事実を整える

Nathan(ねーさん) ほぼオープンソースをベースに法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

「旧皇族(旧宮家)は復帰の意思は無いと回答」「旧皇族復帰は竹田恒泰が皇族になる」という話の実際

f:id:Nathannate:20190509143818j:plain

 「旧皇族(旧宮家)は皇籍復帰の意思は無いと回答した」

「旧皇族復帰は竹田恒泰が皇族になってしまう」

このような話の実際について検証した内容をまとめます。

なお、ここで検証したことは既に谷田川惣氏が皇統は万世一系である 女系天皇論の嘘とごまかしを徹底検証 において行っています。 

「旧宮家は復帰を否定・反対した」という情報のソースと言われているもの

月刊 現代 2006年 02月号 31頁

保阪 旧宮家復活というのは、アナクロもいいところです。私は依然取材で、旧宮家の人たちにも何人か会っているのですが、彼らのなかで、また皇族にと思っている 人はひとりしかいなかったんですね

原 旧竹田宮家の竹田恒泰氏ですね

保阪 そう…

小林よしのり氏が「新天皇論」にて上記の保阪正康氏と原武史氏との対談を念頭に、「旧宮家は皇籍復帰を望んでいない」という旨を書いたことでこのような言説が広まったという経緯があります。

では、実際の保阪氏の取材内容を見てみましょう。

保阪正康氏が旧皇族(旧宮家)に会ってインタビューした内容

保阪正康氏が旧皇族に会ってインタビューした際の記事は文藝春秋2005年3月号の『新宮家創設8人の「皇子候補」』に載っています。

文藝春秋 2005年 03月号 156頁

東久邇信彦氏も、「皇太子家に男のお子さまがお生まれになるかもしれないので、それ以外は何も考えておりません」と答える。

竹田家の現当主、恒正氏には、「お答えする立場にありません」と、取材を断られた。

伏見宮博明氏は…「大変重要な問題であると考えていますが、まだ議論する時期ではないと思います」との答が返ってきた。 

久邇朝宏氏は、「私は吹けば飛ぶような三男坊で、こういうことは長兄が考える立場にありますから、なんとも言えません。ただ、一般論で言うと、皇統を絶やすわけにはいかないのなら、その血を受け継いでいて、そう遠くない血縁の人がいいというのはだれもが思うことでしょうね。そして、そこにふさわしい人がいるならいい、ということかもしれません」と、一歩進んだ話をしてくれたので、「もし、あなたが若くて独身で、養子候補と言われたらどうですか?」とたたみかけると、こう答えた。「独身でも、そのときすでに家内と出会っていたら断るでしょうね(笑)

文藝春秋 2005年 03月号 157頁

東久邇宮盛彦氏は、-中略ー「学生のころは、日本史を勉強していると東久邇という名前が出てくるので、それがイヤで、選択できるときは世界史をとっていました。また、名前が旧皇族とわかりやすいからか、「あいつはフェラーリに乗っているらしい」なんて勘違いされたこともありましたね(笑)。ただ、そういったこと以外は、皇族につながるからといって何か特別なことがあったわけではありません。私は京都で育ち、同志社大学で学んだので、小さいころは菊栄親睦会にも呼ばれましたが、それ以外は東京とあまり縁がなかったこともあります。旧宮家から養子をとるといっても、あまり現実的にはイメージができませんね。ただ、そこまでして何を残すのかということをよく考えるべきだとは思います。それは国家というものを考えることにつながるのかもしれませんし、一部の人が議論するだけで、そのまま決められてしまっていい問題ではないのではないでしょうか。」

竹田恒泰氏は…そこで、今回、取材を申し込んだが、ここでも、「お答えする立場にありませんので、遠慮させてください」という返事だった。

月刊現代2006年2月号での保阪氏らの発言とはずいぶんと実態が異なるようです。

旧皇族は復帰の意思を明言してはいないが否定していない

上記で引用した発言を見てわかるように保阪氏がインタビューした旧皇族の方がたは皇籍復帰の意思を明言はしていないものの、否定もしていません

竹田恒泰氏も回答を拒否しています。

唯一「断るでしょうね」と答えた久邇朝宏氏ですが、これは「若くて独身で」「養子候補と言われたら」という仮定の話です。久邇朝宏氏はこの時すでに60代です。

これがどうして「旧宮家は皇籍復帰を望んでいない」「竹田恒泰だけが皇籍復帰の意思がある」という評価になるのか、不思議でしかたがありません。

「意見を述べない」 ことで意思疎通していた旧皇族

「竹田恒泰だけが復帰の意思をみせている」と書かれた月刊現代とまったく同じ号の《「女系天皇反対」の旧皇族が語る著書出版の舞台裏「宮家にも政財界人にもはんたいされて」》において竹田恒泰氏が以下語っています。

 月刊 現代 2006年 02月号 49頁

旧十一宮家の当主たちが「皇室典範問題については一切意見を述べない」ことで意見を一致させ、この問題についてメディアの取材を受けないよう、父を通じて私にも通達があった。

状況が整っていない中で一部の旧皇族の者が「復帰の意思がある」と言ってしまったらどうなっただろうか?マスメディアに騒がれ、他の旧皇族からも白い目で見られるかもしれないでしょう。

足をつかって取材した保阪氏には申し訳ないが、いちジャーナリストに過ぎない保阪氏に対して、あのタイミングで復帰の意思があるなどと答えるはずがないでしょう。

政府が制度面でも人員・施設面でも体制を整えた上でお願いに上がるというのが本来の筋です。そのときに初めて旧皇族の意思が問題になるのです。

竹田恒泰「皇室の外に居てこそ皇室を守ることができる」

このように、竹田恒泰氏は幾度となく、皇籍復帰をする意思はないことを明確にしています。

「旧皇族復帰は、竹田恒泰が皇族になるということだから反対だ」

このような物言いをする者を見かけますが、どれだけ間違った認識なのだろうか。

まとめ:「皇族に戻る意思は無い」は拙速

月刊 現代 2006年 02月号 51頁

私がメディアの取材を受けるようになって驚いたのは、宮内庁記者クラブの記者や、各メディアの皇室担当記者のほとんどが、女系天皇論に否定的な見方をしているということだった。合理的な理由がない以上、彼らの本意がメディアの俎上にのぼることはない。だが、彼らは論理では言い表せない「何か」を本能的に感じているのだ。

当時、未だ悠仁殿下はお生まれになっていません。

平成17年のデタラメな有識者会議の報告書が出たばかりの時期です。

そうであるにもかかわらず、皇室に近い記者らのほとんどが女系天皇に否定的であったという竹田氏の見立ては興味深いものがあります。

それから13年が経過した現在も、「旧皇族の復帰の意思」が問題になりますが、「復帰の意思が示されなかった」ということが「復帰を否定した」とのように誤解されかねない形で言及されることがあります。

それは拙速な判断だということを認識するべきでしょう。

以上:はてなブックマーク・ブログ・note等でご紹介頂けると嬉しいです。