河野太郎議員のブログで皇位継承問題について書かれましたが、そこで論じられている日本国憲法1条の「日本国民の総意」について、整理していきます。
- 河野太郎の日本国憲法「日本国民の総意」についての誤解
- 「日本国民の総意」は1条、皇位継承ルールは2条
- 河野太郎は「日本国民の総意」の政府見解を調べたのか?
- 日本国民の総意はどうやって斟酌されたと言えるのか?
河野太郎の日本国憲法「日本国民の総意」についての誤解
皇統の議論 | 衆議院議員 河野太郎公式サイト 2020年8月24日
皇室に男子のお世継ぎがいなくなるという事態が起きた時にどうするか、万が一のときのことも考えておかねばなりません。
選択肢はおそらく二つですが、いずれも皇室典範の改正が必要です。
男系が維持されているということはY染色体が受け継がれてきたということです。
そこで、天皇陛下と同じY染色体を保有しているであろう、天皇家から分かれ男系を維持してきた旧宮家や皇別摂家等の男子を皇室に養子として迎え入れることで、Y染色体を繋げるという選択肢。
このためには皇室典範第九条「天皇及び皇族は、養子をすることができない」の改正が必要です。
もう一つは現在の皇室に残る内親王殿下、女王殿下に宮家創設を認め、そのお子様に継承権を与えるというもの。
この場合、皇室典範第一条「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」の改正が必要です。
このいずれかでしょう。
日本国憲法第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあるように、このいずれを選択するかは国民の総意によります。
中略
繰り返しますが、これまで男系を維持してきたという歴史がありますから、男系を維持できるものならば、それに越したことはありません。
しかし、もし、皇室に男子のお世継ぎがいなくなったときに、皇室の一員として努力してこられた内親王殿下あるいは女王殿下のお子様に皇位を継承させるのか、600年なり250年なり前に皇室から分かれた家の男子を養子に迎え入れて、その子に皇位を継承させるのか、国民の総意で判断することになります。
男系を維持すべきだと主張するならば、今やるべきは、国民の理解を得る努力をすることです。
自分と少しでも違う意見を持つ人を罵倒したり、中傷したり、否定してみても世の中の理解は進みません。
憲法第一条にあるように、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」ものです。
国民の総意に基づかない皇位継承は、やがて国民の無関心につながり、天皇制を揺るがすことになりかねません。
河野太郎氏は父親である河野洋平氏に腎臓を提供した聖人君子であるわけですが、聖人君子であることが主張の正統性を担保することはなく、その日本国憲法1条「日本国民の総意」についての解釈は間違っています。
彼の見解は昨年、津村啓介議員が開陳した認識と同じです。
報道特注:国民民主党の津村啓介議員の女性天皇・愛子天皇容認論その3 - 事実を整える
「日本国民の総意」は1条、皇位継承ルールは2条
法的な話をすれば、まず形式論として、「日本国民の総意」とは、憲法1条の話であって、天皇の存在についてのものです。
皇位継承ルールについては憲法2条で「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより」と規定されていますので、河野太郎氏は別の条文の話をごちゃまぜにして論じているということです。
そして、法的な実質論としては、「日本国民の総意」に基づくという意味は、天皇の地位が何に基づくかという話です。法理論上、大日本帝国憲法では天皇という御存在の根拠が「天壌無窮の神勅」であったのに対して、現行憲法では「日本国民の総意」に基づくという、憲法を前提とした存在であるという意味を指しています。
もちろん、歴史的事実からは、遥か昔から日本国民が存在を是認してきたということがあったのであって、明治憲法から現行憲法になったからといって天皇の存在の存立基盤が変わったということにはなりません(変わったと言う主張をしてるのが東大法学)。
「女系継承を認める場合にはこれまでの天皇の存在形態が変わると考えれば憲法1条の話だ」と言う者が現れそうなので言及しておきますが、この論理は、憲法1条に規定する「天皇」と、「女系継承後の天皇」は別物であるという前提で論じていることになります。
すると、もはやそれは現行憲法1条の解釈論ではなく、現行憲法典を超えた立法論・国家論です。河野太郎氏はワザワザ憲法1条の「総意」を持ち出しているので、それは解釈論の話ですから、的外れな指摘である、と言っておきます。
日本国憲法第一条と皇位継承:天皇の存在は「日本国民の総意に基づく」の誤解と女系天皇・女性天皇
河野太郎は「日本国民の総意」の政府見解を調べたのか?
