河野太郎氏が女系天皇(雑系継承)積極容認の発言をして炎上していますが、これはその論じ方によって「河野太郎氏の一般的なロジックのレベルが知れた」という以外にありません。
皇室の歴史に関する専門知識が無くとも判定可能な話なのだということを書いていきます。発言の全文書き起こしは以下。
河野太郎の「女系天皇容認発言」の重大な勘違い - 事実を整える
- 河野太郎の女系天皇(雑系)容認発言
- 国民は「今の皇室・天皇」の行動を尊敬しているにとどまらない
- 歴史の積み重ねをゼロベース思考で捉える愚
- 物事の比較としておかしい「600年は別系列」論
- 積極的根拠の主張立証責任の所在の認定ミス
- 不可逆事象の扱いとして不適切な河野氏の態度
- 皇室問題の論じ方で明らかになる一般的な思考方法の誤り
河野太郎の女系天皇(雑系)容認発言
河野太郎の女系天皇(雑系)容認発言の関連部分だけ掲載します。
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河野 で、そういうときに多分やり方としてはもう愛子様佳子様眞子様はじめ、皇室の女性を皇室、今もう結婚すると女性は皇室から外れるわけですけども、とにかく、女性も皇室の中に残す、そしてもう男の子がいなくなったときには、もうしょうがないから愛子様から順番に女性の皇室のお子様を天皇にしていくということを考えるというのが一つあります。それからもう一つは、旧宮家、マッカーサー、GHQが宮家全部だめ~って言って民間に戻しちゃった、それを戻すっていう議論をする人がいます。ただ、旧宮家というのはですね、旧宮家なんですけども今の天皇家からどこで分かれたかというと、1400年代なんですね。要するに戦後まで残った宮家というのはすべて1400年代に今の天皇家から男系は分かれたわけですから、宮家から元に戻すというけどもそりゃ600年前に天皇家から分かれた人たちなんです。そうすると、じゃあこの人が旧宮家だったからもう一回皇室に養子に入れてって言うけども、遡ると600年前に別れたっていうのはそりゃ男系という意味ではY染色体は繋がってるとかですね、そういう話なのかもしれませんけども、そっちが本当に良いのかという議論はこれやっぱりしていかないといけないと思います。600年間男系が続いているっている保証も確かにありません。それからY染色体というのはですね突然変異しやすい、まあ確率の問題ですよ、確率の問題だけど突然変異しやすい、回文構造っていうおんなじのがこう沢山出るっていう意味でY染色体というのは確率的に突然変異が起きやすい。そうすると、仮にもとに戻そうといった宮家の養子にしようとした方の血液を持ってきて染色体の検査、遺伝子の検査をやったら変異があってそこがずれてたらどうするんだ、繋がってねーじゃねーかっていう話になるかもしれない、ということで本当に国民が支持してくれるだろうか、要するにY染色体といういわばタンパク質が大事なのか、或いは今の天皇陛下を始め、皇室が国民から尊敬され、象徴だ~と言って受け入れられているというのは、そりゃもう天皇陛下をはじめ毎日国民のことを考え、災害が起きれば行って勇気づける或いは色んな行事に出てきて本当に色んな分野で頑張っている人を激励をするということを皇室を挙げてやってこられたそういう皇室の姿をやっぱり国民はそれを支持してるんだとすると、そりゃもうその皇室のメンバーである愛子様はじめ内親王のお子さんの方を素直に次の天皇として受け入れるということもあるんではないかと思います。だから最近なんか男系で維持されてるから~女系天皇はだめだ~というけれどもじゃあ本当に600年前に分かれた人が戻ってきてもそれは本当の万世一系と言えるの?じゃあ遺伝子調べて微妙に違いがあったらそれはどうなの?というところをやっぱり考えないといかんという風に思っています。女系だと別系列になるというけどじゃあ600年前に分かれたのは別系列じゃねぇのか?というとですね、そう思わない人もたくさんいるんだろうと思います。遺伝子の問題じゃないというけども、男系だっていうのはもう要するに繋がっているのはY染色体が繋がっていますっていうぐらいの話であって、要するに遺伝子の問題なんですよ。遺伝子以外に何があるんだと。或いは国民のために一所懸命皇室が努力をされている、その皇室を大事にするのか、600年前に分かれたという血統を大事にするのか、そういう議論だと思います。だから僕は簡単に女系はだめだ~と言うけども、そんなことを言って600年前の方を元に戻してですね、国民にしっかりと受け入れられるのかどうか、そこは議論が要るんだろうと思います。
