事実を整える

Nathan(ねーさん) 法的観点を含む社会問題についても、事実に基づいて整理します。

国政調査権の限界:浦和充子事件等の関係者を証人喚問した参議院法務委員会と司法権の独立

憲法62条の国政調査権の限界のうち、司法権との関係での限界を推し量る事例として参議院法務委員会が取り上げた浦和充子事件が挙げられます。

ここでは参議院法務委員会の動きとそれに対する最高裁判所や世間の反応をまとめていきます。 

国政調査権の根拠規定等は以下参照 

参議院司法委員会:「裁判官の刑事事件不当処理に関する調査」

浦和事件と参議院法務委員会の国政調査権の限界、司法権の独立
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当初は「司法委員会」という名称であった法務委員会ですが、昭和23年5月6日に「裁判官の刑事事件不当処理に関する調査」を開始する決定がなされました。

目的は「裁判官及び検察官の封建的観念及び現下日本の国際的国内的立場に対する時代的識見の有無並びにこれら司法の民主的運営と能率的処理をはばむ残滓の存否を調査し、不当なものがあるときは、その立法的対策を講じ、又は最高機関たる国会の立場で司法部に対しこれを指摘勧告する等適切な措置をとること」とされていました。

参議院法務委員会:「検察及び裁判の運営等に関する調査」

昭和23年6月29日付で参議院法務委員会から「現在の日本の実情を前提とする憲法第62条の解釈論としては、各議院は所謂国政調査権にもとづき、司法作用の全般に関し、必要に応じて調査批判することが出来」るとの見解に立っていました。

昭和23年10月15日には調査の名称を「検察及び裁判の運営等に関する調査」(※検索注意:「檢察及び裁判の運營等に関する調査」)とし、同年11月18日には浦和充子事件を取り上げることを決定しました。

浦和充子事件とは

浦和充子は夫語助との間に三女をもうけたが、語助が賭博に手を出して生業も身につかなくなり、居宅まで売り払ってしまった。充子は実兄方に子と一緒に住んでいたが、悲観のあまり母子心中を図り、殺鼠剤を魚とともに煮込んで子に与えたが苦悶を始める様子もなかったので絞殺し、自首した事件。

昭和23年4月17日に殺人罪で起訴、浦和地裁で7月2日の検事の求刑懲役三年に対して懲役三年執行猶予三年の判決が下された。検事は翌3日に上訴権を放棄して充子は直ちに釈放された。

懲役三年執行猶予三年という判決が軽すぎるのではないか?として参議院法務委員会が問題視しました。

最高裁判所が司法権の独立を脅かすとの警告するも続行

参議院法務委員会は事件関係者を証人喚問して(昭和23年11月26日昭和23年12月7日※今では考えられない)、関係者の来歴から事件の内容にわたる質問を繰り返していました。上記リンクから証人喚問でどういう質問がされていたのか確認すれば、その歪さがわかると思います。現代であれば動画アーカイブが残りますからね。

そこに昭和23年12月9日、最高裁判所がこの調査は憲法に規定された調査の範囲を逸脱するものとして警告を発しましたが、参院法務委員会は押し切って調査を続行。

浦和事件以外にも複数の事件を調査対象として取り上げており、そちらも証人喚問を行っています。

浦和事件の調査報告書をきっかけに議論が湧き起る

翌年の昭和24年3月24日の参院法務委で浦和事件の調査報告書を参議院議長に提出する決定がなされ、同年同月30日付の報告書では以下のような内容の報告がなされました。引用元は法律時報21巻7号61頁。

参議院法務委員会は裁判所が「事実認定」「にあたって犯罪の動機と認めた⑴『生活苦』に対しては、充子自らの責任はなかったか、その打開の途はなかったか、⑵『他の援助を求め得なかったこと』に対しては、夫語助より犯行の前日にまで、一カ月間に八千円を貰いながら、死ぬより外、途がないと迄、語助を見限らねばならなかったか。社会厚生施設や福祉施設を利用する方法をなぜとらなかったか。⑶『死が子供たちの不幸を免れしめると考えたこと』に対しては、充子ははたして母子心中を図ったものかどうか、を疑問として、裁判所がその裏書証拠をも収集していないことを杜撰と非難し、裁判所の「事実認定」と量刑には、"子は親のもの"という封建的思想を情状酌量の要件となしたものであり、かかる残虐なる犯行に対しては、懲役三年執行猶予三年の判決は、当を得ないものとの趣旨の結論を下している。