河野議員はブログで以下のようにも書いています。
皇統の議論 | 衆議院議員 河野太郎公式サイト 2020年8月24日
2019年11月に共同通信が行った世論調査では皇位継承を男系男子に限る現在の制度を維持すべきだという意見は18.5%にすぎず、こだわる必要がないと答えた割合は76.1%にのぼります。
こうした世論のなかで、600年から250年前に皇室から分かれた家の男子を養子に迎えて男系を維持することが大事なのだということを国民にしっかりと伝えることができるでしょうか。
NHKは1973年から5年ごとの世論調査の中で「あなたは天皇に対して、現在、どのような感じをもっていますか。リストの中から選んでください」という質問をしています。
回答の選択肢は「尊敬の念をもっている」「好感をもっている」「特に何とも感じていない」「反感をもっている」「その他」「わからない、無回答」の六つです。
1973年から1988年まで、トップの回答は「特に何とも感じていない」で、当初の43%から47%近くまで右肩上がりに数字が上がっています。
次に「尊敬の念をもっている」が35%から30%弱に数字を落とし、20%前後の人が「好感をもっている」で続きます。
ところが1993年の調査では「好感をもっている」が一気に40%を超えて第一位となり、「特に何とも感じていない」は35%程度、「尊敬の念をもっている」は20%前後に下がります。
1998年調査では「特に何とも感じていない」が「好感をもっている」を抜いて再びトップになり、以降、「特に何とも感じていない」と「好感をもっている」の順番が一回ごとに入れ替わります。
しかし、その後、「尊敬の念をもっている」という回答がじわじわと増え、とうとう2013年の調査では「尊敬の念をもっている」が34%と調査開始以来最も高い数値を記録して、「好感をもっている」35%にほぼ並びました。
そして「特に何とも感じていない」という回答は、28%と調査開始以来最も少なくなりました。
こうした数字は、上皇陛下、上皇后陛下の被災地へのお見舞いをはじめとする国民を癒やし、元気づけてこられた活動が国民の心の中に尊敬の念を芽生えさせた結果ではないかと私は思います。
つまり国民は、上皇上皇后両陛下、天皇皇后両陛下をはじめとする現在の皇室のあり方に好感を抱き、上皇上皇后両陛下、天皇皇后両陛下の活動に尊敬の念を抱いているのではないでしょうか。
この流れで「総意」の話をし出したのです。
このような論じ方もまた明確に間違っています。
【日本国憲法第1条・第2条に関連する政府の説明】に政府見解が示されています。
②昭和21年7月3日 衆議院帝国憲法改正案委員会 金森徳次郎国務大臣
《 …… 「 国民トハ現在ノ瞬間ニ於キマシテ、日本ニ生キテ居ル国民ノコトデアルノカ、サウデナシニ、ソレガモウ一ツ理念化サレマシタ国民、モツト極端ナ表現 スレバ、日本ノ民族国家形成以後ノ国民、乃至ハ今後之ヲ形成スベキ国民ト云フモノモ其ノ中ニ含マレテ居ルノカドウカ」との問に対して》第一条ニアリマスル日本国民ト申シマスルノハ、理念的ニ申シマスレバ、現在ノ瞬間ニ生キテ居ル日本国民デハナクテ、是ト同一性ヲ認識シ得ル過去及ビ将来ノ人ヲモ併セ考フル考ヘ方デアリマス、④昭和21年7月12日 衆議院帝国憲法改正案委員会 金森徳次郎国務大臣
日本国民ノ総意ト云フモノハ、統合シテ一ツニナツテ居ルモノデアリマシテ、一人々々ノ人間ニ繋ガリハ持ツテ居リマスルケレドモ、一人々々ノ人間其ノモノデハアリマセヌ、サウ云フモノガ過去、現在、未来ト云フ区別ナク、一ツノ総意ガアル訳デアルト思ツテ居リマス