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- 国民は今の皇室・天皇の行動を尊敬
- 女系は別系統だというけど600年は別系統じゃないのか
- 旧宮家は遺伝子でしか繋がってない
河野太郎氏のこれらの発言について取り上げます。
国民は「今の皇室・天皇」の行動を尊敬しているにとどまらない
河野 今の天皇陛下を始め、皇室が国民から尊敬され、象徴だ~と言って受け入れられているというのは、そりゃもう天皇陛下をはじめ毎日国民のことを考え、災害が起きれば行って勇気づける或いは色んな行事に出てきて本当に色んな分野で頑張っている人を激励をするということを皇室を挙げてやってこられたそういう皇室の姿をやっぱり国民はそれを支持してるんだ
一代(或いは数代)限りの天皇の言動が天皇・皇室の正統性だという甚だしい勘違いがここにはあります。
断言します。日本国民は「今の皇室・天皇」の行動を尊敬しているにとどまらず、「歴代の皇室の歴史を含めた」ものとして天皇・皇室を捉えています。
なぜなら、「被災地に身を寄せてうんぬん」と言うなら、歴代の総理大臣やローマ法王も同じような事をしているからです。その立派な行いをテレビを通して見たからといって、日本国民が総理大臣やローマ法王に「その系統に皇室としての正統性がある」などとは思うわけがありません。
国民が一般的なある対象について「尊敬を持つ」ことの理由としては「被災地に身を寄せてうんぬん」は有り得るでしょう。
しかし、「天皇・皇室に対する特別な尊敬」とは、一代の人間が実際に見た天皇の言動によってのみ醸成されるものではないでしょう。我々は天皇・皇室の歴史をも知っているからこそ、そこに特別な思いを持っているはずです。
旅行者が京都のお菓子の八つ橋の老舗で八ツ橋を買うのはなぜでしょうか?
そのお店が八ツ橋を製造する工程を見たから?会社の社会貢献活動を見たから?
中にはそういう人も居るかもしれませんが、基本的には「昔から続いている」という評判を聞いているからでしょう。当然、購入後は「やはり老舗のものはおいしいな」ということで実体の伴う「尊敬」になっていくのですが。
日本国民が天皇・皇族と生涯の内に直接お会いしてお話をするなんてことは滅多にありません。でも、「そのような経験が無いから日本人は皇室に尊敬の念を抱いていない」とはならないのは、我々の先祖が、家族が天皇・皇室の存在をずっと頂いてきた、そのような環境があったからです。
明治天皇も歴代の天皇の行いの集積たる「大御心」を意識しているのであって、一代の天皇の意思をダイレクトに参照しろとは言っていません。
歴史の積み重ねをゼロベース思考で捉える愚
河野 女系だと別系列になるというけどじゃあ600年前に分かれたのは別系列じゃねぇのか?
河野大臣の言動は「歴史の積み重ねをゼロベース思考で捉える」愚を犯しています。
我々文明社会には「継続した事実状態の尊重」という価値観があります。
だからこそ民法で時効取得という制度があるのです。
で、時効取得に限りませんが、たとえばあなたが長年(分かりやすいように20年以上とする)住んでる家にいきなり他人が来て「この家と土地は俺のものだ、出ていけ」と言われたとします。
そのときに近所の人がその「争い」を外から眺めて「どちらの言い分も成り立ちうるな」「そういえばこの人がこの家に住んでることの根拠って何だろう?」と思うでしょうか?
たしかに純粋に論理的には土地の登記の有無などを確認しないと分からない話ではありますが、近所づきあいをしていた人はずっとそこにあなたが住んでいたことを(平穏公然と)知っているわけですから「後から来た人が証明しろよ」と思うのが当然で、ゼロベースで考えるわけがないのです。
タレブは著書「反脆弱性 下巻」において、誰かに経験的な知恵があるかどうかをたしかめるためには「立証責任をその人はどこに置いているのか」を見るのが一番だ、という旨を書いてます。
反脆弱性[下] 不確実な世界を生き延びる唯一の考え方 [ ナシーム・ニコラス・タレブ ]
「天秤」を想像して、その事案のスタート地点は平行であるべきなのか、それともいずれかに傾いた状態でスタートしているのかという判断、そして、重りを載せるべき責任を負っているのは左右のどちら側なのか?
