事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

シーライオニングの語源となった元ネタ漫画の意味と日本語界隈の不誠実な広がり方

シーライオニングの語源となった元ネタ漫画の和訳

シーライオニングという言葉の日本語界隈での言及のされ方が不誠実だと思ったので、2020年7月に広まった言説について、その辺のもにょる感じを書いていきます。

日本における広がり方の詳細な経緯は以下。

シーライオニングの定義・意味・用語法

「礼儀正しく誠実に議論をするふりをして、相手の好意に乗じて一方的に情報提供・説明を要求し、負担をかけさせ、時間を浪費させ、しかも説明された内容を曲解したりしながら更なる質問を繰り返す」

これがシーライオニングの用語法ですが、ネットスラングなので定まった定義や意味があるわけではありません。だいたいこんな感じ、という受け止めでいいでしょう。

シーライオニングの元ネタ漫画

Wondermark » Archive » #1062; The Terrible Sea Lion

シーライオニングの元ネタ漫画は、David Malki !(デイヴィッド・マルキ !)(エクスクラメーションマークも含めて著者名)氏が連載しているWondermark (ワンダーマーク)という単発シリーズにおける"Terrible Sea Lion"(酷っでぇシーライオン(※ブログ主訳))という題名の回です。

「シーライオニング」の現在の用語法と大きく異なるのは、問いかけを受けている女性は一度も返答していないという点でしょう。

Sealioningの元ネタ漫画"Terrible Sea Lion"の和訳

シーライオニングの語源となった元ネタ漫画の和訳

シーライオンの元ネタ漫画の和訳はいくつかツイートで出回っていますけど、私が和訳しつつ漫画の意図の解釈や論評を行ったのがこちら。

なんでnoteに挙げたのかというと、はてなブログはPNGファイルだと表示が激重になるのでいつもJPEGにしてUPしてるのですが、それだと画像が潰れてあまり見栄えがよくなくなると思ったのと、note界隈が好きそうな話題だったので、そちらで先に公開しました。

そちらは作品の理解をするために終始しているのですが、こちらでは日本(主にツイッター界隈)での「シーライオニング」の取り上げられ方が、その界隈の人たちによって歪められているのが気になったので、その指摘だけしておこうと思ったのです。

日本でのデイヴィッド・マルキのワンダーマークの取り上げ方について

ツイッターで「シーライオニング」についてシェアされている数が多いのがだいたいこういうツイート。

共通しているのは「元ネタ漫画のシーライオンは誠実な対応をしているし、むしろ最初の女性の発言の被害者」「女性の方が質問に答えることを拒否していて卑怯」といった受けとめです。

ここでは、「元ネタ漫画の理解」と「日本でのシーライオニングを多用する非論理的集団の用語法では、単に有意義な質問を遮るために使われている」というような日本文脈を加味した理解が混同されている点が問題だと思います。

2020年の自分らが被害を受けている現実から逆算して、2014年にアメリカで活動している作者が書いた漫画の中身について「現実と合ってないよね」と言っているのですから、不当な評価だなと思うのです。

あの漫画を盾にして有意義な質問を拒絶する者らの主張に対してはそれでいいのですけど、作品そのものの問題にしているのは不誠実だと思います。

「アシカ(シーライオンの一種)の絶滅を主張する貴婦人」なんて、デイヴィッド・マルキのワンダーマークの漫画には登場しませんからね。

女性のシーライオンへの発言は人種差別につながる?

 

女性の発言がもしも黒人を対象としていたら?」みたいな変形を加えられた上で批判されることもありますが、この漫画の意図するところはそんなものじゃないですよね。

作者が漫画そのものの内容について議論(難癖)が起こったために"clarification"として説明しています。

Wondermark » Archive » 2014 Errata

The sea lion character is not meant to represent actual sea lions, or any actual animal. It is meant as a metaphorical stand-in for human beings that display certain behaviors. Since behaviors are the result of choice, I would assert that the woman’s objection to sea lions — which, if the metaphor is understood, is read as actually an objection to human beings who exhibit certain behaviors — is not analogous to a prejudice based on race, species, or other immutable characteristics.
参考:http://wondermark.com/2014-errata/

概ね「この漫画におけるシーライオンのキャラクターは、特定の行動を示す人間の比喩的な代役として意図されており、女性の非難も特定の行動を示す人間に対する異議として読まれるものであり、人種、生物種、または他の変更不能な特性に基づく偏見の相似形ではありません」としています。

要するに、「自分の姿かたちが生理的に受け付けないとされた者がその理由を相手に問う」点が主題なのではなく、シーライオンの問い方を主題にしていますよと言ってます。

「黒人だったらどうの」っていうのは、批判するための都合のいい設定変更じゃないですか。批判者と同じ手法を使って、女性が言っているのが「シーライオンの好きなアーティストの音楽が生理的に無理と発言した場合」だったらどうだろう?と問いかけるのも可能になるでしょう。

公共空間=ツイッターだとシーライオンの行為は当然?

