事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します

漫画キングダムにみる法の支配と法治主義

キングダム488話法治国家

キングダム 原泰久 集英社 45巻 488話

法治国家

ヤングジャンプで連載中の漫画「キングダム」において秦王嬴政(エイセイ)が中華統一後の統治形態について言い表した言葉です。

古代の秦国において、史実ではどのような「法治」が行われてきたのか?

法の支配・法治主義の意味も踏まえて紹介し、中華統一後のキングダム世界の描写について予想していきます。

法の支配と法治主義

法の支配」="Rule of Law"は「自然法」を観念します。

自然法とは何かと一言で言い表せるものではありませんが、ハイエクの言葉を借りれば成文化・慣習化されたルール以前に存在する「人間的行為の結果ではあるが人間的設計の結果でないもの」です。合理的設計の産物ではなく、(人間的行為が関わる)自然的淘汰の産物です。

実定法の最高規範たる憲法は、この自然法を淵源とすると考えられています。

他方、「法治主義」とは「法治国家」="Rechtsstaat"の根幹を支える精神です。

19世紀ドイツの形式的法治主義では法実証主義の立場でした。悪法もまた法であるという立場でしたが、戦後、法の内容の正しさも要するという実質的法治主義に変化しました。

法実証主義とは、人為的に制定された成文法や現実に規範として認識され実行されている慣習法などのみを法学の対象と考えるものです。上記のような意味での「自然法」を観念しません。法を意図的な構築物とみなしています。

法の支配と(実質的法治主義も含めた)法治主義の一応の区分けとしては、上記のような意味での「自然法」を観念するかどうかであると言えるでしょう。

より詳細については以下でまとめています。

秦の始皇帝と同時代の韓非子の法治主義

キングダムにも名前が出ている法家として「韓非子」が居ます。

冨谷至の韓非子―不信と打算の現実主義 (中公新書)分析によると、韓非子の考えていた「法」ないし「法治主義」の性質は以下のようになるでしょう。

  1. 性悪説を前提とした世界観、人間の理性を信じず、本能的打算を人の性と見る
  2. 法は君主による統治のための道具
  3. 法は凡人の君主であっても統治を行うことができるようにするためのもの
  4. 韓非子の法治主義は自然法を観念しない法実証主義の要素がある
  5. 法文による事前抑制ではなく、刑罰による威嚇をもって予防する
    ⇒実定法、成文法でもって法を記述するという思想であるにもかかわらず、罪刑法定主義の思想はみられない
  6. 集団としての民を扱っており、個人としての民を見ていないため、応報刑論は観念していない。一般予防のみを目的としている。

韓非子の法ないし法治主義は、近代以降の法の支配や法治主義とはまったく異なる側面を有していたと言えるでしょう。

これに対して、儒家は性善説に基づく「徳治主義」を唱えていました。

詳細については以下で触れていますが、史実でも韓非子は抹殺されたように、秦国の法治がどれだけ韓非子の思想通りに行われたのかは未知数です。

秦王嬴政(始皇帝)の法治国家「王も法の下にある」

キングダム法治国家法の下の平等

キングダム 原泰久 集英社 45巻 488話

キングダムの秦王嬴政の法治主義は、「王も法の下にある」というものです。

また、嬴政は人の本質は「光」であるという信念を持っています。

これは「人の本性は悪である」という前提で善に向かわせようとする韓非子の根本思想とも対立しています。

どちらかといえば、人の本性は善であり、君主の仁徳によって国を治めるべきだとする徳治主義を説く儒者の思想に近いです。これは秦滅亡後に中華を統べた漢の思想的支柱です(秦時代に作られた律令を用いた統治という手法がなくなったわけではないが)。

したがって、嬴政の法治主義は、一般的な韓非子の法治主義とはかけ離れたものであると言えます。安能務の韓非子(文春文庫)には「法は王の上にある」とする一節がありますが、原文から飛躍した解釈を行う安能ワールドを楽しむ書籍での一節です。

ところで、「王が法の下に在る」という中には「皇帝」も含まれているのでしょうか?

史実では列国の「王」制度は滅されて秦国は郡県制により数十の県に分割され、各郡県の長には皇帝が任命した官吏が就任しましたから、「郡県のトップが法の下にある」という意味なのでしょうか?

私は、嬴政のこれまでの言動からは「皇帝」も含まれていると思います。

下僕の信とも仲がいいですし、「皇帝は含まれませ~ん」と屁理屈をこねる嬴政なんて見たくありませんからね(笑)

李斯「法とは願い」とキングダムの法治主義

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キングダム 原泰久 集英社 46巻 494話

次に、李斯は「法とは国家の願い」と言っています。

この言葉がそのまま嬴政の法治国家の思想ならば、それは皇帝たる嬴政の理想を含むものですから、国王大権に対抗するための原理であった19世紀ドイツの法治主義とも異なります。

法の支配も「法とは国家の願い」ということからは当てはまらない気がしますが、嬴政や李斯が自然法を観念しているのかは現時点では判然としません。

むしろ、この言葉だけ見ると韓非子の「君主による統治のための道具」の思想に近いかもしれません。キングダムにおいて李斯の理想と嬴政の理想が異なるということでしょうか?