この立証責任の所在の判断は、法的な思考をしていれば馴染みがあるものになるでしょうが、なにも法的な知識を持っていたり証拠法の訓練を受ける必要はないわけです。
物事の比較としておかしい「600年は別系列」論
話を戻して、「女系継承」と並べて「600年」を別系列と言うのがどれだけおかしな比較論なのか、普通の人間ならば一瞬で理解できなければおかしい。
『2680年遡っても神武天皇の系列に繋がらない「女系継承」』と「男系で繋がるためには600年遡る旧皇族の男系男子」と、どちらが「より別系列」と呼ぶべきかというと、明らかに前者なわけです。
「別系列」と呼ぶかは別にして、より先例に近い形なのが旧皇族の皇籍復帰や養子縁組なわけで、その可能性を排除するために「女系と同じでしょ」というロジックを取るのは論理が対応しておらず、破綻しています。
河野氏がこう考える前提として「歴史あるものに対するゼロベース思考」があるんだろうと思います。
※補足として、これらを同列に見るのは不当だというのが、伏見宮系の旧皇族が歴代の朝廷や幕府(新井白石を見よ)・大日本帝国の政権によって維持されてきたことを考えれば明らか。
※なお「600年前に天皇家から分かれた人たち」というのは間違いなのも明らか。「天皇家」を現在の皇室を起点にして理解していると思われる。
積極的根拠の主張立証責任の所在の認定ミス
河野 男系だっていうのはもう要するに繋がっているのはY染色体が繋がっていますっていうぐらいの話であって、要するに遺伝子の問題なんですよ。遺伝子以外に何があるんだと。或いは国民のために一所懸命皇室が努力をされている、その皇室を大事にするのか、600年前に分かれたという血統を大事にするのか、そういう議論だと思います。
なぜ、「継続した事実状態」が根拠だと思わないのでしょうか?男系継承を2000年以上続けてきた事実そのものを。
河野氏の上記発言は、単にY染色体理論の論者の主張に反論しているだけなのですが、Y染色体理論があるからこのような視野の狭い「反論」に過ぎないものが本筋論だと錯覚するのでしょう。
【皇位継承】Y染色体遺伝子理論という劣化保守擬きのエセ科学が誤りである理由 - 事実を整える
これは「何かが正統だと言うためには、その積極的根拠を示さなければならない」というドグマに陥っていることから起こる発想でしょう。
生半可に頭のイイ論理的な人にこういう者が多いです。
全ての物事に積極的根拠を見出そうとすると、淘汰の過程で残ったモノや、特定の人ではない多数の人々の活動によって醸成されてきたモノが排除されてしまいます。
天皇の御存在というものは、誰かの意思によって根拠づけられて成立し、継続してきたものではありません。そこにはただ、多数人の行為の蓄積によって醸成されたものがあるだけです。
エラそうな物言いをすれば、「歴史の淘汰に耐えた」御存在です。
したがって、皇統は男系継承されるべきだということについて、なぜそうなのかを言う必要など存在しないのです。逆に、「他の男系継承を可能にする方法を模索する必要は無く、女系継承を容認すべきである」「男系継承をするべき前提が崩れている」と主張する者の側において、積極的に論証をしなければならないという関係にあるのです。
このことは3年前に女系天皇を避けるべき理由 - 事実を整えるで既に述べています。
不可逆事象の扱いとして不適切な河野氏の態度
また、男系継承を途絶えさせて「女系継承をも認める雑系」に移行するということは、不可逆事象です。女系継承が完全に間違いであるかどうかは一度もそのような状況になったことが無いので断定できませんが、後で「間違いだったから元に戻そう」とすることが不可能なものです。
しかも、河野氏自身も「男系継承であれば望ましい」と言っている通り、「男系継承が危険であり、ダメである」という話はまったくないのです。
したがって、「万が一取り返しのつかないことにならないように男系継承の可能性を最大限模索する」という態度になるのが通常です。
しかし、河野太郎氏はそういうことはしない、と言い放ったのです。
【なぜこのタイミングで旧皇族の皇籍復帰や養子縁組の道を諦めるのか?】
この点について、河野太郎氏はまったく弁明していません。
議論の仕方として、非常に不適切であり、非対称な態度でしょう。
※ここでも補強として明治政府が男系での継承を維持する判断をしたことや「菊栄親睦会」によって現在も皇室と旧皇族が交流を持っていることから、男系継承の道を最大限模索することを皇室が重視している事実などを挙げることができるが、本題からずれるので割愛する。
皇室問題の論じ方で明らかになる一般的な思考方法の誤り
さて、ここまで書いてきた理解をするのに皇室の歴史の細かい話を知っていることは不要だというのに気づきましたでしょうか?
河野太郎氏の一般的なロジックの欠如の話です。
何らかの物事に対して向き合う際の思考に問題があることが、皇室問題において顕著に炙り出されてくるということです。
これでは陸上イージス問題に関連する一連の説明のように、他の事案でも致命的な判断ミスを起こしかねません。
以上