最高裁判所では、この報告書について裁判官会議を開き、議決に基づいて次項の意見書を参院議長に送付しました。

最高裁判所が参議院議長に意見送付

意見

憲法第六十二条に定める議院の国政に関する調査権は、国会又は各議院が憲法上与えられて行う立法権、予算審議権の適法な権限を行使するにあたり、その必要な資料を集取するための補充的権限に他ならない。

昨年五月六日貴参議院法務委員会は、裁判官の刑事事件不当処理等に関する調査を行うことを決議し、ついで同年十月十七日、これを検察及び裁判の運営等に関する調査と改め、※省略:調査の目的の指摘※、従来裁判所に係属中の及び確定の刑事事件につき調査を行い、裁判の当否を論じ、最近においては判決の事実認定及び刑の量定の当不当を云爲するに至った。

しかしながら司法権は、憲法上裁判所に専属するものであり、他の国家機関がその行使につき容啄干渉するが如きは憲法上絶対に許さるべきではない。この意味において、同委員会が個々の具体的裁判について事実認定若しくは量刑等の当否を審査批判し又は司法部に対し指導勧告する等の目的を以て前述のごとき行動に及んだことは、司法権の独立を侵害し、まさに憲法上国会に許された国政に関する調査権を逸脱する措置と言わなければならない。

裁判官に対する民主的監視の方法は、自ら他に存するのであって、すなわち、憲法の定める最高裁判所裁判官に対する国民審査及び裁判官に対する弾劾の各制度の如きがそれである。

憲法は国の最高法規であり、国会もまたこれを尊重しなければならないこと論を待たず、ここに深甚な反省を求める次第である。

最高裁の国政調査権の性質について述べた冒頭の部分は「補助的権能説」と呼ばれており、憲法学会もこの見解を支持している者が多いです。

この意見書に対して、参院法務委が反ばく声明書を出すことになります。

参議院法務委員会が上記意見書に対する反駁声明書

声明書
参議院法務委員会
一、最高裁判所に違憲法令審査権は具体的な各個の事件に付憲法違反の法令の適用を拒否するという消極的な機能を持つに過ぎない。従って最高裁判所が具体的事件の裁判としてではなく、裁判所以外において国会や内閣の行動に関し、憲法問題につき意見を発表することは越権である。

二、国会は国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関であることは、憲法の明定するところである。従って、憲法第六十二条の国会の国政調査権は、単に立法準備のためのみならず、国政の一部門たる司法の運営に関し、調査批判する等、国政全般に亘って調査できる独立の権能である

三、所謂司法権の独立とは、裁判官が具体的事件の裁判をするに当たって他の「容啄干渉」を受けないことであって、いかなる批判をも免がれうるというものではなく、この国政調査権による調査批判は、却って国権作用の均衡と抑制の理論からも必要である。

従って既に確定判決を経て裁判官の手を離れた事件の調査の如きは毫も裁判の独立を侵すものではない。

四、しかして本委員会の検察及び裁判の運営等に関する調査の目的は「裁判官、検察官の封建的観念及び現下日本の国際的国内的立場に対する時代的識見の有無、並びにこれら司法の民主的運営と能率的処理をはばむ残滓の存否」である。唯このためには裁判の過程を調査しその資料とするは当然である。

浦和充子事件においても、調査の目的は「抵抗力なき子供の生命権の尊重及び封建的思想に関する係検察官及び裁判官の認識」と「その判決が社会人心に及ぼした影響」であり、その調査の方法も判決の確定をまって着手し裁判官に対しては最高裁判所を通じて書面による回答を求めたのである。

五、裁判官に対する民主的監視の方法として国民審査及び弾劾の制度があるが、前者は、最高裁判所裁判官のみについて「十年毎」に一回であり、後者は個々の裁判官に非行のあった場合にのみ行われるに過ぎない。この両制度のみでは司法の民主的運営と能率的処理を図るために十分でない。これ国政調査権による調査批判を必要とする所以である。

