事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

メディアによる「厩戸王」捏造工作の証拠:聖徳太子抹殺計画

松野文科大臣、厩戸皇子

4年越しに捏造工作を発見してしまいました。

メディアによる「厩戸王」捏造工作の証拠

テレ朝「厩戸王(聖徳太子)」教科書記述めぐり国会激論[2017/03/08 20:04] 魚拓

聖徳太子」か「厩戸王」か。教科書の記述を巡って国会で激論です。

 民進党・笠浩史議員:「聖徳太子について、中学校の歴史的分野において、厩戸王、かっこ、聖徳太子にするというんですよ。これなんですか?本当に歴史に対する冒涜(ぼうとく)でもあるわけですよ」
 松野文科大臣:「日本書紀や古事記において、厩戸王などと表記されていることに触れ、聖徳太子についての史実をしっかりと学ぶことを重視をしている」

この記述部分は明確に事実と異なります。

松野文科大臣の国会答弁「うまやとのみこ=厩戸皇子」

第193回国会 衆議院 文部科学委員会 第3号 平成29年3月8日

○笠委員 省略

 二月十四日に、次期学習指導要領の改訂案が発表されました。私は、ちょっとこのことは、また、いろいろと中身について、領土にかかわる問題だとか、それは別途議論はさせていただきたいと思いますけれども、きょうは一点だけ御指摘をしたいと思う。

 聖徳太子について、中学校の歴史的分野において「厩戸王(聖徳太子)」にするというんですよ。これは何ですか。

 そして、かつて一部歴史学者の中で聖徳太子虚構説なんというのがありました。これはもう本当にどうしようもない学説だ。こういうことに影響されて、今回、こういった判断がなされたのかどうか。このことは、大臣にもまたしっかりと私は調べていただきたいと思う。

 聖徳太子は、言うまでもなく、冠位十二階や十七条憲法など、我が国の本当に統治の基本をつくり、あるいは隋との対等外交、さまざま、まさに歴史上最も重要な人物の一人であるというふうに私は思っておりますし、多くの国民が同じような思いを持っているんじゃないでしょうか。(発言する者あり)和をもってとうとしとなす、日本人の精神の支えですよ。今もあったように、お札にもなっている。あるいは、太子講という、大臣の選挙区にもそういう方はおられませんか、大工さんとか職人さんがもう神として、太子講という日本の伝統的なこういう集会等々もある、あるいは、そういう組合。さらには、聖徳太子ゆかりの寺院も数多くあるわけです。

 そういったことが、今回括弧にされるということは、本当にこれは歴史に対する冒涜でもあるわけですよ。

 今、三月十四日までですか、パブリックコメントというものを行っているということで、その上で、三月末までに正式な改正が告示されるということでございましょうけれども、必ず見直してください。そして、聖徳太子を括弧扱いするようなことは絶対にしないということを大臣に明言をしていただきたいと思います。

松野国務大臣 先月十四日に公表し、現在パブリックコメントを行っている学習指導要領改訂案では、中学校の社会科において、聖徳太子の表記を「厩戸王(聖徳太子)」としております。
 これは、聖徳太子という表記をなくそうとしたり、聖徳太子が不在だったという考え方に立ったりするものではなく、中学校社会科において、今回新たに日本書紀、古事記、風土記を明記し、神話、伝承などの学習を充実する中で、日本書紀や古事記において厩戸皇子などと表記をされていることに触れ、聖徳太子についての史実をしっかりと学ぶことを重視しているところであります。
 しかしながら、委員の御指摘がありましたとおり、「聖徳太子(厩戸王)」と規定している小学校との連続性の問題、教員の教えやすさや子供たちの理解のしやすさなども、最終的に学習指導要領を確定するに当たっては重要な観点であると考えております。

平成29年3月8日の衆議院文部科学委員会における笠議員の質疑に対する松野文部科学大臣の国会答弁の議事録では「厩戸皇子」表記になっています。

これは訂正されたのではありません。

動画を確認してみても「うまやどのみこ=厩戸皇子」 と発言しています。

厩戸王は「うまやどのおう」と読まれている例が多いのですが、これが「うまやどのみこ」と発音されることはありません。

※訂正:【「王」を単独で「みこ」と読む用法も聞いたことがありません】と書きましたが、不用意なので修正。『日本書紀』の古訓にて「~王」という人名は「~のみこ」「~のおおきみ」と訓まれているようです。

※追記

  1. テレ朝の動画のテロップでは「厩戸王」の上に「うまやどのおう」とある
  2. 笠浩史議員の質疑でも問題視する対象の語として「うまやどのおう」と発音
  3. 松野大臣も直前に『現在パブリックコメントを行っている学習指導要領改訂案では、中学校の社会科において、聖徳太子の表記を「厩戸王(聖徳太子)」としております』という部分では「うまやどのおう」と発音している

したがって、「うまやどのみこ」と読む場合は「厩戸皇子」を意味することは明らか。

松野大臣の答弁について詳細に

松野大臣の当該発言につき、動画で聞きとれる音を逐一書き起こすと以下になります。

「ぇ日本書記や古事記にゃ…古事記において、うまやどのぉぉ…みこ、などと…」

「うまやどのみこ」と発音するところを言い淀んだ部分があり、その部分だけを切り取れば「うまやどのおう」と発音したかのように聞こえる人も居た可能性はゼロではない。

しかしながら、その流れで「みこ」という語を明瞭に発音しています。

よって、言い淀んだところを「厩戸王」と聞き取ったとしても「厩戸皇子」とも言っているとして聞き取らないとおかしく、文字起こしには両方の語が記述されているハズ

ところがテレ朝の記事にはそのようになっておらず「厩戸王」表記のみ。

したがって、テレ朝が松野大臣の発言を「日本書紀や古事記において厩戸王などと表記をされている…」と書いたのは、聞き間違いなどではなく、意図的に敢えて行ったものであり、明確に捏造であるということです。

