事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

メンタリストDaiGoの炎上謝罪に便乗する生活保護活動家緊急声明の害悪:「優生思想」のインフレ化

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メンタリストDaiGoの炎上謝罪に便乗する言葉の破壊行為。

メンタリストDaiGo氏のYouTubeにおけるヘイト発言を受けた緊急声明

「メンタリストDaiGo氏のYouTubeにおけるヘイト発言を受けた緊急声明」と題した声明が「つくろい東京ファンド」のページにて生活保護問題対策全国会議、新型コロナ災害緊急アクション、反貧困ネットワークとの連名で出されました。

非常に悪質な声明だと思います。

「優生思想」概念の誤用、インフレ化を来す内容

2 DaiGo氏の発言の問題点

ホームレスの人や生活保護利用者の命は要らないとする、DaiGo氏の一連の発言は、人の命に優劣をつけ、価値のない命は抹殺してもかまわない、という「優生思想」そのものであり、断じて容認できるものではありません。これらの発言は、差別を煽動する明確な意図に基づいて行われたものであり、現に、路上生活者に対する差別に基づいた襲撃事件が後を絶たない中、さらなるヘイトクライムを誘発する危険のある、極めて悪質な発言と言わざるを得ません。

これは「優生思想」概念の誤用、インフレ化を来す内容です。

「優生思想」の意味内容については以下言えます。

  1. プラトンの時代から似たような概念があったものが19世紀の「優生学」という造語に由来した言葉として出現
  2. 学問上の定義は無い
  3. が、「何らかの秀でた特質を有する者の遺伝子を保護し、逆に劣った特質を有する者の遺伝子を排除して、優秀な子孫を後世に遺そうという思想」という公約数的な理解がある。
  4. 伝統的には「劣等遺伝子の排除」と「人の排除」とがほぼ不可避的に結びついていたものが、技術革新によりそれらが分離可能な可能性が出てきたため「国家政策として強制するもの」という範囲を超えて「民間における自発的な意思に基づく「優生思想」の実現の途」が開かれることになったために、その用語法に揺らぎが生じた
  5. つまり、子孫を残すという局面で出てきた用語

詳しくは以下で研究者の記事のリンクも含めて解説しています。

メンタリストDaiGoの炎上謝罪に便乗した言葉の破壊と有害な言説の流布

このツイートのスレッドに書いてますが、ここでも改めて書きます。

「優生思想」は排除の理論的根拠として免罪符的に持ち出された

「優生思想」を単に「(ある観点から見て)価値の無い命の排除」とするのは、歴史上の本物の優生思想がどういう理屈のもとに実施されてきたのかという点の理解をスポイルさせます。

「自分或いは社会における子孫の繁栄」を企図し、同時にそれを【免罪符にして】行われるものが優生思想の危険性の本質

「嫌な奴は眼の前から居なくなってほしい」ということを実現したいための免罪符として理論武装しているかのごとく持ち出されたのが「あいつは劣っているから」であり、更には「そういう奴を排除すれば子孫が繁栄する」という正当化根拠のごときモノを創設してまで【正義】の仮面を被ったものが(悪い)優生思想

そういう要素の無い「劣ってるあいつは排除」にまで「優生思想」の語を割り当てるのは、【優生思想概念のインフレ化】を引き起こし、意味内容の希薄化を招来せしめる。

同じことが「差別」や「ヘイト」という語にも行われてきました。

その結果が【安易な「差別扇動者」「ヘイト扇動者」認定】 です。

安易な概念のインフレ化が招いた「差別扇動者」認定や「立法事実」の誤用

https://archive.is/dGRcA

安易な概念のインフレ化が招いた事態の具体例として、水谷選手に対する「差別煽動者」のレッテル貼りや、立法府における「立法事実」の誤用があります。

上掲のアカウント(一橋大学大学院言語社会研究科所属の実名垢)は、普段から「差別」や「ヘイト」に反対していると口では言っていますが、実態はこういうことです。
※「法科大学院」と書いてしまっていましたが誤りです