『作者が「弁明」しないといけない表現をしたのはミスだった』みたいな言い方はできるでしょうし、作者の意図とは異なる受け止めをすることは妨げられないでしょう。

そこで、「自分或いは自分が属する集団の姿かたち(発言・表現)の特徴が生理的に受け付けないとされた者がその理由を相手に問う」という要素に着目したとして、この漫画がインターネット上の議論の風刺であることに鑑みて、女性の発言がツイッター上のツイート=公共空間で誰もが閲覧することを想定したものだったと仮定しましょう。

1コマ目で女性は自分の気持ちを表明しているわけですが、「シーライオンは絶滅しろ」みたいなことは言っていないわけです。英語の原文からも、「存在そのものを否定する発言」と読み込むには情報が少なすぎます。

それでも、言及対象の範囲に含まれる者にとっては、「いったいなぜそのような事を言うんだろう?」と疑問に思うのは自然なことです。

ですから、2コマ目3コマ目で女性に問いかけるシーライオンの態度は正当だと思います。質問をすること自体は、この漫画は何ら妨げていません。

では、女性の側は答えなければならないのでしょうか?

結論から言うと、議論に応じる義務はありません。Twitterの利用方法として、自分の発言のすべてに対してエビデンスを提示しなければならないというルールは無いからです。法的にも、なにか特定の法益主体に対する名誉毀損や侮辱にわたる表現でない限り、非難を受けることはありません。

ただ、議論に応じなかったという結果が残り、その事自体から受けるマイナスの評価については甘受しなければなりません

4コマ目で「帰ってよ」と明確に議論しない意思を示した時点で、普通はそこで女性に対するマイナス評価がついて終わりますよね。

しかし、そこで終わらないから、シーライオンのTシャツも作られ、「シーライオニング」というネットスラングが創造され、6年経っても日本で拡散されたんじゃないですかね。

延々と質問を繰り返し、「議論」を強要する

5コマ目は自宅の寝室が書かれていますが、ツイッター上の話では単に「その人のタイムゾーン・タイミングにおいて就寝するような時間」だと言えるでしょう。

シーライオンの言動は、「夜遅いのでもうこの話はやめます」と言っている相手に対して「まだ話は終わってませんよ?逃げるのですね?」と言っているものと変換されるでしょう。

6コマ目も同様で、「議論」をすることが前提で延々と質問を繰り返している。

こういう全体の構成からシーライオンの行動を判断するべきで、女性の側に非があったとしても、「シーライオンがまとも」という評価にはなり得ないハズなのですが…

「シーライオニング」は、そういう状況を前提に使用されている言葉であって、「自分或いは自分が属する集団の姿かたち(発言・表現)の特徴が生理的に受け付けないとされた者がその理由を相手に問う」ような行為それ自体を揶揄したものではないでしょう。

日本語界隈での広がり方

  1. 「あなたのやっている事はシーライオニングだ」と指摘した者の用語の使い方が、単なる質問を拒否するための言いがかり・レッテル貼りだった
  2. シーライオニングだと言われた者が検索した結果辿り着いた漫画を、2020年の自身の体験に照らして「現実と足りない部分」を読み込んで批判した

2020年の7月に日本のネット上で広まっている言説にはこんな感じで気配があるのですが、それは元の漫画の作者にとっては青天の霹靂でしょうし、英語圏で一応のコンセンサスが取れた用語法ともかけ離れた使われ方・読み込み方がなされているような気がしてなりません。

英語圏でも議論を整理するために行われた相手の質問を茶化すためや痛い所を突かれたのを誤魔化すために「シーライオニング」だというレッテル貼りが行われる例があるようですが、そういうレッテル貼りと一応のコンセンサスが取れている用語法と、元ネタの漫画の理解が混然一体として論じられているのが今現在の日本語界隈での広がり方なので、困ったものだと思います。

以上