メディアによる「厩戸王」捏造工作に気づいたきっかけ

きっかけは聖徳太子研究者の石井公成(いしいこうせい)氏のブログです。

指導要領改定案の問題点:「厩戸王」は戦後に仮に想定された名、「うまやどのおう」も不適切【訂正・追加】 - 聖徳太子研究の最前線

2017年3月8日の文科大臣の答弁について3月10日の追記として以下の記述があります。

3月8日に、国会でこの問題が取り上げられ、民進党の笠議員が質問したところ、松野文部科学大臣は「日本書紀や古事記において、厩戸王などと表記されていることに触れ、聖徳太子についての史実をしっかりと学ぶことを重視している」と説明した由。大臣自身の判断でなく、文科省の事務方が用意した原稿に基づいて答弁したのであれば、その人たちも「厩戸王」という語が『日本書紀』や『古事記』に出てこないことを知らなかったということになります。質問した議員もそうした答弁を批判しなかったそうですので、知らないんでしょう。むろん、事実誤認を報じなかったマスコミも……。

これは動画を見ていれば違和感を持つ記述です。

石井氏はおそらくテレ朝などの記事を読んだ結果、この認識を持ったのでしょう。

そして、この認識は2021年の現在までずっと続いており、固着化しています。

新しい歴史教科書をつくる会理事の高森明敕氏が国会議員におこなった聖徳太子レクチャーに関する疑問 - 聖徳太子研究の最前線

指導要領を改訂する際の「厩戸王」騒動は、聖徳太子という呼称を尊重せよと主張して強硬に反対した人たちも、国会の委員会で「厩戸王(聖徳太子)」などと表記するのは歴史への冒涜だと述べた議員も、「厩戸王」の語は『日本書紀』や『古事記』に見えるのでと答弁した文部科学大臣も、本名である「厩戸王」を前面に出すことに反対するのは近年の学問成果を無視するものだと論じる人も、その騒動を報じたマスコミも、いずれも「厩戸王」は小倉豊文が戦後になって仮に想定した呼称であって古代の文献には登場しないことを知らないまま議論するという恥ずかしい状況でした。

私が4年越しにこの記事を書いたのは、石井氏のように認識が固定化されている方が他にもいらっしゃるだろうと思ったからです。

Twitterを見れば、当時も報道を見て困惑し、認識に疑問を呈しているアカウントが見つかります。その中には研究者も見受けられます。

※追記:石井氏のブログで【2021年9月12日】に本記事を読まれたうえで付記されたことを確認しました。

石井公成ら研究者の聖徳太子観

石井公成 氏によれば、「厩戸王」という語は「良心的な研究者であった広島大学の小倉豊文氏が、戦後になってから後代のイメージに縛られずに研究するために仮に用いた名」であったものを、田村円澄 氏や大山誠一 氏らが何らの論証もせずに本名・正式名称であるかのように使用したものが広まってしまったものだと指摘されています。

研究者らで学習指導要領上の「聖徳太子」表記を「厩戸王」に変更するのに反対である理由は、「文献にその語が見られたことが無いから」です。
(石井氏はさらに「うまやどのおう」という読みについてもあり得ないのではないかと指摘)

彼らからは、正式名称決定の場から離れた領域、或いは学習指導要領から離れた場面では、「聖徳太子」も存命中の呼び名ではないので、存命中にどのように呼ばれていたかを推測すること自体は妨げられない、という態度が伺えますが、石井氏は、史料に厳密な研究者は「厩戸王」という語は絶対に用いないとしています。

このような研究者らの慎重な態度(聖徳太子を過度に神格化しない姿勢も含む)は尊重されるべきであると思います。

指導要領改定案の問題点:「厩戸王」は戦後に仮に想定された名、「うまやどのおう」も不適切【訂正・追加】 - 聖徳太子研究の最前線

【追加:2017年3月9日】
「廐戸皇子」の「皇」は律令制以後の呼称だから避けたいものの、大山説に賛成しているように思われても困るためか、「厩戸王」でなく「廐戸王子」という呼び方をする研究者もいますが、賛成できません。これも資料に見えない名だからです。こうした呼び方については、刊行されたばかりの北康宏『日本古代君主制成立史の研究』(塙書房、2017年2月)も、混乱をひきおこすとして反対しています(533頁)。

現在も続く聖徳太子抹殺計画

 同時に、テレ朝の記事に見て取れるように、明らかに「聖徳太子」の語を消そうとし、「厩戸王」の語をねじ込もうとしているところがあるというのも確かでしょう。

学習指導要領の場面だけではありません。

学習参考書や一般の歴史書において「厩戸王」の浸透具合は顕著です。

ここは国が口を出す範囲ではないので、やりたい放題です。

「聖徳太子の語は消えた」と既成事実化する者も出ていました。

なぜ、文献にみられない語が何らの論証も無くここまで浸透していったのか。

こうした日本国の歴史、我々日本人の認識に対する攻撃・政治工作が、今現在も続いているということに危機感を覚えます。

次の学習指導要領改訂時にはどうなっているだろうかと思わざるを得ません。

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