「差別」や「ヘイト」に関連していわゆる「ヘイトスピーチ解消法」がありますが、その立法過程の議論において「立法事実の不存在」という言及が多く行われました。

そこには「立法事実」に対する無理解がありました。

「現実に発生した社会的事件が無ければ立法事実が無い」という誤り。

これも、用語の概念を拡張して誤った用法で使われることが横行した結果で、これ自体がまさに現実に発生した社会的事件です。

さらに言えば、言葉の意味の認識は、人類全体の認知にも影響を与えます。

言葉の安易な用法による意味の変遷が概念認知を不可能にした歴史的事実

言葉の概念の希薄化・安易な拡張・歪曲に対して私が危機感を持っているのは、歴史上、そのために重要な概念の認知が人類規模で不可能にされてきたという例があるから

ハイエク全集(第8巻)新版 法と立法と自由 1 ルールと秩序 [ フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエ ]30頁以下にある例があります。

ここまで展開してきた諸問題の論議は古代ギリシャ人によって導入された誤った(その混乱した影響からわれわれがまだ完全に脱け出せないでいる)区別の幅広い受容によって、長いこと妨害されていた。これは現代の用語でいう「自然的」である現象と「人工的」である現象との分割である。紀元前五世紀にソフィストたちによって使われはじめたと考えられる元々のギリシャ語は「自然による」を意味するphyseiと、その対立概念で「しきたりによる」がもっとも近いnomōか「意図的な決定による」と訳されるtheseiであった。第二の表現として多少意味の異なる二つの用語を使ったため混乱が生じ、以後の議論に尾を引いている。意図された区別は、独立に存在する対象と人間的行為の結果である対象との、あるいは人間的設計とは独立に生じた対象とその結果として生まれた対象との区別であったろう。これら二つの意味を区別し損ねたために、ある学者はある所与の現象を人間的行為の結果であるがゆえに人工的と評し、別の学者は同じ現象をそれが明らかに人間的設計の結果でないがゆえに自然的であるとするという情況が生じた。十八世紀になって初めて、バーナード・マンデヴィル(Bernard Mandeville)やデヴィッド・ヒュームのような思想家たちが、二つの定義のどちらの定義によるかによって二つの範疇のいずれにでも分類することができ、それゆえに識別された第三の部類の現象と呼ばれるべき現象の範疇があることを明確にした。そして、これは後にアダム・ファーガソン(Adam Ferguson)によって「人間的行為の結果であるが人間的設計の結果でないもの」と叙述された。これらの現象は、その説明のためには一個の理論体系を必要とし、理論的社会諸科学の対象を提供することとなった。
 しかし、古代ギリシャ人によって導入された区別がほとんど挑戦を受けることなく思想を支配しつづけた二〇〇〇年強の間に、それは諸概念や言語に根強く浸透してしまった。紀元二世紀にラテン語文法学者のアウルス・ゲリウス(Aulus Gellius)が、physeiとtheseiというギリシャ語にnaturalisおpositivusという言葉をあて、多くのヨーロッパ諸国の言語は二種類の法を叙述する用語をそこから引き出した。
 中世のスコラ哲学者たちによるこれらの問題の論議は、後に一つの有望な展開を生じさせたが、それは「人間的行為の結果であるが人間的設計の結果でない」現象という中間的範疇の認識を閉ざしてしまった。

ー省略ー

>「理性」という用語、「自然法」という用語、ともにその意味は完全に変わってしまった。以前は善悪を弁別する、すなわち確立されたルールにしたがっているものとしたがっていないものを区別する精神の能力を含んでいた「理性」は明示的な前提から演繹によってその種のルールを構成していく能力を意味するようになった。それによって、自然法概念は「理性の法」という概念に置き換えられ、もとの意味とはほとんど正反対の意味をもつようになった。

人類がこの概念の認識ができなかったために、設計主義者の跋扈を許し、それは社会共産主義へと成り、その禍毒の認知と危機意識の共有のための言語化が遅れてしまったのではないかと考えられます。

DaiGoは謝罪撤回・再謝罪:他にも問題はあるが…

 「つくろい東京ファンド」のページにて生活保護問題対策全国会議、新型コロナ災害緊急アクション、反貧困ネットワークの共同の緊急声明は、他にも問題点はあります。

たとえば、生活保護の被保護人員が増えることについてそれ自体を「良いこと・正しいこと」と考えているとしか思えない内容がありました。

が、それも含めると長大になるので、今回は特に悪質なものを取り上げました。

彼らがやってることはメンタリストの炎上に便乗したアピールでしかなく、そこに言葉の破壊行為が含まれている危険性をきちんと言語化しておかなければなりません。

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