この辺りは、今後の展開で明らかにされていくのではないでしょう。 

史実で中華統一後の秦国が行った法治主義

秦国には「秦律」という法体系がありました。

これは今でいうところの刑法、民法、行政法、訴訟法、軍事法などの法律群の総体を指すものです。

ただ、皇帝権力はこれらの法よりも上位のものとされていましたので、現代でいうところの法の支配が徹底されていたかというと、この時代はまだそこまでではなかったということでしょう。

秦律等については以下の書籍を参考にして説明します。

秦律の構造

秦律には「」「」「」「法律答問」「」の5つの形式で計400条以上の条文が存在していました。刑法だけで60条程度ありました。

」とは、秦律の主体であり、18種類存在しました。

たとえば「田律」があり、水害、干ばつ、虫害で田畑に被害が出た場合には地方官はすぐに報告することとされていたり、春の2月には山林の木材は伐採してはならない、などという内容です。

「行書律」では「すべての急いで処理すべきものは、その日のうちに処理せよ」など、かなり事務的な内容まで規定されていました。

現代日本でいう法律、政令、省令、訓令が混ざったようなイメージですね。

ただ、行書律のように具体的な事項まで法的に定められてしまうと、それに反した場合のペナルティが怖いので、現実を曲げて運用するということが横行してそうです。

「この案件は今日来たが、とても処理できないので別の日に来たことにしよう」

このような「現場の調整」があったのではないか?と思ってしまいます。

」とは、皇帝が日頃公布する詔令のことで、律の重要な補足をするものです。

「焚書令」が代表的な令の一つです。

大日本帝国憲法でいうところの天皇の勅令のようなものでしょうか。

昭和の戦争期には天皇の勅令という名目で軍部が政策を決定している例がありましたが、古代の秦のような国家においてはどうだったのでしょうか?幼い皇帝の傀儡政権の場合には、まさに詔令が悪用されていたのだろうと推測されます。

」とは、律以外の単独の条文です。

たとえば「任人法」では、役人の審査不合格だったはずの者を役人に採用したら処罰されなければならない、などという内容が定められていました。

律との関係がよく分かりませんが、体系立った内容がある律と比較するとそうではないもの、と言えそうです。

法律答問

法律答問」とは、役人が法律を執行する過程の解釈について、Q&Aの形式で書かれたものです。現代日本でもガイドラインやガイドラインのQ&Aがある場合がありますが、法律答問は同時に法律として通用力を持っていたようです。

たとえば、「Q:盗人が人を殺傷したときに周囲の人間が助けなかったが、処罰を受けるべきか?」「A:135メートル以内の者は処罰せよ」などといった感じで具体的な基準を示していたようです(もちろん距離の単位は当時の言葉で書かれている)。

一度決定された具体的な事項が法律としての通用力を持つということで、かなり慎重に決めなければならないはずですが、おそらく不具合が続出したのだろうと思います。

上記の例で言えば、川を挟んだ向かい側や崖の上と下の場合など、一律に距離だけの基準を設けてしまうと不当な結果になることは明らかです。

そのような場合には処罰権限者の裁量判断だったのでしょうが、柔軟な判断をすること自体が法律答問に反するとしてその者自身が処刑されてしまうおそれがあります。

よく、国会で成立した法律について「曖昧な内容があるため危険だ」と評価されることがありますが、法律のレベルであまりに具体的な内容を決めてしまうことは逆に危険な場合もあり、どの程度の抽象度をもって規定するかは本来評価が分かれるものでしょう。

」とは、法律を執行するときに参照する各種の判例、裁判の格式や書式などを指します。

犯人の尋問をするときは、まず犯人の陳述を聞いて記録しなければならない。途中で問い詰めてはならない。拷問にかけるときは書式に則って原因を書かなければならない、などといった内容です。

現代で言う所の裁判所の判例や各種の訴訟法のイメージに近いでしょうか?

