「国際協調とは書いてない」という指摘がありますが、それは的外れです。
教育勅語の解説書や歴代大臣の発言等を振り返っていきます。
- 柴山昌彦文部科学大臣の発言
- 歴代の文部科学大臣の答弁と同様の認識の前川喜平
- 閣議決定されている「教育勅語の一部利用は問題ない」
- 教育勅語における国際協調:「勅語衍義」の解説
- まとめ:教育勅語の不勉強な意見はやめよう
柴山昌彦文部科学大臣の発言
「アレンジした形で、今の例えば道徳などに使える分野が十分にあるという意味では、普遍性を持っている部分がある」
「同胞を大切にするとか、国際的協調を重んじるといった基本的な記載内容について、現代的にアレンジして教えていこうと検討する動きがあると聞いており、検討に値する」
柴山昌彦文部科学大臣が教育勅語を取り上げたとして新聞・TV等のマスメディア、破防法に基づく調査対象団体である共産党、そして社民党界隈が中心に必死になって問題視しています。
が、柴山大臣は「普遍性を持っている部分がある」ということで、すべてを現代の教育において奨励しているわけではありません。
そもそもこの発言は、記者が「教育勅語についてどう考えているか」と質問をしたために応えたというだけであり、柴山大臣が「教育勅語復活を推進する」ということではありません。
歴代の文部科学大臣の答弁と同様の認識の前川喜平
柴山大臣の発言は、歴代の大臣の答弁を踏襲しているだけです。
○下村国務大臣 教育勅語の十二の徳目、これも、現代語訳としての教育勅語の十二の徳目というのが一般的に流布されているものとして、これは例えば孝行というのは、親に孝養を尽くしましょうとか、それから友愛というのは、兄弟姉妹は仲よくしましょうとか、それから夫婦の和というのは、夫婦はいつも仲むつまじくしましょうとか、それから朋友の信というのは、友達はお互いに信じ合ってつき合いましょうとか、そういう、先ほどから申し上げているように、これは、戦前戦後、あるいは国を超えて、ある意味では普遍的な徳目ではないかというふうに思いますし、こういう徳目について何ら否定するべきことではないのではないかと思います。
また、同じ場では前川喜平元文部科学事務次官も次の通り述べます。
○前川政府参考人 教育勅語そのものを、その扱いも含めて戦前のような形で学校教育に取り入れることは、否定されるべきものと考えております。したがいまして、教育勅語そのものを教材として使うということは考えられないところでございます。
一方で、教育勅語に列挙された徳目の中には今日でも通用するような内容も含まれており、その内容に着目して活用するということについてはあり得るのではないかということでございまして、大臣と同じ趣旨を申し上げたつもりでございます。
閣議決定されている「教育勅語の一部利用は問題ない」
仲里利信が提出した質問書に対して以下答弁書が内閣から出されています。
内閣衆質一九三第二二三号 平成二十九年四月二十一日 衆議院議員仲里利信君提出教育勅語を道徳教育に用いようとする動きに関する質問に対する答弁書
教育に関する勅語を教育において用いることが憲法や教育基本法等に違反するか否かについては、まずは、学校の設置者や所轄庁において、教育を受ける者の心身の発達等の個別具体的な状況に即して、国民主権等の憲法の基本理念や教育基本法の定める教育の目的等に反しないような適切な配慮がなされているか等の様々な事情を総合的に考慮して判断されるべきものであるが、教育に関する勅語を、これが教育における唯一の根本として位置付けられていた戦前の教育において用いられていたような形で、教育に用いることは不適切であると考えている。
柴山大臣の認識はこの答弁書で示したものとまったく矛盾しません。
教育勅語における国際協調:「勅語衍義」の解説
これは解釈の違いに過ぎませんが、「教育勅語には国際協調は書いてない、だから柴山大臣は間違っている」というのは明確に間違いです。
明治政府が教育勅語の解説書として出した井上鉄次郎著の勅語衍義(ちょくごえんぎ)の「博愛衆ニ及ホシ」の部分には、国際協調に該当し得る解説がなされています。
まず、博愛とは何かを説いており、自分の利益を優先するのではなく、他人の為に行動しなさい、それがかえって自分の利益になると書いてあります。
次に、博愛の示し方として「自分の周りの人から大切にしなさい」と順序をつけることを求めています。その上で、徐々に遠い立場の人に対しても博愛を及ぼしなさい、と説いています。国との関係で言えば、自国に対する愛国心があることがグローバルスタンダードであるという趣旨のことを言っています。
そして、異邦の来客を厚遇するべきであり、そうすることで日本人が他国へ行った際にも厚遇される、と他国民との協調を勧奨しています。
現在の「国際協調」と全く同じ内容を語っているかは別にして、それに通ずる精神が教育勅語の中に垣間見られるというのは厳然たる事実です。
杉浦重剛の「教育勅語 昭和天皇の教科書」による解説でも「博愛は赤十字社のごとく、敵味方の区別なく四海兄弟なりとして博くこれを愛する徳にして」とあります。
そして、日清・日露戦争においてですら敵の負傷兵、降伏兵を厚遇したとして戦時においても「博愛」の精神を忘れていなかったと述べています。
まとめ:教育勅語の不勉強な意見はやめよう
柴山文科大臣が、教育勅語の参考になる部分として、「国際的協調を重んじるといった基本的な記載内容」と例示したんですが、そもそもそんな記載は原文にないんですよね。「保守っぽいこと」を内輪にアピールするために言ってるんでしょうけれど、「知ったかぶりする不勉強な文科大臣」って凄いと思う。
— 荻上チキ (@torakare) October 3, 2018
新文科相・柴山君!これをよく読め!昨年4月16日付赤旗。教育勅語の「夫婦相和し」とは、「女は男より劣っているから夫に従え」という意味。これのどこが「今の道徳教育に使うことができる」のか!? pic.twitter.com/iab4WqnWBa
— 渡辺 和俊 (@kazu_w50) October 3, 2018
共産党の宮本岳志議員などは、先述の「勅語衍義」を引用して国会質疑をしていました。
そのように、在り得る解釈をベースにして議論をすることすらせずに「博愛衆ニ及ホシ」を現代に生きる自分の理解だけで論じるのは不勉強にもほどがあります。
「博愛」という抽象概念を含む文章は、解釈に幅があるからこそ、深淵で豊かな内容になります。原文に書いてある字義について、現代の視点から見た第一義的な意味合いしか含まれない、と理解することは、非常に不自由だと思います。
解釈がダメだというのであれば、しんぶん赤旗がやっているように勅語衍義の解説を引用して論難することもダメだということになります。
それはおかしいというのは火を見るより明らかでしょう。
以上