要約すれば「日本国民の総意」とは、日本国成立以後に存在してきた全ての日本人、将来の日本人の認識をも含む観念であって、現在生きている具体的な日本国民の意思を指すものではないということです。ましてや、国民投票や国会の議決で全会一致しなければならない、という意味ではありません。
この質疑の中でも、「国民の総意」と皇位継承の話は関連付けられていません。
私は、天皇と国民の歴史的な協同関係から考えてこの解釈が正統だと考えます。
河野太郎氏は閣僚という立場にありながら、政府見解に反する主張を勝手にブログで行っているということです。敢えてそう主張するというなら分かりますが、過去の政府見解に反する主張をすることの妥当性について何ら論証をしていないというのは、議論のお作法が分かっていないんでしょうか?
日本国民の総意はどうやって斟酌されたと言えるのか?
「国民の総意」が持ち出された例として、天皇の譲位に関する問題について皇室典範特例法が成立した経緯があり、菅官房長官が以下返答しています。
第198回国会 参議院 予算委員会 第8号 平成31年3月13日
○国務大臣(菅義偉君) 天皇の退位等に関する問題につきましては、各政党各会派は、象徴天皇制を定める日本憲法を基本として、国民代表機関たる立法府の主体的な取組が必要であるとの認識で一致をされて、衆参正副議長による議論の取りまとめがなされたものと承知をしております。憲法第一条において、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とされていることを踏まえた御判断であり、その御尽力に敬意と感謝を申し上げるものであります。
その上で、この議論の取りまとめにおいては、政府においては、立法府の総意を厳粛に受け止め、直ちに法律案の立案に着手し、誠実に立案作業を行うとともに、法律案の骨子を事前に各政党各会派に説明をしつつ、法律案の要綱ができ上がった段階において、当該要綱を全体会議に提示していただき、そこで確認を得た後、速やかに国会に提出することを強く求めるとされたところであります。
国会が国権の最高機関と言われているのは、それが選挙によって国民の意思を背負った国会議員によって構成されているからであり、内閣は議院内閣制のもと、基本的に国会議員らで構成され、行政権を執行・監督する立場にあります。
したがって、「日本国民の総意」を言うからには、それら国家機関の人間がきちんとした「論じ方」をしなければなりません。
もちろん我々一般の日本国民において、皇室に関して学ぶ必要はありますし、国民の間で議論をすることを呼び掛けることは何ら妨げられるものではありません。法的な文脈から離れた実質論を言えば、間違いなく皇室はその時代時代の国民によって支えられてきたのですから。
たとえば私も天皇の国史 [ 竹田 恒泰 ]も買って読み進めて理解を深めている最中です。
ただ、河野太郎氏には、突然「世論調査」の結果などを利用して国民の側に責任を振るような真似はしないで頂きたい。国民に議論を呼びかけるのであれば、せめて自身が過去の政府見解くらい参照したらどうなんでしょうか?
これは「知識が無い」という話ではありません。
こんなもの、「過去の政府見解はどうだったか?」ということを疑問に持ち、検索をすればすぐに出てくる話です(私はこの記事を書くにあたって政府見解が変更されたか、直近2年分くらい国会議事録を検索しました。)。
河野太郎氏は、そういう作業を怠っているというのがありありと見えてしまっているので、聖人君子としての名声に傷が付いてしまい、痛々しいなぁと感じています。
以上