裁判の書式も含まれていることからは、かなり具体的な実務的内容も記述しているということですから、民事訴訟規則、民事訴訟費用に関する法律、最高裁判所規則などをイメージしてしまいます。

この頃から「手続法」のような考え方があったということは、驚きです。

法体系を整えるだけではダメ

以上のような構造的な法体系を作ったところで、民衆がすぐに従うとはいえません。

むしろ、それまでその地で通用していたルールと異なることになり混乱するでしょう。

キングダムで李斯が「各国では文化形成が違うため、単純に人が増えたという認識でいると失敗する」と指摘していたように、史実上でもそのような問題が発生したのだろうと思います。

場所と時代が違いますが、たとえば近代日本では、日韓併合後に土地の所有権関係を明確にしようと日本と同様或いは類似の制度を敷いた結果、所有権が立証できない者が多発し、その土地を官吏の側が所有することになり、小作人となったことに不満を持つ者が発生したということがあります。

また、そもそもルールを伝達する際の「基準」が異なっていたら、文言としてはルールを伝えていたとしても、実行される行為はルールに反しているという状況が発生します。

史実上の統一後の秦でも「度量衡」(長さ・体積・重さ)の規格の統一が行われましたが、それ以外にも全中華的な統一化が進められました。

秦の始皇帝が行った全国の統一化

法治国家を建設する過程で必要になるものとして「規格の統一化」が挙げられます。

秦律を全中華に行き渡らせ、人々の暮らしを豊かにするには、バラバラになっていた各国の地におけるルールを全国的に統一する必要がありました。

  1. 度量衡の統一
  2. 統一貨幣
  3. 規範文字の普及
  4. 車軌の統一

主要なものでは、これらが挙げられると思います。 

ここでも以下の書籍を参考にします。

統一貨幣

当時、他国間では貨幣の形や重さだけでなく、計算単位すら不統一でした。

これによってしばしば取引上の問題が生じ、商品流通の阻害要因となっていました。

そこで、秦の始皇帝は貨幣を2等級に分け、規格を統一したのです。

上級の貨幣は黄金で作られ、「鎰」という単位で計算されました。

1鎰は20両の価値があるとされています。

他方、一般流通における日常取引で使用される通貨としては銅銭が用いられました。

「半両」という単位で計算されたことから「半両銭」と呼ばれています。

キングダムでも史実でも豪商の呂不韋が一時権力を掌握していましたから、貨幣の統一という発想に至るのは自然なことだと思います。

キングダムでは法の番人の李斯が呂不韋の配下でしたから、李斯が貨幣の統一を具体化するのでしょう。それとも、「呂不韋再登場」となるのでしょうか?一部で史実と異なる展開をもいとわないキングダムですから、可能性としては在り得ると思います。

規範文字の普及

列国の文字は、同じ内容を表す内容について別々の文字が使われていたり、同じ文字なのに国によっては意味が異なる内容になっていたりしていました。

そのため、皇帝の詔令が地方の役人に届けられても、その者は内容を正しく理解することができず、政策が徹底されなかったということがあったようです。

そこで、統一された中華としての秦国全体において、使用する文字を統一しました。

文字の不統一とは性質が異なる話ですが、日本で「たぬき」と「むじな」の呼称の理解の仕方が国と猟師とで異なっていたために、むじなを銃殺した猟師が狩猟法違反で起訴された事件がありました(結局無罪)。

この事件のような悲劇が、古代では多く発生していたんだろうと思います。

車軌の統一

当時、既に車輪を馬に曳かせる馬車が存在していました。

現代のように道が全面舗装されているわけではありませんから、轍(わだち)に車輪を沿わせて動かした方が移動時の揺れが少なくて済みます。これが別々の車幅だったら、轍の形が歪なものとなって、でこぼこ道が出来てしまいます。

都市部においても、車輪が通る場所として石畳を敷くのとそうでない場所とで、車軸の幅が統一されていた方が都合が良いでしょう。

また、馬車がすれ違うことができるように道路設計する際も基準があれば予測ができます。

そこで、車輪の幅(車軌)は6尺(1.4メートル)と統一することにしたのです。 

法治国家と実効性

具体的なレベルで言えば、上記のように統一された基準に従って人々が行動するのが法の支配を普及させるために必要であった、ということが言えると思います。

しかし、ルールを決めて規格を統一しようとしても、実効性がなければいけません。

そこにキングダムの嬴政が「武力」による中華統一を目指した理由があるように思われます。

実力の支配と法の支配

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キングダム 原泰久 集英社 40巻 427話

国家であればその機能として法を制定し、法を自ら実現するに十分な『実力』を持っていなければなりません。

法の支配と裁判 田中耕太郎 267頁
法と実力とは一方当為と存在とのアンチテーゼの関係にある。それらは他方目的と手段との関係にある。法がその目的を達成するために自ら実力を用いるのは、一個人や団体の実力行使とその意味をことにしている。
実力はそれ自体として中性的である。この実力は裸の実力である場合と、法によって包装された場合とがある。