昭和二十四年五月二十四日

「二」の部分の国政調査権の性質についての理解は「独立権能説」と呼ばれています。

翌日の五月二十五日には、最高裁判所が裁判官会議をひらいて協議した結果、同日の午後に参院声明書に反対する次項のような最高裁判所事務総長談話を発表しました。

最高裁判所事務総長談話と衆院法務委の懇談会

昭和24年5月26日朝日新聞

過日参議院への申入れは同院法務委員会の行為によりまさに侵害されつつある司法権の独立を護るためにした当然の行為で、決して越権行為ではない。浦和事件を同委員会が問題にした際、最高裁判所は文書をもって調査の限度方法を誤ることのないように注意を喚起したのだが、委員会はそれに耳をかそうともせず、多年の知識と経験とをもつ裁判所が、厳格な訴訟法の規定に従って判決で認定した事実や刑の量定を妥当でないと判断し、まるで見当違いのことをやってしまった。こんなことが度重なると、国民のなかには参議院の法務委員会は裁判の再審査をするところだと誤解する人も多く出てくるだろう。そのようなことをされては裁判の独立を害することになるし国民の権利、自由の保障も危機にひんするだろう。それでやむにやまれず参議院の反省を求めた次第だ

衆議院法務委員会でも五月二十七日、国政調査と司法権独立に関する懇談会を開き、最高裁判所判事眞野毅、東大教授宮澤俊義、弁護士小松一郎の意見を求め、「参議院の行為は行き過ぎであるとの意見を表明(昭和24年5月28日 読売新聞)

参院議員の中野重治は5月28日の参議院運営委員会小委員会において(当時について小委員会の議事録はウェブ上には無いらしい。)、この件について29日に本会議で質問をし、吉田首相や参院法務委員長らを出席させて答弁を行う事を要求したが、松平議長は大要以下述べて慎重な扱いを求めました

昭和24年5月29日 東京新聞

私個人としては法務委員長等の意見を徴してそのうえで議長として回答すべきものと考えたが、重大問題であるので慎重に扱わぬと妙な方向に走り国家全般のためにならぬと想を練っていた。その間に法務委員長から見解発表が行われてしまったのであるがこれは参議院の意見ではない。自分としてはまだ成案が出来ていないが、これはいま早急にやる必要もないと思っている。

こうした政府内での応酬があった一方で、各界からも参院法務委の行為について非難する見解が主張されていました。

各界の反応からみる国政調査権の限界と司法権の独立

東大教授の宮澤俊義の意見の抜粋

司法権がおびやかされるという意味は決して裁判所以外の、国会なら国会がある法律判断をしたことが法律的に拘束する、という意味ではなくて、通常の人間が裁判官になった場合にその裁判官がその与えられた社会において、通常の条件の下において自由に自分の信ずるところに従って裁判をすることが出来る、そのことに対して何らの事実上の影響を与えないというのが司法権の独立を保障するという事である。

第二に参議院の委員会にそういう事件を調査する権能があるかということであるが、そこには限界があって、国会の権限というものが限られている以上はその調査権も限られていることは当然である

法務委員会で前の(浦和事件の)刑事被告人を証人として尋問しているが法律形式的には必ずしも違法でないと言えるかもしれないが、そういう行動を国家機関が権力を以てとるということは、憲法の(一事不再審の)規定の精神に反することは明白ではないかと思う。

宮澤氏の「調査権も限られている」という部分は、参議院法務委員会が採った国政調査権の独立権能説と、最高裁判所の採った補助的権能説のいずれの立場でも認めているところです。

宮澤氏の司法権の独立が害される場合というのは、法的効果を主張することにとどまらず、裁判についての事実上の影響が与えられる場合も含まれるという立場です。これは程度問題になりそうなので外縁が不明ですが、確かに既に裁判負担を被った関係者に対して証人喚問をするというのは酷であるし、裁判結果が変更されるべきであると言う考えでなければ行わない行為ですから、それについて裁判を覆す法的効果が無いからといって是認されるべきとは思えません。

以下は金森徳次郎の意見の抜粋

金森徳次郎 国会図書館長 昭和24年5月28日朝日新聞

司法権というのは法律の議論をするということではない、法律が確定的な効力を以て、世の中に働いてゆくという途中の働きである。従ってせまい意味において司法権の独立はおびやかされていない、ただ、それがために社会的に司法権の尊重が影響を受けるのではないかと言う点についてはこれは程度問題であって、場合によっては是認してもいいという見解です。

