事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

日中記者交換協定とは:現、日中両国政府間の記者交換に関する交換公文との違い

日中記者交換協定

胡麻油さんによる写真ACからの写真

【日中記者交換協定】について、情報が錯綜しているので簡単にまとめます。

日中記者交換協定とは:日中双方の新聞記者交換に関するメモ 

日中記者交換協定(記者交換取極)とは、正式名称を【日中双方の新聞記者交換に関するメモ】とする、日中国交正常化前の日本と中華人民共和国の間における記者の相互常駐に関する協定です。

そして、巷で言われているのは、その記者交換取極の修正バージョンの方です。

記者交換に関するメモ修正取決〔一九六四年四月十九日の新聞記者交換会談メモ修正に関する取りきめ事項〕 データベース「世界と日本」 日本政治・国際関係データベース [出典] 日本外交主要文書・年表(2),768ー769頁

一,双方は,記者交換に関するメモにもとづいて行われた新聞記者の相互交換は双方が一九六八年三月六日に発表した会談コミュニケに示された原則を遵守し,日中両国民の相互理解と友好関係の増進に役立つべきものであると一致して確認した。

 二,双方は,記者交換に関する第三項に規定されている新聞記者交換の人数をそれぞれ八名以内からそれぞれ五名以内に改めることに一致して同意した。

 三,この取りきめ事項は記者交換に関するメモに対する補足と修正条項となるものとし,同等の効力を有する。

 四,この取りきめ事項は日本文,中国文によって作成され,両国文同等の効力を有する。日本日中覚書貿易事務所と中国中日備忘録貿易弁事処はそれぞれ日本文,中国文の本取りきめ事項を一部ずつ保有する。

日中覚書貿易取決めと日中政治問題に関する会談コミュニケの政治三原則

一九六八年三月六日に発表した会談コミュニケに示された原則」というのは【日中覚書貿易取決めと日中政治問題に関する会談コミュニケ】に示された【政治三原則】のことです。

外交青書|外務省

第14号 1970年版 昭和45年版わが外交の近況 その他の重要外交文書等魚拓

日中覚書貿易取決めと日中政治問題に関する会談コミュニケ (一部抜粋)

双方は1968年に双方が確認した政治三原則((1)中国敵視政策をとらない,(2)「二つの中国」をつくる陰謀に参加しない,(3)中日両国の正常な関係の回復を妨げない)および政経不可分の原則が中日関係において守らなければならない原則であり,われわれの間の関係の政治的基盤であることを確認することを重ねて明らかにするとともに,上述の原則を遵守し,この政治的基盤を守るために引き続き努力する決意であることを表明した。

何気に「政経不可分の原則」が重要で、貿易交渉の枠組みの中で記者交換に関する取り決めがなされており、日中国交正常化後の「日中両国政府間の記者交換に関する交換公文」も、日中貿易協定の署名日と同じ日になされています。

第9号 1965年版 昭和40年版わが外交の近況 七情報文化活動の大要 報道機関との協力(魚拓)では

外国特派員協会には加入していないが、一九六四年九月には中共の新聞特派員七名が来日した。日中記者交換の話し合いは一九五八年初から日本新聞協会と中国新聞工作者協会との間で進められていたが、たまたま一九六四年四月に松村謙三氏ら一行が中共を訪問するにあたって日本新聞協会長上田常隆氏が側面的な斡旋を依頼した結果、交渉は急速に進展した。このため政府は、中共記者の活動が報道用の取材に限定されることなどについて日本新聞協会長の保証を得たうえで、相互平等の原則に基づき、中共記者の本邦入国を認めることとした。なお北京には目下九名の日本人記者が駐在している。

と記述されています。

なお、日中記者交換協定の経緯のまとめとして以下の記述がありますが、なぜか1974年以降のものについて記述がありません。
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/oversea/pdf/20150101_6.pdf魚拓

新たな取極:日中両国政府間の記者交換に関する交換公文

日中国交正常化後、従来の記者交換協定は失効したため、新たな取極として、【日中両国政府間の記者交換に関する交換公文】が交わされました。

第18号 1974年版 昭和49年版わが外交の近況 上巻魚拓

(お) 記 者 交 換 取 極

従来日中間の記者交換は,日中覚書貿易取決めに基づいて行われていたが,73年末で失効することになつたため,両国政府間で,これに代る取極を締結することに合意した。その結果,本件に関する交換公文は,74年1月5日,在中国日本大使館橋本参事官と王珍中国外交部新聞局副局長との間で交された。

これについては第19号 1975年版 昭和50年版わが外交の近況上巻においても

 (v) 記者交換取極
 日中両国政府間の記者交換に関する交換公文は,74年1月5日橋本在中国日本大使館参事官と王珍中国外文部新聞局副局長との間で交された。

と記述されたが、それ以降の外交青書では本件に関する記述が見当たらない。

また、日中関係重要文献集 | 在中国日本国大使館でも、交換公文に関する文献が見当たらないが、年表には「日中常駐記者交換覚書署名」とある。日本外交主要文書・年表(昭和60年 原書房)にも掲載されていなかった。

この取極は政治的な要素が無いものである、とする記述がネット上に見られるが、現物を確認したと思われる者は見当たらない。

日中記者交換協定の現在と産経新聞

産経新聞は1998年に北京支局を開設しています。

むしろ、1968年に柴田穂記者が国外追放されて以降から31年間(文化大革命の時期含む)には開設をしていなかったということ。

他の報道機関が天安門事件などをどう報じていたのかを見れば、1974年以降も1968年の記者交換協定の内容が基本的に維持されていたとみるのが妥当でしょう。

もっとも、産経の北京支局開設によって産経がチャイナ批判を控える論調に変化したというようなことは伺えないため、現在では「政治三原則」が緩和ないし事実上不適用となっているとする見方も存在しています。

以上