東京弁護士会が「死刑制度廃止に向けた死刑執行停止を求める決議」の内容を公表しましたが、死刑制度存廃論について若干の指摘をします。
東京弁護士会の死刑制度廃止に向けた死刑執行停止を求める決議
死刑制度廃止に向け、まずは死刑執行停止を求める決議 |東京弁護士会
https://www.toben.or.jp/message/pdf/200928siheihaisi.pdf
東京弁護士会の死刑制度廃止に向けた死刑執行停止を求める決議において、重要な点はは以下だと思います。
- 誤判の危険性
- 一般予防効果が立証されていないこと
- 死刑に代わる仮釈放なき終身刑導入の検討
- 被害者・遺族の権利保障
一般予防効果というのはざっくり言うと「死刑制度があることで死刑になることをおそれて死刑相当の犯罪行為を行おうとする者が思いとどまって結果的に死刑相当の犯罪が少なくなる」というものです。
一般予防効果は統計で視るしかなく、死刑廃止国において当該犯罪が増えたというような数字は見られないというのは事実です。
ただ、「その者による将来の再犯は無くなる」というのも事実です。このような効果を「犯罪抑止」とする考え方は刑法学ではとりません。
また、「死刑廃止国は死刑の代わりに現場で簡易処刑しているのだ」ということが言われたりしますが、それについては主張の仕方に注意すべきであるということを過去に書きました。
誤判の危険性:「死刑は冤罪の場合には取り返しがつかないから」?
死刑制度廃止に向け、まずは死刑執行停止を求める決議 |東京弁護士会
刑事裁判における誤判の可能性が存在する以上、いったん執行されてしまえば原状に復する手段が全くなくなる死刑は、冤罪の場合には取り返しが
つかない人権侵害となる
死刑制度廃止論者から「誤判の危険性」として「死刑は冤罪の場合には取り返しがつかないから」ということが言われます。東京弁護士会もその論を採用しています。
しかし、これは他の刑と比べて何が違うのでしょうか?という疑問があります。
刑罰によって侵害される法益が「生命」なのが死刑。
懲役刑や禁固刑などで侵害される法益には「移動の自由」などが観念できますが、同時に「その間の時間」が失われると言うこともできます(それを法益と言うかは別。その者の人生の時間が法益であると刑法学上言われることは無いと思われる)。
失われた時間は回復しないのであり、「冤罪の場合に取り返しがつかない」のは死刑も無期懲役などの他の刑も一緒です。それを言ったらおよそ全ての刑罰を科すこと自体の是非を論じることになります。
確かに「生命」という法益は「原状に復する手段が無い」わけですが、「原状に復する手段が無い」のは時間も一緒です。特に懲役・禁固刑の受刑者が獄中で死亡した場合、死刑とあまり変わりません。
「死刑は生命という法益が不可逆的に失われ取り返しがつかない」という論法は、現行の刑法学上は一貫性があるというだけで、外側から眺めてみるとかなり奇妙に映ります。
この刑法学の間隙について論じている者を私は見たことが無い。
手続を操作する東京弁護士会が社会制度を語るのか
総会前、賛成の委任状が少ないのに焦った執行部は委任状未提出者の情報を外部に漏洩し、派閥の力関係を利用して賛成の委任状を出させた。投票の秘密も、実質的な投票の自由も奪っておきながら、良くも平然と「決議を採択しました」などと呑気に言えますね。恥は忘れたのかな? https://t.co/SKkKjk8yiP
— 北村晴男 (@kitamuraharuo) 2020年9月29日
アマボクシング界などのメチャクチャな組織運営を見る度に、「スポーツしかせず、法を学んだ事がない人達が理不尽なのは仕方ないのかな」と思ったが、弁護士の組織がこの程度とは!法を学んだかどうかでは無く、人間性の問題だったのか。 https://t.co/Us40L7zM6l
— 北村晴男 (@kitamuraharuo) 2020年9月30日
東京弁護士会による死刑制度廃止決議の手続上の問題点については以下で論じています。
人を殺した者の処遇を社会がどう扱うべきかという手続の話をしているのに、死刑制度廃止決議の手続が恣意的に行われているという超矛盾。
社会制度を語る組織が、自分らの組織の内部においては異常なルールのもとで恣意的な運用をしていることにうすら寒い思いがします。
以上