日本の裁判所の運営の仕方がわるければ裁判制度に関する何らかの法的措置も必要になる。それがためには調査する必要が起こってくる、あるいはそればかりでなく裁判と政治との関係もあってそれも考えなければならんということになれば、その主旨からー単純に裁判を批評するというのはおかしいが、広い見地から裁判に関する調査をするということは必要な場合もあると思う。ちょうど学者が自ら裁判問題について判例批評なんかをするのと一面においては同じような意味で、権力の働きを生ぜずして調査をするということは十分許されているのじゃないかと思っている。またそれは国会の如く力のそろったところでなければ証人を集めたり事件を掘り下げることはほとんど不可能で、どうしてもこういうところに権能がありそうな気がする。そう考えると結局参議院の方ではある範囲を越えない限り憲法上の調査権の範囲で裁判の適否問題も研究できるということになる。そして裁判官の方も法律的には独立をおびやかされるということはないというように考える、ただ行き過ぎかどうかということになると、実際の事情を知らないから言葉を慎まなければならんと思っている。

国立国会図書館長は法律の専門家じゃないので一般から述べていますが、国政調査権に一定の限界があるという見解ではあるようです。司法権の独立に影響するかということについては程度問題であると言っている点は、宮沢氏と同種の見解であるということでしょう。

ただ、証人喚問はまさに国政調査権という権力の働きから生じているので(しかも宣誓させることになる)、その限りで受け入れられないものです(というか論旨が矛盾していることに)。

鈴木安蔵 政治学研究会理事 昭和24年5月27日 読売新聞

国政調査権は、それ自体独立な憲法上の権能なのである。

裁判自体については、最高裁判所に終局の決定権をみとめることが、法の公平な解釈・宣言上妥当であるとされており、司法権の独立の意義はみとめなければならないが、そのことが判決に対する国民一般の批判・論議を禁ずる趣旨でないことも、ひろくみとめられていることである。国家機関の一つであるとはいえ、国会各院の司法委員会の判決批判といえども、それが何ら直接に司法的効果を主張するものでもないかぎり、越権であるとか、司法権の侵害であるという批判はそのままでは成り立ちえないのである。

以上は一般論である。参議院の司法委員会が、必要以上に裁判訴における覆審的行動に出なかったか、あるいは現に継続中の裁判にたいしてはなはだしく影響を及ぼすごとき行動をとらなかったかどうかの点は、その活動の個々のケースについて論断すべきことがらである。

鈴木氏は独立権能説に立った上で、司法権の独立を害するとは、一般的には法的効果を主張するものであるかどうかで判断されるべきという見解です。 

ただし、後半部分では司法権の行使に対して影響を与える行動があったかどうかを問題視する立場であることを明言しており、具体的事案においては「法的効果を直接主張」に至らない行為であっても「法的効果に影響を与えることになる」行為かどうかを見ると主張しており、司法権の独立を害するかどうかの判断を緩和させています。

その後の動きと浦和事件の教訓

その後、「檢察及び裁判の運營等に関する調査」は徐々にその開催日数を減らしていき「参議院法務委員会昭和61年10月23日」を最後に同一名称では行われなくなりました。

また、「檢察及び裁判の運營等に関する調査」の中で確定裁判或いは裁判進行中の事件関係者を証人喚問して具体的事件について検討することも「参議院法務委員会昭和25年04月25日」以降は行われなくなったようです(上記は五井産業事件について裁判進行中に事件関係者の証人喚問がなされました。検察や弁護人が裁判において要求した証人と重なりがあるかどうかは確認していませんが)。

結局、浦和事件等について参議院法務委員会が行った行為の教訓は以下でしょう

  1. 判決確定前後において判決内容を批判したり審理に影響を与える調査をなすことは許されない
  2. 起訴不起訴の判断や公訴の内容、捜査の続行に重大な障害をきたす方法による調査は許されない
  3. ただし、これらに抵触しない限りで事実について裁判所と異なる目的で並行調査することは許される

こうした教訓があってこその佐川氏の証人喚問があったのでしょう。

結局不起訴になりましたが、捜査に対する重大な支障が出ないよう、注意が払われていました。

以上