事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。リンク切れに備えて魚拓を活用しています。

「五世の孫の不文律」と言われるものについて

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旧皇族の皇籍復帰・皇位継承に関して「五世の孫の原則」という言葉が持ち出されることがあります。

この暗黙のルールについては実は存在に疑義が呈されています。

「五世の孫の原則」とは

五世の孫の原則」と言われているものは、「天皇から5世代隔たったら臣籍降下すること」とされていたルールという意味です。

その意味合いについては若干の「揺れ」があり、天皇当代を1世とするか、子の世代を1世とするかですが、基本的には子の世代を1世としています。

このルールと言われているものは、以下の先例が根拠とされています。

継体天皇の先例

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継体天皇(450年?ー531年3月10日?)は応神天皇の5世孫でした。

これが皇位継承に際してもっとも遠縁の継承でした。

その後、この先例を踏襲したと思われる規定が現れます。

701年:大宝養老の(養老律令)の継嗣令

継嗣令1「皇兄弟条」において、親王・諸王および皇親の範囲についての規定が設けられています。原文は漢文なのですが、意味内容は以下のようなものです。

凡皇兄弟皇子。皆為親王。女帝子亦同。以外並為諸王。自親王五世。雖得王名。不在皇親之限。

「天皇の兄弟およ び天皇の皇子はすべて親王の身分とし、それ以外の者については並びに諸王の身分とする。皇女も同様に親王の身分とする。親王より五世の者については、王の称号を得るといえども、皇親の範囲には含まれない。
※「女帝子亦同」の解釈が「皇女もまた同じ扱いとせよ」か「女帝の子もまた同じ扱いとせよ」なのか等で学者の間でも分かれていますが、歴史的事実に沿うように解釈すると本文のようになります。

皇親」とは今でいうところの「皇族」のことを指します。

ここでは親王を1世として、5世の者は皇親の範囲に含まれないとしています。

慶雲3年(706年)2月の格による改正等

この継嗣令は、慶雲3年(706年)の格(きゃく)で改正され、五世孫までが皇親とされ、五世孫の嫡子に王を称することが許され皇親の範囲に含まれました。

ただ、延暦17年(798年)5月には継嗣令の通りに戻されています。

なお、この頃は婚姻によって皇親の身分を獲得したり喪失したりすることはありませんでした。皇后であっても臣下の家の出身者は皇親とは認められません。また、臣下に降嫁後に皇親として二品の叙位を受けた例も存在します。

皇室典範等の規定

敢えて間の時代を飛ばしますが、大宝律令時代の「五世」の数は、近代以降の皇室典範の規定でも現れています。

明治の旧皇室典範の規定

旧皇室典範

第七章  皇族

第三十條 皇族ト稱フルハ太皇太后皇太后皇后皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃內親王王王妃女王ヲ謂フ

第三十一條 皇子ヨリ皇玄孫ニ至ルマテハ男ヲ親王女ヲ內親王トシ五世以下ハ男ヲ王女ヲ女王トス

第四十四條 皇族女子ノ臣籍ニ嫁シタル者ハ皇族ノ列ニ在ラス但シ特旨ニ依リ仍內親王女王ノ稱ヲ有セシムルコトアルヘシ

こちらは「五世以下は王・女王とする」としているにとどまります。

つまり「永世皇族制」を採っているということです。

ですから、5世以降は臣籍降下するということはなくなりました。

皇女は民間男性と婚姻した場合に皇族ではなくなります。

昭和以降の現行皇室典範

第二章 皇族
第五条 皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王を皇族とする。
第六条 嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする

第十二条 皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。

現行皇室典範も永世皇族制ですが、「嫡男系嫡出」という限定が付されるようになりました。

皇室典範増補と皇族降下基準

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皇室典範増補(明治四十年二月十一日)

第一条 王は勅旨又は情願に依り家名を賜ひ華族に列せしむることあるべし

第五条 第一条第二条第四条の場合に於ては皇族会議及枢密顧問の諮詢を経べし

皇族ノ降下ニ関スル施行準則

第一條
 皇玄孫の子孫たる王明治四十年二月十一日勅定の皇室典範増補第一條及皇族身位令第二十五條の規定により情願を為さざるときは長子孫の系統四世以内を除くの外勅旨に依り家名を賜ひ華族に列す

第二條
 前條の長子孫の系統を定むるは皇位繼承の順序に依る

第三條
 長子孫の系統四世以内に在る者子孫なくして父祖に先ち薨去したる場合に於て兄弟たる王あるときは其の王皇位繼承の順序に從ひ之に代るものとす

第四條
 前數條の規定は皇室典範第三十二條の規定に依り親王の號を宣賜せられたる皇兄弟の子孫に之を準用す

  附 則

此の準則は現在の宣下親王の子孫現に宮號を有する王の子孫竝兄弟及其の子孫に之を準用す但し第一條に定メタル世數は故邦家親王の子を一世とし實系に依り之を算す

博恭王は長子孫の系統に在るものと看做す

邦芳王及多嘉王には此の準則を適用せず

明治の皇室典範では皇族女子が臣籍にある者(現在でいう民間人)と婚姻する他は皇族の臣籍降下を認めていませんでした。そこで皇室典範増補で規定が設けられました。

ただ、皇族の数が増えすぎないようにするため、さらに一定の基準を作る必要が認識されるようになり、皇族ノ降下ニ関スル施行準則が立案されました。

「この準則によって旧皇族はGHQと無関係に自動的に皇籍離脱していた」と言われることがありますが、その誤りについては以下で論じています。

皇族の降下に関する施行準則で旧皇族はGHQと無関係に皇籍離脱という論の誤り

旧皇族の復帰は「5世の孫」の不文律に照らすと?

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さて、伏見宮系の旧皇族が皇籍復帰すると、どうなるでしょうか?

今上陛下との共通の祖先は、男系を辿れば1348-1351年の崇光天皇か、北朝を認めないなら1298-1301年の後伏見天皇までさかのぼります。

男系継承を維持する者は、ここをどのように説明できるのでしょうか?

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