かないといけませんが(現職の声が検察OBらに向けられたものなのか、逃げができる書きぶりになっている)、私が読んであまり賛同できなかったので、現職の中にもOBの意見書に不満な人は居るんじゃないでしょうか?

検察の独立性が求められる根拠として準司法機関であることを示したのちに、具体的な方法として法の形式と異なる運用を取るべき必要性を論じるにあたっては、さらなる根拠が必要でしょう。

そして、検察庁法15条で内閣や法務大臣に任命権がある事自体は改正しないのか?独立性が問題なら憲法6条2項で最高裁の人事権が内閣にあることは改正しないのか?という点も顧みられるべきですし、国会人事にしないのか?など、現行法上の枠組みそのものを見直す議論がほとんど見られないのは残念です。

以上