本来、法は「実力」が無い者でも正義を実現できるためのものです。

それは近代法においても、韓非子の皇帝による統治のための法においても同様です。

しかし、相手の持つ「実力」を上回るものがなければ実効性がありませんから、法による正義を実現するためには逆説的ながら『実力』が必要だということです。ただし、その意味での『実力』は法によって認められるものでなければならない。

したがって、法の支配ないし法治国家を実現するためには、国内的には警察権力が、対国外勢力に対しては軍隊が必然的なものになってくるのです。
※したがって、「法は実力が無い者が正義(権利)を実現するためのもの」というのは誤りです。

キングダムでは嬴政と呂不韋の国家統治の理念について問答がありました。

呂不韋は「貨幣」つまり金の力による豊かさで民心を掌握して統治すると言いました。

対して嬴政は「武力」による中華統一を実行すると断言しました。

これは、中華統一後の法治国家建設をも睨んだ信念ではないかと思います。

形の上では中華統一をし、ルールと規格を統一しても、官吏や民衆がそれを守らなければ意味がありません。反体勢力が武力蜂起でもして勝ってしまったら、絵に描いた餅です。

戦争がなくなった世の中であっても、ルールに実効性を持たせるためには、やはり実力(武力)が必要なのです。

秦国はなぜ崩壊するのか?

原泰久 「キングダム」インタビュー/コミックナタリー

いろいろ調べたり詳しい方に聞くと、今の研究だと逆で、始皇帝はすごい先を見ていて、新しすぎて失敗したっていうことになってきているらしいですよ。そこはおいおい描けると思うんで、今温めてるところです。

 「中華統一した後も、物語は続きます」

原泰久先生は、中華統一後もエピローグ的に描くとしていますが、その中で「法治国家」という理想の失敗も必然的に描かれるでしょう。

では、なぜ失敗するのか?

現在までに出ている登場人物の発言から、その理由を予測してみます。 

許し難きこと

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キングダム 原泰久 集英社 45巻 491話

キングダムでは中華統一後の統治について不穏な描写があります。

斉王王建の問いかけ「明日よりこれらすべてを明日から趙の米、趙の肉、趙の野菜と言わねばならぬとしたら」に対して給仕が「許し難きことです」と答えたシーン。

現代でこそ移動手段が多様化して遠方にも容易に移住できるようになりましたが、古代の人々の「生まれ育った土地」に対する愛着心は想像だにしないものがあったことでしょう。

記憶に新しいところでは、平成の大合併では多くの市町村において、元の市町村の漢字を残すか否かで争われました。元の地名に無い語句や、ひらがな表記になった地方都市も少なくありませんが、禍根を残している所もあります。それくらい「名称」というものは大切にされているのです。

中華統一後の秦においても、あらゆる土地・物・風物の名称が禁止されたのでしょうか?上記のシーンは非常に意味深ですね。

もてあました武力?

キングダムでは数十万、数百万の軍勢がしのぎを削り合いますが、統一後、その軍勢はどこへ行くのでしょうか?

その力は更なる外敵(匈奴など)への警戒と国内の警察権力に割かれることになりますが、農民兵は農作業に戻るとして、王宮直属の兵士や職業としての傭兵は数が余るという事になりそうです。

桓騎兵のような荒くれ者集団が中華統一後は不法者となってしまい、治安が悪化するということは在り得る予測ではないでしょうか。

早過ぎた統一化?

現代日本ですら、西日本と東日本とで電気の周波数が異なったり、各地で「一畳」の面積が異なっていたり、「敷金」を家賃の1か月分にする地域もあれば6か月分がデフォの地域もあるなど、完璧な統一は達成されていませんが、むしろそれが良かったのかもしれません。

中華統一後の秦国では、そのような生活の細部に直結するルールまでも統一しようとし、しかも短期間のうちの適合を求めた結果、現実にそぐわない結果になり、反発を招いたのではないかと思います。

原先生には、ぜひともこの辺りも描いて欲しいと思います。

まとめ:大将軍李信は法治国家建設にどう向き合うか

キングダムは戦争・戦闘シーンの迫力が醍醐味ですが、それと同じくらいに面白いのが王宮の政治的駆け引き、文官たちの「戦い」です。

物語に緩急をつける効果もある上に、国家統治というものをトータルで描いている点が唯一無二の作品だと思います。

嬴政の法治国家の建設はどう描写されていくのか?

六国を滅ぼす過程において、それは後に大将軍となる飛信隊の信の戦争・戦闘に影響するでしょう。

戦の勝利だけでなく、その先も見据えた高く広い視点に立って戦略・戦術を考える。

黒羊戦でその伏線が張られていたハズなので、そういう信の姿を見てみたいですね。

「非戦闘員は殺してはいけない」など、近代以降になってルール化したものを飛信隊は既に持っています。そうした「法の支配」を広めることができるのか?

今後もその点に注目して読み進めていこうと思います。

以上