水間政憲氏がブログで『青山繁晴議員は「パクり」ではないようなことを有本香氏が、5月2日の虎ノ門ニュースで紹介していたが、本質を理解できてないようです。』と言っていたので、別の家系図を示します。
水間政憲が青山繁晴はパクリではないとした有本香に反論
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■旧皇族11宮家の家系図を百地章氏が平成24年4月に
「有識者会議」に提出していたから青山繁晴議員は
「パクり」ではないようなことを有本香氏が、
5月2日の虎ノ門ニュースで紹介していたが、本質を理解できてないようです。その家系図はあくまで旧皇族11宮家のもので、
私が『ひと目でわかる「戦前の昭和天皇と皇室」の真実』に
掲載したものと趣旨がまったく違います。西尾幹二先生が『月刊正論』で
「御皇室におられる方々が御尊貴の立場にあられるのはひとえに
『血統』のゆえである。はっきり言ってそれ以外にいかなる根拠もない。……」と
断言されていらっしゃる通り「血統」がすべてなのです。私もそこから出発して家系図を作成したのです。
明治天皇以降の「血統」に基づいて家系図を一ヶ月かけて作成した結果、
皇太子殿下(現天皇)と秋篠宮殿下より天皇の血が濃い「従兄弟」が
いらっしゃることを突き止め、同書5ページに、
天皇家と東久邇家の家系図を横並びに掲載したのです。それは、ひとえに天皇家の家系で男系男子が、悠仁親王で途絶えるから
「女性宮家・女系天皇」を認めなくてはならないとの世論に
一石を投じる意味を込めて作成したのが、
まさしく同書5ページの東久邇家と天皇家を横並びにした家系図だったのです。それを見れば、誰でも「ひと目」で、
照宮成子内親王殿下(昭和天皇の長女)の御子様であられる
東久邇信彦・秀彦・眞彦氏が、皇太子殿下(現天皇)の
「従兄弟」であることが一目瞭然になるように作成したのです。また、その三方に男子の御子様がいらっしゃるのか否かの疑問に応えられるように
同書7ページに男子が5名いらっしゃることが解るように家系図を制作してあります。同書6ページには、照宮成子内親王殿下のご主人の母上が
明治天皇の内親王(聡子)殿下だったことも一目瞭然になる家系図を掲載し
完璧を期してあります。要するに皇族に復帰しても
まったく問題のない立派な「血統」の東久邇家と天皇家の家系図が横並びになった
同書5ページと同じようなものが存在してなかったのです。
同書5ページの家系図は、皇籍を復帰する旧皇族は、
まず、東久邇家が順当と認識できるように作成した意図が、
「ひと目」でわかるようにしてあります。それ故、単なる家系図でないことは、日本人ならすぐ理解できるようにしてあります。
水間氏の主張を要約すると以下になります。
- 私(水間)が作成した東久邇宮家の家系図の特徴は、東久邇家と天皇家を横並びにすることである
- それにより、誰でも「ひと目」で、照宮成子内親王殿下(昭和天皇の長女)の御子様であられる東久邇信彦・秀彦・眞彦氏が、皇太子殿下(現天皇)の「従兄弟」であることが一目瞭然になっている
- このような家系図は私が書くまで世の中に存在してこなかった
- だから有本香の指摘は的外れだ
しかし、「このような家系図」は既に世の中に存在していました。
平成10年:所功著「皇位継承」の付録に横並びの家系図
これは平成10年(1998年)に出版された 皇位継承 /文藝春秋/高橋紘・所功に付載の略系図です。東久邇家部分を拡大したのは以下です。
このように、天皇家と東久邇家の家系図を横並びにした図になっています。
通常の判断能力を持つ一般人がこれを見れば、東久邇家の信彦・眞彦・秀彦(壬生基博)氏らが文仁親王殿下の従兄弟であるということはこの図を見れば分かります。
平成17年(2005年)には皇室典範に関する有識者会議のHPでも
ちなみに上図は、あのデタラメな報告書を出した平成17年の皇室典範に関する有識者会議のHPにおいて、所功氏自身が参考資料として提出していますので、ネットで閲覧可能です。
もちろん、所氏の図は同世代であること、従兄弟同士であることを意識して書かれたものではありません。それは皇位継承にかんする話では無意味な情報だからです。
したがって、水間氏がオリジナルなのは悠仁親王殿下がお生まれになったことを追記したことと、枠で囲って説明文を記したことくらいでしょうか。
たしかに「ひと目で」分かりやすいようになっており、その意味で水間氏のこの図は一定の独自性と価値があるのでしょう。
ただ、それが格別の独自性を有すると評価するのは無理があるでしょう。
なお、「皇太子殿下より天皇の血が濃い」という説明は、皇女の成子内親王を通じて血が濃いと表現している点で実質的に女系継承論と同義ですので、男系男子を維持する者としては論理的に破綻しています。
「120名」というのも民間人である皇別摂家を含んだ数字です。
まとめ
水間氏がどういう意図であるかは知りませんが、旧皇族の家系図は過去に何度も多数人の手によって作成され、広く一般が見ることができるようになってきていました。
そのような先人の努力をご存じなかったということであれば致し方ないですが、少なくとも事実としてはここで書いた通りです。
以上