マスメディアの報道のからくりについて暴露してますね。
朝日新聞鮫島浩「部下の原稿を全面的に書き換えた」
39歳で政治部デスクになった時は自分が納得しない内容は一言一句載せないと気負い、部下の原稿を全面的に書き換えた。論座で多種多様な社外筆者を担当した49歳の今、昔の愚行に気づいた。他人の原稿に手を入れても魅力を増す事は滅多にない。むしろ魅力を削いでしまうだけだ。https://t.co/wWudZAjK2k
— 鮫島浩✒️ジャーナリスト 政治・メディア (@SamejimaH) 2021年3月17日
朝日新聞記者の鮫島浩 氏は「政治部デスク時代、部下の原稿を全面的に書き換えた」と暴露し、愚行だったと悔いています。
これはもはや公然の秘密化していた話だろうと思いますが、改めて明言されるとその重みに胃もたれがします。
なんにせよ、福島第一原発の吉田昌郎所長の調書の報道において、事実誤認の内容を記事にした朝日新聞東京特別報道部の次長だった人ですから。
鮫島記者「部下のクレジットがあっても私の原稿」
新聞記者やめます。あと75日!【人の原稿には手を入れるな!デスクの極意とは?】 2021年3月18日 2021年3月18日
早版の降版後、最終版にむけてひとりパソコンに向かい記事をバージョンアップさせるのがまた楽しかった。記事の細部まで一言一句にこだわった。文章をこねくりまわした。紙面に載った記事の末尾には政治部の部下たちの署名がついていたが、もはや元原稿は跡形もなく、それはどうみてもデスクである私の原稿であった。
鮫島記者の独白によると「部下のクレジットがあっても私の原稿」というケースが常態化していたことが伺えます。
このような実態があろうということは、わたくしもなんとなく感じていました。
青山繁晴氏の発信は10年前から追っていたのですが、そこにおいて共同通信記者時代の記者とデスクとの関係について触れることが何度もありました。
そこで鮫島記者が示したような実態が存在している気配を感じることがありました。
そのため、このブログでもマスメディアの記事について記者を対象に論評することはあるものの、記事にクレジットがあっても、明らかに記者の個人的な問題であると断定することには慎重でした。
Twitterアカウントで投稿していた場合の例↓↓↓
それにしても、記者がそのことを知らないまま記事化している面もあり得るような書きぶりであり、その点は「新鮮」でした。
自分の人生・人格を切り売りする芸風
鮫島記者については吉田調書問題など思うところがある方は多いと思います。
その前提で鮫島記者のブログを読むと「何をいまさら白々しい」という反応を示すこともあると思います。
私は、彼はもはや自分の人生・人格を切り売りする芸風で行くんだろうな、という目で見ているので、もうそういう割り切りをしてるんだなと思う事にしています。
以上